chapter1ー01『白兎とチェシャ猫』

終末アリス【改定版】




 落ちる。おちる。オチル、 白くて深い、穴の中へと真っ逆さまに。
 有り得ない状況だった。現代社会で普通に生きていれば起こるはずのない理解不能な現象に、現在進行形で落下していく赤いセーラー服を着た少女は思考する。
 どうして自分がこんな目にあっているのか。
 一向に底が見えない空間で、落下中にも関わらず余裕があったのは、ゆったりと風船のように揺らいでいるような感覚が恐怖を麻痺させてしまったからだろうか。
 ここに至るまでの記憶を遡ってみよう、と少女は思い出す。いつもの通り学校へ行き、決まった時間に授業を受け、ただ家に帰宅するだけの日常。
 異変なんて起こり得る筈のない変わらない今日が、一気に非日常へと変貌した現状は、やはりただ不可解としか思えない。
 いつもと違った点は帰り道に見掛けた銀色の懐中時計だろうか。
 何気なく視界に入ったそれを、少女は拾って手に取った訳でもなければ、誤って踏みつけてしまった訳でもない。
 ただ、路上に落ちていたのを見付けただけで、一体誰がこんな目にあうと予想できると言うのか。
 それともそれは一切関係なくて、こんな目にあってしまったのか。考えても答えはない。
 もう一度、少女は自問自答する。運が悪かったと思うべきなのだろうが、腑に落ちない。
 懐中時計が切っ掛けなのは確かだ。勿論、路上に落ちていただけという理由では根拠として弱いけれど。通いなれた通学路には少女以外の人影は見えなかった。
 住宅街で、ふとした瞬間の静けさ。車もバイクも自転車も通らない一瞬の刹那だったように記憶している。
 ――突如、足音も気配もなく目の前に現れた青年がその懐中時計を拾い上げたのも覚えていた。
 髪は白。服装も白。一瞬だったのでどんな服装かまでは詳細を思い出せないが、上から下まで全てにおいて白く、肌の色も通常の人と比べて白かった。
 そして、更に異様だったのは、その頭から生えた白い兎の耳である。目立つその妖しい人物から目が離せなくなった。
 硬直する少女など視界に入っていないらしい白い人物は時計を拾い、颯爽と歩き出す。
 しきりに時計を気にしていたから、急いでいたのだと理解は出来た。ここまでなら何て事はない話だし、あぁ、不思議な白昼夢だなで感想を終えられたのに。
 一体何がどうなったのか、兎耳コスプレ男にすれ違い様ぶつかった。
 挙げ句、背後にあった水溜まりにしか見えない穴(昨日は雨が降っていないのにと不自然な気もしていたけれど、どう見ても水溜まりだった)に落ちてしまうとは、現実的に考えても説明がつかなかった。
 そして現在の真っ白空間に真っ逆さまである。
 回想は以上で終わり、少女はやはり現状を理解する事が叶わなかった。ぶつかった人物も白。現在進行形で少女が落下中である目の前の光景も同じく白。
 白が憎らしく思えたのは今日が初めてだわ、と少女は息を吐き出した。嫌いになりそうな色を見ながら、少女――
 乙戯(おとぎ)アリスは思う。夢なら早く覚めればいいのに、と。

xxx

 気が付くとふわふわした浮遊感はなく、いつの間にか着地したらしい深い森の中に居た。
 ぼんやりと上を見上げれば爽やかな青空が広がっている。やはりあれは夢だったのかと辺りを見回してみた。
 森がある。木々が生えている。草が生い茂り。岩がところどころ。そして、白を見つけた。
(………ん?)
 何やら違和感を感じ、もう一度と、辺りを見直してアリスは確認を取った。動物の姿は今のところない森。取り囲む様に無数にある木々。生い茂る草。所々にある岩。
 そして、目の前にぴょこんと生えている白い兎耳。
「………うさ耳…?」
 思わず条件反射で引っ張ってみる。柔らかい。作り物ではない温もりがあり、手触りも動物特有のもふもふ感があった。
 ふむ。これは何だろうかとアリスは固まる。兎の耳の生え際には、白い人間のものと思われる髪が存在していた。それに気付いた直後――
「…痛ェんですけど。つか、いつまで乗っかってんですかアンタは」
 引っ張った耳から声が聞こえ、自然と下を見れば立派な兎耳を生やした真っ白い、ノンフレーム眼鏡の青年がだるそうにアリスを見つめていた。
 端から見れば仰向けになった男の上に馬乗りの女子という、見ようによっては誤解を招く構図だ。しかしアリスは羞恥より先に原因の一端だと思われる白い兎耳の青年に詰め寄った。
「っ変態ウサ耳男……!」
「何ですかソレ…つか、退かねぇなら勝手に動きます――」
「ねぇ。元の場所に帰して欲しいんだけど」
 知らない間に上に乗っかっていたらしい事はさておき、一刻も早く元の世界に戻りたい、或いは白昼夢なら夢から覚めたい一心で兎耳青年の言葉を遮りながら問いかける。
 この際、元の場所に戻れるならこうなった経緯すらどうでもよかった。知ったところで理解したくもなかった。アリスに詰め寄られた青年は整った顔立ちを僅かに歪ませ、何言ってんだこの女という視線を向ける。
「……元の場所? ……あァ…もしかして、あの時…?」
 ようやくぶつかった事を思いだしたのか、青年は面倒臭そうに目を細めた。だが、態度は変わらない。冷ややか視線のままで青年はアリスに告げる。
「知らねェですよ。勝手に巻き込まれたのはアンタですから、帰り道は自分で探しやがれって事で。俺は急いでるんです――よっと」
 理不尽な言葉を吐いた青年はアリスを引き剥がす。白いスーツに付着した土埃を払いながら立ち上がり、アリスに目もくれず、さっさと歩き出してしまう。
「えっ…ちょ」
 引き剥がされて地面に尻餅をついたアリスは一瞬の判断が遅れ、慌てて青年を追いかけようとしたのだが、既にあの真っ白い姿は何処にも見えなかった。
 唯一の手掛かりを見失ったショックでガックリとアリスは項垂(うなだ)れる。いたいけな少女を巻き込んでおきながら知らない勝手にしやがれときた。
(有り得ない有り得ないわ本気であの変態ウサ耳眼鏡男っ……)
 ふるふると頭を左右に振って、溜め息を一つ。一日でこんなに理不尽な扱いを受けたのも深い溜め息ついたのも生まれて初めてだ。
「…白い兎なんか滅亡すればいいのに」
 毒を吐きながらアリスが膝を抱えて座り込んだ時。
「…兎が嫌いなの?」
 誰も居ないと思っていたこの場に無感情な声が聞こえた。疑問符がついていながら無感情だとは矛盾しているが、感情がこもっていないとすればいいのか。
 驚いて顔を上げれば、そこには至近距離にまで顔を近付けた赤い髪の少年の姿。
 いつの間に居たんだろうとか顔近いなとか、いろいろ思う所はあったけれど、笑顔の少年に嫌悪感は感じない。
「それとも白兎が嫌い?」
「…白い兎耳を生やした男が嫌いなの」
 再び問われた質問に、隠しても仕方ないと考えたアリスは正直に言う。やはり声は単に事実確認をしているだけの、感情の起伏がない印象を受けた。
 少年は笑みを浮かべたまま、答えにふぅんと呟いてアリスから離れる。しなやかな動きだ。音もないし、気配もない。
 少年は、でもと言葉を続けた。
「…それは叶わないよ。白兎は死なない」
 死なない? それは一体どういう意味なのか。疑問に思って問いかけようとし、そういえばまだ互いに名乗ってない事に気付いた。一先ずは自己紹介が先だろう。
「まだ名前、言ってなかったね…私はアリス。乙戯アリス。あなたは?」
 そのアリスの自己紹介に、少年はうん?と首をかしげ、あぁと納得したかと思えば先程から浮かべている笑みのままで名乗った。
「俺はチェシャ猫。一応、宜しくなのかな。アリス」
 チェシャ猫――変わった名前だ。 猫…ねこ? アリスは改めてチェシャ猫をまじまじと見直した。
 赤い髪に赤い瞳。縦の線が瞳孔なのか昼間の猫の目のようだ。反対側の左目には黒い眼帯をしている。
 少し派手な赤を基調とした黒のラインが入ったパーカーという服装が違和感なく似合っているけれど、問題はそこではない。
 鮮やかな赤い髪からは本来なら人にあるはずのない灰色の猫耳が、ズボンからはゆらりと同じく灰色の尻尾が生えているではないか。
 先程の白い兎耳の青年といい、目の前の灰猫耳の少年といい、アリスの理解の範疇を越えた人種である。
(………もしかして、こんな人達ばかりなの!?)
 軽く目眩をおこしかけたアリスはチェシャ猫を見たまま沈黙した。

xxx

 白兎は死なない。その答えも何となく聞きそびれ、「ついておいで」と言われるがままアリスは少年の後を追っていた。
 行き先も知らされていないが、あの森の中で当てもなく迷うよりは確実だろうという打算も踏まえた上で、頼れるのは彼だけである。
「…ねぇ…一体何処に向かってるの?」
 深い森を抜け、ようやく道と呼べる場所に出たところで聞いてみれば、チェシャ猫が振り向かないまま返事を返す。
「キチガイ帽子屋のお茶会だよ」
 と、告げられてもさっぱり解らないのだけれど。
 そんなアリスの気持ちは言わずとも伝わったのか、チェシャ猫は尻尾をゆらゆらと揺らし「悪いようにはしないさ」と続けた。
「行けば分かるよ。アリスは泊まる場所が必要だと思って」
 会ったばかりだというのに何て親切なのだろうか。何だか申し訳ない。それもこれもあの変態白兎の所為だ。
 今度会ったらあの目障りなウサギ耳を引っこ抜いてやろう。アリスがそう決意を固めた時、不意にチェシャ猫が立ち止まる。
 着いたよと言われ、目を向ければ少し離れた場所に建っている家が見えて、アリスは思わず絶句した。
 ピンク色の少女趣味全開な建物は、まるで童話の中に出てくるようなお菓子の家と形容するのに相応しく少女趣味。
 花で彩られた門をくぐった庭には、白いテーブルクロスを広げて優雅にお茶会をしている三人組が自然に居る。
 僅かにこの空間に足を踏み入れる事が躊躇(ためら)われたが、だからといって他にどこに行けるのか。
 意を決したアリスはお邪魔しますと告げて、出入り口の柵を開けた。


×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -