落下地点
『終わる為の真実』
落ちていく。
暗い黒の景色の中を急速に。まるでこの世界に来るまでの初めて落下していく感覚に襲われた白とは真逆の光景に何かを思う余裕すらない。
ただただ恐怖で泣きそうだ。
ひっと息を詰めたアリスはこのまま落ちていく先に何があるのかと考える。しかし確認しようにも落下していく身体を器用に回転させられる程に運動神経は良くない。
あぁ、どうしようと硬く目を瞑ったアリスはせめて打撃の衝撃に備えようとぎゅっと身を縮こませる。そして、ゴツンという嫌な音と痛み。
でぇっ!という誰かの声と思っていたよりも柔らかい地面に恐る恐る目を開けてみた。
白い服が視界に映り、痛みを堪えて慌ててその上から身を離す。
「……ご、ごめ」
案の定、その下敷きになっていたのは何故か居る白兎で、謝ろうとしたアリスは無言で睨まれてしまって途中で止まる。
「……テメェはあれですか、俺にぶつかる趣味でもありやがるんですか迷惑だ」
「うん、……でも、わざとじゃない…」
ぶつかる趣味はないが、こう何度も続くと否定はしにくい。アリスはさりげなく白兎の怪我がないかを確認してほっと息をついた。
「チッ…だが、テメェが落ちてきやがったって事は三月達も隠し扉とやらの存在に目をつけやがったって事で悪くはねぇ情報ですね」
「多分、チェシャ猫が知らせてくれると思うけど…」
じっと白兎を見返したアリスは帽子屋が心配してたよと言った。その言葉に白兎は知るかと告げて、嫌そうに好きにさせとけと呟く。
呪い。チェシャ猫が言った言葉の真意を確かめる勇気が持てないままアリスは沈黙した。
「だとしても、このまま助けを待つのはあまり得策とは言えねぇんで俺は先に進みますよ」
「え、ちょっと…白兎?」
こうなった経緯は知らないが、白兎も一緒に助けを待たないのかと引き止めれば、白兎は怪訝そうな顔をアリスに向ける。
「何でやがりますか女。俺はテメェに構ってる暇なんざねぇんですがね」
「こ、……怖いじゃない…」
ひんやりと冷たい空気に、無機質な石で固められた空間。薄暗いこんな場所で一人なんて、アリスには無理だ。
女々しい反応と思わぬ言葉に白兎は眉をしかめ、は?と声を上げた。
初対面から悪態をつきまくってきた挙げ句、ジャックの剣の前に躍り出る。王に対しても怯まない度胸の女がこの程度で何をほざく。
「…テメェなら平気だろ」
「…貴方は私をいろいろな意味で誤解してるよね…」
鼻で笑って吐き捨てれば、アリスは眉を寄せて呆れたように呟いた。
「最初から言ってると思うけど…私は別に特別に精神が強い訳でもないし、力だって弱い普通の女の子なんだよ」
「知ってやがりますか、自らを普通と言い張るヤツに限って後に秘められたチート能力を覚醒させるフラグなんだって」
「…意味が分からない」
むしろそんな展開は希望したくない、とアリスは服の埃を払う。制服じゃなくてズボンでも借りてくれば良かったなと思いながら
とりあえず。と白兎を見返し、ついていくからねと告げた。
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アリスと白兎が連れ立って進んだ頃。
他の場所を探していた時計屋と三月ウサギは手掛かりを探す為に裁判所まで足を運び、そこにいたメアーリンから事の経緯を聞き終えていた。
「つまりはここの地下にトカゲがいるかも知れない、と。まぁ面倒臭い展開だな」
「…ジャックと芋虫なら多少は平気だろうが…どうする。帽子屋と合流するか」
扉を見下ろしながら三月ウサギは面倒そうに頭を掻いて、その隣で時計屋は冷静に意見を求める。
「なら私が探して連れて来ますね、女王様も一緒ならお守りしたいですし」
メアーリンが言うと、なら任せる。と時計屋はおもむろに頭を撫でた。
メアーリンは嬉しそうに笑んで、いってきますから待ってて下さいね!と足取り軽く駆けていく。
「……甘やかしすぎだろ」
「そうでもない」
三月ウサギの冷めた声に時計屋はあっさりと返して、ストンと床に腰を下ろした。
「正直な話、歩き回って俺も限界だ……もう動きたくない」
「普段から引きこもってるからだよ。これに懲りたら鍛えるか?」
軽口に面倒だと呟いた時計屋はふと三月ウサギを眺め、そういえばという訳でもないがと前置きをして言葉を続けた。
「二年前から俺はずっと、不思議だと思っていた」
「何が」
「役持ちだ。先代の女王を含めて、何故彼らは揃いも揃ってトカゲのビルの反乱とも言える行為を止められなかったのかと」
今更だった。そして当たり前の疑念だった。そもそも興味すらなかった三月ウサギやジャックですら気にしていなかった事実だが、言われてみれば不思議だ。
何せ、今は世代交代をしたとはいえ先代の役持ち達とてかなりの手練れにして優秀なる人物ばかりなのだから。
「……ビルがそう仕向けた、とは考えにくいな」
「だろう?…特にハートの騎士が気付かない訳がない。彼ほどの騎士が女王の側を離れる理由がない」
時計屋の言葉に三月ウサギは考え込むように目を細めて確かに。と時計屋に同意する。
「…と、なると…俺達は地下の探索じゃなく、その辺りを調べた方が良いかもな」
やれやれと肩をすくめた三月ウサギは時計屋の隣に腰を下ろして瞼を閉じた。
時計屋は眉をしかめたが、諦めたように溜め息をついて別に動くのは構わないが、と言葉を続ける。
「帽子屋にあまり心配をかけてやるなよ?お前はアイツと似て、一人で解決しようとしがちだからな」
「…ふぅん?時計屋は心配してくれねーの」
「………俺は…関係ないだろう」
淡々とした会話を交わす中での時計屋の台詞に、三月ウサギは眉を寄せ、綺麗な笑みを浮かべた。
関係ない、ねぇ。確かに無頓着な時計屋にとってメアーリンやジャック以外に関心はないんだろうけれど。
「なぁ、時計屋。いっそキスくらいしないとお前は俺を意識しないのかもな」
至近距離にまで顔を寄せた三月ウサギは静かに囁いて、言われた時計屋は更に眉間に皺を寄せる。
「…それでお前の気が済むのなら好きにすれば良いだろう」
投げやりに返された言葉に三月ウサギは笑んだまま、いいのかよ?とだめ押しを囁く。
「俺の気が済むまでなんて、それこそキス程度じゃ済まないぜ」
額を合わせて三月ウサギは淡々と告げていく。突き詰めてしまえば、きっとどんなに酷い事をしても足りない。
最終的には殺して自分も死ぬ位には病んでいる。つまりはそういう情だ。
「…どういうつもりか知らないが、…俺は一応、お前が嫌いではないからな。
だから、お前なら別にある程度のよく分からない行為も平気かと思うだけだ」
拒むなら今のうちだと含ませたのに、あっさりと返された。
驚きで目を見開く三月ウサギの耳をゆっくりと撫でた時計屋は僅かに笑みを向ける。
「…そうか、俺はお前が苦手だが、同時に頼りにしている。信じているのかも知れないな…」
しみじみと、まるで今、認識したように呟かれた声に三月ウサギの心拍数が跳ねた。
二の句が告げない。言葉が出てこない。なんだそれ、なんだよ、信じているって!
「……やっば、アンタ、馬鹿だよなぁ」
脱力感と照れ隠し。俯いて自然と弛む表情を手で覆いながら、三月ウサギははにかんだ。そんな和やかな雰囲気にふと、おや。と言う無機質な声が響く。
扉を開けた先に居た三月ウサギと時計屋に目線を向けたまま、その男は手にしていた本を閉じてこれはまた珍しい組合わせだと呟いた。
「ジャックにチェシャ猫。芋虫と王子に続いてきみたちと会うとは因果は巡るものですね」
予期せぬ人物に三月ウサギと時計屋は息を詰めて対峙する。
裏切り者の元役持ちにして元凶のトカゲのビルと。そして、
「さて。私のアリスはどこに居るのか、宜しければ案内して頂けると助かるのですが。どうでしょう」
引き摺るようにして片手で掴んでいた王を人質に取るかの如く持ち上げて、ビルは微笑んだ。