道化と語り部

『もう一人のアリス』



間幕。

誰も居ない森の夜道。木の根や草に足を取られる事もなく、本から目を離さないままで彼は歩いていた。
暗くてとても読める状況ではないのだが、まるで構う素振りは見えない。

「ふむ」

静かな無機質の声で呟いて、「迷いましたね。」と一言。
他人事のようにいい放つ言葉に対する突っ込みを入れる相手も、相槌を打つ相手も居ない。
そもそも落ち着き払った様子から見れば迷っているようには見えないのだけれど、それでもその言葉を信じるなら迷ってしまったのだろう。

「さて、お城を目指していたのか屋敷に戻るつもりだったのか。私のアリスを捜していたのでしたか、いや全く困りました。方向音痴は生き辛い世界ですよ」

因みに、一人言だし格好つけた物言いの割りには格好が悪すぎる。それでも無機質な変わらない声は続く。

「まぁ。私のアリスに対する愛情の勘を信じて進めば会えるに違いない。それにしても面白い展開になってきたものですね、
異なる世界から迷い込んだアリスの意味を知らず。どうしてアリスに対してこうも惹かれるかも知らず。
狂った自らの意味を知らず。狂っている理由、狂った世界の狂えないルール。役持ちが騎士を従える意味。
明かされる日には遠く、きっと意味なんてないのかも知れないでしょうが、しかし」
「貴方がそれを知る日なんて来ないんじゃないかしら。」

まるで舞台の上で物語を語るようなビルの言葉を丁度良いタイミングで止めたのは、彼の同期にして何故か友と認識されていた人物。ダイヤの役を持つ芋虫。
予想もしない人物の登場に、流石のビルも僅かに目を見開いて渇いた空気をただ吸った。

「……これはこれは、予想外の人に再会したものです。お久し振りでしょうか?いやそれともご機嫌は如何でしょうかと問うべきでしょうか。
貴方との再会はもっと素晴らしく相応しい舞台であって欲しかったのですがそうは問屋が下ろさないという事ですか。
まぁ、仕方ない。これも何かの縁でしょうから、改めて。こんばんは。大変ご無沙汰しておりましたが、お元気そうでなによりです」

まるで旧友に会ったような仕草で両腕を広げ、芋虫に告げた声は。やはり、無機質だった。

「……変わらないわね、ビル。アタシもまさか、貴方の屋敷に出向くまでもなく貴方の顔を見る羽目になるなんて思いもしなかったわ。
例の、ナナシだったかしら。何故貴方がその子をアリスなどと呼んだのかは知らないけれど、何を企んでいるのかしら」

慎重に探るような視線で警戒を解かず、芋虫は妖艶な笑みを浮かべる。目は笑っていない。
そんな警戒に気付いていないのか、ビルは「企むだ等ととんでもない!」と言い返し、こんな夜中に出歩くと危ないですよ。と続けた。

「貴方こそ、騎士も連れずに無用心ではないですか。まぁ、武術にも秀でた頭の回転も早い貴方にはそのような心配は不要なのかも知れませんが」
「質問に質問で返すのはお止めなさいな…そうやって煙に撒く態度がいつまでも通用するなんて思わない方が良いわよ」

互いに意味のない会話を交わす。空気は緊迫して息苦しい緊張感に包まれていた。
ビルは一冊の書物しか手にしておらず、対する芋虫に至っては無手である。
二人共にそこまで戦えるような姿には思えないが、与えられる威圧感だけは、本気だと錯覚する程に重い。

「…アタシとしては余り手荒な真似はしたくないのよ。いくらアンタが裏切り者だって言っても、」

両手をズボンのポケットにしまい、低く腰を落とした芋虫はビルの動きを見据えた。

「戦うタイプじゃあ、ないのよねぇ」

やれやれとばかりに続けられた言葉の次の瞬間には、ビルの左頬に芋虫の蹴りあげた足が掠める。
避けられた事も構わずそのまま上げた足を左側。つまりはビルの顔を目掛けて容赦なく移動させた。
ガキン、と嫌な音が響く。
思い切り蹴られた筈のビルは涼しげな表情を崩しもせず、蹴られた本の埃を払った。

「…全く…謙遜は時に嘘と捉えられますよ。どこが戦うタイプじゃあないんですか、靴にそんな鉄を仕込んだ上で顔面を狙うなんて私を殺す気ですか」

変わらない無機質な声にガードされた足を戻した芋虫はよく言うわと口元を歪める。

「アンタこそ、そんな素材の本を持ち歩く辺り、こういう展開も予想してたのかしら」

紙の感触ではなく、一体どういう加工をすればそんな表紙を作れるのか。鉄の衝撃にも耐えられるのだから銀が無難だろうか。
芋虫の言葉にビルは薄く笑み、驚いてますね。と無機質に告げた。

「さぁ。どうなんでしょう。たまたま持ち合わせていた一冊が頑丈だっただけなのかも知れませんが、どうやらこれはオリハルコンで装飾された武具にして読める書物のようですね。
しかし、オリハルコンなんて奇想天外な物質に物語を綴るとなれば、並大抵の神経じゃ有り得ません。
この物語を書いた作者は相当な馬鹿か、或いは天才だったのか。その二つは紙一重にして似通っていながら全く異質なのですからやはりどちらにせよ同じ事なのか」

ないわよ。と突っ込みたくなる芋虫の心境はさておき。ビルが本気で発言しているならあれは噂程度に耳にした事のあるオリハルコンとやらになるのだろうか。
あぁ、頭が痛い。
生憎とビルの意味のない戯れ言に付き合う暇なんてないし、ついでに逃す訳にもいかないのだ。
周りは深い森の中。城まで簡単に戻れる距離でもなく、またビルが相手となれば芋虫も無傷では済まない。

「…つくづく面倒な男よね…」

初対面から再会に至るまで。再会から現状に至っては最早、嫌悪感すら通り越している。
とりあえず、動けなくなる程度には痛め付けて運ぶしかないわけねと結論を出した芋虫は無言でビルに向かって間髪入れずに先制攻撃を加えた。

xxx

城内。早朝。

それに気付いたのは常に芋虫の側に居た眠りネズミ。昨夜、眠りネズミが眠るまでは確かに居た筈の芋虫の姿がない。
台所にも寝台にも居ない。書き置きの手紙も何もない。それでも、芋虫が眠りネズミを放っておく筈もないから散歩にでも出掛けているか、すぐに帰ってくると思っていたのだ。

だから、昼を過ぎても一向に戻らない芋虫を捜す為に部屋から出た眠りネズミはお気に入りの枕をしっかりと抱き締めたままで城内の記憶を頼りに真っ直ぐ門の所まで向かう。
外に出ていたらきっとあの包帯巻きの門番が知っているから外に出ていないという言葉を聞ければ城内を捜す。
おずおずと門番の方へ歩く眠りネズミの前に、不意に現れたのは見慣れない二人の少年(?)だった。
思わずびくついて後退れば赤い髪の少年が眠りネズミの首根っこを掴んで、回り込んだ青い髪の少年が眠りネズミの顔を下から覗き込む。

「おや。これは可愛らしい女の子だね。外に出たいの?」
「っつーか、何、何でそんなビビってんの?」

青い髪の少年が問い、赤い髪の少年が続く。よく見ればこの二人の少年は顔立ちが似ている。
もしかしたら昨日アリスが芋虫に話していたトゥイードル兄弟とかいう双子の門番なのかもしれない。
眠りネズミは口を開こうとするが、芋虫に守られなければどうしたら良いのか分からない。
下手に話して傷つけられでもしたら、芋虫がこの二人に何をするか。
世界はとても怖くて、何が起こるか分からないから。

「何をぎゃいぎゃい騒いどんのやガキんちょ。昨日の今日でまだ懲りとらへんのか?」

絡まれているような眠りネズミと双子が微妙な距離と空気の中、声を聞き付けた門番が面倒そうに現れる。
包帯に巻かれた顔を眠りネズミに向けて、なんや。芋虫の連れのちっこいのやないかい。と珍しげに呟いた門番は芋虫はどないしたんや?と続けた。

眠りネズミはその言葉にはっと弾かれたように顔を上げ、芋虫が昨夜から今日の昼間まで帰ってきてない、と伝える。

「…知らない…?」

門番はじっとこちらを見上げる眠りネズミから双子の方を振り返り、昨日夜の見張りはコイツらに任せといたんやけどな。と双子に問いかけた。

「おどれらスーツ着た長身の男を見てへんかったか」
「…知らないなぁ。つーか夜中に門を通るモノ好きなんざ居ねぇだろって事でぼくは寝てたし」

ダムはディーを見て、お前は知ってる?と聞く。ディーはその人かは知らないけど。と前置きをして、

「いちいち門をくぐらなくても外に行ける勝手口があったよね。あそこから誰かが夜中に通った気配はあったかな」
「…あぁ、なっつかしいな。つか、それ知ってるヤツって門番しか居ねーじゃん!」

双子のやり取りに、聞いていた眠りネズミは首をかしげ。門番は頭を抑えた。

「…いや、芋虫やな」

やれやれといった様子で呟いた門番に双子はえ?と声を揃えて振り返り、眠りネズミは不安に表情を曇らせる。

「…すまんが、役持ち連中を呼んできてくれ。アイツの行方が分からん上にまだ戻っとらへんのやったら……ちょいと厄介や」

何せ、引きこもりの王までが出向く程に異常事態が続いているのだから、眠りネズミの心配は杞憂だと言い切れまい。
双子は文句を言いながらも仕方がないなと眠りネズミと共に城へと向かう。
それを見送った門番は職務上、離れる訳にはいかない門の前で首を鳴らし、面倒やなぁとぼやいた。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -