振り出し
『もう一人のアリス』
城内。謁見の間。
「ふぅん?それであたしに内緒でそんな楽しそうな探検してたんだぁー、ふぅん。」
一部始終を報告し終えた白兎の話を聞いた王女の第一声はイヤミだった。
と、いうか。自分も連れていってもらえなかったのが不満だったらしく、数分間ネチネチと白兎に絡む女王。
白兎は涼しい顔で聞き流し、「文句ならヘタレに言いやがって下さい」と矛先をジャックに綺麗に示した。
えぇっ!?とすっかりいつもの調子に戻ったジャックが大袈裟にリアクションした隣ではメアーリンが可愛らしい笑顔で
「自業自得ですから、しょうがないですよジャックさん」と言い切った。
どうやら最愛の兄である時計屋の傷をつけた王を責められない代わりに鬱憤をぶつけているらしい。
それに気付いているのは多分、言われたジャックとざまぁみろとばかりにそれを見ている三月ウサギだけだろうけど。
「…まぁ良いわ。それから、はじめましてと言うべきでしょうか?アリスさん」
アリス、とは言ってもここで王女が示したのは《もう一人のアリス》。つまりはナナシだ。
呼ばれたナナシは無関心そうに女王を見返し、女王は感情を抑えているようにナナシを見つめる。
「……以前のあのヒステリックな女王とは世代交代したのかしら。まぁ、改めて名乗るのはとても面倒だけど、そうね。はじめまして現ハートの女王。
それから訂正。アリスなんて名前はあの不愉快な粘着質ストーカー男が勝手に呼んでいるだけで、私の名前は堂羽ナナシ。
同じ名前は二人も居たらややこしいんだから、私の事を呼ぶのならナナシと呼んで欲しいわね」
無表情にして、無関心。女王を前にしてもナナシは変わらずそう言った。
「…正直、話に聞いていた印象とは違うけれど。分かったわ、ナナシさん。ついでにビルの事も聞きたい位だけど、今はとりあえず話を聞かせてもらって良いかしら」
「話を?ここに至るまでの経緯ならそこの兎耳眼鏡が話した以上で終わり。
二年前の裁判で何が起きたのかという話なら、私にもよく分からないわ。聞きたいならビルを捕まえて聞いたら。
ついでに、そこのアリスが元の世界に戻る手掛かりなんていうのも知らない。そもそも私も異世界から来て二年経つけど、戻れていないって事はつまりそういう事なんじゃない?
他に質問があるなら知ってる範囲で答えるわ。先に言っておくけれど、私自体はただの小娘にしてあの変態に巻き込まれただけに過ぎない存在よ」
「……いえ、ありがとう。それで聞きたい事は全て答えてもらったわ。部屋を用意してあるから、貴女さえ良ければひとまずは休んでおいて」
ナナシの言葉を聞き終え、感心したように目を見開いた女王はメアーリンに視線を移して、ナナシを部屋まで案内するようにと告げた。
その言葉にナナシは意外そうに女王を見返す。
「?どうかした?」
「てっきり牢屋にでも入れられるのかと思っていたものだから。随分と甘いわね。王が王だったから女王も変わらないかと思っていた事は謝るわ。それから、
お気遣い、感謝します。暫くはお世話になるかも知れないけれど、貴女に免じて騒ぎは起こさないように心掛けて大人しくしておく」
無表情ながら丁寧にそう言ってメアーリンの後に続いたナナシは静かに謁見の間を退室していった。
それを見送った白兎は「良いんですか」と女王に向けて問う。
「えぇ。信頼は出来ないけれど信用はする。確かに彼女はお母様が発狂した原因ではあるけれど、あたしは女王。私情で考えるよりはまず客観的に考えることも出来るよ、白兎」
だから。大丈夫、と微笑んだ女王に白兎はそうでやがりますか。と笑い返した。
「アンタが良いなら、それで構わねぇですよ。それからついでにコイツ等はどうしやがります?元々一応は門番の端くれで尚且つトカゲの野郎と同じ裏切り者として処刑並びに拷問が可能で妥当だと思いますが」
鞭で縛られた双子。もといトゥイードル兄弟を無造作に床に転がした白兎は冷ややかに続ける。
「…っ本気で大人げねぇ野郎だな!ただの可愛いガキのイタズラにネチネチとしつけぇんだよ、あと丁重に扱え。ぼく達の可愛い顔に傷ついたらどうしてくれんだよ!鬼畜」
威勢の良いダムの罵声が白兎に浴びせられる。しかし、白兎は無反応だった。
「無視か。この世で一番酷い仕打ちだよね。さすが鬼畜ドSな白兎だ、ぼくはその徹底さに感動すら覚えるよ」
逆にディーからは称賛にも似た言葉が出たが、ここでも双子の言動は噛み合わないようだ。
女王は不思議そうに双子を眺めて「その子達は?」と首を傾げた。
「あれ、そっか。女王様はお城の出入りをしないから知らないね!えぇと、何て説明したら良いかなみっつん」
「何で俺に振るんだよ。…簡単に言えば、門番の弟子みたいな奴等だ」
帽子屋の唐突な振りに例の如く淡々と説明した三月ウサギは「面倒だからコイツ等は門番に引き渡せば良いんじゃないか」と続ける。
「門番の?…そうなんだ。なら、三月の案に賛成しちゃおうかな♪うんうん、あたしも物騒な真似よりそういう平和的な処置の方が好きだよ」
どうやら白兎の意見より三月ウサギの案に同意したらしい女王。
白兎は舌打ちを小さくしてから不満そうに鞭を引っ張り、だったら門番に引き渡してきますよ。と告げた。
「ついでに言い出したのはテメェでやがりますから、責任もって付いてきやがれ三月ウサギ」
視線だけを三月ウサギに止めて続けた白兎に、短く了解と返した三月ウサギは白兎の後に続いて退室する。
その姿を名残惜しそうに見つめていた帽子屋ではあったが、意外にも叫ぶ事はなく。
これで謁見の間に残るのは女王と帽子屋。そして、ジャックとアリスだけ。
因みに時計屋は城に着くなりメアーリンによって怪我を治すのが先ですと医務室に押し込まれたので、この場には居ない。
「……こうなると、もう手掛かりはトカゲのビルしかない、って感じだねぇ…」
女王は息を吐くと一人言のように呟いた。
「あのさぁ、今更なんだけど。アリスちゃんが元の世界に戻るの諦めたら丸く収まんないの?」
厳重に両手首に手錠をかけられた上に首輪までつけられたジャックが窮屈そうに声を発する。
驚く三人と、見張りの兵士が「ジャック様?!」と制止の声を上げるのも構わず、ほら。といつものようにヘラヘラした笑顔を浮かべた。
「だって、オレ達がどんだけ手を尽くしたって結局はあの人が見つからなきゃ意味ないだろ。
二年間も姿を眩ませてた奴を捜すのにどんだけ時間がかかると思う?元の世界に戻りたいって気持ちも分かんなくはないけど、さっきもナナシちゃんが言ってたじゃん。
二年間もここに居るって。二年かかってもまだ戻れないって意味だろ?だったら諦めてここの住人になっちゃえば?」
「…、でも」
アリスは困惑した表情でジャックの言葉に首を振る。それは出来ない。
「確かに、そうかもしれないし、気持ちも有難いけれど。私は元の世界に戻りたい。戻らなきゃ、」
「何の為に戻らなきゃいけないんだよ」
「何の為にって…誰だって自分の過ごした場所に戻りたいと思うのは普通でしょう…?
ジャックだって、突然訳の分からないまま違う世界に来て、そこで過ごす選択よりまず戻りたいと思わない?」
そこまで言って、ジャックは「…あぁ。」と納得したように成る程と続けた。
「確かにな。戻りたいのは戻りたいかも知んないな、…ふぅん。じゃあ説得は無理か」
「ジャックくん?」
「ん、あぁ。ちょっと気になったから。アリスちゃんがそこまで戻りたい理由なんてあんのかなぁーって確認だよ」
だって王が言ってたじゃんとジャックは笑った。
「時間がかかるようなら、いっそそういう選択もあるぜっていう。まぁ、別に丁度良い退屈しのぎにはなってるから構わないんだけどさ」
「……ジャック。あたしはお兄様の騎士のアナタにとやかく言いたくはないんだけど、もう少し発言は言葉を選びなさい」
アリスは真剣なのだから、と女王は溜め息をついて緊迫した空気を変えるように手を叩いた。