動く歯車
『もう一人のアリス』
陰鬱だと表情を曇らせた王は近くのマントを羽織り、埃を被っていた剣を手にして扉を開ける。
同じ日に二度も部屋から出るという異常な行動を気晴らしにという理由で行(おこな)った王は、扉を開けた先に待ち構えたように居た芋虫を、不機嫌に睨んだ。
「…珍しい事もあるものね、まさか引きこもりの貴方が出てくるなんて。明日は世界が崩壊するのかしら」
「俺を厄災のように例える無礼は許す。世界が崩壊とはまた大規模な揶揄だなダイヤ」
「それほどアナタが部屋から出るのが珍しいのよ。引きこもりは飽きたの?」
その問いに、王は気晴らしだと答えて。次いで、「何か問題でもあるのか」と不遜に笑う。
芋虫はいろいろあるけれど。と小さく溜め息をついて静かに王を見返した。
「ジャックなら今は居ないわよ。城の外まで任務に行ってるわ」
「…任務?あの男がか…嘘ならもっとマシな嘘をつくんだな」
「……信用ないわねぇ。この場合、アタシが信用されてないのか、ジャックが信用ないのか…」
苦笑いを浮かべる芋虫を一瞥した王は、ハッ!と馬鹿にしたような口調で
「俺の騎士に決まっているだろう」と断言した。それはそれでどうかとも思うけど。
「あの男が、わざわざ出向く任務など俺の命令か或いはどうしようもない何かがあった緊急事態くらいのものだ。…ふん。それでも貴様の言葉を信用するなら――大方あの異世界の女が唆(そそのか)したのだろう?」
かつてのジョーカーを唆したように。
そう言って王は不愉快で仕方がないと呟き、ツカツカと歩みを進めた。
「アレは俺の騎士で俺のモノだ。奪われるなどあってなるものか。場所は…何となく見当はつくが…蜥蜴の屋敷か?」
「…えぇ。行くの?」
「何なら、貴様も共に来るか。スペードの王にして俺の護衛という光栄を受け入れろ」
冗談みたいに傲慢な台詞を吐いた王に芋虫は首を振って、遠慮しておくわと誘いを断った。
王はそうかと短く告げて、近くを通りかかったメイドに馬を出せと偉そうに告げた。
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そして。視点はアリス達に戻る。
合流したアリスとジャック、三月ウサギを認識し、もう一人を見た白兎は間髪入れずに「ちょっと待ちやがれ」と制止する。
「何だか一人増えてやがる気がするのは俺の気の所為でやがりますかね三月」
警戒しながらまず三月ウサギに確認を取る白兎にあぁ。と頷いた三月ウサギは淡々と経緯を説明した。
「――そんな訳で成り行きだ」
「成り行きってさぁ、アンタ達の敵だろ。ラスボスだろ?何で受け入れてんだよ有り得ねーだろ」
簡単に締め括った三月ウサギにダムがうんざりしたように声を上げ、それに対して本人であるナナシは無表情のまま「うるさい」と言った。
「私は別に仲間とか友達になった訳じゃないし、敵意もない。ただ、アイツから逃げる為につるんでるの」
「はぁ?逃げるぅ?お前これで何度目だよ。いい加減諦めて大人しくしろよ。お前が他に行ける場所なんてないのは分かりきってんだろーが」
呆れたように目をすがめたダムの言葉で、彼女の脱走がこれまでに何回か行われていた事実が明らかになる。
「……頼んでもいないのに世話を焼く変態の側に居続けたらそれこそ頭が痛くなるわ」
さらりと返すナナシにアリスはよっぽど嫌なんだなぁと思って。
その他の面々はそれぞれが微妙そうな表情で二人のやり取りを眺めながら状況の確認をする。
「……まぁ、無益な争いは避けるに越した事はないな。何か収穫はあったか?」
そう切り出した時計屋に三月ウサギは「特になかったな」と答えた。
「無駄足だったって事でやがりますか。まぁ…実質的に振り出し……いや。この女が手掛かりと気休め程度に考えれば全くの無駄足だったとは言い切れねぇですが」
「んじゃ、とりあえずお城に戻る?僕もしろたんも疲れちゃったし☆」
「あー、賛成。オレも疲れたー」
白兎にべったりと引っ付いた帽子屋の意見にジャックは同意して、
「アリスちゃんとアンタもそれで良いよな」とアリスとナナシに言う。特に異論はない。
「さて、じゃあレッツゴー☆」
「って…待てよ。何っで…ぼく達まで行かなきゃなんないんだよ!はなせっつーの…」
「……もう、どうでもいい…」
ハイテンションな帽子屋を先頭に、鞭で縛られたまま文句を言うトゥイードル兄弟と無言でそれを引っ張る白兎。
戸惑いながらも続くアリスの隣に並んで歩くナナシと帰れるーっと上機嫌な声で時計屋に絡むジャック。遅れて三月ウサギの順で、来た道を戻る。
元の世界に戻る為の方法は分からなかったけれど、何もなかった訳ではない。アリスは前向きに考える事にした。
「…ところで、ナナシ…さんは、その。一体誰から逃げているの?」
道中。騒がしい面々の中で無言のまま歩くナナシにふと気になっていた事を問いかけてみた。
ナナシは変わらない表情のままでアリスの方を向くと、「言ってなかったかしら」と無関心そうに口を開く。
「トカゲのビル、だったかしらね。名前なんて呼ばないから結構うろ覚えだ」
「トカゲ、って」
「あら。あのヒステリックな女から聞いてない?私を裏切った不届き者よとか何とか」
ヒステリックかどうかはさておき、アリスが聞いたのは裁判で彼がアリスというか、ナナシ。彼女と共に姿を消してしまったという話だ。
今更ながらに彼女が指している人物がそのトカゲのビルだという事実を認識し、ナナシが彼から逃げているという現状をぼんやりと考える。
「……どうしてナナシさんは、トカゲさんから逃げようと?」
「同じ事を何度も言うのは嫌いだけど、まぁ良いわ。アイツが鬱陶しいから」
それは初耳な気もしたが敢えては突っ込むまい。二人の間に何があったのかは、アリスが検索すべきではない事情なのだから。
「そんな事より、貴女。随分と能天気で気楽なようだけど、本当に元の世界とやらに戻りたいと思ってる?」
「え、それは勿論だけど…じゃなければわざわざこんな所まで足を運ばないし、みんなを巻き込んだりしない」
そう。アリスの目的はあくまでも元の世界に帰る事。だからこそ話を聞き、あちらこちらへと移動しているのだ。
なのに、ナナシにはそう見えなかったらしい。そうとだけ短く告げて、嘲笑うように小さく笑う。
「気付かないのはある意味で幸せよね」
「?」
どういう意味なのだろうか。アリスは首を傾げ、ナナシにその意味を聞こうとした。
が、それは視界に入った人物によって止まる。
「…はっ!…蟻のようにゾロゾロと楽しそうだな、」
低く吐き捨てられた声音。
そして、黒馬に乗りながら見下すような冷ややかな紅い瞳。スペードの王が、そこに居た。
「……王様、何で、」
驚きを隠せないまま、帽子屋が警戒の体勢で聞き返す。王は無言でジャックに視線を移すと不愉快そうに舌打ちをした。
「チッ…少しは俺の騎士だという自覚を持て…何をしている」
「…何をって。見りゃ分かるだろ?楽しい仲間との触れ合いぶらり旅ですよ。別に離れるな、なんて命令は聞いてませんし」
ジャックは薄っぺらいヘラヘラとした笑みを浮かべて告げる。
「そうではなかろう。お前は一体、何の為の騎士だ」
王は眉をしかめ、ジャックからアリスとその隣に居るナナシに侮蔑の視線を向けたまま、言葉を連ねた。
「俺を守り、俺の敵を排除し、一生を俺に尽くすべき存在だろう。それが、俺の敵であり嫌悪する異世界の異端と仲良く肩を並べているとは、何事だと聞いている」
「…お言葉ですが、王。ジャックは私の――」
「時計屋、ちょっと。…黙っててくれよ」
余りの物言いに、時計屋が言い返そうとしたのをジャックは静かに遮った。いつものヘラヘラした表情のままで王に視線を向けて。
「…これは、オレと王の問題だから」
「……」
王はジャックの台詞に僅かに眉をしかめたが、何も言わない。
「……っても、納得はしてくんないだろうけど。王も王で、何でオレが戻るまで待てなかったかなぁ、そんなに執着してくれるのは騎士として冥利に尽きますがね。三月と帽子屋じゃあるまいし、男同士でべったり、なんて気持ち悪いんで遠慮したいっす」
ジャックの揶揄に三月ウサギが淡々と告げ、帽子屋がテンション高く続く。
「そんなにべったりしてたつもりはなかったけどな。」
「えぇー、みっつんだって何だかんだでボクの事を大好きな癖に!」
こんなシリアスな展開でもノリの変わらない帽子屋と三月ウサギはある意味で良いコンビだ。