異質な存在

『もう一人のアリス』



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「なぁ、アンタ」

三月ウサギに呼ばれたのは、これが最後の部屋だというところで。
数ある部屋を調べるのには流石に骨が折れたけれど、何の手がかりもないままここを調べれば終わる。そんな矢先に何の用かと怪訝に思った。

「チェシャはどうした」

問われた言葉は、今更ながらに今更過ぎる質問で。逆にそれはアリスが聞きたい位の質問だった。

「……昨日から、会ってないわ」

そう。あれきりチェシャ猫は姿を現さない。
それもそうかと半ば諦めていたのも事実で、だってあんな酷く自分勝手な八つ当たりをしてしまったのだからと自責の念に瞼を閉じる。

「ふぅん。会ってない、か……あぁ。気にするな、別にアンタを責めてる訳じゃない。ただの興味本意だ」
「…好奇心旺盛だね」
「退屈だからな。自然とそうなるさ。だから、アンタにも興味は少なからずあるんだ。チェシャ猫が、帽子屋が、芋虫が、ハートの女王が。白兎が、ジャックが、この俺が、時計屋が、そしてあのビルが」

どうして何の変鉄もないただ異世界から来てしまっただけのアンタに興味を持つんだろうな?と。

喉の奥でクックッと笑いながら三月ウサギはアリスを見つめる。

「違和感を感じるんだよ、この世界の全員は頭のネジが何本か欠落しちまった奴等ばっかだ。昨日今日会ったばかりの他人にここまでする義務も義理もない。だから、ずっと不思議なんだよ」

違和感。それは、アリスも確かに薄々気付いてはいた。
けれど、それは深く考えずにいたかった。素直に親切心からの行動だと。

何も言えないアリスに三月ウサギは静かに一歩詰め寄る。

「最初からさっきまで。どうしてアンタ、死なないんだ?帽子屋は確かに気まぐれだ。ジャックは時計屋とメアーリン以外は躊躇いなく殺せる筈だった。まぁあの状況じゃ仕方ないと言えなくもないが、問題はさっき。あの時アンタは両腕を斬り落とされたって可笑しくはなかった。それも白兎のお陰で無事に無傷。俺が仕掛けた銃の暴発だって運の問題とはいえ、掠り傷の一つくらいはあったって不可抗力だろ?…偶然か?」

なぁ?と低い声が響く。
そんな事を聞かれてもアリスには分からない。何の力も持たないただの小娘に過ぎないのだから。
偶然にも助かり、幸運にも怪我をしなかっただけだ。

「どうして、そんな事を聞くの…?」
「質問に質問で返すか、アンタも大概、肝が座ってるよなァ。言っただろ。ただの好奇心かつ興味本意だ」
「………なら、分からない、で納得してくれるのかな」

淡々と返す三月ウサギに負けじと見返したアリスは掌の汗ばんだ感触をスカートで拭って、息を落ち着かせた。

「私は、白兎の所為でここに来てチェシャ猫に案内されるがまま帽子屋さんに会った。芋虫さんの勧めで時計屋さんに会って、お城で女王様の話を聞いた。元の世界に戻りたいから、こんな所まで来てる。確かに、付き合ってもらっているのは心苦しいけれど、私は、誰かに頼らなきゃ生きられない弱い生き物なの」

そう。弱い。斬られれば痛いし理不尽だと思えば年甲斐もなく怒る。
弱くて普通のどこにでもいるような一般人だ。そんなアリスに一体何があると言うのか。

「………あァ、成る程」

三月ウサギは僅かに眉をしかめた後、クックッと笑い始めた。

「成る程、そういう事か。だからこそ、アンタは放っとけないのか。…面白い、あぁ、一応バカにしてる訳じゃない。俺なりの褒め言葉だ」

そうかそうかと一人で勝手に納得してしまったらしい三月ウサギは険悪な空気を一変させて最後の部屋の扉を開ける。
訳の分からない状況でアリスは一体何だったのかと聞き返す気力もなく、黙ってその後に続いたのだった。

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アリスと三月ウサギが最後の部屋を調べ始めた頃、
尋問になかなか口を割らないトゥイードル兄弟に苛立ちも露にした白兎はいっそ殺すかと物騒な思考を巡らせていた。

「加減してやってんですが…いい加減面倒ですね。指を一本ずつ斬り落とす拷問に切り替えても構わねぇですか。構わねぇですよね。つーか、ぶっちゃけ殺してぇ気分なんですが」
「しろたんの思うがままにやっちゃえば良いと思うな☆僕はしろたんの為なら証拠隠滅から処理まで何だって協力しちゃうよっ☆」
「……鼻血出てるよこのド変態。つーか、良い大人がぼく達みたいな幼い子供に尋問とか拷問とか頭可笑しいんじゃないですか。死ねばいいのに」

白兎の冗談に聞こえない発言に、興奮ぎみで同意する帽子屋。
それを見て思い切り引きながらディーは吐き捨てるように告げる。

「ちっ…調子に乗りやがって…アリスの居場所なんざ知らねぇって!ぼく達だってたまたま偶然会ったってだけだし。何回言えばいいんだよ、知ってんだろぉが、ぼくの口の軽さは!」
「あァ、よく知っている。苦し紛れにウソをつくよな。お前は」

自慢にならない言葉を自慢気に告げたダムに時計屋が冷静に突っ込みを入れる。
それが事実なだけにダムは言葉に詰まって舌打ちをした。

「なぁんで時計屋は細けぇ事まで覚えてるかなぁ?ひょっとしてぼくの事を好きだったりすんの」
「好きだが」

数秒の間。
白兎は思わず時計屋を二度見して、マジで言ってやがんですかと引いた。
帽子屋はオーバーリアクションで片足を上げ、両腕を中途半端に固まらせた体制でええええええーとこちらも引いた声を上げる。

「なっなななななぁあ!?ばっばっかじゃねぇの、そんなカミングアウトなんざいらねぇんだよ!確かにぼくは可愛い顔だし、男の娘なキャラ付けで遊んでたから分からなくもないけど…っ」
「…?…何を驚いている。別に愛の告白のつもりはなかったが、勘違いをさせる言い方をしたか?」
「………っっ!」

天然と早とちり。とても真面目な表情で不思議なものを見るようにダムを見返した時計屋は静かに訂正し、
早とちりをしたダムのみならず白兎と帽子屋も黙り込んだ。

「あぁ、うん。そういう奴だよねトッキーは」
「…あァ、そういう野郎でしたね」

意図せずして誤解させる天然な鈍感を前に、遠い目をして帽子屋と白兎はしみじみと呟いた。

屋敷の外でそんな不毛なやり取りが行われている最中。
一人で勝手に別行動をしていたジャックは思わぬ人物と思わぬ会話を交わしていた。

たまたま適当に入った部屋によくよく注意を払わなければ気付かない程に気配を消した彼は変わらぬ張り付いた笑顔をこちらに向けて「やぁ」と感情のない声を出す。

「こんな所で会うなんて、奇遇だねジャック。どうかしたのかい」
「…本当に奇遇だ。そんで、どうかしたのかってこっちのセリフだし。何でチェシャ猫はこんな所に居んの?しかも一人で」
「猫は自由で気儘なイキモノだよ。どうしてだとか、なんでとか。理由なんてただ何となくでしかない」

ゆらゆらと尻尾を揺らしたチェシャ猫はふぁと欠伸を一つ。そして「アリスは元気かい?」と聞く。

「アリスちゃんは、まぁ、元気なんじゃね。今は三月と一緒に屋敷探索してるよ」

会わなかったのか。そう思いはしたがあえては聞かない。チェシャ猫は傍観者だ。見ているだけで関わらない。
今回が異例だっただけで、本来ならチェシャ猫はアリスを見掛けても帽子屋の元へ連れていくなんて真似はしない役持ちなのだ。

「気まぐれはもう、止めたのか?アリスちゃん、寂しがるよ」
「俺は、面白ければいいんだよ。ジャック」

会話噛み合ってねーじゃんと苦笑う。いつもの事だけど。

「後はアリスが決める事だよ。俺はもう、何もする事はない」
「………それは、本音か?お前、アリスちゃんの事を気に入ってたんだと思ってたんだけど」

チェシャ猫の言葉にジャックは訝げに問いかける。
少なくとも、そう思っていただけに不思議だと感じたのだ。

「気に入っているというのなら、俺はみんな気に入っているよ。アリスが特別な訳じゃない。ただ、アリスの近くに居れば面白そうだと思ったからね」

面白そう。確かに異世界から来て、この世界に何ら縛られない存在はそれだけで面白いだろう。

実際、たった数日に過ぎないのにここに至るまで有り得ない事の連続だ。


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