思いがけない手掛かり
『もう一人のアリス』
白兎の質問に対するジャックの返答は呆気なくあっさりとしていた。
「例えば、白兎にとって帽子屋が大事な様に、オレにとっては時計屋とメアリーがそうなんだけどさ、大事なモノを守るのって面倒になるよね。大事だから。信じてるから。信頼されてるから頑張らなきゃって気を張って生きるって、ダメなんだよ」
その言葉に眉をしかめて意味が分からないと思った。大事だから守るのではなく、大事だから面倒になるという心境がまず前提として違うのだから。
そんな白兎を眺めてジャックは分からないかと一人ごちて続きを話す。
「だって、優しいだろ?アイツ等。守る立場のオレが敵を殺したら悲しむし、傷付いたら泣くし、いちいちフォローすんのも疲れるから、帽子屋の騎士にはならなかった。っていうか、なって欲しいなんて言われなかったし。その証拠に帽子屋は三月を選んだじゃんか」
それは、普段から常に思いながら語る事も表に出す事もなかった本音。あっけらかんとした物言いに白兎は言葉を失った。
「……テメェの それは…ッただ逃げてるだけじゃねェですか…っ」
ようやく声に出せたのは、それだけ。守るのが面倒なんて、ただの言い訳で。
そんなのはただ自分が苦しくならない様に逃げ道に逃げただけだと!!
「…主観は人それぞれ。…それも確かにあるんだろーな。で、アリスちゃんの意見は?」
白兎の言葉を受け入れて、ふとジャックはここに居ない筈の名を呼んだ。
…正確にはたまたま居合わせてしまい、出る機会を逃してしまった彼女を、と言うべきか。
立ち聞きしてしまったという罪悪感と、気付かれてしまった困惑とがない交ぜになった表情でアリスはおずおずと柱の陰から姿を現した。
ごめんなさい、と告げて 気まずそうなアリスに微笑み、「気にしなくていいって。聞かれて困る話でもないし」と返すジャックを白兎は信じられない心境で睨んだ。
「…ジャック…」
「ん?どしたの白兎。」
殺気はないが、この男がアリスを殺さない保証はない。警戒しながら白兎は鞭をいつでも出せる様に備え、アリスとジャックの間に立つ。
「…あぁ、オレがアリスちゃんを傷付けないか心配?大丈夫だよ。アリスちゃんの事は気に入ってるし、さすがにそこまでどうでもいいとは思わない」
間に立った白兎の意図を察して、ジャックは「ほら」と腰に携(たずさ)えていた剣を床に置く。
だが、油断は出来ない。
気を緩(ゆる)めずに白兎はアリスに邪魔だと一言告げた。
「……邪魔って…ッ確かに邪魔したのかもしれないけれど、そんな言い方はないと思う…」
緊迫した雰囲気の中でも流されず突っ込む辺りは胆が座っている。だからといって、無力な小娘に変わりはないのだけど。
「あはは。言われてんぜ?白兎」
「…ジャック…さん」
困惑したようにアリスはジャックに視線を移し、呟いた。
ん?と微笑みすら浮かべた顔でジャックはアリスを見返す。
「……私は、正直、アナタが何を考えてるのか分からないし、欲しい言葉も言えない。でも、やっぱり間違ってると、思う」
その言葉を聞いてそっか と頷いたジャックは内心でやっぱりなとも思った。
誰から見ても間違いだという自分の立ち位置。考え。
(それがオレの、歪み、か)
それでも変わろうとは思えないし、間違いを正すつもりもない。
最低だってのは充分に理解出来るのに、この少女は言うのだ。面と向かって、それを間違いだと。
「…そんなアリスちゃんにオレからヒントをあげようか」
そう言ってジャックがアリスに告げたのは、妙に確信に満ちた元の世界に戻る為のヒントだった。
「トカゲの事を芋虫に聞いてみなよ。元の世界に戻る一番手っ取り早い方法は、多分 ビルさんが握ってるからさ」
元の世界に戻る為のヒントがトカゲのビルにある。そう告げて薄く笑みを浮かべるジャックを見返したアリスは戸惑った。
殺されかけた時の恐怖はまだあって、信じられる確証も何もないのに、何故か嘘だとは思えない。
「…どう、いう…意味?」
聞き返した声はみっともなく震えていたけれど、聞かずにはいられない。
女王や時計屋。芋虫ですら知り得ない手掛かりを何故、ジャックが知っていて、どうしてこのタイミングで言ったのか。
仮に本当だとして、どうして二年前の話に出てきた元《役持ち》が関係してくるのか。訳が分からない。
「…チッ…説明しやがれジャック…」
力づくでも聞き出そうと白兎が鞭をしならせて低くうめいた。
「説明、…うーん。どっから?」
「要点のみを短くかつ分かりやすくだ」
特に抵抗も逃げる事もなく、ジャックは白兎の鞭に縛られながらも言う。間髪入れずに告げた白兎にハイハイと返すと、アリスに視線をやる。
「アリスちゃんも聞きたい?」
「………っ…」
関わるなと理性は警報を鳴らす。けれど聞かなければならない気がして、アリスは意を決して頷いた。
それを確認したジャックはよいしょ、と縛られたままの状態でその場に座り込んで話をしかけたのだけど、こんな所に座り込むなみっともねぇと白兎に引っ張られる。
「…じゃあ場所移すか、この鞭ほどいてよ白兎」
「…場所を移しますか。引きこもりに見つかったらまた面倒になりやがりますしね」
床に置いていたジャックの剣を拾った白兎はズルズルとジャックを引っ張って行き、アリスもそれに続く。そして、着いた場所は殺風景な窓とベッドがあるだけの部屋だった。
白兎は部屋に鍵をかけ、乱暴にジャックをベッドの上に放り投げると、近くの引き出しから手錠を取り出す。
何をするつもりなんだろうとアリスは座れと言われた椅子に座りそれを見つめる。
静かに白兎はベッドの柵に片方の手錠を嵌めて、もう片方をジャックの左手に嵌めた。
「…………………あの、しろたーん?」
ガチャガチャと手錠を嵌められた手を確認する様に触り、ジャックは白兎を呼ぶ。
「テメェは油断ならねぇですからね。鞭は保険だ。ちょっとでも妙な真似しやがったら調教ですからそのつもりで」
ニヤリと笑む白兎を見たアリスはとりあえず白兎を怒らせるのはマズイのだなとぼんやり思った。
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「……あーっと、なんつーか、とりあえずオレが何でそんな事を言ったかって言うと…話は二年前に遡る訳ですが」
冗談だろ?と挑発したジャックが数分前、身をもって冗談ではないと知った為、かしこまった様子で話始める。
アリスは目隠しと耳を塞げと言われたから何をされたかは知らないが、ジャックの服がはだけているのを見ない事にしておく。
「女王と芋虫から二年前の話は聞いたよな。…で、その時オレはビルさんに会ってるんだよ」
「!…テメェ、何で今まで黙ってやがりました…」
「ちょ、落ち着けって…仕方ないだろ口止めされたんだし」
掴みかかろうとした白兎にジャックが眉をしかめて言った。
「口止め…って、誰に?」
アリスが続きを促す様に聞けば、ジャックは「王だよ」と返した。何で王がと思う間もなくジャックが話を続ける。
「今日見た事は話すな忘れろってね。だから、正直アリスちゃんに会うまでは忘れてたぜ?」
ケラケラと笑うジャックに何でそれを話す気になったのかと気になったものの、アリスは続きを待つ。
「…確信したのはついさっき。ビルさんはアリスちゃんが来る事をまるで予想していたみたいだった」
「予想していた?…あの野郎の差し金だってんですか…」
白兎の苛立った様な呟きにさぁね、とジャックは軽く流した。
「あの人が何を考えてるのかなんて知らねーけど、少なくとも唯一何か知ってるんだろうって事は言える。前のアリスも多分、一緒だよ」
「……なんで、それを教えてくれるの?」
意図が分からなくて聞いてみれば、ジャックは何でかな。と自分でもよく分からないように呟く。
「何か理由が必要なら、そーだな。アンタの前髪を幾らか斬っちゃった詫びってことで、勘弁してくんない?」
さら、と前髪に触られて、アリスは思った以上に優しげなジャックに驚いていた。
「…そんなことで…許さないよ…前髪は別にもう仕方ないけど、謝るならメアーリンちゃんと女王様に謝って」
自分の事より、アリスはあの二人に謝る方が筋だと返す。
ジャックは苦笑い、後でなと呟いて、アリスの髪をくしゃりと撫でた。
「…で?肝心のテメェが何でそれを知ったのかが聞けてねェ訳ですが」
白兎は不機嫌そうに呟いて、早く言えとばかりにジャックを睨み付ける。
「あぁ、そーだっけ?…つか、要点のみって言ったの白兎―」
「言え」
「…はい」
半ば強制的に脅し、順を追って話を聞いた白兎は納得したような、何ともいえない表情で考え込んでいた。