正しい選択肢

『もう一人のアリス』



xxx

忌々しい。吐き気がする。頭が痛い―

久し振りに部屋から出た所為だろうかと王は自室に戻るなり不快感に顔を歪めた。
傍らには、いつもと何ら変わりないジャックが寄り添い、「大丈夫ですかー?」と形だけの心配を向ける。

「……そう思うのなら水を持ってくるなり何なりと気を遣え…」

気の利かない奴だと睨めば、心外だなぁとジャックはヘラヘラした笑みを浮かべた。

「俺は騎士だけど、使用人じゃないんだからそんな気遣い求められても困るっていうかー無理っスから」

そう言いながら、ジャックは部屋に備え付けの外線で「水を持ってきてー」と厨房に連絡を取った。
数分もしない内に扉がノックされ、使用人から受け取った水をコップに注ぐ。
そしてそれを爽やかな笑顔で王に差し出した。

「はい、お水」
「………」

冷ややかな王の視線など気にも留めず、ジャックは王へと向けたコップを近くの机に置いた。
相変わらず適当な奴だと溜め息をついて、王は水を受け取る事もしないでポツリと呟く。

「…反抗しても、良かったのだぞ…?」

先刻の行動。つまりは女王に剣を向けたジャックに対して、今更ながらに王は探るように眺めながら言った。
あの場には、ジャックの幼なじみであり親友とも言える時計屋と、同じく幼なじみにして妹のような存在であるメアーリンが居た。

いくら忠実な騎士とはいえ、何の躊躇いもなく、そして表情すら変えないまま命令に従えるという事は、頼もしくもあり同時に何があっても心から信頼できない。

そこまで思考を巡らせて。いや、違うなと王は目を菅(すが)めた。

そもそも、目の前の男が本当に忠実で忠誠を誓う騎士だと言うならば、疑われた事に僅かながら動揺や悔しさを滲ませようものだが。
「酷いなぁ」と別段、感情の乱れもなくジャックはぼやいて王を見据える。

「オレがどういう奴かってのは、王様が一番よく分かってるじゃないっスか」

――確かに、ある意味では誰よりも。もしかしたら本人よりもジャックの本質を理解しているとは言えるが、それでも

(何を考えてんのか分からないんだよ…)

言葉に出さないまま内心で告げて、王は面倒になったのかベッドに身を沈めた。
この読めない上に食えない男について考える事すら時間の無駄だ。裏切らなければそれで構わない。

「…寝る。後は好きにしろ」
「はいよ。おやすみ、王様」

そのまま寝てしまった王に軽く返事を返して、ジャックはそのまま振り返る事なく王の部屋を後にする。
静かに扉を閉めて廊下に出た直後、ふと視界に珍しい来客を見つけ、わお。とわざとらしくリアクションをとった。

「意外だな。てっきり帽子屋くんか、時計屋を予想してたのに」

いつもと変わらない笑みでジャックは珍しい来客―もとい、白兎を見た。

白兎はそんなジャックに、「悪かったですね。帽子屋でも時計屋でもなくて」と告げてから逃がさないように距離を詰める。

「王様ならおやすみになられたよ?」
「引きこもりなんざ興味ねェ。俺はテメェに用があって来たんですよ」

気にした様子もなく、オレに?と他人事の様に返したジャックに白兎の眉間の皺が深くなる。
せっかく綺麗な顔してるのに勿体ないなーなんて思いつつ、ジャックは白兎が話すのを待った。

「…俺はテメェのそういうトコが嫌いで仕方ねェんですがね、」

そういうトコがどんなトコかなんて知らないけど、白兎が元々ジャックを快く思ってなかった事は知っていたから何とも思わない。

その自分には関係ないといった様子のジャックに苛立った白兎は鞭(ムチ)でヘラヘラした笑みを浮かべるジャックの横っ面をピシャリと殴りつけた。
避ける間もない攻撃にジャックは僅かに赤くなった頬を拭い、口の中が今ので切れた事を舌で認識する。

「…〜いっだーッ!!」

じわ、と血の味が広がる感触に大袈裟にわめくジャックの口を、白兎は黙れとばかりに塞ぎ、そのまま壁に強く叩き付けた。
因みに、王に聞こえないように部屋とは反対の壁だ。勢いよく叩きつけられたジャックは計算高いなぁと苦笑う。

「テメェは!!…自分が何をしたのか、自分で理解してやがるくせに…何で…ッ」

胸ぐらを強く掴んで、その何もかも他人事の様な態度を取るジャックを睨み付けた白兎はギリと歯を噛み締めた。
切れた口内を舌で舐めたジャックはやはり、へらへらとした笑みを浮かべて口を開く。

「…あーぁ、ったく。王様がお仕置きとか言うからオレがめっちゃ悪者みたいじゃん」
「…あ゛?テメェは悪くねぇとでも言いやがるつもりですか…」

やれやれと肩をすくめるジャックを非難するように、白兎は冷ややかな目で睨む。

「……いんや?多分、どっちもどっちじゃねーかな」


王が全面的に悪いとは言わないし、責任を擦り付けるつもりはない。
だからといって、自分が悪いとは言わない代わりにどちらも悪くないとも思わない。

「まァ、アリスちゃんの騎士なら間違いを正すのがってのは、『正しい』んだろうし。白兎が怒る理由も分かるんだけどさ」

それはこの世界じゃ通用しない。適用されない。
彼女の世界がそのルールだったとしても、ここはそういう世界でそんな狂った連中の生きる別のルールで回っているのだから。
《役持ち》はその役割を果たす為に。選ばれた《騎士》はその役割を守る為に。

「法則に背いて、騎士としての誓いと役割を破ってでも嫌だと王に反抗しろって意味?女王とアリスちゃんの味方をしてれば、って話?」

仮に自分が女王についていればあの場が丸く収まったとでも言うのか。

異世界から来たアリスはともかく、他の誰よりも《役持ち》の業に深く関わる白兎がよりにもよってそれを言うのか。

「それじゃあ、白兎。オレはあの時、どうすれば良かったのか。参考までに教えてよ」

無理なのは分かってる癖に。帽子屋と三月ウサギや芋虫と眠りネズミのような関係ならば、話は別だが。
絶対の命令に逆らう事が何を意味するか、知らない訳がないだろうに。
しかし白兎は冷めた目をジャックに向けて言い放つ。

「…知らねェですよ そんなモン。テメェが引きこもりに躾(しつけ)でも調教でも何なりされて再起不能になるまで部屋にこもるなりしてりゃあ良かったんじゃねぇですか?」

「いやいや、白兎?オレ 帽子屋みてーにドMじゃないから。」

淡々と告げる白兎に突っ込んで、ジャックは苦笑う。

「まぁ、いいじゃない。誰も死ななかったんだし、生きてるだけで儲(もう)けモノってね」

その表情はやはり、いつもと何ら変わりはなくて、

(…何でテメェは…っ)

行き場のない憤りを感じ拳を握り締めて、白兎はジャックに何を言うべきかと言葉を詰まらせた。

「……前々から聞きたかったんですけど、テメェは何で帽子屋じゃなくて王を選びやがったんです?」

話は終わりだとばかりに離れたジャックに白兎が問い掛けたのはそれだった。
そういう選択肢がなかった訳ではないのに。寧ろ、王に選ばれるより先にジャックは帽子屋の騎士になれた筈だったのに。

「テメェ程の騎士が、引きこもりなんざの騎士で満足できてんですか」

白兎の言葉に、ジャックは面倒そうに首を捻って振り返る。

「…今更な質問だなー…アリスちゃんといい、メアリーといい、白たんといい」
「殺されてェんですか」
「うんごめん」

軽口を言い、数秒の沈黙。ジャックは「そうだなぁ」と言葉を続けた。



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