二年前の裁判
『出会いと始まり』
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二年前。
その頃のワンダーランドは先代女王の圧倒的支配下にあり、それが当たり前の日常で、誰も何も言わなかった。
権力者が支配する。その時はそれが正しいと思っていたし女王に逆らう者も居なかったから、狂っていた事に気付かない。
このまま世界は何事もなく過ぎていき、いずれは次の世代の役持ちに引き継がれても変わらないのだと納得し、受け入れていた。
ある一人の少女が現れるまでは。
そんな世界に突如迷い込んだ少女《アリス》は右も左も分からぬまま彼―当時のジョーカーである《トカゲのビル》と出逢った。
当然、異なる世界から迷い込んだ《アリス》にとってはこの世界の事情など関係も関わりもない話だが。
しかし、女王と少女は対面し対立する。それが偶然であったのか必然であったのかは定かではない。
結果として女王は少女に負け、信じていた家臣に裏切られたショックにより発狂し、少女とその裏切った家臣はそのまま行方をくらましたのが過去の話。
それから二年後。再び世界は巡る。
もう一人のアリスの来訪によって。
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「あたしは ハッキリ言えばお母様が嫌いだったわ。でも、それ以上にあの子は嫌いだと思った」
女王はゆっくりと隠しもせずに告げた。
この細かい事を気にしない様な女王にハッキリ嫌いだと言われる先代とアリスは一体どんな性格だったのか。
「お母様は完璧主義者で、特に赤い薔薇を愛する余り白い薔薇を間違って植えてしまった庭師を死刑にしてしまう位、過激な性格だったのだけれど」
疑問を解消するかの様に女王がさらりととんでもない発言を器用に食事をしながら告げた。
「たかが植え間違いごときで死刑なんて、我が母ながら呆れてしまうわ」
「………」
アリスは何も言えずに女王を見る。
…何といえば良いのか。
「気を使わないで良いよ。アリス。ハートの女王は大体みんな子供っぽい所があるから」
チェシャ猫がフォローにもなっていない言葉を捕捉しながらミルクを一気飲みして告げた。
子供っぽいとかそういうのを通り越している気がする。むしろ通り越しているだろう、明らかに。
「懐かしいな。あの人、割りとヒステリックな性格で意外と乙女チックな面もあったから、俺は嫌いじゃなかったけどな」
三月ウサギが意外にも告げた言葉に何でそんな事まで知っているんだと驚く。
その視線を受けた三月ウサギはやはり淡々として答えた。
「ん?…あァ俺、その時お城の兵士だったんだよ」
因みにジャックと同期なと続けられて何だか新発見をした気分になる。
「その頃から三月は時計屋に付きまとってたけど、一応オレとは顔見知り程度でしかなかったけどな」
ジャックが妙に突っ掛かった言い方をする。それに対し三月ウサギは否定せず笑った。
「ついでに帽子屋は十年前から白兎に片想いしてる」
おまけのようにチェシャ猫が告げた。
意外にも帽子屋は一途で気が長いらしい。と、いうより、話が段々逸れていっているのだけれど。
昔話も確かに気になるが今は本題を聞かなければならない。
「それでその《アリス》は一体 何をしたんですか?」
アリスは思いきって問い掛けた。
多分こうでもしなければ話が逸れていくだけだと何となく理解したからだ。
「ん!…そうね。簡潔に言ってしまえば彼女はお母様に歯向かってその審議を確かめる裁判中にビルと共に何処かへ消えてしまったの」
女王は簡潔に述べた。
ただ、それだけだと言ってしまえばそれまでの話。
だけど、それはきっと重要な事だと思えた。
「裁判自体は些細な事だった。お母様のやり方に異論を唱えた彼女とお母様のどちらが正しいのか。有罪か無罪か。それを決める裁判だったと聞いているわ」
女王は本当に何も知らないまま後から事の事情を知らされたのだと言う。
裁判官を務めたのはトカゲのビル。《役持ち》のジョーカーであり、冷静な判断を下すべき彼は突然、先代女王に刃を向けて『アリスと共に消えた』のだと。
「……本来であればビルの行動は《役持ち》であっても出来ない行為。いえ、してはならない行動なんだけど彼はそれをしてしまった」
秩序を狂わせればどうなるか。
何よりも知っているのが《役持ち》であるのに。
「信頼していた部下に裏切られ、年端もいかない異世界の少女にプライドをズタズタにされたお母様は最早ハートの女王を続けられそうもなく」
娘であるあたしがハートを継いで、抜けたジョーカーをチェシャ猫が埋めた。と女王は言った。
「それで今のワンダーランドが存在しているんだよ。アリス」
まとめてチェシャ猫が笑う。アリスは自分のした事でもないのに罪悪感を覚えた。
そこまで知りながら、何故同じような異世界から来た自分にここまで優しく接するのか。
こんな話を聞かせてくれるのか。何故そんな風に微笑むのか!
「…ッ…ごめんなさい…」
軽々しく聞く事ではなかったと後悔する。
絞り出した声は多分小さくて聞こえていないだろうけれど。
「…ッ!!え?なっなな、なんで泣くのっ!?めめメアリィーっどうしたらいい?」
女王の幼くて慌てた声が聞こえ、泣き崩れるアリスを落ち着かせようと頭を撫でる。
「はぃっ!えとあの、……アリスさん…大丈夫ですから、落ち着いて下さい」
メアーリンの静かな可愛らしい声が続く。優しさにまた涙が溢れた。
結局抑えきれなくなった感情はボロボロと涙になって落ちていき。
いつの間にか泣き疲れて眠ってしまったアリスを女王の命令により白兎がベッドまで運ぶ羽目になったと知るのは翌日の事だった。
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まどろみの中で、誰かが側に居て見守ってくれていた気がする。
けれど目が覚めた時、視界に入ったのは天井。自分以外の誰もその部屋には居なかった。
(……ゆめ…?)
ぼんやりと眠気が抜けきらない頭でアリスは考える。
女王から話を聞いて、それから――。
プッツリと記憶が途切れていて あァ 気を失ったのかと状況を判断した。迷惑をかけてしまったな と自己嫌悪。
そのまま膝を抱えてうずくまる様に俯(うつむ)いた時、
「………慌ただしいからどんな奴が来たかと思えば――ただの小娘ではないか」
不意に誰も居ないと思っていた部屋に声が聞こえ、室内を見回した。
暗い室内だから分かりにくいが、よくよく見ればドアの前に一つの人影を確認できる。
「……誰?」
アリスの問いに答えないまま、人影は静かに近寄ってきて
確かめるようにアリスの顔を覗き込む。
窓から射し込む僅かな月明かりに照らされて、ようやくその人影の姿形が分かるも、見覚えはない。
「貴様に名乗る名など無いわ。異界(いかい)の女が……忌々しい…」
明らかな初対面にも関わらず、吐き捨てた口調と悪意を向けられて、言い様のない不快感に駆られる。
何で初めて会った人物にそこまでの悪意を向けられねばならぬのか。
言い返そうとしたアリスの先手を取って男は片手でアリスの口を覆(おお)い黙らせる。
抵抗しようともがくアリスをモノともせず、その体躯は少しも揺らがない。何をされるか分からない恐怖が浮かんだ。
至近距離にまで顔を寄せられ、その瞳から目が離せない。赤がかった黒い髪と、血の様に鮮やかな赤い瞳―黒と紅。
チェシャ猫と同じ色なのに、印象は全く違う色。言うなればそう。この人の黒と紅は悪魔を連想させる。
ざわ と背筋が冷たくなって、恐怖に震えたアリスに構わず、男は低い声のまま冷ややかに告げた。
「…白兎が大事そうに抱き抱(かか)え、チェシャ猫が心配する程に美しいのかと思えば大したことは無い。オモチャにするにしても色気が無いでは興醒めだ」
あまりに一方的かつ暴言に覆われた掌が無ければ感情に任せて怒鳴っていたかもしれない。
性格と口の悪さで言えば白兎以上だとアリスは思い、だから何なのだと意を込めて睨めば、更に強く顎を掴まれてボスッとベッドに押し付けられた上に男を見上げる体制にされた。
「…――気に食わないな…自分の立場を理解しているか?」
目を細め、明確な殺意を込めて囁かれた言葉にアリスはビクついた。
殺される。こんな訳の分からないまま。誰とも知れぬ男に!
反射的に目を閉じた時、ガツンと衝撃音が聞こえて、誰かに抱きつかれた感覚にアリスは驚いて目を開けた。
「大丈夫?!アリスっ」
「へ?じょお う さま?」
目の前に居たのは今にも泣きそうな女王の姿で。助かった、より何より、一体何がどうなっているのかと困惑しながら状況把握をする為に周りを見回した。