薔薇の番人

『出会いと始まり』



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「……あー。こりゃ マジで迷子かも」

剣をクルクルと弄びながらジャックは何回目か分からない位には来た場所に座り込んだ。

一度来た道には地面に矢印をつけていたので、それで判断しながら進んでいたのだけれど、この華やかな迷路から抜け出せない。

一向に出口はおろか入口さえも見つけられないまま時間は過ぎて、ぐるぐる歩き回った所為で足が痛い。

「…少し休もう?時計屋さん」

アリスもぐったりと座り込んで 苦い顔をしている時計屋に声をかけた。

「…大丈夫だ…」
「いや 時計屋は大丈夫でもオレとアリスちゃんが無理なんだって」

ジャックがきっぱり告げて、ようやくそれで時計屋も歩みを止めた。

「お前はどうでも良い。…だが、彼女が無理なら少し休もう」

時計屋は息をついて目を閉じた。こんな事にしたという責任からか、眉間に皺が寄っている。
それとは対照的にジャックはいつものヘラヘラした笑顔のままどーしよっかなーと楽観した様子で、チェシャ猫は相変わらず読めない張り付いた笑顔だ。

「…そういえば。聞いた噂によれば、ここの薔薇は女王が大切に育てている薔薇で」

不意にチェシャ猫が尻尾を揺らして唐突に話し出す。
近くにあった薔薇を一輪掴んで言いながら、器用に棘のない部分だけを持ってパキッと前触れもなく 折った。

「…チェシャ猫っ?!」

アリスはぎょっと面食らい、チェシャ猫の名を思わず呼ぶ。

「折ると怒られる。それはもう地獄で閻魔の怒鳴り声を聞くより怖い。らしい」

慌てるアリスに動じないまま告げてチェシャ猫はその一輪の薔薇を時計屋に放り投げた。

「……あ」

意図が分からないけれど。投げられた薔薇は綺麗に時計屋の元へ落ちた。

「持っててね、時計屋。」

チェシャ猫は笑んだままガサガサと薔薇の木の根っ子を探り、踏みつける。

「…おい…まさか、お前―」
「何事にも犠牲は付き物だよ時計屋」

時計屋の表情が強張るのとチェシャ猫の台詞が重なった時。

ジリリリリリリ

けたたましい音が突如、鳴り響いて、心臓が跳び跳ねそうになった。

(何?一体なんなの?!)

両耳を塞ぎながら、反射的に上を向いたアリスの視界に黒い影が飛び下りてくる。

軽やかに地面に着地し、ザンッと素早く立ち上がった黒い影…否、少女は声高らかに叫んだ。

「女王様の薔薇を荒らす不届きものがっ!!そこに直りなさい!」

軽くウェーブがかかった長いふわふわの髪と華奢な細い身体。
まさに『お人形の様な』という言葉が似合う少女の手に似つかわしくない禍々しい大きなハサミが握られている。

切っ先は真っ直ぐアリス達に向けられていて、思わずアリスは異様な光景に言葉をなくした。

「来た来た。薔薇の番人メアーリン♪」

そんな緊迫した空気の中で、チェシャ猫は変わらない笑顔で少女の登場を出迎えるように告げる。

「あー…成る程。そういえばメアリーだったっけ。さすがチェシャ猫」

さっぱり意味が分からないままのアリスを無視して彼女を知っているらしいジャックがポンと手を叩いて納得していた。

「…え…?」

そこで、鋭い目を丸くした少女は気の抜けた声を出して改めてアリス達に視線を向ける。
チェシャ猫からジャック、アリスに移り時計屋に目をとめた瞬間。
少女は一気に顔を赤らめて慌てふためいた。

「…―――っ…時計屋さんにジャックさん?!な なななっどうして此処に!」

どうやら三人の知り合いらしいと認識し、チェシャ猫の意味不明に思えた行動も彼女を呼ぶための行為だったらしいとだけ理解する。

「…成り行きだ…」

そんな光景を目前に、時計屋は静かに呟いた。

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「彼女は女王の薔薇を護る番人で、時計屋とジャックの幼馴染みなんだよ。可愛い顔して結構強いから女王に気に入られて抜擢されたんだ」

迷子になりそうな薔薇の迷路の中。入り組んだ細い道を迷いなく通りながらチェシャ猫が先頭を歩く少女の説明をアリスに告げていく。

「…チェシャ猫さん。恥ずかしいから 止めてくれませんか その分析…っ」

少女は耳まで真っ赤に染めて訴えるが、チェシャ猫はなんで?と聞き返した。
恥ずかしいからと言っていたのに、チェシャ猫にとってソレは止める理由にはならないらしい。

「まぁ、いつもの事だし便利で良いじゃん。メアリーは気にしすぎなんだよ 軽く行こうぜ、軽く」

ジャックはやや上機嫌で笑い、その後ろで時計屋は背後を警戒しながら突っ込みを入れる。

「お前は何も考えなさすぎるだけだ。もっと自分をコントロールする努力をしろ」

最もな突っ込みにジャックはヘラヘラとした笑いで誤魔化す。

「相変わらず時計屋ってば厳しいな〜…お母さんみた―」
「このまま薔薇に血の一滴まで吸いとられたいなら続けろ」

ジャキン とジャックの首元に刀を当てながら時計屋は言った。そんなやり取りを見て少女はくすくすと笑う。

「…相変わらず仲が良いんだね、ジャックさんと時計屋さんは」

仲が良い と、捉える辺り良い子なんだなぁとアリスは思いながら少女に話しかけてみた。

「えっと、メアリー…ちゃん…だったよね?私はアリス。ここで会ったのも何かの縁だし、よろしくね」

差し出されたアリスの手を暫し見つめ、少女は嬉しそうに はい と握り返した。

「嬉しいですっ!同じ年くらいの女の子って少ないから、仲良くしたいなって思ってたんですよっ♪」

少女の笑顔につられてアリスも微笑んだ。思えばこの世界に来てから初めての友達になれそうな気がする。

「……仲良くするのは構わないけど。俺はアリスと離れないから そのつもりでね メアーリン」

チェシャ猫がいつもの笑みで言いながらアリスに抱きついた。

「…さっきから気になってたんだけど、チェシャ猫 メアリーちゃんの事をメアーリンって呼ぶのね?」

抱きつかれたアリスはじっとチェシャ猫の顔を見て聞いた。
チェシャ猫は うん?と一旦小首を傾げてあぁ と声を上げた。

「メアーリンが彼女の名前。ジャックが呼ぶのは愛称だよ。三月ウサギで言えば帽子屋の『みっつん』みたいなモノだと思えば分かりやすい」

なるほど、とアリスが納得したのを確認して不意にチェシャ猫は少女―ことメアーリンに向かって まだ城には着かないの?と問いかけた。

「ここの薔薇園を抜ければもうすぐですよ。先程、女王様に連絡を取ったら謁見が可能という事だったのですぐに女王の間に行ける筈です」

メアーリンはにっこりと微笑んで帽子屋と三月ウサギがもう既に着いていると補足した。

それに対して時計屋が一気に嫌な顔をしてジャックが苦笑いをしながら慰める。

「やっぱり人選ミスだったね」

チェシャ猫だけがぽつりと呟いて、アリスは何とも言えないまま黙り込んだ。

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数分後。咲き誇っていた薔薇園が開けると目の前に大きなお城が現れた。

「ここがハートの女王様のおられるお城です。引き続きご案内しますから、どうぞついてきて下さい」

一旦 立ち止まり説明したメアーリンは息切れ一つしないまま平然と歩いた。
かなりの距離を歩いたのに とアリスは疲れた身体に鞭を打って続く。その数秒後にふわりと身体が浮いて。

以前、三月ウサギにされた様に抱き抱えられたアリスは「え?」と声を上げた。

訳の分からないまま見上げれば、意外にもそれは時計屋でアリスはかぁぁっと顔が紅くなる。

「と ととと 時計屋さんっ!な 何ですか?急に…」

慌てながらも問い掛ければ時計屋は至極平然としたままアリスを見る。

「…いや 疲れた表情をしていたから少しでも楽になるかと思ったんだが…嫌か?」

いえ、むしろ別の意味で疲れますとは言えず。アリスは固まったままどうすべきかとチェシャ猫を見た。

「抱っこしてもらっておきなよアリス。時計屋でも一応男だからアリス一人位連れて歩けるよ」
「そ、そうじゃなくて重いからっ!それにまだ歩けますし――って、ちょ、聞いてます?」

チェシャ猫はいつも通りの笑みで尻尾を揺らした。
羞恥心から何とか下ろしてもらおうとするアリスを無視して時計屋はメアーリンの後に続いて歩き出す。

「気にするな 女王の間に着くまでの距離だ」

微かに微笑みながら時計屋に告げられたアリスはもう何も言えなくなって、無駄な抵抗を諦めた。

(…もう いい。三月ウサギといいこの人といい、意識すると下手に疲れるだけだわ…)

そう思った時、時計屋の隣を歩くジャックと目が合った。

「…どうかしたんですか?」

「ん?…あァ。ごめんごめん。ちょ〜っと考え事してただけ」

話し掛けたら、ジャックは疑問符を出して不思議そうな顔をする。見ている様に見えたが違ったらしい。
そして。それから数分後、長い廊下を歩き続けて初めて兵士らしき人が二人立っている大きな扉の前に着く。

「ここが女王の間―謁見する部屋になります。皆様 ここからは粗相のないように ご注意下さいね」

柔らかでありながら凛とした口調に変わって静かにメアーリンが告げた。



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