スペードの王と騎士

『出会いと始まり』



よく分からない状況ながら、一先ず目に入ったのは先刻の男から女王を庇うように巨大なハサミを向けているメアーリンの後ろ姿。
そして更に男が動けない様に鞭で縛り上げている白兎。
それを認識してようやくアリスは助かった実感がわく。

「怪我は、してないみたいだが…何を言われた?」

落ち着いた声でいつの間にか隣に居て、確かめる時計屋にアリスは大丈夫だという意を示す為に首を左右に振った。
何を言われた、と聞かれても明確な悪意を向けられた。以外の言葉が見つからない。

「…貴様等…俺にこんな真似をして…タダで済むと思っているのか…?」

身動きが出来ない現状にも関わらず男は動じる事はなく、尚も冷めた視線をアリスに向ける。
その男をキッと睨んで女王が怒鳴った。

「…ッお兄様!!いい加減にしなさいっ!アリスはあたしの客人です!!」

アリスは思わず頭の中で女王の言葉をリフレインした。
…お兄様、と言う事はこの人は女王の兄という事なのだろうか?

「…知るか。揃いも揃ってたぶらかされおって…情けない。異世界から来ただけではなく、名までアリスだと…――」

認識出来ないアリスの思考を他所に男は対峙するメアーリンと女王を一瞥すると、扉の前で騒ぎを聞きつけていたジャックに目を止める。

「…ふん、来たか。言わずとも察しろ。ジャック」

偉そうな口調でジャックを呼んだ男は不適な笑みを浮かべて告げた。
ジャックはいつものへらへらした笑顔のまま、男を認識すると、仕方なさそうにスラリと腰の剣を抜く。

予想だにしないジャックの行動から目を離せないでいると不意に目が合って。小さく「悪いね」と言う声が聞こえた。

その次の瞬間、傍に居た帽子屋と三月ウサギが止める間もなく、メアーリンのハサミが蹴り上げられ、ガギンッと天井に突き刺さる。
そのまま手にした剣で半ば強引に白兎が拘束していた鞭を緩め、動かせないように足で踏みつけたのが僅かに数十秒。

へらへらとした表情を変えないままそれらの動作をやってのけたジャックの、いつも通りの笑顔が逆に異様で。

「あはは!…何てツラしてんの、アリスちゃん。チェシャから聞いたろ?オレはスペードのエース。つまりは<王様>の<騎士>だからさ、命令には逆らえない訳」

これは本物のジャックなのだろうかと疑ってしまう程に別人みたいに思えるのに。

その言葉でようやく、この男がスペードの王でジャックは彼を護る騎士なのだと嫌でも思い知った――

誰も何も言えない。ジャックはいつも通りなのに、今の光景はまるで悪い夢みたいで、

「…ジャックくん、君 あくまで王サマの味方をする気?」

重い沈黙の中、帽子屋が深めに被った帽子を手に問いかけた。
その傍らには三月ウサギが面倒そうにしながらも臨戦体制でいつでも銃を撃てる様に構えている。

「“味方”も何も、そういう法則だろ。この世界は。例え<ソレ>がオレの意思に反する事だったとしても《役持ち》を護るのがオレや三月みたいな《騎士》だ」

そんな帽子屋に、ジャックは肩を竦める。
そう返されて、帽子屋は眉をしかめて黙り込んだ。ソレが分からない訳じゃない。けれど――
やはり命令に背いてでも此方について欲しかったというのが帽子屋の心境だったのだろう。

「…そう、だね。うん…ゴメン」

悲しそうに目を伏せて、帽子屋はどうしようもなくジャックに謝った。
何かを言おうとしたジャックだが、それを王が遮る。

「――女王(ハート)に庭師、帽子屋(クローバー)に気狂い兎と芋虫(ダイヤ)に時計屋まで勢揃いとはな。そんなにその女が大切なのか?」

下らないと吐き捨て、王は威圧するように睨んだ。

「成り行きだよ、王様☆そんなコトより、部屋から出てくるなんて珍しいね!どういう風の吹き回しカナ?」

帽子屋がいつもの軽い口調で聞き返した。王は冷ややかに帽子屋を見据えながら答える。

「……貴様等がバタバタと騒がしかったからな。興味本意だ。まさか、また<アリス>が来ているとは思いもしなかったがな…」

ギロリと視線を移されて、アリスは冷や汗をかいた。
王が以前の《アリス》に良い感情をもっていないのと、自分はそのとばっちりを受けているらしい事だけは何となく理解できたものの、向けられる嫌悪は寒気がする。

「…ならば、もう用はお済みでしょう?さっさとお部屋にお戻りになっては如何です。お兄様」

女王はアリスを庇うように、可愛らしくも棘のある言葉で王を追い返そうとした。
それを見た王は、ほぅ?と面白いモノを見るかの様に女王を見返す。

「久しく俺が出てきたというのに、喜ぶより追い返すとは。とんだ<妹>だ…余程、仕置きをされたいらしいな……ジャック」
「……え?王がするんじゃないんスか、お仕置―」
「やれ。」

流石にそれはどうよと抗議するも空しく、王はキッパリと言い切った。ジャックは渋々といった様子で女王を見ながら剣を手に握る。

「すんません。許してね、女王サマ」

ちっとも悪びれない口調で笑うジャックにアリスは反射的に動いていた。

「―っちょ、アリス…!?」
「アリスさん…っ!?」

びゅん。
勢いよく振りかざされた剣が目前でピタリと止まって、アリスの前髪をハラハラと落とす。

女王の焦った声とメアーリンの驚いた声が聞こえたが、アリスは真っ直ぐにジャックを睨み付けた。

女王を庇う為に剣の前に自ら出たアリスを驚きながら見つめ、ジャックは困ったような表情で笑う。

「…あっぶないなァ。オレが止めてなかったら斬られて『痛い』じゃ済まないよ?」

初めて会った時と何ら変わらない顔と声。それがとても嫌だと思った。

納得できない。それが例えアリスには分からない関係でも、間違ってると思う。

「…《騎士》って 護るのも大事だけど、間違ってたらソレを正すのも務めでしょう!?言われるがまま女王様を傷つけようとするジャックなんてキライだっ」

我ながら何て子供っぽいとは思うが怒りは治まらない。
そんな命令をする王もそうだが、それ以上にそれに従うジャックが何より気に入らない。

「ん〜…、キライってのはちょっと困るかな?オレ、結構アリスちゃんの事 好きだし。でもまぁ
―とりあえず、退いてくんない?じゃなきゃ、今度はそのまま斬っちゃうよ」
「――ッ〜〜ジャックさん!!」

余りにも気にしないジャックの言葉にメアーリンが平手打ちをした。
パァンと乾いた音が響き、ほんのりと赤くなった頬に眉をしかめると、ジャックはやれやれと息を吐く。

「王サマ〜。オレがすっげー悪者になっても『やれ』って言います?」

だるそうにジャックは睨むメアーリンを眺め、一応は駄目元(ダメもと)で聞いてみる。

「………お前は誰のモノだ。俺のモノだろう?嫌なら自害しろ」

案の定、聞く耳を持たず王は告げた。
自害は嫌だなーと呟くジャックの隙を見逃さず、タイミングを見計らっていた三月ウサギが背後から銃を押し付ける。

「―なら、俺が殺してやるよ。嬉しいだろ、ジャック」
「いやぁ、全然」

淡々と愛を囁くように告げた三月ウサギにジャックは口元に笑みを張り付けたまま即座に否定する。
圧倒的に不利になった状況でそれでも焦った様子はなく。「まぁ、でも」と口実を見つけたとばかりにジャックは続けた。

「これじゃあ、無理ッスよね王サマ。どんなにオレが優秀でも」

だって、僅かでも動けば三月ウサギが躊躇(ためら)いなく引き金を引いてジャックの頭をブチ抜くだろう。

仮にそれを避けられたとしても、次の瞬間には臨戦体制の時計屋が有無を言わさずチェックメイトを告げるだろう事も容易に読める。

「…チッ…愚か者が…適当に遊ぶのがお前の癖だ――もう良い。戻る」

呆れたとばかりにジャックを睨み、王が踵(きびす)を返した時。ふと、冷静だった王の表情が強張る。
その視線の先に居たのは、いつもの張り付いた笑みを浮かべたチェシャ猫。扉の前で固まる王をチェシャ猫はいつも通りの笑みで見返す。

「相変わらずだね、王(キング)。身体は成長しても中身はそのままなのかい?」

揶揄する様な言葉に、王は歯をギリ と噛み締めてチェシャ猫を睨む。

「…うるさい…行くぞ!ジャック」

不快そうに吐き捨て、チェシャ猫の横をすり抜けていく王を引き止める事はなく、ジャックは仕方ないなぁとばかりに頭を掻いた。
剣を鞘に収めると王に気付かれない仕草でメアーリンの頭を撫でて、ごめんな。という表情を向けて出ていった王に続く。

アリスは女王に抱き締められながら、ただ、去って行く王とジャックの後ろ姿を見つめる事しか出来なかった―



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