三月ウサギと時計屋
『出会いと始まり』
息苦しい。
長い沈黙に耐えきれず助けを求める様にアリスはチェシャ猫を見た。
「うん?時計屋と三月ウサギの関係が知りたいの、 アリス」
小首を傾(かし)げてチェシャ猫が聞いたけれど、そんな事は聞いてないから!とアリスは無言でぶんぶんと首を振る。
「…てて…相変わらず容赦なく殴るな、時計屋。たかが鼻と口を塞いだだけだろ?」
三月ウサギが何故か笑いながら言った……いや、 一歩間違えれば死ぬ行為なのだけれど。
「…………俺を殺す気か。斬り捨てられないだけマシだと思え」
アリスから視線を外すと時計屋が苛立ちも露(あらわ)に三月ウサギを睨む。
「殺し合いがお望みなら構わないぜ。血に染まって屈辱に顔を歪めるお前を見るのも悪くなさそうだし」
そう言う三月ウサギは物凄く楽しそうで。
言われた時計屋は物凄く不快そうで。
「……やっぱり説明してくれないかな。チェシャ猫」
対照的過ぎる二人を見ながらアリスは結局聞いたのだった。
とりあえず、どうにか睨み合う三月ウサギと時計屋を宥(なだ)めてアリス達は一つのテーブルを囲む様に座った。
時計屋が無言のまま緑茶を出してくれたが空気は重い。
この状況から、どうやって目的を切り出そうかと考えていると
「三月ウサギは」
唐突にチェシャ猫が口を開き、ん?と呼ばれた三月ウサギが耳をピンと立てた。
何を言い出すのだろうか、とアリス達が見つめる中でチェシャ猫が告げた言葉は―
「一度執着した相手にしつこく付きまとって追い詰めて苛めるのが大好きな隠れヤンデレなんだよ」
と、言う三月ウサギの一面だった。……確かに説明してくれないかなとは言ったけど本人の目の前で言うだろうか。普通。
ついでに、二人の関係の説明でもないし。とアリスは突っ込みたくなるのを堪えた。
「…へェ♪……間違ってはいないな。流石チェシャ猫」
それを聞いた三月ウサギが気を悪くした様子はなく緑茶を啜(すす)りながら笑う。
ヤンデレの意味が解らないけど、言葉そのままならストーカー以外の何でもないんじゃないだろうか。
「…でも 三月ウサギがそんな風に誰かに執着するなんて思えない」
アリスは三月ウサギを見ながら思ったままを告げる。
「…だったら 俺はこんなに苛つかなくて済むんだがな」
それに対して、はぁと深い溜め息をついた時計屋がぼやいた。
アリスが二人の関係に口を出す事では無いが、 このままでは肝心の《元の世界》に戻る方法が聞きづらい。
そう思っていたら
「コイツの話はどうでも良い。さっさと用件を言って早く連れて帰ってくれ」
余程(よほど)三月ウサギが苦手らしく、時計屋の方から用件を早く言えと促(うなが)してきた。
それでも話は聞いてくれるのだから案外良い人なのかも知れない。
アリスが事情を説明しようとした時、
「…なぁ この世界から 異なる次元――つまりは異世界に行く方法はあるのか?」
三月ウサギが先に要点のみを聞いた。
確かに一番聞きたい事に違いはないけど 唐突過ぎないだろうか。
びっくりして三月ウサギを見れば、いつもと変わらない表情というか
(明らかに面白がってる…っこの人!!)
どことなく上機嫌らしい様子を察して、ガビンとなる。
恐る恐るアリスが時計屋を見れば、時計屋は探るような目付きを向けた。
「……例えば知っていたとしよう。それでどうするつもりだ」
「アリスを元の世界に戻すんだ。一緒に居るのは楽しいけど 帰りたいなら帰った方が良いだろう?」
問いに答えたのはチェシャ猫。それを聞くと時計屋はやや眉を潜める。
「…その子が別の世界の人間だと何か確証はあるのか?嘘をついている可能性は。お前等、考えて行動してないだろう」
逆の立場から考えてみれば至極(しごく)当然の返答が返ってきて、アリスは思わず時計屋をまじまじと見つめた。
(…まともだ…この世界にも三月ウサギ以外にまともな人がいる…)
半ば仲間意識の様な視線を送られた時計屋はやや困惑した様子でアリスから少し距離を取る。
「それで、あるのかないのかどっちなんだよ」
三月ウサギはそのどちらの反応も気にせず再度確認した。
「…さぁな。調べてみなければ何とも言えない。…そもそも俺より城に行って女王に聞いた方が早いんじゃないのか」
時計屋はそう告げて、ふと思い出したように三月ウサギを見返す。
「何、お前と帽子屋と芋虫まで居るんだ。3人揃って行けば女王に謁見(えっけん)する事は簡単だろう」
その時計屋の言葉に三月ウサギがお茶を啜ろうとした体制のまま 止まる。
「…………時計屋、すっげぇ嫌味」
三月ウサギにしては嫌そうな声音で呟いて。
アリスは珍しいその反応を眺めて緑茶のおかわりを自分の湯呑みに注ぐ。
「女王って この世界で一番偉い人?」
二人の会話に出てきた『女王』が気になって、アリスはチェシャ猫に問う。
チェシャ猫はいつもの笑顔でうん と頷いて。
「この世界は《ハートの女王》と《スペードの王》の許しがなければ勝手な事は出来ないんだ。その中である程度の権力をもつのが伯爵(はくしゃく)とか貴婦人(きふじん)で、帽子屋と芋虫なんかはそういう部類の人種だよ」
すらすらとチェシャ猫が答えてくれるけど頭がついていかなくてアリスは戸惑う。
「…ごめん。チェシャ猫…もう少し分かりやすく説明して…」
その言葉にチェシャ猫は暫し沈黙すると不意に時計屋を呼んだ。
「何だ 今俺はコイツと話して―」
「ぱす。アリスに分かりやすく噛み砕いてこの世界について説明よろしく」
時計屋に丸投げすると、チェシャ猫は尻尾を揺らした。
なんて自由なんだろう。アリスはそう思いながら時計屋の言葉を待つ。
「可愛い乙女の為に一肌脱いでやれよ。時計屋」
眉をしかめる時計屋を三月ウサギが茶化す。
「……ハァ…何でお前等はいつもそう…まぁ、いい」
いろいろと言いたい事を飲み込んで仕方なく時計屋はアリスを見る。
「アリス…だったか?…簡単に説明はするが、きみが理解できるかどうかは知らないからな。補足(ほそく)部分はそこの笑い猫に聞け」
こくりと頷いて アリスは不機嫌そうな時計屋の声に耳を澄ました。
「とはいえ、俺達には当たり前の常識を改めて説明するのは難しいんだが、」
「大丈夫。時計屋ならきっと出来るよ!」
途中で丸投げしたチェシャ猫の無責任な励ましは置いておこう。多分、面倒臭かっただけなんだろうから。
僅かに眉をしかめて話始めた時計屋と説明を真面目に聞くアリスの姿を、やはり三月ウサギは冷静に眺めていた。