時計屋と時計塔

『出会いと始まり』



朝食を終え、まったりとアリスが食後のお茶を味わっていた頃。

「それで、時計屋の所へはいつ行くんだい。アリス」

すっかり寛(くつろ)いでいるアリスに唐突にチェシャ猫が切り出した。


「…え?時計屋って、な」
「チェシャ猫〜☆いまここで、言う?」

全く覚えのない言葉に何の話かと聞き返そうとしたアリスの口を素早く帽子屋が塞いだ。
そのまま声を潜めた帽子屋は非難めいた視線をチェシャ猫に向け、何故かしきりに我関せずといった様子の三月ウサギを気にしている。

「……時計屋って、言ったか。今」

そんな努力も空しく、どうやら話が聞こえていたらしい三月ウサギが淡々とした口調で聞き返した。
いや聞き返した、というよりは確認したの方が正しいだろうか。
帽子屋は傍目で見て分かる程にビクついて、答えを返す。

「…や、ヤダな〜☆みっつん!!幻聴でも聞こえた〜?ヤバイよ」

下手な誤魔化し方をする帽子屋にアリスは呆れ、チェシャ猫は黙ったまま成り行きを見守った。

「生憎 俺の耳は飾りじゃないんだよ。帽子屋…別に隠す事じゃないだろ?」

そして、三月ウサギにニッコリと微笑まれて追及される帽子屋の反応は、まるで奥さんや恋人に浮気を問い詰められ、別れないでとすがり付く男の様子に酷似していた。

「だって!!だって みっつん絶対時計屋の所に行くもんっ僕を置いて!」

「否定はしないな。別に俺の勝手だろ」

がばっと三月ウサギに泣きついて帽子屋は訴えるが、三月ウサギは構わず平淡に切り返す。

「みっつんは僕のなんだよ!?例え一時でも離れるのは嫌っ☆」
「そんなに喚かなくても ちゃんと戻ってくるだろ 俺は。だから離れろ」

かなり独占欲の強い帽子屋に三月ウサギは何故か楽しそうだとアリスは感じた。
淡々とした三月ウサギと焦る帽子屋が夫婦漫才のようなやり取りをしている合間。

芋虫から昨日聞いた《元の世界に戻る心当たり》がその時計屋なのだとチェシャ猫に説明されてから、ようやくアリスは状況を理解する。

「そういう訳だ。時計屋のトコに行くなら俺が案内するぜ」

結局、最終的には帽子屋が上手く丸め込まれてしまったらしい。
時計屋の場所まで三月ウサギが同行する事になり、アリスとチェシャ猫は三月ウサギと共に時計屋の元へ向かう為に帽子屋の家を後にした。

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「それにしても…あの人は 本当に三月ウサギさんが好きなのね」

出掛ける時でさえしつこく、みっつん みっつんと叫んでいた帽子屋を思い出してアリスは呟いた。

「面白いだろ。だから飽きないんだよ帽子屋と居るのは」

静かに笑いながら三月ウサギは言う。

確かに三月ウサギ程、取り乱さない人からすれば帽子屋の反応は面白い部分もあるんだろうけれど、
普通なら一歩どころか軽く数十歩くらいは引く。
少なくともアリスが三月ウサギの立場なら、いろいろ耐えられない。

「白兎が相手だと三月ウサギの比じゃないよ。帽子屋は白兎が一番好きだから」

チェシャ猫が豆知識の様に補足する。ありがとう、でも余分な気がする。

うっすらと簡単に想像出来てしまう辺り 帽子屋はかなり分かりやすい。

そう思うと常に冷静な三月ウサギはともかくチェシャ猫はまだよく分からない位置に居る。

(……でも チェシャ猫が 信用できるのは何でなのかな)

三月ウサギとチェシャ猫の後を歩きながら何となくアリスは思った。

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しばらく道沿いに歩いていくと目前に高くそびえ立つ建物が見えた。
アリスは太陽の眩しさに目を細めながらも高い塔を見上げる。

「…ねぇ。もしかして、これを登って上まで行かなくてはいけなかったり、する?」

かろうじて天辺が見える塔は、多分マンションでいえば15階くらいの高さだろうか。
ここまで来るのに体力を消耗している上にこの高さは しんどい。

「さぁ。いつもランダムだからね 運が良ければ1階に居るよ」

チェシャ猫はノックもせずに扉を開いた。
…鍵は掛かっていなかったらしい。

「時計屋って…時計を売っているんだよね?…何でこんな建物な訳…」

思った事をそのまま口に出してアリスは嘆く。
帽子屋といい、このまだ見ぬ時計屋といいどうして普通の住まいにしなかったのか、とても疑問だ。

「辛いなら おぶってやろうか?俺が」

意地悪い笑みを浮かべた三月ウサギが聞いてくる。アリスは首を左右に振った。

「…っ…いい!!1人で歩けるっ」

と いうか 恥ずかしい。

一応 仮にも女の子なのだし……それに そんな事をされたら三月ウサギを意識してしまいそうだ。

「…へェ?…良いんだ。顔、 紅くなってるけど もしかして意識してんの?」

ピン と耳を立てた三月ウサギはアリスに顔を寄せてからかう。

「……っし ししし してない!!全っ然 意識なんてしてないわっ」

分かっている。からかわれてるのは分かっているのに動揺してしまう。

「動揺し過ぎだ。…そんな風に素直だと マジで襲われるぜ?」

クックッと笑いながら三月ウサギは離れてアリスの手を引いた。

(…悔しい…っ仕方ないけど 何だか凄く悔しい…)

そのまま塔の中に入ったアリスはそこで思考を止めた。
床には乱雑に本や紙が散らばっていて、壁際にはぎっしりと図書館並みに本が並べられているという、何とも言いがたい部屋だ。

むしろ、まず玄関がなくて土足で入っていいのかも分からない。

「足元に気をつけろよ。少しでも崩れたりすると 煩(うるさ)いからな」

戸惑うアリスをよそに、三月ウサギは構わずひょいひょいと進み、アリスをエスコートしながら告げる。

「え…えぇ、 気をつけるけど…時計屋って人も、その、…帽子屋と似たタイプなの?」

慎重に足を運びながらアリスは聞いた。
チェシャ猫はもう階段までたどり着いていて、尻尾をゆらゆらと揺らして待っている。

「いや、似てないな。帽子屋は基本的に馬鹿だけど、時計屋は冷淡だし」

三月ウサギは淡々と答えながら迷う事なく足を運ぶ。
アリスは偏屈(へんくつ)なお爺さんを連想し、気が合わなさそうだと思った。

「え?」

直後、不意に身体が浮き上がる感覚に驚いた声を上げる。アリスは目をしばたかせて床を見つめた。
担(かつ)がれていると気付いたのは数秒後。

「やっぱ コッチの方が早い。悪いけど 時計屋の居る場所までは我慢してくれ」

三月ウサギは言いながら返事も聞かずに進む。…確かに早かったけれど。

(……私…一応女の子なんだけど)

荷物的な扱いにアリスは項垂(うなだ)れて息を吐いた。

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4階くらい登っただろうか。
遂に目的の時計屋が居る部屋に辿り着いたらしく、アリスは下ろされた。

下の乱雑した状態とは違い、この部屋は割と整頓されていてチェシャ猫の言ったランダムの意味を何となく理解する。

きょろきょろと周囲を見回すとソファーに寝そべって、 本を顔に被ったまま寝息を立てている人が見えた。

この人が時計屋なのだろうか…?

「寝てる…みたい」
「うん。寝てるね、起こそうか?じゃないと起きないよ」

アリスの呟きにチェシャ猫が言うが睡眠の邪魔をするのは忍びない。

「だからって出直すのは面倒だしな。寝てるコイツが悪い」

迷っているアリスの傍をすり抜けて三月ウサギは眠っている時計屋の上に覆い被さった。衝撃で顔に乗っていた本が床に落ちる。
眠っていたのは、三月ウサギと同じく若い黒髪の青年で、時計屋を老人だとばかり思っていたアリスは認識を改めた。

「ねぇ アリス。俺達は少し階段の踊り場で待機していようか」
「え?どうして 起こすだけなんでしょ?」

ふと、ぐるりとアリスを回転させてチェシャ猫が言い、アリスは怪訝そうに聞き返した。

「見ない方がアリスの為だよ。別に無理にとは言わない。でも後悔するのはアリスだからね」

チェシャ猫の言葉の後に 背後から何やらもがく気配がする。
…何を…しているんだろう。

「……三月…ウサギっ!?…っ何を して――ッ」
「…あれ?…わかんねェ?目を覚ますにはコレって定番…だろ」

……振り向くのが躊躇(ためら)われるのはどうしてなのだろうか。
硬直したままチェシャ猫を見れば、面白そうにアリスの背後を眺めている。

(…平気よね?帽子屋の甘党白兎狂いに比べたら大抵の事は普通に思えるもの…大丈夫。大丈夫よ)

アリスが意を決して振り向いたのと。三月ウサギが時計屋に思い切り殴られたのは同時だった。

そして 眉間に皺を寄せた時計屋とアリスの目がバッチリと合ってアリスは後退(あとずさ)る。

チェシャ猫の忠告を聞くべきだったと後悔しながら数秒間 時計屋と睨み合う(?)羽目となった。


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