05『人間の敵』

【勇者と聖女のとある物語】



21【壊れたココロ】
※スプラッタ。嘔吐描写あり。

 
 魔物を統べる王が拠点とする魔城内。例によって咳き込み、吐血を繰り返す魔王たる病弱な少年は魔女と呼ばれた少女の傷を縫い合わせていた。ついでに四肢に問題はないかと確認し、とりとめのない雑談を交わす。
「魔物は餌として人間を殺して食う訳だけれど、人間は生活用品として魔物を殺して利用する訳だよ。その癖に妙に仲間意識が強くて大義名分を探す。あっちはこんな風にこちらを踏みにじるから力が弱いから劣っているから、理由なんて個人によって違うんだよ。でも面白いのは互いに殺して殺し足りてないって点だよね。争いなんてしたくないと言葉を吐き出しながら殺すんだから愉快愉快」
 魔女はそんな魔王に何とも言えない表情で相変わらず悪趣味だなぁと思う。よくもそこまで嫌な捉え方が出来るものだ。
「……魔王さんはよく分からない人ですね。殺したいのか生かしたいのか死にたいのか死にたくないのか、目的がさっぱりです」
 そんな魔王に答える魔女も、決して普通ではないのだが彼女の場合はその異常性すら自覚していない。痛みを感じない事以外は至って普通だとさえ思っている。
 魔女をうっすらとした笑みで見返した魔王は口許に伝う血を拭う。
「いや、きみは僕を誤解しているよ……ケホッ……別に僕は殺したい訳でも生かしたい訳でも、死にたい訳でも死にたくない訳でもない。どうやって死ぬのか、殺されるのか。生きていられるのか、生きて死ぬ過程に興味が尽きないだけでね。まぁ、そうか。人間に限らず生きてるものが大好きなんだよ! ……たぶんね」
 彼らしからぬ満面な笑顔での似合わない台詞は彼なりの冗談なのか、はたまた本気で言っているのか、聞いていた魔女には判断が難し過ぎた。と、いうか曖昧だろう。
「……そういえば、という訳でもないけれど、ねぇ、きみ。洞窟で会ったライオンくんとクロスくんを覚えているかい?」
 ライオンくんとクロスくん。名前を言われても直ぐには思い出せなかったが、洞窟という言葉で魔女はあぁ、と二人を、そしてもう一人の女性を思い出す。
 綺麗で真っ直ぐな橙色の髪をした少年と真面目そうな黒髪の少年。そして凛々しいセツナという名の女性。
「えぇと、覚えてますよ? どうかしたんですか?」
「あはは、覚えていたかい、そりゃ何よりだ。で、そのライオンくんだけど、どうやらアシッドに殺されかけたみたいだよ」
「……え? それはどうして、」
 魔女は予想だにしない言葉に目を見開いた。彼等が魔物に狙われるような理由が思い当たらないからだ。
 その反応にニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべて魔王は続ける。
「アシッドの自慢の顔に傷を付けたから、だそうだね。驚くなかれ、あの見えない魔物の正体はアシッドだったんだって。いやいや世間は狭いよね、でさぁ、これは推測なんだけれど。アシッドは勇者を狙ってた訳だよね? ……は、ケホケホッ、つまりは、さぁ」
 そこまで言われて分からない程に魔女の頭は鈍くなかった。魔王の言いたい事はつまり、クロスかライオン。どちらかが勇者という意味なのだろう。
 魔王を倒す為に選ばれた勇者ーー皮肉な事に、相容れない立場の者だと知らされて、魔女は悲しそうに眉尻を下げた。
「そうですか……では次に再会した時は殺されてしまうかも知れないんですね……」
 しかし魔王はどうだろうねぇと間延びした声でそれを否定する。
「確かに魔王と勇者は相容れないかも知れないけれど、世の中には魔王と勇者だからこそ和解するお話だってあるんだぜ? けほ……はぁ、……ライオンくんとクロスくんみたいなお人好しなら僕はともかく、きみを殺してしまえる非情になれるとは思えないなぁ」
 見たところ、ライオンは魔女に少なからず好意を抱いているように思えた。恋情というものほど不可解で割りきれない感情はない。
 それに魔女は気付いてないんだろうが、いずれにしても何かが劇的に変化する理由にはなりそうもなかった。



 さて、行方を眩ませたライオン=レインハートの足取りを辿ろうか。時系を戻し、彼が美しき魔物であるアシッドの拷問を終えてからの話を。
 指を切り落とし、から始まった拷問の詳細は、バラバラになっていたとだけ示せば察してくれるだろうか。ライオンはアシッドの死体を困ったように見下ろしてふぅ、と息を吐いた。
 結局、最期までアシッドは呪いの詳細を語らず、そして何も洩らさずに死んだ。魔王についても、魔術師についても、姿を消した方法についても。
 ライオンが何を尋ねても何をしても、アシッド・シャドウホークは自らの美徳を貫き通して殺された。
(……あぁ、困ったなぁ……)
 血を拭い、動きにくい身体を無理矢理動かしながらライオンはもう一度深いため息をつく。こんなザマを誰かに見られる訳にはいかないし、ましてや親友であるクロスに知られたくない。
 そう静かに考えて、ライオンは一旦自分の家に帰宅する事を決意する。何より生まれ育った家だ。混乱する街中や人混みを軽やかに抜けて、時々目につく人を助けつつライオンは三日をかけて自らの家へと戻ってきた。
 着替えは済ませてあるし、何も可笑しなところはない。久し振りに顔を会わせる両親や兄弟に会うことに少なからずライオンは懐かしさを感じていた。
 けれど、そんな彼の細やかな気持ちを踏みにじるように、何よりも大切な守るべき家族を、嘲笑うかのように、
「…………かあ、さん?」
 優しい笑顔で出迎えてくれる筈の母親は、首から上が床に転がっていて。
 厳格ながら理想の父親は左肩から右の脇腹にかけてを真っ二つに切り裂かれていて。
 可愛がってくれた二人の兄は、ぐちゃぐちゃの肉塊になってライオンを出迎えた。
 泣き叫べたら幾らかマシだった。感傷に浸れたら悲しみに酔えた。しかし、予想すらしていなかった絶望というものは容赦なくライオンの心を抉った。
 死んでいる殺されている誰がこんな事を誰か誰か助けられなかったのか気持ち悪い嘘だこんなの何かの間違いだ夢だろだって殺される理由なんてないなのに死んでる気持ち悪い臭い何でどうして気持ち悪い腐った臭いがする悲しい苦しい息が出来ない気持ち悪い、
「ぉえ……かはっ! ……ぁ……げぇえっ……っ……は、……ぅ」
 吐いた。血の臭いに混ざって汚物が撒き散らされる。それにまた気持ち悪くなって吐いた。黄色い胃液が出て、腹の中身がほとんど吐き出された頃にはもうライオンの頭が冷えきっていた。
 今度は渇いた笑いが漏れた。苦くて酸味のある不味い唾液を吐き捨てて、あはは、と。壊れたように、笑う。
「アイツか……」
 犯人は、嫌でも分かった。自ら手を下したあの魔物だとライオンは確信する。なるほど確かに思いも寄らなかった。
 まさかこんな風に魔物が最悪にして最低下劣な生き物だったとは!!
 くは、ははははは! と狂ったように笑いが止まらない。あははははははははははははーーはぁ。これが絶望というのなら、多分そうだろう。
 何ともやる気が起きない。誰かを守るなんて気にもなれない。復讐をしようにも既に相手は自ら殺した後だ。かといって手当たり次第に破壊するのも面倒だった。
 家族の後を追うという考えは最初からない。それで丸く収まるなら仕方ないかとも思えたけれど、それこそあの魔物の思う壺だろうから。
 乱雑に服を脱ぎ捨てたライオンは一先ず酷い臭いと吐瀉物で汚れた身体を清める為に浴槽に向かった。
 勝手知ったる自分の家で、風呂から上がったライオンは死んでいた家族をそのままに、自室のベッドへ寝転がった。通りすがりに嫌でも目には入ったが、二度目ともなると自然に脳がモノのように認識して処理するのだろうか、何も浮かばなかった。
 さて、どうしようかとライオンは考える。どうすればこの呪いは解けて、どうすればこの虚無感が無くなるだろうか。ふと思い出したのはクロスの事で、あぁそういえば何も言わずに来ちゃったなとぼんやり思う。昔からずっと一緒で、そういえば今まで、クロス以外に傍に居た友人が居なかった事に気づいた。
(……仲の良い奴は居たのに、親友と言えるのはアイツだけだなぁ……)
 それに不満も疑問もなかったけれど、よくよく考えれば可笑しな話だ。クロスがどうして、ライオンの傍に居続けたのかという理由を、ライオンは知らなかった。どころか、当たり前のように彼が居るとさえ考えていたのだ。
(何でアイツだけ、ボクの親友で居られたんだろう……)
 浮かんだ疑問も答えはなく、またそれ以上なにかを考える事すら煩わしくなったライオンはゆっくりと瞼を閉じる。このところ録に休めていないのだ。疲労はかなり溜まっていた。とりあえず今は何も考えずに休みたかった。
 後から思えば、ライオン=レインハートはこの時点できっと、壊れてしまっていたのかも知れない。だってそうだろう。誰だってこんな悲劇を目の当たりに正気を保っていられる人間の方が少ないんだから。
 それでも、彼の隣にクロスが居れば何かが変わったのかも知れないと思うのは、やはりただの仮説でしかないのだが。そう。どんなに嘆こうが時間は進む。
 翌日、目を覚ましたライオンは自室をゆっくりと見回して、改めて泣いた。あぁそうか、もうこの家にはボクしか居ないんだっけ、と自嘲するように。泣き崩れ、嗚咽を堪える彼を慰める誰かは居ない。そして、ひとしきり泣き終えたライオンは静かに決意を燃やす。
「……ボクの甘さが招いた結果がこれだと言うなら、……ボクは甘さを捨てる」
 低く掠れた独り言。強く自らに言い聞かせるように彼は拳を強く握り締め唇を噛み締めた。

22【魔女の微笑、勇者の葛藤】


 ライオン=レインハートが行方知れずになってから一ヶ月。宿屋の一室。勇者に選ばれたクロス=アッシュタルトは小さく息を吐いて隣に居る女性を呼んだ。
「セツナさん、」「何だ」
 呼ばれた女性――弓使いのセツナ=レイチェルは完治したての身体を気遣う様子もなく弓の手入れに勤しんでいる。
 ライオンが居なくなってからというもの手を尽くして探し回るクロスにお目付け役として着いてくる彼女は医者によればまだ安静にしていなければいけなかった。
「手伝ってくれるのも、監視でも構いませんが、少しは療養してくれないと心配です」
「ツヴァイか。あいつはいつも大袈裟だな、このくらいの傷で意識をなくしてしまうとは情けなかった。その間にきみの友人が居なくなってしまったのは私の責任でもあるからな」
 それはあなたの責任ではない。何度言っても譲らないらしいので諦めていた。責任感の強い女(ひと)だ。
「それに、セキネも……紛れていた魔物に食われていたのだろう」
「………」
 セツナが目を覚ますまで、いろいろな事があった。ライオンが居なくなった事もそうだが、あの息苦しさに覆われた街で調査をしていた高等魔術師。
 無言の魔術師のパートナーであり、クロスと共に任務をこなした事もあるセキネ=ガーネット。彼女もまた、死んでいた。
 ライオンの家族が皆殺しにされていたと知ったのはその後で、それからセツナが目を覚ますまで。いろんな事が。
「しかし、我々は悲しんでいる暇はない。少しでも今、生きている彼等のためにも魔王を倒し、平和にしなければな」
 湿っぽい話は終わりだとセツナは立ち上がり、冷静に告げた。クロスには割り切れないが、しかし大人になるというのはそういう事なのだろう。自らを殺してでも、進まなければならないんだろう。
「――魔王を、」 倒せばそれで平和になるのか。
 たったそれだけで救われるのが世界なら、迷いそうになる気持ちをクロスは苦々しく呟いて気分転換に外の空気を吸おうと部屋を出ていった。
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 彼女に出会ったのは、立ち並ぶ店の一つの花屋だった。フードで分かりにくかったけれど、あの時、病弱な少年と共に薬草を探していた少女。
 その儚げな面影は妙に印象的で、そして何より病弱な少年――ゼンと名乗った彼の事を聞きたかった。
「きみ……っ」「? あ、」
 呼び止め、振り返った彼女はクロスを覚えていたらしく、驚いたように目を見開いて渡された花を落としかけた。
 咄嗟にその花を受け止めたクロスは悪かったと謝罪して彼女に手に花を戻す。
「……ありがとうございます。まさか、こんなところで会うなんて、」
「俺もびっくりしたよ……あの、今日はゼン、くんは一緒じゃないのか」
「えぇ、あの時はたまたまで。基本的にあの人は外にはあまり出ないんです。あなたこそ、ライオンくんは一緒ではないんですね」
「……ちょっと、な」
 そういえば彼女との会話はあまり交わした記憶はない。どちらかと言えばライオンの方が話していただろう。
「怪我は、大丈夫か」
「はい。問題なく治してもらいましたから」
「そうか、なら良かった。呼び止めてすまなかったな……じゃあ」
 怪我の無事を確認し、立ち去ろうとしたクロスを彼女はじっと見つめ、ぐっとクロスの腕を掴んだ。
「あの、あの時のお礼もまだですし、すこしお茶でもいかがでしょうか」
 にっこりと微笑んだ彼女の誘いに、僅かに躊躇ったクロスだったが、元より気分転換に外に出たのだ。少しでも気を紛らわす事が出来るならと頷いて、近くの店へ連れ立って歩いた。
 奥の席に向かい合って座ったクロスと彼女は他愛ない雑談を交わし、当たり障りない会話を楽しんでいた。
「本当に、ライオンくんと仲良しなんですね。そういうのって羨ましいな」
「あぁ……俺も、アイツと会えて良かったと思っている」
「ふふ、でも……。そんな風に固く結ばれた絆って、些細な事で切れちゃうこともありますよ」
 ふと、他意はないのか。彼女の言葉が引っ掛かる。
「切れる…」
「ライオンくんとクロスくんはきっとそんな事にはならないんでしょうけど、例えば、そうだなぁ」
 にこにこと彼女はクロスに微笑んだまま言葉を続ける。
「同じ女の子を好きになっちゃうとか。意見の食い違いとか、そんな単純な事で昨日まで親友だった人達が憎しみあうのを、私は何度も見てきちゃったから」
 笑えない話だ。会話は途切れ、答えないクロスに彼女は小さく微笑みかけて言葉を続ける。
「……ねぇ、クロスくん。どうしてあなたは、勇者になりたかったんですか」
「……俺は、勇者になりたかった訳じゃ、ない」
 そう。そもそも勇者になるべきはライオンで、クロスは勇者になるつもりはなかったのだ。しかし、勇者になってしまったのだからそれを投げ出せる訳がない。だが、俺はいつ、彼女に自分が勇者だと告げただろうか。困惑するクロスを気にも留めずに彼女は言葉を続ける。
「勇者になりたかった訳じゃない? あはは、笑わせないで下さいよ。だったらどうして勇者を決める大会なんかに出ちゃうんですか。ライオンくんこそが勇者に相応しいと本気で思ってたなら、出場するべきじゃあなかったんですよ、
ねぇ、だって。考えてみても下さいよ。あなたが出場しなければライオンくんの代わりにあなたが勇者なんかになる事もなかったじゃないんですか」
 それは確かに事実で。そしてこうして告げられるまで気付かなかった現実だった。

「そこまでにしとけや嬢ちゃん」
 責めるような彼女の言葉を遮ったのは大柄な野太い男だった。額に傷のあるサングラスをかけた男はニヤニヤとした嫌な笑いかたをする。
「苛つくのは分かるがな。中途半端な奴に何を言っても無駄だぜ。なに、名前だけの勇者だってんなら別に殺すまでもねぇ」
「………っ!!」
 ざわりと背筋が凍る。クロスは武器を構えようとした瞬間に止められ、男に粋がるなよと笑われた。
「ついでに生かすまでもねぇ。アシッドの野郎は何を手間取ってやがったんだかな。解せねぇぜ。どうやらコイツは外れだ。こんな甘ちゃんにアシッドが殺られる筈がないし、あって堪るかってんだ」
「何を、言って」
「あぁ? てめぇにゃ関係ねー話だよ。用があんのも関係があんのも、もう一人の方だ」
 何を言っているのか、クロスにはさっぱり分からない。だが、ライオンに関わりがある事だけは分かった。
「ライオンの居場所を知ってるのか!?」
「知りませんよ」 そんなクロスの問いに答えたのは彼女。
「イシス、……っ」
「名前、覚えていてくれたんですね。えへへ、嬉しいです。でも、改めて名乗った方がいいですかね? 勇者に対して名乗りは礼儀だそうですから私もそれに倣いましょう。私はイシス=ウンディーネ。平たく言っちゃえば人間の敵で、彼等曰く『魔女』だそうなので以後お見知りおきを」
 彼女は自らを魔女だと名乗り、そして名前を明かした。 誰にも久しく呼ばれず、忘れかけていた名前を。
「敵、……魔女?」
 クロスは混乱のまま彼女を――イシスを見返し、まじまじと目を見開いた。どう見てもただの少女でしかなく、また魔女などという形容はあまりにそぐわない。
 しかし、クロスの印象は関係なく魔女は穏やかでいて悲しそうな笑みをクロスに向け「できれば今後は会うことがないといいんですけれどね」と口にした。
「待て! 意味が分からない……魔女とは何なんだ、きみは」
「えぇと、……そうですね。要するに」
「魔王に与する人間の敵って意味だよ! 察しろや頭に脳ミソ詰まってますかぁ?」
 魔女の言葉を横入れして告げたのは先程クロスを止めたサングラスの男で、ニヤニヤと面白そうにクロスを見下ろす。
 明らかに馬鹿にした態度にクロスは僅かに眉をしかめたが、まだ状況が飲み込めない混乱から押し黙って、ただ男を睨み返した。
「はぁ。勇者と聞いてどんなもんかと期待して来てみりゃ、つまんねーなぁ」
 男は意に介さず指を鳴らす。突如、クロスに向けての殺意が突き刺さり、店内には数匹の魔物が居ることを知った。恐らく、元から店内に居た人間は生きていないだろう。彼女に会ったのは偶然にせよ全く警戒していなかった自分の落ち度にクロスは情けなくなる。
 とはいえ、ここで死ぬつもりはない。掴まれていた腕を離した男から警戒を解かず、そして多数を相手取る為の戦略を練る。考えろ。このまま生き残る事を。
「……俺を殺すのか…」
「安心しな、少なくとも僕や、この嬢ちゃんがテメェに手を下す事ぁねーよ。今のところは挨拶ってなもんでな……ここで生き残る事があれば、まぁ骨のある奴ってことで戦うかもしれねぇが」
 間を置いて、男はそれだけ言い残すと魔女と共にその場を後にした。引き止める間も、逃げる間もなく十数匹の魔物に取り囲まれたクロスは小さく息を吐き出して、初めて一人で戦う恐怖に苦笑う。
 思い返せばいつだって、クロスは親友のライオンの補助に回り、彼が居なくなってからはセツナと共に戦ってきたのだから。
(確かに俺は、勇者に相応しくない男だな)
 よって、彼はたった一人で命懸けの死闘に挑まなければならない。震えるな、恐れるな。気を抜けば死ぬぞ。魔物の攻撃を避けながらクロスは剣を振るう。左手に剣を、そして右手には魔銃を。
「《さぁ、眠りを覚ませ。敵を凪ぎ払え。この見えざる刃に裂かれて伏せろ》」
 避ける合間に魔術を唱え、剣と銃で魔物の攻撃を防ぐ。しかし、数に及ばずクロスは腹を爪で貫かれた。痛みと熱さに頭が霞んできても手は止められない。
 二匹は殺した。だがまだ十匹以上は居るらしい。詠唱を終え、魔方陣が発動してようやく五匹目を殺す。
「笑えない、な」
 掠れた声で小さくぼやいて、意識を必死で保ちながら死ぬかもしれない覚悟だけを決めて、残る魔物を相手取る為に再び呪文を口にした。

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 クロスを一人残して、店を出た魔女と男は振り返ることすらせずに往来を進む。あの魔術師の結界はよく出来てるぜと男はサングラスを押し上げ、不意に少し前を歩く魔女を見据えた。
 意外だったのは、あの女が自らを魔女と名乗り、人間の敵と宣言した事だ。
「……嬢ちゃんよぉ。魔王サマが無頓着でしかもアイツに護られてるからって、あんまチョーシにのんなよ? テメェはあくまでただの人間の雌で、僕も他の魔物共もテメェの命令なんざ聞かねーからな」
 普段は滅多に表立たない男――俗に言ってしまえば四天王とかそんなポジションである彼の名はウォーリア・ウルフという。
 因みにアシッドはその四天王で三番目に出てくる位置でもあり、その次を務めるのがこのウォーリアだ。とはいえ、実力に大差はない。その為、上下関係もギスギスとしたライバル心もない。
 互いに干渉しないのが彼等の関係であり、普段は滅多に表立たないウォーリアが出てきたのは単にアシッドを殺せるほどの奴がいるなら面白そうだという理由だ。
「分かってますよ。私は別に、あなたや魔王さんに命令するつもりはないですし、魔物さんに護られてるからって甘んじるつもりもないんです」
 魔女は穏やかな笑みでそう返し、買ったばかりの花束の匂いを楽しんでいる。
「はぁん。だがよ、解せねぇのはテメェが止めなかったってところだな。てっきり僕ァ、あの人に罪はありませんだのと理由をつけて邪魔すると思ってたぜ」
 見るからに儚げな少女で、今こうしている間でさえそのたおやかな笑みは崩れない。被害を受けることはあれど、加害者にはならないような人間だ。
 そう聞いていたし、ウォーリアもまたそう認識していた。しかし魔女は笑う。
「それは確かに彼が死ぬのは可哀想だし、悲しい事ですけど……ほら。勇者って魔物を倒す為の人なんでしょう? つまり、魔物さんが殺されちゃう可能性があるって事じゃないですか。だったら、死んでもらうしかないですよ。仕方ないんです。
話し合いでどうにかなる世の中なら、私みたいな魔女は生まれないし、魔物と人間が争い続ける訳もないんじゃないですか」
 それは、人間らしい利己的な考えでいて、そして人間らしからぬ達観した物言いだった。なるほど、魔女には魔女たり得る理由がある訳だ。
「まぁ、別にどうだっていいがよ。邪魔するなら殺すからな」
「はい。ただし魔物さんには手を出さないと約束するならいつでもどうぞ」
 物騒な軽口を叩いて、次に向かう目的地で分かれた魔女とウォーリアは互いに無言だった。

23【人でなしの会話】


「戻ったのか」
 魔王の拠点となる城内。戻ってきた魔女に短くそう聞いたのは魔術師だった。彼の後ろには相変わらず自ら吐血した血に汚れた魔王の姿があって、いつもと変わらぬ口調でやぁ。と挨拶をする。
「一緒に行ったウォーリアは居ないみたいだね。どうだったかな、初めての外の世界は」
「綺麗な花があったので買っちゃいました。案外、世間は狭いんですね、クロスくんに会いました」
「あれ? そうなんだ。それは意外だったね」
 そう。別に魔女は最初から勇者を目的に外に出ていた訳ではなく、偶然に出会っただけなのだ。そしてふとクロスを呼び止め、誘き寄せたのは単なる思い付きだ。ウォーリアとの会話で語った通りの他意はない。
 魔王はそれだけで何かを察したのか、どうでもよかったのか。ふぁ、と欠伸をしてから気だるそうに言葉を続けた。
「やっぱりきみは、魔女の二つ名が相応しいねぇ。どうだい、僕との子供を宿して魔王と魔女の子という実験に付き合ってみるかい?」
「えへへ。そうですね、どうしてもと言うなら拒みませんよ、別に」
 魔王の悪趣味な発言も魔女は軽く流して放り投げる。拒まないんだと魔王はほくそ笑みを浮かべたまま、じゃあその内にでもと実行する発言を告げた。
「さて、それで。どうだったかな、彼に会った心境は」
「どうも何も。他愛ない話をして、そのまま別れただけなので、何もないですよ。何も知らなくて、いい人でした」
「あっはっは! ……げふ、っ、あぁ、もう。毎度ながら面倒だね、病弱という体質も……」
 笑いながら吐血する魔王はやれやれと肩をすくめて口元の血を拭う。相変わらず嫌な笑顔だと魔女は微笑んだままそんな魔王を見返した。
 思えば初対面から吐血してはへらへらと会話を続ける異常さをそういうものだとスルーしてきた魔女だが、改めて考えると如何に彼が人から外れているのかを認識する。
 病弱の苦しさを知りながら、容易く殺す。死にたくないとほざきながら、あっさりと殺せる。助けられる力があるのに率先して助けない。
「……魔王さんは、人を殺して何も感じないんですか?」
 今更ながらに、クロスを見殺した事実に魔女は後悔からかそう尋ねていた。
「……うん? 嫌だなぁ、まるで僕が人殺し大好きな殺人狂いみたいに言わないでよ。何も感じない訳がないじゃないか。もっと違う殺し方を試してみればよかったなぁとか、もう少し長生きさせてあげたら実験を続けられたのになぁとか、いろいろ思うよ」
 最低だった。人でなしは所詮人でなしでしかない。現に、こうして後悔している素振りをしてみた魔女自身、驚くほどに何も感じていない事実に驚愕しているところなのだから同じ穴の狢(ムジナ)だろう。
「……ふふ、そうですよね。何も感じない訳がないですね。魔術師さんも、やっぱり人殺しはあくまで作業でしかないですか?」
「………」
 不意に話題を振られた魔術師はそんな魔女を無表情に見返し、無言のまま魔方陣を展開する。
「おや。答えてあげないのかな、いたいけな少女の素朴な質問にくらい返してあげなよ」
「あの、魔王さん。私は別に無理にとは……」
 魔王はへらへらと笑いながら魔術師に再度問いかけ、魔術師は鬱陶しそうに魔王を一瞥した。そんな二人に魔女は困惑しつつも止めようと口を開く。
「目的の為にやむを得なかった犠牲だ」
 静かに。淡々と返された言葉は、冷徹でも残虐でもない、まるで人間らしい言葉だと思った。目的の為なら犠牲も仕方ないと割り切った考えに、不思議と魔王も魔女も納得できた。
 転移魔術で居なくなった魔術師を除けば今や二人きり。互いに他者からすれば不可解な笑みを絶やさないままで魔女はねぇ。魔王さんと呼んだ。
「クロスくん、死んじゃったかも知れませんが構いませんよね?」
 まるで天気の話をするかのように穏やかな口調で、ようやく魔女は罪を暴露した。
「そうかい、それは悲しい事だね。どうだい、身体で慰めてあげようか」
「えへへ、ありがとうございます。結構です、と言いたいところですが子作り実験したいんでしたっけ。私と子作りしたいだなんて相当な物好きですね。なんて悪趣味な真似なんでしょう」
 よもや魔王が女として魔女を好いている訳もなく、また魔女も魔王を命の恩人と認識はあれど好感は全くないというのに。
「あっはっは。いやいや、これでもね。僕はキミを気に入っているんだよ? 信じるかどうかはお任せするけれど」
 そう言って軽快に笑う魔王を信じられる訳がないでしょうにと冷ややかに見据えた魔女は何も言わずにただ微笑み返した。


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