番外【セキネ=ガーネット】

【勇者と聖女のとある物語】



 
 
 優秀なる魔術師であった彼女の話をしようか。
 そもそもが例に洩れず彼女もまた両親を魔物に殺された典型的な生き残りであり、魔物という存在を憎む内の一人。
 生憎と剣術の才能には恵まれなかったが魔術の才能はあったので一匹でも多くの魔物を倒し、二度と自分のような子供を増やさない為なら魔術師の勉強にも耐えられたし、また出来るだけの器量も持ち合わせていた。
 同期生の眼鏡をかけた少年はそんなセキネを羨ましいなと告げて挫折し、せめて人を助ける為に後に医師を目指した訳だけれど。
「羨ましいか? 私は自分のことを羨む才能を持っているとは思わないわ、貴方も頑張ればすぐに中級魔法くらい使えるようになる」
「いや、俺にはそういう魔力の類いは極端にないらしくてな。初級がやっとの有り様だ」
 ほら、と彼は初基中の初基である光の玉を指先に浮かべて苦笑う。本気でこれが全開で限界だと知ったセキネの心境はなんというか微妙だった。
 ここまで才能がないのはいっそ清々しく、また魔力がないのにどうして魔術師を選んだのかが不思議でならない。
「まぁ……その何だ。気を落とさないで、ね」
 特には適切な返しも浮かばず曖昧に濁したセキネに気を悪くした様子もなく少年――ツヴァイ=バイオレットはきょとんとしたようにセキネを見返してそうだな。と笑った。
「俺には俺にしか出来ないことはある筈だし、きみはきみが出来るだけの事を頑張ってくれたらきっと平和に近付ける気もするし」
「……きみは、見た目に反して随分と夢見がちなのね、平和に近付けるなんて何を根拠に言い出すのやら」
「夢は見るものだろう。誇大妄想だとしても俺は世界中を平和にしたいんじゃない。俺の目の届く範囲内が平和になれる努力をするんた」
 きっぱりといい放った言葉はともすれば酷く身勝手で自己中心的ではあったけれど、とても共感は出来た。と同時にこの男の理想を叶えてみたいとも。
「せいぜい夢を見てなさいな。私には関係ないものね」
 もちろん、口には出さなかったけど。


 そんな同期との付き合いも半年を迎えた頃、セキネはギルドで魔物討伐の依頼を受けた。有り合わせのパーティーとして決して悪くはなかったメンバーで挑む魔物討伐は容易く達成出来る筈だった。
 魔術師が自らを含めて二人。剣士が一人に格闘家が一人。オールラウンダーなバランスで評判のハンターが一人。普通の魔物であれば多少の苦戦はあれど倒せる。しかし、これは何の冗談だとセキネは血に濡れた周囲に身を震わせた。
 依頼人の案内で警戒を怠らずに居たのに、何故か一瞬にして全滅していたこの光景は一体何の冗談なんだと!
「……あら」
 現状をはっきりと理解出来ずにいたセキネの耳に女の声が聞こえる。歩く音はなく、しかし紛れもなく声の主はそこにいる。魔物討伐を依頼した張本人たる彼女は確かに居たのに、その背中からは異形の羽根が生えており、ふわりと宙に浮いていた。
「魔物、ですって……っ」
 驚愕する。戦慄する。魔物が依頼をするなど、誰が想定するものか! まして彼女は明らかに村人の一人として認識されていたし、本当に魔物ならばあの村人達を食いつくしてしまえば手っ取り早く済ませるのにわざわざ誘き出すなど、有り得ない。
「信じられない? 途中でバレたら意味ありませんから気を使いましたんよ、そないびっくりした顔をしてもらえたら私も嬉しおす」
「……何のつもりか、聞いても構わないかしら」
 敵わない。勝てない。セキネは才能のある魔術師であったけれど、それはあくまで普通の魔術師に比べて、の話だ。飲み込みは早いが圧倒的ではない。優秀ではあるが、天才ではない。
 だから、力量は一目瞭然だし、死にたくないのに死期を悟れる。多分奇跡でも起きない限り、自分はここで魔物に食われて死ぬ。死ぬのだ、こんなところで! 呆気なく、あっさりと、他愛なく。
「簡単な話、強い人間を食うため、言うたら分かりやすいですやろ? 知識や知恵は食うた人間の中でよぅ分かりますさかい」
 そして、せめて一矢報いようとしたセキネの魔法は発動させる前に止められた。ギチ、と利き腕を鋭い爪で握りしめられ、貫通する痛みに悲鳴を上げる。
 痛い痛い痛い痛い痛いっ熱い、嫌だ、何でこんなことになっちゃうんだろう、何で何でどうして私がこんな目に遭わなきゃならないの、嫌だ死にたくない死にたくないよ。でも殺される食われる恐い恐い怖い怖い、血が出てる止まらない痛い、
 そんな恐怖感の中でふと浮かんだのはあの同期の顔だった。あぁ、アイツの平和が破られちゃうじゃないか。
「…っ……、」
 それは何か嫌だなぁ、だってアイツの目の届く範囲内には私も居るのだから、きっと優しいヤツだから、居なくなったら探しに来ちゃうに違いない。
「……ふふ、バカだな。私はどうしてこんなにもバカなのか」
「懺悔? ふぅん、思たら人間らしい死に際の言葉を聞いたことはあらへんね……」
 魔物は興を示してセキネを見つめた。気紛れだったのだろう。それでも、猶予は与えられたのだからその点で感謝はして良い。
「すまない、な……まさか魔物に遺言を語る日が来るとは夢にも思わなかったわ。察するところ、お前は食べた人間の姿を形どる事が出来る種族かな、
……どうせ私は死ぬのだからその脅威を知らせられないけれど……ましてや魔物に頼むなんて恥知らずで最低な行為かも知れないんだけど、どうにも私には、選択の余地はないようだから」
 そしてセキネは魔物にある頼みごとを語る。エサの戯言だと流してくれて構わない。ましてや聞く義理もないのは承知の上で聞いてほしい。
「私の知り合いに、ツヴァイ=バイオレットという男が居てね――私はその男の夢を、嘘でも崩したくないのだよ。私が居なくなったら、そのバカは間違いなく私を探しに来るだろうから、
その時はお前のその能力で私になって一度だけ見逃してくれないだろうか。なに、私が旅に出るなりどこか遠くまで行っていつ戻れるか分からないとでも適当に言ってくれたら良い」
 少なくともそれでアイツの世界は守られる。私は約束を破らずに済む。最もこれは、実際に交わしたものではないが。
 私が一方的に約束して無理矢理叶えようとしてる悪足掻きでしかないのだが。
「さて、話は終えた。覚悟はないが、食うなら一思いに食うがいいさ」
 これ以上は墓場まで持っていこう。いや、墓場なんて気の利いた場所ではなく魔物の胃袋に収まるだけなのだけれど、この際だ。
(私は多分、きみが好きだったんだろうな)
 だから、これできみが悲しまないなら不足はないさ。不満や未練はあるけどもう叶わないもの。


 そしてセキネ=ガーネットの生は幕を閉じた。

番外【ロイカ・スプリング】

 
 さて、今度はとある女に頼まれごとをされた魔物の話をしようか。とはいえ最初に誤解のないように告げておくのは、決して女と魔物が仲良しだったのだとか、共通の目的があったなんて綺麗な理由や汚い打算があった訳ではない。
 あくまで彼女は魔物にとっての食事対象であり、また彼女にとっての魔物は命を脅かす存在でしかなかった。
 揺るぎなく、食物連鎖の関係でどうしてその人間はあのような頼みごとを。更に考えるなら一方的に語る遺言を言ったのか。
 助けてくれでもなく。食べないでくれでもなく、来るかも分からない男が来たら、一度だけ見逃せ。とは奇妙な遺言だ。遠慮なく食い尽くし、魔物はぼんやりとその姿を先程食べた人間に変える。
 声は、この位の高さだっただろうか。記憶を手繰り寄せ、近づける。仕草はどうにも分かりはしないが、武器を持たないところを見る限り魔術師なのだろう。名前はきっとギルドに戻れば自然と知れよう。魔物はそうして食いつくした女の姿に成り代わり、ギルドに向かった。魔物の討伐は完了したと伝える為に。

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 この行為に、魔物が食した人間の気持ちを汲んだと思うなら、それは筋違いもいいところである。知恵をつけ、知識を奪い、より人間に近付き効率よく食うかを前提とした狡猾な罠をしかける為の行為であり、それ以外の目的はない。
 セキネ=ガーネットという人間の姿を利用してギルドという上質な人間を食う立場はなかなかに快適で、食事には困らない。
 疑われないように適度に生かし、行動し、食えそうな人間だけを狙って食べる。着実に知識とズル賢さを身につけていった魔物は熟練の手練れでさえ分からないほどに馴染んでいた。
(……はぁ、快適やねぇ)
 にんまりと妖艶な笑みを浮かべて今日もセキネとして仕事を受けた魔物はとある転機を迎える。言ってしまうならば、ヘマをした。人間により近付き過ぎた余りに魔物からの攻撃を受けて、あろうことか死にかけていた。
 ずる、と動かない脚を引き摺り、じくじくと滴る脇腹を押さえながらセキネの姿を保つことすら困難な程に。死にたくなかった。本能が叫び、涙で視界が滲む。死にたくない、死ぬのは嫌だ。痛くて痛くて生きて居たいのに死ぬなんて、
 魔物は常に食う側に居た故に、まさか自身が自ら餌でしかない人間と同じように『死にたくない』と思う時が来るとは今の今まで考えすらしてしていなかっただろう。
「う……っえぐ……、や、だ、死ぬのは、怖い、痛い、誰か……、っ」
 誰でも良いから、助けて。そう知らず知らずに口にしかけた魔物の姿を同胞が見たなら間違いなく嘲笑した。
 人間が見たなら逃げ出すか、止めを刺すべく武器を向けるだろう。助けてと請われて何の気なしに食ってきた魔物が今更に何をほざくのか。
 大切な誰かの為にでもなく。やるべき事がある訳でもなく。信念も理念も良心も何もなく生きて食うだけの魔物に生きる理由なんてものはなかったけれど、
「死にたない……、まだ」
 生きたかった。這ってでも、何でも何もないまま死にたくはなかった。
「……っ!」
 不意に、土を踏みしめた足音と誰かの息を飲む気配がした。顔を上げれば驚きに目を見開いた人間がこちらを見つめていた。
 あぁ、逃げられるかな、それとも殺されるのか。ぼんやりと魔物は人間を見返してうっすらと笑う。そこでプツリと意識は途切れた。


 そして、再び魔物が目を覚ましたのは見知らぬ屋内のベッドの上であった。手当てをされていると気付いたのは数秒後、生きていると認識するのは巻かれていた包帯の下で傷口が痛んだからだ。
 そうなると今度はどうして生きているのかという疑念が浮かぶ。視界には誰の姿でもない魔物本来の姿が見えているのだから人間と間違える理由がない。赤茶色の髪と、鋭く伸びた爪。体毛で覆われた肌。そして、背中には久しく伸ばさなかった異形の羽根の感覚。
 紛れもなく唯一の魔物ーロイカ・スプリングに他ならず、暫く姿を固定していたセキネ=ガーネットではないのは明白だ。
 そんなロイカの困惑とは関係なく、無言で彼女の側にあった椅子に座り、目が覚めたことを確認した人間は読んでいた本を閉じると「言葉は」と短く聞いた。
 まさか気配に気付かないまでに弱っているのかと声のした方向をまじまじと見返せば、眼鏡をかけた視線とかち合う。もう一度人間は「言葉は通じるのか、話せるのかと聞いている」と続けた。
「あんさん、気でも触れてはるんか? 私のこの姿が見えへん訳やないですやろ」
 皮肉に顔を歪めたロイカは警戒と疑心を込めて睨み付ける。人間が食われるのを恐れて逃げるように、魔物であるロイカとて餌でしかないとはいえ抵抗をする人間を軽んじている訳ではないのだ。
 むしろ、こうして油断ならないからこそ魔物達は人間がこちらを排除する前に襲うとも言える。恐らく人間にしてみれば逆になるのだろうが。魔物が襲うから排除する。身を守る為に狩りを行う、と。水掛け論も際限ないくらいには答えのない相容れない思考だ。
「……見えている。確かに魔物を助ける人間は珍しいんだろうが、別に深い理由はないから、出ていきたければ行ってくれ」
「いくらで売るつもりですの。理由がないやなんてアホらしい嘘つかんと、口汚く罵って犯されても別にどうともあらしませんえ?」
 抵抗する気もない。最早、ロイカは諦めていた。人間に拾われ命を救われたところで、どのみち待っているのは地獄だけ。食ってきた人間にたまたまそういったヤツが居た。何も知らないよりは心構えも違うというものだ。
「――言っただろ、深い理由はないって。俺がたまたまあんたを見つけて、死なれたら寝覚めが悪くなるから助けただけで、その後あんたをどうこうするつもりはなかった。そんな展開がお望みならどうか俺の知らないところで勝手にやってくれ」
 なのにその人間は知ったことじゃないと立ち上がり、怪我が良くなるまでは居ても構わないとだけ告げた。
 ロイカには分からない。この男は何を考えているのか。それを確かめようにも死にかけていた彼女が動けるまでに後二、三日はかかりそうだ。
 いつでも殺せるだけの警戒を解かずに様子を窺うことを決めたロイカとその人間の生活はそれから五日を過ぎた。
「あんさん、何を考えてはるん。私が恐くはないん? 助けた恩を仇で返すとか思われへんくらい頭弱いん?」
 あれから変わりなく怪我の具合を確認しては包帯を取り替えるだけの人間に尋ねてみれば、どうとろうと好きにすれば良いと短く答えた。
「俺は、俺の見える範囲で誰かが死ぬのが嫌なだけだ。顔見知りが死んだら苦しいし、知らない誰かでも悲しいから、せめて」
 こうして治療出来るだけの道に進んだと人間は柔らかく笑みを浮かべて、とある女の話をロイカに話した。
「俺には俺に出来ることをすれば良いと友人に教えられてな。彼女は今もギルドで信念を持って活躍している。そんな彼女に胸を張って会えるような奴になっていたい気持ちもあるのかもしれないな」
 なんて、あんたに話をしても仕方ないんだが。理由があるならそれが理由だと人間は語る。
「……あんさんの名前は、なんて」
 どこかで聞いた話だとロイカは思い、気づけば名前を聞いていた。人間は不思議そうにロイカを見返すと静かな声で名を名乗る。
 ツヴァイ=バイオレット、と。これは全くの偶然であり、セキネ=ガーネットは既にこの世には居ない事を彼は知らなかった。
 ロイカが利用していた彼女の容姿と肩書きは奇しくも意図せず彼女の死を知らせず、笑える事にロイカは彼女が遺した遺言を実行する機会を得た訳だ。
 何という皮肉だろうか。まさか殺した人間の知り合いに命を救われてしまうとは。しかし、何も言わなければこの男は何も知らずに済む。
 綺麗事をほざく人間への恩返しはこのまま事実を知らせないで消える事だろう。それから三日。完全に完治したロイカ・スプリングは黙って彼の前から消えた。


 その後、彼女がどういう末路を辿ったのかを知る者は居なかった。


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