04『人としての生』

【勇者と聖女のとある物語】



19【それは侮辱というものだ】
 
  
 セキネとクロスがその洞穴へと戻ってきたのは予定通りに荷物を届けた帰りだった。しかし、中に入るまでもなく。
 そこには何故か、夥(おびただ)しい血痕が周囲に飛び散り、獣のような異臭がその場に充満していた。生き残りらしき何かは居ない。また居たとしてもそれは人間には耐えきれない光景だ。
「っ……何が、」「……一匹や二匹どころじゃなく、まるで何十匹もの魔物が殺されたような凄惨さだな」
 絶句するクロスと同じく青ざめたセキネはそれでも状況を把握する為に周囲に視線を向ける。
「そんな事があり得るんですか……?」
 セキネの言葉にクロスが問い掛け、稀にね。とセキネは口許を覆いながら返す。
「別に魔物だからといって、全てが馬鹿みたいに人間を襲う訳ではない。人間と変わらず偏見や仲違いも、差別や優劣も当然あるんだよ。これはそんな魔物が殺しあった結果なのかな。いずれにしても、こんな事は有り得ないと言えるけど」
 けれど人間でないならそうとしか言えない。何せ何十匹もの魔物を相手に耐えられる訳がないのだから。
「……生き残りは居ない、手掛かりもない以上はここに居る理由はないですね。……とりあえずギルドに報告をしましょう」
「ん、あぁ――そうだね」
 クロスの声に考え事を止めたセキネは頷いて、後ろ髪を引かれるような感覚を振り払った。

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 クロス達がその現場の光景に出会した頃、医者であるツヴァイの手伝いをしていたライオンはふと奇妙な感覚に視線を窓へと向けていた。
「どうした?」
「あぁ、いえ。ちょっと」
 ツヴァイの問いに曖昧に返しながらライオンは手早く腰の剣に指を伸ばす。
「外が騒がしくないですか」
 臨戦態勢で呟かれた言葉に耳を澄ませてみればどことなく悲鳴らしき叫びが聞こえたようでツヴァイはラインを見る。ラインは頷いて魔方陣を展開させライオンを見据えた。
「ボク、様子を見てきます」
「あぁ、無理はするなよ」
 ここは安全だと判断したライオンにツヴァイは告げ、外へと出た背中を見送る。しかし、セツナが目を覚ます気配はなく、クロスも居ない状態で一人。彼に任せる事は不安であったツヴァイはラインに話しかけた。
「ライン。セキネに連絡は取れるか」
「………」
 ラインは眉を僅かにしかめながらもゆっくりと頷き、次に新たな魔方陣を描く。繋がった事を確認したラインは無言でツヴァイに視線を向け、ツヴァイは呼吸を落ち着かせるように話始めた。


 単独で飛び出したライオンは周囲に怪我人が居ないか、異変が無いかと素早く確認し、音のする方へと駆け出した。そして目にしたのは目の前で家族を無惨に殺されて震えている青年と、その元凶である魔物の姿。
 こんなところに魔物が入り込めるとなると事態は深刻だった。街の警備をする兵士が死んだという可能性、誰かがこの魔物を持ち込んだという可能性。
「……厄介だな」
 この様子だとギルドに居るだろう手練れは気付いていないだろう。住人はパニックで慌てる事しか出来ない。しかも、この魔物は普通ではない。
 ライオンは魔物の注意をこちらに向けるために近くの石を投げつけた。魔物は不愉快な声をギヂギヂと鳴らし、ライオンを向く。
 その赤い体躯と無機質な眼はまるで怒りに染まっているようにも思える。しかしそんな魔物の背景はライオンに関係はない。
 一気に仕留める為に剣で魔物の眼を刺した彼は動きを止める魔方を唱え、周囲に咆哮する魔物を冷静に見据えた。
「『全てを切り刻む風が一陣』『続く風圧は皮膚を裂き、身を抉り』
『跡形もなく風化し消えろ』『風妖精《シルフィーネ》』」
 風が渦を巻き、魔物を切り刻んでいく。が、魔物は尚もギヂギヂと動きを止めず鳴き叫ぶ。その様には驚いたライオンも眉をしかめたが、それを払うように止めを刺しにかかる。
「『燃やし尽くせ、炎蜥蜴《サラマンダー》』」
 怯むことなく、圧倒的な早さで魔物を倒したライオンは、完全に魔物が死んだ事を確認してから襲われていた青年に声をかけた。
「大丈夫、ですか?」
 しかし青年はその声に答えず、憎悪に満ちた瞳でライオンを睨み付ける。
「、……て」
「え?」
「どうして俺を殺してくれなかった」
 青年はギチと拳を握りしめて無惨に殺されてしまった家族の亡骸に顔を歪めた。一人生き残った罪悪感と何も出来なかった無力さが青年を責める。ましてやこんな少年が容易く倒せる魔物を相手に情けなく震えていただけだと、
「……でも、貴方は生きてる。家族の為にも生きてやれる事を」
「何を」
 何をしろと? こんなにも理不尽に奪われて、何もかもが無くなったのに生きてるんだから? それは随分と傲慢だね。何も分からない癖に。何も知らない癖に。
「きみの所為で彼はこんな可哀想な目にあったのに」
 青年は怒りから歪な笑みに表情を変えてライオンを嘲笑う。咄嗟に距離を取ったライオンが立っていた足下には無数の尖った岩が突き出ていた。唐突な展開にライオンは混乱する。青年が自分を攻撃した? 何故?
「あなたは……」
「さぁ、誰だと思う?」
 青年の声が変わる。やや低い声から軽やかな僅かに高い声へと。その声には聞き覚えがあった。忘れようにも印象的で忘れられない、勇者を決める為の準決勝にて対峙した青年。
「ガリオン、シュナイダー!?」
 からからと軽快に笑った彼はそんなに驚くなよとニヤついた表情でライオンを見返す。
「それから、一応年上には敬語を使え。例え相手がどんな奴でも礼儀をわきまえろ」
「どうして……貴方ならあんな程度の魔物、簡単に倒せた筈でしょう」
 たった一度だ。にも関わらず、ライオンは剣を交えてもいない彼に一目置いていた。彼は戦ってくれなかったけれど、その雰囲気からは強いと感じた。故の疑念。対してガリオンはそんなライオンに呆れたような視線を向ける。
「あんな程度とは。殺された魔物はさぞ口惜しいだろうに。あんな程度の魔物を簡単に? おいおい、無茶を言うなよ。ただの魔物ならとにかく、50匹もの魔物と殺しあって生き残ったソイツがそう簡単に倒せるかよ」
 殺しあった。
 正確には強制的に殺しあいをさせられたのだ。あたかもそれは瓶詰めにした無数の虫に共食いをさせて最後の一匹にするように、あるいはもっと身近な動物に餌を与えず餓死寸前の状態で首を切り落とすかの如く。
 儀式――つまりは蠱毒。呪いの為の呪術。そんな知識のないライオンには何が何やら分からない状況だ。だから、それが一体何を意味するのかを分かり得ない。
「あぁ、でもお前は容易く倒しちまったんだよなぁライオン。ライオン=レインハート」
 ざり、とガリオンはライオンの方へと足を踏み出す。ニヤニヤと笑うその姿から言い知れぬ不快感を感じて知らず、ライオンは後退った。
「ガリオン、さん……何が、言いたいんだ! こんな事したって、何もならないだろうに」
 しかし下がる訳にはいかない。自分には力があって、それだけの自信があるのだから町の人を守らなければならない。
 そんなライオンの心境はガリオンになら伝わる筈だった。もしも彼の目の前に居るのが本当にガリオン=シュナイダーであったなら。
「存外、頭が悪いのか。まだこの俺をガリオンだと思っているのならば、それは彼に対する侮辱だよ。しかしそれも無理はないのかな。分かりやすくきみが知っている人間の姿を現しただけだから仕方ないのかもしれないね」
 だが、現実はそうはならない。ガリオンである筈だったその姿はまるで魔法のように変貌を遂げる。美しい青年の姿に。
 美しい、と自他共に認める青年にはよく見れば人では有り得ない翼と鋭い爪が備えられていた。
「改めて自己紹介といこうか、ライオン=レインハート。私の名前はアシッド・シャドウホーク。見えない魔物の正体だと言ったなら思い出してもらえるかな」
「ーーーっっ!!」
 まさか、と戦慄する。ライオンは素早くアシッドへと斬りかかり、殺す為に剣を振るった。その判断力の速さに避ける隙はない。しかしアシッドは焦らなかった。どころか、避けようとすらしなかった。
 それもそうだろう。首を落とす為のライオンの剣はまるで巨大な岩のようにずっしりと地面に沈み、息の乱れのなかった呼吸は全力で走った後のように切れ切れになる。
 突然の変化にライオンは困惑した。何が起きたのかさえ分からない。
「っ! なん、で」
「確かにきみは優秀だ。そこらの魔物が束になったところで相手にすらならないだろう。この私ですらこんな耐えきれない醜い傷をつけられてしまう失態を犯してしまうのだからね、だから考えたんだよ。きみの為にきみを苦しめる為にきみを同じような屈辱を味あわせる為にどうすれば良いのか」
 その為なら自尊心すら捨ててやる。美意識は二の次だ。アシッドにとっての何よりの譲れなかったモノを捨ててまでの結果。
 魔術はいずれ解かれるだろう。実力では敵わない。ならば、彼が守ろうとする人間の人間らしい呪いならばどうか。
「すぐには殺さない。殺してやらない。この私の美しい顔に傷をつけたのだから相応の苦しみを味わってもらわなければ割りに合わない。身体が重いだろう。息が苦しいだろう。解く方法なんてものはないからこその呪いだよ。殺したいかな?
 というか。考えもしなかったかい? 魔物がこんな風に苦しめようとする可能性を。獣のように人間を食うことしか考えていないと思っていたかい?」
 それこそが傲慢だとアシッドは嘲笑う。そんなアシッドの言葉に何も返せなかったライオンはギチ、と歯を噛み締めた。確かにそんな事は考えていなかった。
 魔物が人間を襲うからこちらが自らを守る為にと。だからこそ勇者が必要であり、人間にとっての平和の為にライオンは勇者になりたかったのだ。
 誰もが安心出来る世の中にしたいだけだったのに、どうしてなのだろうとぼんやりライオンは思った。
「ボクは、間違ってたのか……?」
 魔物だからと殺してきた。容赦をすればまた襲うからと確実に殺してきた。何匹倒してきたと報告すれば両親は褒めてくれた。近隣の人たちはこれで安心出来ると笑ってくれた。クロスだって凄いなと笑って、今までずっとやってきたのに
「……いや、間違ってた? そんな筈はないよね」
 その自問自答をアシッドは注意深く見ていた。だから、次の瞬間に動けない筈のライオンの攻撃を避ける事が出来たのは一重に彼が熟練の魔物だったからだろう。
「だって、魔物が居たからこんな風に傷付く人が居るんだから。やっぱりボクは正しいんだよ、えーっと……何だっけ」
「……っ、」
 笑顔だった。怒りであったならまだアシッドにも余裕があった。哀しみであったなら純粋に愚かだと思えた。だが、ライオンの表情は笑顔だった。
 自分こそが正しいという絶対の自信が溢れた爽やかな笑顔。それはアシッドがよく知る魔王その人に酷似していて、一気に気圧される。震える。何だこの人間はと戦慄する。


「化物か……っ!」
 逃げろ逃げる逃げておけ! 警報が鳴る。背筋が伸びる。こんな気違いを相手にしてはならないと。しかしアシッドは動けない。焦りばかりが募り、だんだんと近付いてくるライオンから距離を取れない。
「呪いをかけられたのがボクで良かったよ。誰かが傷付く前に助けられたと思えば何てことはない。さて、本当に解く方法がないなら諦めるしかないけど。貴方は本当に知らないのかな」
 爽やかな笑顔の問いかけと同時に、アシッドの指が一本。綺麗に切られて地面に落ちた。
「参ったな、拷問なんてやりたくなかったんだけど。仕方ないよね、だって、呪いなんか使った貴方が悪いんだから」
 プシャッ、ボトリ。間抜けな音を立ててまた指が一本地面に転がる。恐怖で声すら出ない事があるなど、この時までアシッドが知る事はなく。また今後もないことを示された絶望に渇いた息を飲んだ。
 そして、この日を境にライオンは行方を眩ませるのだった。

20【殺すべきか否か】

 
 辺りには人すら居なかった。無惨に殺された家族の亡骸と美しかった魔物の目も当てられないような凄惨な骸。そして蠱毒とやらの影響だろう。
 まともな神経であれば本能で避け、近寄ろうとすらしない場所となった街の片隅。魔物ですら拒み、人間は正気を保っていられない空気にさえ躊躇うことなく足を踏み入れたのは魔王の側近。
 かつて美しき魔物であったアシッド・シャドウホークと行動を共にした魔術師だった。フードを目深に被り、彼がここまで出向いたのは別にアシッドを弔うといった感傷でもなく、単に魔王に頼まれたからに過ぎない。
 例によって咳き込みながら、へらへらと。
 アシッドがさぁ、死んだらしいからその死体がもしもあるなら解剖したいなぁ、ねぇ貴方。もしも気が向いたら持ってきてくれないかい?
 えぇと蠱毒、だったかな? その儀式とやらの謎もついでに分かったら教えてあげるから、別に悪くはないだろう?
 そう言って、あっさりと。部下思いだと自称する上司であれば信じられないような軽さで。それを不快に感じる程に魔術師は魔王となった少年に幻想を抱いてはいなかったし、何よりもそれを知った上で手を組んだのだ。
 だからここで、アシッドを失った悲しみを示すなら魔術師は迷いなく魔王から離れただろう。
 そんなやり取りを思い出しながら魔術師はアシッドの骸を魔術で転送し、まとわりつくような鬱陶しい名残も転送するべきかと目をすがめた。
「……っ、こんな所で何をしている! ここは危険だから近寄るなという話を聞いていなかったのか!?」
 直後、女の声が聞こえて魔術師は無言でその主を確認する。見たところ上級魔術師といったところか。
 しかし妙だと思ったのはその女がこの空気の中で苦しそうではあるものの、歩き、話せるといった点だ。魔法を使っていたなら分かる。しかし、そんな様子はない。
 だから、人間にしか見えないその人物を『人ではない』と確信出来たのは皮肉にも気に食わなかった魔物のお陰でもあった。
「あぁ、なるほどな。鳥獣種族か、道理で人間にしか見えない訳だ」
「ーーーな! ………何を、言ってるの」
 魔術師は最後まで興味がなかったが、その彼女の名前を明かすなら。優秀にして才能のある上級魔術師であり、クロスと共に任務を受けた事もあるセキネ=ガーネットであると示しておこう。
 セキネは驚愕と困惑と警戒を強めて魔術師を見返す。しかし魔術師は自らの直感を改める事はなく言葉を続けた。
「お前こそ何を隠す。正体がバレるのが怖いか、それとも、人間で居なければならない理由でもあるのか。足掻くな、例えどんなに人間らしく振る舞おうと魔物は人間にはなれないよ。まぁしかしそれはいい。どうでもいい。ここにこうして居るという事は多少なりとも何があったかは知ってるんだろう。教えてくれるというなら私は別にお前の理由を邪魔はしない」
 淡々と魔術師は変わらない表情で問い、問われたセキネは今にも倒れそうな真っ青な表情で振り絞るように確認した。
「それを話して、その後それを聞いた貴方は一体何をするつもりなの」
「何を? ……教える道理はないがそうだな。とりあえず、魔王に報告となるな」
 魔術師の目的は世界に対する復讐だ。使えそうなら目的に組み込むし、使えないならどうだって構わない。だが、そんな魔術師の言葉にセキネは驚きを隠せなかった。
 魔術師は紛れもなく人間で、またそこらの魔物では太刀打ち出来ない程の実力者だと見て取れる。だからここで、セキネは殺されてしまうのかと恐怖したのだ。
 しかし、彼は紛れもなく言った。魔王に報告と、確かに言った。まるでそれはこの魔術師が魔王と近しい位置に居るかのような。人間が人間に敵対しているかのような、そんな、
「……っっ!」
 一気に恐怖した。それ以上に彼女は信じたくなかった。故に放った魔法は結果として失敗だった。発動する前に彼女の魔法は防御壁でかき消され、声が出せないように喉を潰されてしまったのだから。
「余り魔力を消費したくはないんだがな。仕方ないか、別に話を聞かなくても記憶を探ればそれで終わりだ。あぁ。魔術師としては詠唱出来なくなるが安心しろ、命までは奪わない。好きなだけ人間らしく振る舞え」
 どうでもいいからな。そう冷ややかにも思える声で言った魔術師の表情はやはり変わらず、あぁ。この人はもう既に人間であることを捨ててしまったのかとぼんやりセキネは考えた。


 魔術師がセキネから得た情報は以下の通りだ。
 あの後――クロスと共に当たった任務を終えたセキネはラインからの伝達により急いで街へと帰還した。
 そこで目にしたのは無惨に殺された魔物の死体と、吐きそうな程に酷い匂いに噎せかえりそうな空間。
 街の人々は逃げる事に必死でライオンの姿を見ていないと言うものが大半、しかし助けられた人々がいたのも事実。
 だが、ライオン=レインハートの姿はそのまま行方知れずになって現在、つまりは二日目となっていた。そして手がかりはないかと踏みいってしまった先で魔術師と出会ってしまったのは不運だったとしか言えないが。
 まぁこんなものかと魔術師が情報をまとめながら他にも何かないかと足を進めていた時、偶然にも彼は勇者――クロス=アッシュタルトの姿を認めた。
 親友が行方知れずになった悲しみというよりは困惑した様子で。彼がここに居るという事は、先程の女が戻らなかった時の保険というところか。何にせよ魔術師には関係のない偶然だった。
 そんな魔術師に気付かず、クロスは行方知れずとなったライオンが不在だという事実を受け止めきれずに居た。
 どこを探し回っても彼を見つける事は叶わず、今まで隣にライオンが居るのが当たり前だったのに、何も言わずに消えた。それがクロスの精神を揺らがせる。
 どうして何も言わずに、何の手掛かりも残さずに居なくなったのか。突き詰めて考えればそんな余裕すらなかったと思うのが妥当だろう。だが、クロスは知っている。
 幼い時からずっと共に過ごしてきたライオン=レインハートという親友を嫌になるくらいには知っているのだ。
 ピタリと。考え事をしていた思考を止めたクロスは不意に走った嫌な感覚から武器を構えられる位置に指を添えた。注意深く周囲を観察するが、人の気配はない。しかし、男が居た。黒に近い紺色のコート。背が高く一見すれば目を惹かれるくらいに目立つ男だ。
 にも関わらず、まるでそこに居ないかのように男はそこに立っていた。
「……貴方は、魔術師か? セキネさんの知り合い、という訳ではないようだが」
「……ただの通りすがりだ。それよりも良いのか、」
「何が、ですか」
 男の真意を探るようにクロスは目を離さないまま口を開く。男はどうでもよさそうにクロスをみやり、あの女魔術師はお前の知り合いだろう。と続けた。
「! ……はい、」
 何かあったのか。駆け出したいが彼女に何かがあればラインが動くと聞いていたのでクロスはそのまま留まる事を選んだ。
 男はそんなクロスを変わらない表情で見返し、何が可笑しかったのか僅かに口角を上げる。
「そういえば、お前は勇者だったか。ならば聞いてみるのも一興だろう。ライオン=レインハートのように愛され過ぎている人間という奴は底が知れないので苦手だが、お前はどちらかといえば私に近い。お前はきっと、魔王を倒せば平和になると思っているだろうし、他の人間にしても同じようなものだろう。だが、逆に聞こうか。魔物と人間は何がどう違う。理性があるかどうかか? 無差別に人間を襲うからか、魔物だから殺されるのは仕方がないか、死んだら同じなのに」
「………は?」
 淡々と告げられた意味を分かれない。そんな議論が一体何の解決になるというのか。いやそもそもこの男は何者なのか。
 クロスの困惑に構わず、男はまぁこれは知り合いの人でなしの戯れ言だがなと呟き、魔王を倒せば平和になると思っているならそれは違うなと言い切った。
「ちょっと待ってくれ、貴方は魔王を知っているのか!?」
「知らない奴は居ないだろうな、何せ人間が倒すべき相手だろう。とはいえ、これだけでは味気ないか。……セツナ=レイチェルはまだ回復しないのか?」
「……っあぁ、まだ意識は戻っていない」
 不意に知り合いの名前を自然に出されてクロスの警戒心が僅かに緩んだ。セツナの知り合いなのかと、確証はないのに。
「なら、真面目に待つ理由はない。こんなところで足止めを食らっている暇があるならライオンを探すなり何なりと動いたらどうだ? 曲がりなりにも勇者に選ばれたのだからそれに見会うだけの覚悟を決めろ」
 男はそれだけ言って、転送魔法でどこかへと消えた。残されたクロスは分かってる、と小さな声で呟いて悔しさを堪えきれずに前髪をかき上げる。脳裏に浮かんだのは親友の顔だった。

「……ライオン、俺は……」
 追い掛けてきた。ライオンが光ならそれを支える影になろうと。なのに、
「俺は……お前の盾になれたらそれで良かったんだよ」
 何かが崩れていくかのように、膝を折ったクロスの身体を優しく抱き止めたのは意外にも医者であるツヴァイだった。
「大丈夫か、クロスくん」「、ツヴァイさん、どうして」
 具合が悪いのかと額に手を当てたツヴァイにクロスは驚きながらも尋ねた。ツヴァイはラインから連絡が入ったので迎えに来たと返す。
「それで、何かあったか。顔が青い」
「いえ、大丈夫です……すいません」
 心配される程の事ではない。そう示したクロスを見返したツヴァイは、なら無理には聞かないがと眼鏡を押し上げ、着ていた白衣から一枚の紙を取り出した。
「……俺は魔術に疎くてな。だからこの紙が何を表すのかは分からないんだが、先程意識の戻ったセツナさんから渡されたものだ。持っておけ」
「はい、って、……あの人、目を覚ましたんですか?」
 おもむろに手渡されたかと思えばそのまま来た道を戻るツヴァイを追いながら、クロスは聞く。ツヴァイはあぁ。と微笑んで少しだけだが、嬉しいものだな。と続けた。
 そうですね、と頷いたクロスは手渡された紙を開く。確かに魔法陣のようだが、こんな複雑なものは初めて目にする。歩く合間にふとツヴァイは先程クロスが会った人物の会話を彷彿とさせる話を切り出した。
「……なぁ、クロスくん。きみは魔物を倒すべき相手だと思うか?」
「……倒すべき相手、と言われたらそうなんでしょうけど。俺は別に何の害もなければ倒す必要はないと思っています」
「なるほど、では質問を変える。今まで人間を殺してきた魔物がもし、助けてくれと言ってきたなら、きみはどうする?」
 他愛のない雑談、というには踏みいったような会話にも感じたが、クロスは考えて答えを返す。助けてくれと言われたら。その魔物を助けるか、助けないか。
「……状況次第だと思います。ライオンなら助けるを選ぶでしょうが、俺は――正直なところ、その時になってみないと分からない」
「そうか。まぁこれは単なる会話だから深くは考えなくて良い。確かにその時になってみないと分からないな……俺もそう思うよ」
 苦笑いで告げたツヴァイは昔を懐かしむように目を細めた。それでも、と呟いて。それでも、目の前で死にかけてたらやっぱ、助けるんだろうなぁ。と口には出さずに思う。
 やや後ろで歩くクロスはそれで会話は終わったらしいと悟り、再び渡された紙に視線を向けていた。
 ライオンが行方知れずと聞いて、もっと不安定になっているかと思っていたが信頼性に寄るのだろう。彼が死ぬ訳がない。と。
(強い子だな、クロスくんは)
 そうなると、彼――ライオンはどうなのだろう。旧友であるセキネによれば、クロスはライオンに足りないものをカバーするように強くなったと聞いた。
(……俺も着いていくべきだったか…)
 無論、ツヴァイにあるのは医療技術と知識だけであり、とても戦力にはならないが、今更ながらに思うのはライオンを一人で行かせてしまった事に後悔の念を抱く。不甲斐ない。情けない。本来ならば、大人が子供を守るべき立場だろうに――。


 でも実際どうなのだろうね。ツヴァイ=バイオレットが思うそれは大人の独り善がりでしかなくて、いつだって物語というものは理不尽に少年や少女を中心に回るものなのだから。



 行方を眩ませたライオン=レインハートがどこに居るのかは後に語るとして。一応、彼女――セキネ=ガーネットがどうなったかを記しておく。
 結論として彼女は魔術師に殺される事はなかった。だが、受けた被害は彼女を動けなくするに十分で、目を覚ましてから立ち上がるまでに数分を要した。
 喉を潰されたのだから当然、声を洩らす事も出来ない。ジンジンと熱が集まり、全身にびっしょりと汗をかいている。痛みは詠唱を省いた治癒でマシにはなったが、潰された声帯までは治せなかった。記憶を探られた気分は正直、良くはない。けれど生きていた。本当に命までは奪われなかった。
 だが、彼女は己の生がそう長く保たないと知っている。彼女に何かあった時の場合を考えて、ラインが全てを聞いていた。つまりはバレてしまったのだから終わったも同然だ。結局、約束は果たせなかった。せめて彼にだけは。ツヴァイにだけは知られたくなかったのだけれど、それも叶わない望みなのだろう。
 魔術師に指摘された言葉は紛れもなく事実だった。セキネ=ガーネットである筈の彼女が魔物という事実は、当人たる彼女自身が何よりも忘れてはいけなかった現実である。人間の振りをして騙していたのは否定しようのない。だから、こうして彼が。
 目の前に立ちはだかるように現れた無言の魔術師。ライン=ネットワーカーが彼女を敵意を込めて睨んでいたとしても不思議ではない。否定しないのか、とラインはセキネを無言のまま見つめ、声の出せないセキネは弁解の余地はないとばかりに自嘲した。
「えぇ、察しの通り、私は魔物だ。」
 唇の動きだけで肯定し、ずるりと壁に寄り掛かる。抵抗はしない。しようにも声を潰されてしまってはどうにもならない。それでも、生き残る事を考えたなら。死にたくないと思うなら、彼女は人間の姿を止めてしまえば良かったのだ。
 人間を捨て、魔物としての己を選べば、魔法が使えなくとも爪で反撃だって出来た。翼で飛ぶ事も出来た。けれど、人間で居続ける選択を選んだ彼女の真意をラインが知る事はなく。また誰も察する事はなかっただろう。
 死を覚悟したセキネにパートナーであったラインは一瞬だけ躊躇うように口を開き、直ぐに引き結んだ。魔方陣を鮮やかな手並みで描き、彼女を殺す。ただ殺すだけにせず自身に取り込むような魔法にしたのは彼にとっての未練だったのか。
 それでも、彼女は最期まで人間としての、セキネ=ガーネットとしての生を選び、彼女のパートナーであったライン=ネットワーカーは、情より魔物を殺す為の役目を選んだ。
 それだけの、些細な結果と出来事だった。


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