芋虫の意外性
『出会いと始まり』
騒がしい面々を眺めながら芋虫はアリスに穏やかな笑顔を向けた。
「今日のところはまぁ…騒がしいけれど泊まっていくといいわ。元の世界に戻る方法を探すのは明日からになさいな」
誰から聞いたのか、それだけ告げた芋虫は家の中へ入って行く。
庭で再びお茶会を始めたらしい帽子屋達は置いておいて、何となく気になったアリスはそっとその後に続いた。
芋虫はついてくるアリスに特に何も言わず、少女趣味な家に戻ると静かに台所に立つ。
そこには普通にお店のウィンドウで並んでいるような綺麗なお菓子やケーキがテーブルの上にズラリと並べられていて。
(……おいしそう)
ごくりと唾を飲みこんだアリスはそう思った。
「食べても構わないわよ。向こうであの馬鹿と話しながらより こちらでゆっくりお食べなさいな」
エプロンをつけ直しながら芋虫は笑んで、丁寧にカットしたケーキを数種類ずつお皿にのせてアリスにどうぞと進めてくれる。
改めて見れば見るほどに妖艶な雰囲気と大人の男といった色気のある芋虫は極道のようでいて、スーツの為かホストのようにも思える。
これで口調とエプロンさえなければ多分とても格好良いんだけどとまで考え、ふと疑問をぶつけてみた。
「…芋虫さんって、男の方…ですよね?」
女だと言われたらどうしようかと若干不安に思いながら。
「女に見える?見ての通りで合ってるわよ」
クスクス笑いながら芋虫は着々と手際よく新しいケーキを作っていく。
(…性格が外見に似合わない人って居るのね)
アリスはしみじみ思い好奇心から再び質問をしてみる。
「帽子屋さんとはお付き合い 長いんですか?」
「…えぇ……まぁ三月ウサギ程じゃないけど長いと言えるわね………」
芋虫は不意に沈黙して何か言いたげに口を一度開くとアリスを見た。
そして少し眉を寄せて言った。
「もしかして貴女、アタシがオカマだと思ってる?」
違うのだろうか。アリスはじっと芋虫を見返す。
何処からどう見ても男の人にしか見えないし声だって低い。
偏見ではないけれど…(もしかしたら偏見なのかも知れないが)男の人が女言葉を話している理由で思い付くのはその辺りだったのだが。
アリスの思考が止まる。
……え。じゃあ何なんだろうか、この人は。
「いえ 間違っては、居ない…わ…よ…多分。男が女の口調なら そうね、そう思って当然よね…」
芋虫本人としても微妙な様で僅(わず)かに疑問系だ。
…もしかして、今まで誰も疑問に思わなかったんだろうか?この人の口調に。
…………。
気まずい沈黙が流れる。
「芋虫は男女共に相手が出来る女性の言葉使いが癖な雄(オス)だよ。アリス」
いつから居たのか。
むぐむぐと出来立てのチョコケーキを頬張りながらチェシャ猫が沈黙を破った。
「チェシャ猫…いつの間に…というか 癖 なの?」
最早チェシャ猫の神出鬼没に多少なりとも慣れたアリスは聞く。
チェシャ猫はこくりと頷いて、話を続ける。
「うん。だから、雄で間違いない。交尾の時だって相手が雄でも雌でも芋虫が入れるほ―」
「チェシャ猫!余計な事は言わなくて良いのよ。貴女も、これ以上は知らなくていいの」
ゴフッ、とチェシャ猫を黙らせる為に口の中へとケーキを突っ込んで芋虫が告げる。
一体、何を入れるのだろうか。
気にはなったが何となく聞かないままの方がいいとアリスは察した。
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コホン。
咳払いをして作業を一通り終えた芋虫はアリスの向かいの椅子に座った。
「まぁ…大体の状況は貴女が帽子屋達と話している間チェシャ猫から聞いて知っているわ」
芋虫の言葉で、あの時急に居なくなったと思っていたチェシャ猫の所在が発覚する。
アリスは無言でミルクを一気飲みするチェシャ猫をチラリと見た。
そうならそうだと一言くらい声をかけて欲しかったと思うのは勝手だろうか。
芋虫はそんなアリスを見ながら話を続ける。
「恐らく、ここは貴女の居た場所と異なる世界、そして貴女が来た原因なのは白兎で間違いないわね」
カリカリと判りやすい様に紙に図を書いて芋虫がアリスに説明していく。
「元の世界に戻る方法は残念ながら判らないけれど、知っていそうな人物には心当たりがあるから明日にでも訪ねてみるといいわ」
安心なさいと微笑んで芋虫はアリスにホットミルクのおかわりを入れた。
お礼を言ったアリスは差し出されたカップを受け取って、ほっと一息をつく。
何にせよ戻れるかもしれないと分かれば少しは安心できるというものだ。
ただ、
(…戻る前にあの変態白兎だけは 一発ぶん殴らないと)
アリスはケーキを頬ばりながら改めて決意したのだった。
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目覚めれば、そこはいつもの見慣れた自分の部屋。
頭から耳が生えた変態も居なければ、甘党の変人の姿もない。
何だ。
あれはやはり夢に過ぎなかったのかとアリスは思い、それにしても妙な夢を見たものだとベッドに足を下ろした時―
そこにある筈の床は無くなっていて、代わりに白いポッカリとした穴が口を開けるように待ち構えていた。
(――っ〜〜〜な、なな!)
余りにも有り得ない現象。そしてデジャブ。
またもや少女は落ちていく。
白くて深い、穴の中へとまっ逆さまに――
(…………もう、ここは現実と受け止めるべきなのかな…)
アリスが嫌な悪夢から目覚めても、そこは昨夜と変わらず少女趣味丸出しな帽子屋の部屋だった。
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身なりを整え、リビングへ向かえばエプロンをつけた芋虫が笑顔で出迎えてくれた。
「お早う。よく眠れたかしら?」
甘い匂いのするホットケーキをお皿に移す芋虫にアリスがはい。と挨拶を返すと、帽子屋の少し間延びした声が聞こえる。
「芋虫は心配性だね〜☆人間って案外、図太いから大丈夫だヨ♪ねぇ」
幸せそうに出来立ての甘いホットケーキに生クリームをデコレーションし、更に大量のハチミツを溢れる程にかけまくり、美味しそうに食べている光景が自然と目に入る。
しかも、それは二皿目のおかわりらしいとテーブルのお皿の数を見て気付いて。見てるだけで甘ったるく、胸焼けがしそうな朝食にアリスは軽く引いた。
そして、一回この人の思考回路がどうなって狂ってしまったのか見てみたい衝動に駆られる。
数秒の間、呆然と立ち尽くすアリスにチェシャ猫がおはよう。と告げた。
「―っ!…おはよう。チェシャ猫」
「芋虫。俺はご飯と味噌汁が良い」
我に返ったアリスの近くの席に座ると、チェシャ猫は普通に食べたい献立(こんだて)を告げる。
「…私も出来ればチェシャ猫と同じが良い…」
チェシャ猫の隣に座ってアリスも同意した。
流石に朝から甘いものは入らない。と いうか帽子屋を傍で見ていれば誰も食べる気がしない。
「それだけで良いの?玉子焼きとかもついでに作れるわよ?」
芋虫は嫌な顔ひとつせずに聞いた。
何だか反射的にお母さんと呼んでしまいたくなる。
「俺 だし巻き。味噌汁は大根と豆腐」
そんな中で寝癖を適当に直しながら入ってきた三月ウサギが半分眠ったままの眠りネズミを座らせて、注文を付け足す。
その隣に腰を下ろすと、よぉ。と丁度向かいに座っていたアリスとチェシャ猫に声をかけた。
「おはよう、三月ウサギに眠りネズミ。相変わらずねぼすけさんだね」
「…うにゅ……おは、よ」
チェシャ猫の声にぴくりと反応して、眠りネズミは返事をするも、すぐにすやすやと寝息をたててしまった。
何とも微笑ましく穏やかな朝の風景だろうか。
用意してもらった朝ご飯を美味しく戴きながら、アリスはしみじみ思うのだった。