01『勇者たる者』

【勇者と聖女のとある物語】



07【消えた村】

 
 その村を襲った出来事は、たまたま難を逃れた一人によって国に伝えられた。
 村人は出稼ぎの為に村を離れていて、いつものように村に戻る為に戻ってきたのだが、何故か村に入れない。
 怪訝に思った村人からの相談を受けたのは、聖女と勇者の存在を知る数少ない人物だった。
「それは、不可解だな。よし、私が出向こう」
 即座に行動を起こした――かつての聖女と勇者の結末を国王に伝えた使いであった彼女は村人の案内でその村を訪れる。
 確かに村に入れない。故に彼女は冷静に結界を張ってあるのだと理解した。
「……結界……しかも、相当な使い手のモノだな」
 外からは村の中の様子までは分からない。彼女は村人に詳細を尋ねたが、どうしても心当たりはないと言う。
「本当に、分からないのです……自分が村を出たのはほんの一週間前だと言うのに、戻ってきたら、入れなくなっていたんです」
「他に変わった事は。見知らぬ人間が紛れていた、いつもと違う何かはなかったか?」
 彼女の問いに、村人は一瞬だけ表情を曇らせて、いいえ。と首を振った。彼女はそんな村人の仕草を見逃さず、隠しだてをするならば私はこれで帰る事になるが。と冷徹に告げる。
 村人はそれは困りますと焦り、数秒だけ躊躇った後。この村に居るという魔女を語る。
「……関係ない、と思っていたのですが――ここには魔女と呼ばれる少女が居るんです。その魔女は、数日前に片目を事故によって潰れたのですが……何故か、潰れた筈の目が綺麗に戻っていた事を……やはり、気味が悪くなった、村人で……その、追い出した事がありまして」
「……その追い出した魔女の仕業ではないか、と? 成る程。時に、きみ」
「はい、」「その言葉に、嘘や偽りはないだろうな」
 彼女の射抜くような視線を真っ直ぐ受け止めた村人は、はい。と力強く頷いた。その瞳に戸惑いはなく、彼女は嘘をついていないと判断した上で結界を解く為に詠唱を唱えていく。
 およそ半日をかけて、彼女が後僅かで結界を解こうという瞬間。不意に前触れもなく先に解かれた結界の中にあった筈の村は――跡形もなく、消えていた。
「……ッ」 彼女は何もないその光景よりも噎せ返るような異臭と、夥(おびただ)しい血痕に口元を抑え。
 ただ、言葉もなく生き残りすら存在しないだろう事実を認識し、戦慄した。調査に向かった騎士と村人が見たのは既に、跡形もなく全てが終わった後だったのだ。
 傍らに居た村人はガタガタと身を震わせ、魔女の仕業だと壊れたように呟き続け、やがて――魔女によって村が消されたという噂は隣国にまで伝わっていくのだけれど。
 それが行方知れずの勇者の耳に届く事はなかった。

08【二人の勇者候補】
 
 
 国は荒れる。突如にして魔物達の動きが活発化し、人間を襲うようになった現状に、人々は武器を手に魔物と戦う決意をする。
 そんな中で、勇者候補にして幼なじみの二人組の姿が城内で会話を交わしていた。
 太陽の光に照らされたかのような綺麗な橙色がかった茶髪の少年は手にした剣を軽く振り、隣を歩く少年に笑いかける。
「へへ、やっとボク達が頑張る時が来たな!」
 少年には勇者としての素質と実力。そして人当たりの良さと、どれをとっても相応しい人物であった。
 彼の背中には誰もが扱いやすい長さの剣が鞘に納められ背負われている。
「……出来れば、あまり活躍の場がない方が平和なんだが」
 少年の幼なじみにして、青みがかった海のような黒髪の少年は大人びた表情で瞼を閉じる。腰には珍しい金属で作られた《銃》と、細身の刀。少年もまた勇者候補として申し分ない実力を伴っていた。
「その平和を乱す魔物を倒すのが勇者の役目だろ? ボク達が頑張って平和になるんだからさ、もっとやる気出せって!」
「……まぁ、選ばれたらな」
 少年たちが目を輝かせて語る勇者候補。故に勇者と正式に決まった訳ではない。候補なんて幾らでも居るのだ。
 しかし、目の前のキラキラと顔を輝かせて語る幼なじみは自身が選ばれると信じて揺るがない。そして、表面上ではそう言いながら、少年もまた彼が選ばれると信じていたのだ。
 ――この日。王によって正式に勇者とされる試合で二人の幼なじみを運命的な程に変えてしまうとも知らずに。

 勇者として必要な素質と、知恵と、度胸。全てを備えた太陽のような橙色の茶髪の少年は、全ての試合を完勝したにも関わらず《勇者》と認められなかった。

xx
 
「何故、ですか」
 異を唱えたのは、海のような青みがかった黒髪の少年。勇者に《選ばれた》人物の言葉に、王は不思議そうな表情で少年を見返した。
「何が不満だ? 貴殿は勇者として選ばれた。私は、全ての試合に目を通し、判断した上で認めた。何か意見があるなら申してみよ」
 無礼とも思える言動に王は穏やかに尋ねる。傍らにはいつでも動ける体制の騎士が二人。しかし、少年は強く王を見据えた上で言葉を続けていく。
「勇者として選ばれた事は、我が身に余る光栄ではあります。不満ではなく、疑問をいくつかお尋ねしたい」
 少年は隣で俯いて、小刻みに震えている幼なじみを見やり、納得出来ないという表情をした。
「私は確かに試合で勝ち進みました。しかし、準決勝で敗退したのです。なのに何故、優勝した彼ではなく、更に言えば私に勝った人物を差し置いて、私が勇者となったのか。納得のいく説明を」
 王は、少年の問いかけに静かに瞼を閉じ、「腕っぷしの強さだけが全てではないのだよ」と告げる。
「勇者として確かに、強くなければ務まらない場面は多々ある。その点で言えば確かにそこの少年は合格ではあった。だが、ただ強く優秀なだけでは、勇者にはなれない」
 諭すように続けられた言葉に、意味が分からないと二人は顔を上げた。強く優秀なだけでは、足りない? ならば。
「私には、何が足りなかったと……?」 太陽のように明るい髪の少年は、生まれて初めて劣等感を抱き、挫折を味わう。
「彼にあって、私に欠けているモノがあるなら、……それは、一体何なんですか…っ」
「それが分からぬのなら、それが答えだろう」
 王は静かに締めくくると自室へ戻る為に立ち上がる。
 謁見は終わり、騎士が声をかけても動かない幼なじみを引っ張った少年は望まない勇者の称号を得、勇者となり。勇者を望んだ少年はやりきれない想いをもて余すのだった。


 二人の少年は幼なじみで、親友であった。
 太陽のような橙色がかった茶髪の少年――ライオン=レインハートは恵まれていた。優秀な家系。絵に描いたような理想の家族。
 何事もすぐにこなしてしまう才能と頭脳を持ち合わせた彼には『敗北』という言葉も、出来ない者の『羨み』も全く理解出来ないもので。
 だから、例えば自分より強い人物には素直に敬意と憧れを抱くし、弱い人は守ってあげるのが当たり前で、悪いヤツは倒すのがセオリーなのだと思って生きてきた。
 凄い事は素直に受け入れて認める事に抵抗はなかった。何故なら自分はそれより更に多くの事が出来てしまうから。弱い人を守るのは、自分が彼等より強く、そしてそれだけの力があるから。悪いヤツは倒す。自分が正しくて、間違っているのは向こうなのだから。
 振りかざす正義は確かに正しくて並べられた言葉は綺麗ではある。ライオン=レインハートを知る人物が彼を語れば、十人が十人共にとても真っ直ぐで好感の持てる少年だと口を揃えて言うだろう。
 彼の幼なじみである海のような青みがかった黒髪の少年――クロス=アッシュタルトも例外ではなく彼の正しくて真っ直ぐな純粋さを羨ましく思っていたし、それに見合うだけの実力も知っていた。
 太陽のように明るく照らすライオンを影から支え、サポートする立場で満足していたし、ライオンならばどんなに無理な事でも切り開いて進んで行けるのだろう。なのに、これは一体何の間違いだったのか。
 俺が勇者だなんて、有り得るハズがない。どう考えって、誰が見たって勇者に相応しいのはライオンだ。なのに王は、そんなライオンよりもクロスを勇者と称した。理由なんて納得出来ない。
「きっと、何かの間違いに決まってる……」
 クロスは苦々しく呟いて、ライオンの顔を見つめた。意気込んでいた幼なじみが勇者に相応しくない理屈など、いくら考えても分からないのだから。
「これは何かの間違いなんだよ、ライオン。だから、」
 元気づけようとしたクロスの手がライオンの肩に触れかけた瞬間。今まで一度としてなかった強い拒絶を示すようにその手を振り払われて。
「え、」 困惑した表情でクロスは幼なじみを見返した。それに対するライオンはそんなクロスを可笑しなモノを見る目で受け止める。
「何て顔をしてるんだよ、クロス。お前が選ばれたんだからもっと喜ばないと!」
「……ライオン、だが――」
「何を躊躇うんだ。ボクは確かに選ばれなかったけれど、気持ちは変わらない。一緒に魔王を倒す仲間として、お前についていくよ」
 そう言って笑う幼なじみはいつもと何ら変わりはなくて。僅かな違和感も気の所為かと思い直したクロスはそうだな、と答えを返す。
「だが誰が何と言おうと勇者はお前に相応しいよ。ライオン、だから」
 俺はお前に勇者として魔王を倒す事を望む。だからこそ俺はお前のサポートに徹する。続けられた言葉にライオンは相変わらず大袈裟だなぁと苦笑いを返し、先に歩き出した。

09【勇者としての資質と条件】


 城内。謁見の間。魔女と呼ばれた村にまで足を運び、その惨劇が行われた事に気付いた騎士こと弓使いである彼女。
 セツナ=レイチェルは王の前に片膝をつき、王を見据えた。王はそんな彼女にうむ。と頷いて、用件を促す。
 彼女はいくつか疑問に答えていただきたいと前置きをして、単刀直入に切り出した。勇者候補だった二人の少年について。
「……選ばれた勇者について、民の疑問の声が上がっておられる事は耳に入っているかと思います。私も同じく、どうして彼が勇者足り得なかったかは疑念です」
「……貴殿はあの試合を見てはいなかったか。しかし、話は他の勇者候補から聞いてはいるのだろう。抜かりのない貴殿の事だ」
 セツナの問いに王は困ったように唸り、手に顎をのせながら息をつく。彼女は頷き、参考までにはと答えた。だが、話を聞いただけで判断は出来ない。
 ライオン=レインハートが勇者足り得なかった理由。何故クロス=アッシュタルトを選んだのか。思わず異を唱えたクロスのみならずとも疑問だろう。
 ライオンが人格的に相応しくない等の理由や、何らかの不正を働いたならばともかく、彼は実力で優勝をしたのだ。勇者として不足しているとは思えない。民の中にはそれを不満に思う者も幾人か居た。
――不思議なのは勇者の座を懸けて争った参加者を除いて、だ。
「一番納得しないであろう準優勝でクロスに勝ち、あと一歩でライオンに負けたガリオン=シュナイダー。彼でさえ、その結果にはあっさりとしていました。性格もあるのでしょうが、あぁ、そうかで終わりです」
 さて。如何にしてライオンが勇者足り得なかったのか。その理由を。射抜くような彼女の視線を受けた王は苦笑い、敵わないなといったニュアンスを込めて呟いた。
「ライオン=レインハートが勇者足り得なかった理由は説明しにくい勘だよ。長年、様々な人間を見てきたこの瞳から見ても確かに彼は好ましい。だからこそ、そんな彼の幼なじみにして親友であるというクロスが勇者には適任だろうと判断を下した。これは実際に貴殿の目で確認してもらうのが一番手っ取り早いのだがな」
 その返答は、話を聞いたガリオンと同じく似たような結論だった。
 後に、彼女は意外な形でその理由を実際に感じるのだが、この時点ではイマイチ納得しかねつつ、貴重な時間を有難うございましたと謁見の間を後にした。


10【魔王と魔女】

 
 勇者が選ばれた。その報せに魔王である白髪の少年は咳を数回繰り返し、薄く笑んだ。そしていつものように吐血する。
「勇者、ね。まぁ最近派手に人間を殺してるから当然といえば当然か……ケホッ」
「あの……勇者という事はやはり魔王さんや私を殺しにくるという事なんでしょうか?」
 魔王の背中をさすりながら穏やかに聞き返したのは魔女と呼ばれていた少女。切断された四肢はキッチリ縫い合わされていて、神経も問題なく繋がったらしく、包帯を外して実際に確かめなければ切断されたのだとはわからないだろう。
 報告をした魔物は少女に歯切れ悪く、そうなるでしょうがと俯いた。因みに、この魔物は彼女に命を助けられた魔物とは種族も階級も異なる魔物の為、年端もいかぬ上に人間である少女に頭を下げねばならぬのが不可解で不愉快である。
 仮にこの魔物が少女に対しての態度を崩したとしても、魔王である少年も当の本人である少女も気にすらしないだろうが。
「……ですが、勇者とはいえまだ子供。敵に足り得るとは思えませんね」 魔物は経験からしてそう結論付けたが、魔王はどうかなぁと薄く笑った。
「どう、とは?」
「ほら、…ケホッ、ゲフッ。………子供だからっていう油断がさぁ、君たち魔物のいけない事なんだよ」
 口元に伝う血を手の甲で拭い、可笑しそうにくつくつと笑い声を洩らす。
「子供だからこそ早めに殺さなきゃ。あの時あぁしていればなんて成長ストーリーとか、子供だから出来ないだろうだとかいう油断がさぁ、きみを殺すかもしれないって発想しないと」
 それは、魔物にはなかった発想。だがそう言われてもたかが人間の――しかも子供に何が出来ると蔑むのが通常だ。けれど、否定出来ないのは知っているから。この目の前にいる白髪の少年が人間の子供でありながら魔王の座に座っている事こそが!
(ッッ冗談じゃない……、こんな人間が何人も居てたまるものか……ッッ!!) 魔物は冷や汗を流し、戦慄する。そして数秒後、振り絞るような声で言葉を続けた。

「私は、これから直ちに勇者を始末しに参ります」
「あぁ、そう? じゃあ彼も着けようか」
 決意を改めた魔物に魔王はまるでオマケのように静かに話を聞いていた魔術師に視線を向ける。その言葉に魔物と魔術師は意外そうに顔を上げた。
「魔術師殿も、とは。何か意図が?」
「あぁ、成る程。きみも大概人使いが荒いな。了承した」
 怪訝そうな魔物とは反対に、魔術師は無表情で納得すると颯爽とその場から外へ向かう。魔物は困惑した心境で魔王に一度頭を下げ、魔術師の後を追いかけた。
 魔王はそれを見送り、魔女は穏やかにいってらしゃいと微笑んだ。
 残された魔王は咳き込みながら魔女に調子はどうだい? と尋ねた。魔女はお陰さまで不自由なく動けます! と笑い返す。
「そうかい。それは良かった……ゲホ、は……ッ……いやいや。何せ人体解剖はお手のものだけれど、生きてる人間の神経を繋げるのは初めてだったからねぇ。僕は最低な屑だけど一応大事な部下に頼まれちゃあ責任も感じるみたいだ。良かったよ」
「あの、本当にありがとうございます。さすがに死んじゃうかなぁって思ってたんで、今こうして居られる事が信じられない程に嬉しいです、えへへ、魔物さんもあなたも、優しいんですね」
 穏やかに微笑む魔女に魔王は薄ら笑いを向けて、優しい? と魔女を見据えた。
「優しいのは彼であって僕は優しい訳じゃないよ。ケホ、……それからついでにこれは好奇心なんだけど。きみ、本当に嬉しい訳?」
 その質問の意図が分からず、魔女は頭に疑問符を浮かべた表情で見返す。魔王である少年は途中で噎せた。
 何度目かの咳が治まってからようやく、きみは確かに痛みを感じない珍しい細胞の持ち主なんだけど――と言葉を続ける。
「精神的な意味とか、そういう面は平気なのかい? 例えば痛くないからって、化け物扱いされて魔女と呼ばれ続けて抵抗も抗議もしないなんて考えられないよねぇ。
それを受け入れて笑ってられるなんて人間はどっかイカれてるよ。どっかが壊されて壊れちゃってるんだよ。ましてや、あんな仕打ちを受けて誰も恨まず、憎まず、受け入れて笑ってるきみは僕みたいな屑で最低な外道から見ても異質だと思う訳だから、どうなのさ」
 その表情は明らかな好奇心でしかなく。同時に見透かしたかのようでもあった。魔女と呼ばれた少女は笑顔を崩さないまま僅かな動揺もなく、それに答える。
「――やっぱり訂正しますね。あなたはとても意地悪でとても嫌な人です」

 対する魔王はとても可笑しそうに肩を揺らして、また吐血した。

11【美しき魔物】

  
 一方、魔王に勇者が選ばれたという報告をした魔物は魔術師と共に城下町を歩いていた。人間に近い容姿である為に隠すのは尖った耳と長い爪を引っ込めるだけ。なのだが、隣を歩く魔術師の表情は浮かない。
 常に無表情である魔術師だが、今回の今に限っては明らかな呆れを魔物に向けている。
「どうかしたのですか魔術師殿。私はどこからどう見ても人間と変わらず可笑しな事はないでしょうに、何故そのような視線を向けられるのか理解に苦しみます」
 どこか艶めいた美声で軽やかに告げる魔物は確かに一見して魔物と思いはしないが、問題は別のところにある。
「一応、確認を取ろうか。アシッド・シャドウホーク。お前は先程こう言ったな、勇者を知る為にまずは情報収集だと」
「えぇ。えぇ、確かにこの私はそう言いました。ですからこうしてこのような格好をしているのでしょう? 全く、私の美しさが損なわれるとはいえ他ならぬ魔王の為、引いては我が身の為に仕方なくも甘んじているのですが。
……おや、魔術師殿? 頭を抑えておられますね」
「いや。構うな。話しかけるな。知り合いだと思わせるな」
 どこか酔ったように語る魔物ことアシッドは、紛うことなく自己愛者だった。それを確認してしまった結果に魔術師は頭痛に眉をしかめる。
 魔物の基準がどうかとは知らないが確かにこのアシッドは美形と言える顔立ちだろう。だから何だというのか。情報収集にその美しさとやらはむしろ邪魔でしかなく、そして典型的なキラキラした王子のような面が、魔術師には耐えられなかった。
「無駄に目立つのは好まない。悪いがここからは別行動を取らせてもらうぞ」
「……私には魔術師殿のそのコートも十分目立つと思うのですが、まぁ。そう言うのならばそうしましょう。それでは後程この場所で」
 淡々と告げた魔術師の言葉に金髪の髪を揺らし、肩をすくめたアシッドは苦笑いを込めた言葉で返事をした。


 情報収集は順調だった。魔物にして甘い顔立ちの部類に入るアシッド・シャドウホークが声をかければ女性は皆、どこか受かれたように頬を紅潮させて快く話を聞かせてくれる。
 あぁ、何て単純にして可愛いのかとほくそ笑み、大方《勇者》の事を把握出来たのは良しとしても。気になるのは必ず出てくる『ライオンじゃないのは残念だけど』という言葉。
「可愛らしいお嬢さん、そのライオンという人物は勇者であるクロス殿とどういった関連が……?」
「あら、あらあらあら! やだねぇ可愛いお嬢さんだなんてっ! こんなオバチャンをおだてたって何にも出ないよ?
お兄さん口が上手だねぇ……と、そうそうライオンの事だね。この辺りじゃレインハート家のライオン坊っちゃんといやぁ知らないヤツはいない位の有名人でね。
礼儀正しいし可愛いし何より真っ直ぐで強いとても良い子なんだけど……ボク、頑張って勇者になって皆を守るね! って意気込んで、今日その勇者を決める決勝戦で優勝したんだけどどういう訳か勇者に選ばれなくて!
納得できないよねぇ、あんなに良い子なのに王様は何だってあの子を勇者にしてあげなかったのか不思議だよ。まぁ、クロスも良い子なんだけど……やっぱり勇者って言えばライオンが選ばれると思ってたから余計にねぇ」
 ……あぁ、何とか把握はした。アシッドはやや遠い目をして尚も長々と喋り続ける目の前の主婦の言葉を聞き流す。
 アシッドの目的はあくまでも勇者となったクロス=アシュタルトという人物なのだから、そのライオンという人物は別に置いておいて構わないだろう。
「ありがとう、大体の事は分かりました。新しく勇者になった人の事や私にお嬢さんの貴重な時間を割いて下さって感謝します」
 にっこりと微笑めばその場に居た女性は心奪われたようにうっとりと名残惜しそうにアシッドの背中を見送った。
 そんな中で、アシッドの行動を見ていた一人の青年はどこか怪訝そうな表情で立ち上がると静かに後を追う。
 魔物であるアシッドはその追ってきた赤毛の青年の名を知らないまま、曲がった路地で気障な仕草で出迎えるのだけど。

 一応、記しておくならば。彼はセツナ=レイチェルが話に出した準優勝者――ガリオン=シュナイダーなのだとだけ告げておく。

11【知られざる勇敢と美しき美徳】
※後半に不愉快な食事描写を含むので注意。


「やぁ、少年。誰をお捜しかな」
 アシッド・シャドウホークは気取った仕草で赤毛の青年に声をかけた。待ち伏せをされていた。更に言えば誘い込まれた現状に青年は笑う。
「目の前のお前だよ美声年。おっと、美青年の方が正しいか? まぁどうだっていいけど。そうやって臨戦態勢でオレを誘ってくれてるって事はやっぱアンタただの噂好きの野郎とは違うみてーだな?」
 揶揄するような口調に対するアシッドはやれやれと肩をすくめ、怖いなぁと青年に笑みを向ける。
「私が美しいのは当然事実の隠しきれない仕方なさとはいえ……同性までもを誘ってしまうとは! あぁ、私が恐ろしい。しかし折角ですから頂かないと失礼ですよねぇ」
「……いや、テメェの性癖はこの際突っ込まねーが、オレにはそういう野郎相手にどうこうなんて性癖はねーぜ? 念のため」
 妙な言い回しをするアシッドに青年は眉をしかめ、腰に携えていた双剣を構えた。見据える眼差しと落ち着いた判断にアシッドは恍惚に酔っていた瞳を青年に向けて、ふむ。と笑う。
「……人間にしては、それなりの手練れといったところかな。勇者の前に食べる素材としてはなかなか良さそうではありますねぇ」
「…? ……食う……ッ?!」 問うより先に、青年はアシッドに向けて双剣を振りかざした。首筋を掠め、傷ついたアシッドは感心したように青年の次の攻撃を避ける。
 腹を狙うと見せ掛けて脳天を突き刺そうとする切っ先。かと思えば心臓、眼球、耳、損なえば魔物である身でもただでは済まない。
 素早い身のこなしが特化しているハーピーでもなければ避けきる事は出来ないだろうな、と自らの種族を誉めてみた。それでも、アシッド級(クラス)であれば避ける事は別段に難しくはないのだ。
「止さないか少年。私を殺すつもりか?」 尚も止まらない攻撃を避けて避けて避けて、漸く合間に話し掛けてみれば、青年は無駄口を叩く暇はないとばかりに魔法を唱え始める。
「《その姿、偽る者の本質を暴け。互いに向かうは虚栄の鏡、在るものは在るべき姿で偽る者は在るべき姿へ》」
 青年の回りに淡い光が集まり、飛び交う。アシッドは驚愕し、晒される前に自らの変装を解いた。
 まるで天使のように広げられた羽根は黄緑と黄色が綺麗に交ざり、青年の片腕を掴んだ手には鋭く尖る爪。
「……は、やっぱり魔物かよ、」
 青年は掴まれた腕とは違う腕で構え、正体を現したアシッドを見据える。
「……魔法が使えるとは意外でしたね。ですが、正体を暴かれるような無様を晒すくらいなら自ら晒した方が良い。そして故に、きみは生きて返せないし、帰せない。私に食われて美しい糧となる他なくなったのだから」
 気障な台詞を吐きながら青年の首筋に鋭い爪を当て、傷をつけたアシッドは流れる血を舌で舐めた。
「一思いに殺しはしませんよ。いたぶって弄んで恐怖を骨の髄にまで染み渡らせてからじっくりと頂きますからね」
 ゾッとする程に綺麗な笑顔で甘く囁くアシッドに、気色悪いとうんざりしたように青年は吐き捨てる。
「……そう簡単に食えると思うなや、生憎とオレは安くはねーぜ」
 魔物だと分かれば容赦はない。どんな理由で街に入れたかは知らないが、この目の前に居る魔物はかなりの手練れにして強い。
 青年は首筋に顔を埋め、血を味わうアシッドの顔を自由に動かせる足で蹴りあげると距離を取って見据えた。
 自慢の綺麗な顔を蹴られかけたアシッドは間一髪で同じく距離を保ち、忌々しそうに青年を見返す。
「これでも修羅場はくぐってきてんだ。アンタはここで、オレが仕留める」
「ほざくねぇ……ただの人間が! 私の美しさに大人しく見とれてひれ伏していれば良い思いを出来たものを」
 自ら美しいと言うだけあって、アシッドの姿は魔物にして異形でありながら美しかったけれど、向かい合う青年は軽く笑ってそうかよと双剣を構え直した。
「どうせなら美人のオネーチャンに言われたかったぜ」
 そして、人知れず彼は殺し合いに覚悟を決めて、ただでは済まねぇだろうなと自嘲する。勇者とやらにはなり損なったが、正義気取りにはなれそうだ。
「一応、名乗った方が美徳かい? 美青年」
 軽口を叩き、腰を落とす青年にアシッドは良いね、と呟く。相手に不足はあれど顔は悪くないからね。という台詞に青年は苦笑いしか浮かばない。
「自分を殺す相手の名前くらいは知りたいだろうからね。私も一応、きみのような人間に興味はないが美学ではある。美しい事は私も嫌いではないので、のろう。アシッド・シャドウホークだ」
「オーケー、男のロマンが分かる野郎で何よりだ。死ぬのはアンタかも知れないが、格好良い生き様はオレも好きなんでね――ガリオン=シュナイダー、だ」
 互いに名乗り、そして互いに動き出す。勝負の行方は呆気なく、無情にも着いた。鮮血が石で固められた地面に滴り、苦しげに苦笑いを浮かべて崩れたのは赤毛の青年。
 最期の言葉はなく、砕けた双剣がガラガラと地面に散らばったのを視界に捉えた彼の心境を、アシッドは知らない。目の前にあるのはただの獲物にして食事なのだから。
 ぺろりと舌舐めずりをし、綺麗な笑顔を浮かべたアシッドは「頂きます」と甘い声音で囁いて、食事を開始した。既に動かなくなった獲物から断末魔の悲鳴が聞けないのが残念だけど、文句はない。
 骨の髄までしゃぶり尽くし、残された衣服と血痕だけになったところで、そういえばこれはなんという名前だったかと思い立つ。
 ガリゴリと骨を噛み砕き、咀嚼まで丁寧にしても思い出せなかった記憶力に美しくないなとぼやいたアシッドは、再び人間のように爪と羽根をしまうと魔術師との待ち合わせ場所に向かう為にその場を後にした。


それに気付いたのは、病気の母の代わりに仕事をしていた少女だった。間の悪い事に、と言ってしまえばそれまでだけど。
 たまたまそれに居合わせてしまった時点で少女が哀れな犠牲者となるのは逃れようもない。惜しむらくはその綺麗な魔物に見惚れてしまったのが、決定打なのかもしれない。
「……おや」
 路地裏から出てきた人ではない異形を少女は一瞬だが確認していて、纏う血の香りも、分かっていたのに、綺麗な綺麗なその顔に、少女は恐怖を忘れた。
「……可愛らしいお嬢さんに目撃されてしまったかな」
 固まってしまった少女にやれやれと魔物ーアシッドは軽やかな仕草で少女の手を取る。悪いようにはしないから、大人しく私についておいで。囁かれた甘い声に、少女は頬を染めて頷くと、静かに魔物に寄り添った。
 少女の記憶はそこで途切れて後の事は、覚えていない。ただ、視界の端にぼんやりともう1人。フードを被った誰かが居たように感じた。

xxx

 アシッドとの待ち合わせ場所へ向かった魔術師は、その綺麗だと自賛する顔を睨んだ。
 咄嗟に意識を無くさせる詠唱と姿を隠す魔術を施したが、何だその余計な女は、と無言で訊ねる魔術師に対して、アシッドは妙に上機嫌で事の経緯を告げる。
「嫌だなあ! そんなに怒らないで下さいよ魔術師殿。ちょっと食事をした帰りをこのお嬢さんに見られたものだから連れて帰ってオモチャにしようだなんて考えてませんよ」
「食ったのか、街中で。あまり目立つのは本意ではないと言っただろう。対人数相手は少ないに限る」
 無論、負けるとは思わないが世界を滅ぼす為に無駄は少ないに限る。いくら魔術師が才能ある魔術師であれ、アシッドが抜け目のない強い魔物であれ、数には勝てない。
「不用意な行動で勘の良い人間が気付かないとも限らない、その女と食った人間は仕方がないとしても目的は勇者の暗殺だろう。さっさと殺して終わらせろ」
 魔術師の言葉に、アシッドは不服そうに魔術師を眺めてそれもそうですねぇと流す。
「……で、魔術師殿の方はどんな情報を把握出来たのです?」
 余り大差はないだろうが、情報は多いに越した事はない。アシッドは話を逸らすついでに訊ねた。魔術師はいつもと変わらない無表情でそれなりにはな。と短く返す。
「クロス=アッシュタルト、だったか。評判は特に悪くも良くもない無難に確実な選択だろうな。何故か必ずと言っていい程に聞くのはライオン=レインハートという名前だったが。
聞けば誰もが認める強さと良い子だそうだ。そんな人間が居る筈もないだろうに、さすがに笑えてしょうがない。新手の芸風かとさえ思える気持ち悪さだと思った」
 嘲笑いを浮かべた魔術師に、アシッドはやや意外な一面だと見返した。無表情、冷淡 、魔王に対しての態度ですら一貫した姿勢を貫く男が嘲り笑う程に寒いのだと改めて思うと、確かに気持ち悪く感じるもので。
「魔術師殿がそう仰るとは……人間がそこまで口を揃えるのが可笑しいのですか」
「……ん。あぁ、魔物にとって人間はただの喋る家畜だったな。分かりやすい例で言うなら、そうだな。お前達が口を揃えてたった一匹の魔物を強い、素晴らしい、美しいと褒めるのは気持ち悪いだろ」
 魔術師の分かりやすい置き換えにああ、と納得したアシッドは事の状況の薄ら寒さに笑みを洩らした。
「そういえば、準優勝をしたと言うガリオンという男。会って見なければ分からんが何か利用出来そうではあるな。私はそちらから新たに当たるとするか、お前はどうする。早速勇者を殺しに行くか?」
 魔術師の言葉に、アシッドはふと先程の餌を思い出す。ガリオン、確かあの赤毛の男はそう名乗っていただろうか。
「……ガリオン、シュナイダー」
 すっかり忘れたと思っていたら案外記憶というのもバカには出来ない。アシッドの呟きに何かを感じた魔術師は怪訝そうに振り返り、どうした。と口を開く。
 アシッドはもしかしたら、と前置きをしてその男、私が食べてしまったかも知れません。と告げた。


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