00『終わりと始まり』

【勇者と聖女のとある物語】




 
 物語は、絶望から始まる。 
 よくある話だけれど、今まで共に苦を分かち、喜びを共に歩んできた仲間で俗にヒロインだとか悲劇的な運命を持った《聖女》にして清らかなる彼女。
 そして、勇敢にして年齢としては大人と子供の境にいる《勇者》と称された彼に委ねられた選択肢は、それまでの努力や小さな積み重ねが一瞬で無駄になるようなモノだった。
 世界を救う為に、と。
 今までどんな困難も二人で乗り越えて来たというのに、世界は無情にもそれを彼に迫った。
 世界を救う為には唯一の仲間である彼女を犠牲にするしか、救う方法がないのだと。
 彼は勿論、嘆き、憤り、みっともなく足掻いたけれど、とうとう他の方法なんて見つからないまま限界が近づいてしまった。
 何でなんて何度、口に出したか分からない。どうしてと呟くのなら、単に彼が物語の主人公で彼女が聖女だからなのだろう。それだけの、使い古されたよくある話だ。
 まぁ、当事者である彼の苦痛なんてものは彼にしか分からないし、犠牲になれと言われた彼女の心境だって、彼女にしか分からない。
 互いに世界を救う為に一番手っ取り早くて良い方法は分かっていたし、理解していながらも。
「君が、犠牲になんて……」 彼は、彼女の居ない世界で生きる事すら考えたくもなかった。
「でも、そうしなければ皆が消えてしまうわ」 彼女は世界の為に聖女で有り続けなければならなかった。
 帰る家もなく、待つ人もない。善良にして尊い悲劇のヒロインだとか! いやいや、どうなの。流行らない? でも、そうであれと望まれた彼女を誰が間違っていると言えるのか。
 両の手が震え、唇を引き結びながら気丈に聖女として世界を救う為に死ななければならない彼女を、彼が死なせたくないと思う事が何の咎だと言うのか。
「……わたしが死ねば、世界は救われる」
「……世界は救われても、俺は救われない」
 無理矢理にでも微笑もうとする彼女に彼は静かに告げる。諦める事は、逃げる事だとばかりに、まだ何か手はある筈だと考えて。
「……ありがとう、きみがそう想ってくれているだけで、わたしは……生きてて良かったと思えるよ」
「これからだって、アンタは生きれる筈なんだ……なのに、何でよりにもよって、アンタが死ななきゃならないっ!」
「仕方がないよ……だって、そういう運命だったんだから」
 未練がましいよ。と続けた彼女の表情は今にも泣きそうな、無理に笑った笑顔。生きたい等と、言ったところで死ぬ運命ならば。死にたくないと喚いたって殺されてしまうならば。
「死に方を選べる上に世界を救える英雄になれるんだから、笑って逝かなきゃ。最期くらいは笑って死にたい。だからほら、きみも笑って?」
「……アンタ、俺が笑って見送れると思うのか」
「お願いだもん。聞いてくれるよ」
 彼女の精一杯の笑顔に彼がそれ以上、何も言える訳がない。
 せめて、大人になりきれてさえいれば、仕方ないかと割り切れたのに。まだ、子供だったなら、後先すら考えずに彼女を選ぶ事が出来ただろうに。
 中途半端などちらにもなりきれてさえ居ない彼は、彼女の願いに歪な笑顔を返す――こんな結末なんて望んでなかったのに。
 握り締めた剣は大切な人を護るためのモノだった。それが今、護るべき筈の彼女を殺す為に空を切る。
 聖女たるものいつ如何なる時でさえ慈しみ、微笑みなさいと言われていた筈だった。けれど今、彼女は死にたくない一心で泣いていた。
「さようなら、聖女様。俺はアンタを……選べなかったよ」「……っ……ッ――にたく、ない」
 笑って剣を降り下ろす勇者と、泣きながら死にたくないと懇願する聖女の姿は酷く不釣り合いで、端から見ればとても滑稽でしたでしょうね。
 そして、聖女は泣きわめく。この理不尽に耐えきれず、どうして――と。
「死にたくない、死にたくないよぉ! どうして、どうしてわたしなのかなぁ、本当に、どうしてわたしが死ななければ世界が終わっちゃうの、生きてて、ダメな子だったかな? ごめ、ん……ごめん、こんなギリギリでこんなこと、言っちゃ、聖女、失格だよね。あは、は! ……は、ッごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい
――生まれてきて、すいません、でした」
 彼女は涙を流しながら、最期に謝罪の言葉を述べると、にこりといつもの様に微笑んで事切れた。
 貫いた剣を彼女の屍からゆっくりと引き抜いた勇者は次いで、聖女の首を切り落とす。万が一にでも、生きてしまわぬように確実に殺した。
 乾いた笑いが、空に高らかに向けられる。
「はは、は……ははははは! ……死にたくない、なんてバカじゃないのか。当たり前なんだよ、当たり前で良かったんだよ。聖女としての生きざまを選んだアンタを、俺が殺した、ははっ……聖女殺しの勇者なんて、ゲシュタルト崩壊も甚だしいなぁ、オイ」
 自嘲。自らを嘲笑い、彼女でさえも嘲笑した彼は、血塗られた剣を地面に突き刺して、彼女の為の墓場を用意した。
 墓標なんてモノは無い。代わりに剣を刺した勇者は笑いながら、ボロボロと涙を溢していた。
 さようなら、きみの居た世界。始めまして、俺の生きてる世界。



 勇者と聖女のとある物語。

01【救われた世界、救われない二人】


 
 救われた世界は、救われた事すら知らずに日常を謳歌する。
 勇者と聖女は世界を救った。自らを犠牲に世界を救った彼女を英雄と呼ぶのは、一部の彼女を知っていた人物だけ。
 後におとぎ話なんか美化された姿で語り継がれ、やがて風化していく。
 聖女を殺した勇者は、与えられる称賛もなく。また、それを知られる事もないまま行方を眩(くら)ませていた。
「……そうか、勇者は生きている事は確かなのだな」
 威厳に満ちた表情のまま、使いからの後日報告を受けた王は神妙に頷いた。彼と彼女に世界を救う為の方法を教え、そして、最終的には勇者一人に任せてしまった後悔と罪悪感を感じてはいるが、しかし。
「世界とたった一人の人間の命。どちらがより優先されるべきか、等。議論の余地もなく世界を優先すべきなのは明白だが……安く済んだと喜ぶべきか、それとも惜しい人物を亡くしたと哀しむべきか、どう思う」
 一人言のように問われた問いかけに、報告を済ませた使いは頭を下げたまま、あくまで私個人の考えですが。とそれに対しての返答を述べる。
「死者に口はありません。どう思おうが、既に遅いでしょうね。どう取り繕おうとも、知っていた我々が彼女を殺した事に変わりはありません」
「……ふ、ズケズケといいおる。しかし、事実だな……だからこそ、勇者は真っ先に私を殺しに来るのだと予想していたのだが」
 使いの言葉に肩を揺らして笑んだ王は、誰も居ない扉を見つめた。
 かつての光景が脳裏に浮かぶ。聖女は常に穏やかな微笑みを称え、勇者の傍らに居た。勇者はその瞳をきらきらと輝かせ、精悍にこちらを見ていた。
「……老いぼれが生き残り、若き命が散り逝く――理不尽なものだ」


 去りし日々に想いを馳せ、目蓋を閉じる王に頭を下げた使いは静かに退室し、息を吐く。見張りは、使いにご苦労様でしたと労いの言葉を告げて、使いは力なく頷いて足を進めた。
 正しい選択をした勇者と、尊い犠牲となった聖女よりも。それを知りながら今更嘆く王に対する甘さに苦笑い、何とも感じていない自身に自嘲して。
 王は殺されるなら自身だと嘆いていたが、実際にそうなると間違いなく王を護る自分なのだ。とはいえ、それも自業自得か――そんな風に苦笑い、自室の扉を開けた。

 そして世界は再び、絶望を繰り返す。後に現れる、魔王と魔女と二人の少年によって。

02【魔王と側近の魔術師の邂逅】

   
 聖女が死んだと知った時、男は一瞬にして目の前が暗く閉ざされた感覚に襲われた。焦がれていた。その優しさに。望んでいた、彼女は無事に帰ってくると。
 なのに、何だ。この仕打ちは、余りにもあんまりではないのか。男は、悲しみにくれ、怒りに震え、世界を呪う。彼女の居ない世界に意味なんてなかった。
 男にとっての世界とは、彼女がいつものように微笑んで幸せであれる場所であったのに。何故だ。何故だ、何故だ!
 口から吐き出される呪詛は止まらない。喉が限界を越えて血を吐いても、男は憎しみに駆られた言葉を吐き続ける。
「復讐してやる、こんな世界に価値なんて無い。呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる、彼女が居ない世界なんて、死ねば良かったんだよ」
 掠れた低い声で復讐を誓う男は、虚ろな視線で立ち上がり、世界を壊す為の力を得る事を決意した。

xx

 復讐を誓った男と、後に魔王と恐れられる少年が出会ったのは、偶然であった。色素の薄い青白い肌に、透き通るような白い髪をした少年に目を惹かれたのは、その容姿が珍しかったからなのだろう。
 しかし、男には復讐という目的を果たす為の力が必要だったから、たまたま通りすがった少年の事など忘れていた。
 ありとあらゆる書物を漁り、試し、魔術の使い手としても腕を上げたが、世界を滅ぼすにはまだ値しない。男が少年と再会したのは、古びた地下の書物倉庫。
「……関係者以外は立入禁止だった筈だが、一体どうやって入ったんだ」
 危険な魔方陣が記されている膨大な書物の一冊を、軽く咳き込みながら読んでいた少年を怪訝に思った男は問い掛ける。
 少年は青白い顔を静かに男に向けて、あぁ。気にしないで下さいと眼鏡の逆光で見えない表情のまま告げた。
「けほ、……いやぁ……僕、病弱でしてね。……けほ、けほ、……ゴフッ!」
 何度か咳き込んだ少年は唐突に吐血して崩れ落ちる。男は少年の心配よりも先に少年が手にしていた本を優先して庇い、崩れた少年を静かに見下ろした。
「あれ、……けほ、……ふふ。貴方、酷く冷たい人だねぇ? 何度か接触してきた人達は必ずと言って良い程に僕に大丈夫か? と尋ねるのだけれど……」
 口元から血が溢れて伝っているのに、少年は可笑しそうに笑うと、ゆっくりと体を起こす。
「お陰で新しい魔術を試せないじゃあないか。つまらない」
 クスクスと笑う少年の服の袖に小さく描かれた魔方陣を見た男は、興味すらなかった少年に息を飲んだ。
「……何てえげつない性格だ。普通は試せないだろう。そんな、人体を内側からズタズタに切り刻む特殊殺陣など、普通の神経なら使わない」
 もし仮に、男が少年を心配して駆け寄ったとして。
 無事を確認する為に触れた瞬間、全身を途方もない苦痛が襲っていたかも知れない事を考えると笑えない。
 しかし、少年はそんな男に笑んだまま言葉を続けた。
「……けほ。……まぁ、それはそれとして、こんな小さな魔方陣でこれがそれだと分かるなんて、貴方こそ相当にえげつない知識だよねぇ。参考程度に目を通していたのか、余程熱心な探求者か、或いは実際に使用する為に覚えていたか。……ふふ」
 穏やかな笑みを浮かべる少年に男は、言い知れない嫌悪と寒気を感じていた。
 人を人とも思わぬ外道。例えば、目の前で殺人が起きたとしてもこの少年は今と全く変わらぬ笑顔で笑って見ているに違いない。
「それにしても残念だ。内側からズタズタにされた人間がどこまで生きていられるか。どうやったら助かるか。どこまでやったら死んじゃうのか。貴方では試せないようだから、誰か別の人間に試すとしよう」
 一人言のように告げながら、男の横をすり抜けた少年はしばらくしてからまた吐血した。
「……少年。」「……うん? 僕の事かな、魔術師さん」
 荒い呼吸をしながら振り返った少年に男は、自然と浮かぶ笑みを隠せない。
 やっと、鍵を手に入れた気がする。ようやく、世界を滅ぼす為の力を見つけたと感じたのだ。
「どうだ、暇なら。私と一緒に世界を壊してみないか?」
「……けほ、……はは。大丈夫かなぁ、頭。世界を壊す? 何て無謀で無意味で無策な誘いだい。面白そうだねぇ、良いのかなぁ。僕を選んじゃって」
 僅かに目を見開いた少年は腹を抱えてクックッと笑いながら、誘いを承諾する。男に迷いは無かった。
「あぁ。きみは、あるがまま、最悪の魔王となってくれ」
「ふむ、なら貴方は、こんな最悪な魔王の側近って、ところかい?」

 偶然の出逢いは、最悪の再会から回る。復讐を誓う男と、病弱にして最低な少年は、こうして世界に反逆を示したのだった。

03【とある魔物と魔女の出逢い】

 
 さて。ここで、とある魔物の話をしよう。魔王とされた少年と復讐という鬼に憑かれた男が出会ってから早くも一ヶ月。
 僅か十日足らずで魔物を支配下に置いた少年の命令で、一匹の魔物は町外れの森で人間を襲っていた。
 まるで観察するように細かく報告をしなければならない魔物は、殺す為に何をどうやって殺したのか――を記憶しなければならないのだから骨が折れる。
 だからなのか、いつものように人間を襲った魔物は、人間によって思わぬ反撃を受け、必死に逃げていた。いくら頑丈な魔物とはいえ、多人数を相手にしては敵わない。
 逃亡する為の羽は無惨にもボロボロにされ、背中には無数の毒矢が刺さっている。魔物はフラフラと、せめて屍だけは晒さぬようにと必死に逃げていた。
 魔物とて、自尊心はある。少なからず感情もある。だからこそ、強大な力を持つ魔王を恐れ、敬い、従うのだ。
 人間が手柄を立てる為に魔物を仕留めると同じく、魔物も手柄を立てる為に人間を殺す。ただそれだけの話で、理由で。そして同じく、いつ殺されるとも知れぬ身だと知ってはいたのだが、自尊心は譲れなかった。
 ギチリと足の構成物質が砕け、魔物はとうとう逃げる術を無くす。無慈悲にも魔物の目の前には、人間が居た。嗚呼、と魔物は嘆き、これが最期かと腕の力だけで身体を起こす。
 殺すなら、殺せ。だが、誇り高く背は向けぬ。
 悪足掻きだろうと、譲れない自尊心の為に身体を起こした魔物が次に視界に入れたのは、まだ大人とは言えない少女の姿であった。
 魔物は振り絞った力を抜きかけて、きょとんとした表情でじっとこちらを見つめる少女に遠い目を向ける。
 恐怖で身体が動かないのか、魔物が珍しいのかは知らないが、じきにバケモノと罵り逃げるだろう。人間とはそういうモノだ。案の定、その少女も例に漏れず、いつの間にか姿がなくなっていた。
 残されたのは、死ぬまでの時間と暗がりの中から聴こえる虫の鳴き声。上空の月は半月。視界はとうとう霞んでいく。報告をしないまま消えたとて、あの魔王は気にしないだろうが。
 何だかんだで、あの魔王と過ごした日々はそれなりに名残惜しい。
「……ッ」 不意に、がさがさという物音が聞こえ、魔物の神経は張り詰める。暗がりでも見える目で周囲を見やれば、先程消えた筈の少女が何やら篭を持ってこちらに近寄ってきていた。
 他に気配は感じない。何の為に、何のつもりで戻ってきたのだ。全く持って魔物には理解出来ない行動だった。

「大丈夫ですか、言葉は理解できますか、痛みは感じますか?」
 柔和な笑顔と共に告げられた言葉は、信じられない台詞。驚きに身を捩れば、動かないで下さいという少女の優しい声音。
 目が見えないのか、この人間とは明らかに違う異形さが見えていないのか。しかし盲目らしき様子はない。何故、恐れない。怯え、逃げない。この少女は不可解だとしか思えない。
「痛そうですね。でも、大丈夫ですよ。この薬、よく効くらしいので、多分人間以外にも効くと思いますから」
 おもむろに篭から薬草を取りだし、あろうことか魔物の治療を始めた少女に、魔物は絶句する。
「ふふ、不思議そうな顔ですね。だから、私は村の人から魔女なんて呼ばれてるんです。気持ち悪いらしいんです。この笑顔も声も、存在全てが魔女という最悪な女らしいので、魔物さんの敵ではありませんよ」
 そう他人事のように語る少女に魔物は眉をしかめる。いや、魔物に眉はないのだが、心境としてはそんな気持ちであった。
 魔物には人間の美的感覚とやらは分からないが、少女の容姿や声音からして、美しいと称される女と大差は感じ得ない。むしろ、魔物である己ですら好ましいとさえ思えるのに。
「はい、とりあえずの手当てはこれで大丈夫でしょうか。完治には時間がかかるでしょうけれど、死にませんよ。あ、それからお腹は空いてませんか? 魔物さんは何を食べるのでしょう。やはり、人の肉ですか?」
 何なら死んだばかりの死体を掘り起こしてでも持ってきますから遠慮なく言って下さいねと笑んだ少女は、まさに魔女だと言えた。


04【魔女と呼ばれた少女の半生】


 魔女と呼ばれた少女の人生は、悲惨だった。
 自らを生んだ母親は、少女を生んだ瞬間に命を落とし、妻の死を知った夫にして少女の父親は発狂して自殺。
 母方の祖母によって育てられていたのは三年。寿命を迎えた祖母に代わって少女を引き取ったのは、母親の妹。叔母である女性と共に暮らしてからは五年。その叔母もまた、病死。
 それ故に、少女は死の使いとして恐れられ、迫害された。
 齢にして八歳の少女は訳も分からないまま迫害され、蔑まれ、そうか。自分が悪いのかとすんなり受け入れる。
 幸いなのか、どうなのか。祖母は優しく穏やかな人情味の溢れた人物。叔母は人当たりの良い、頭も良くて曲がった事が嫌いな人であったから、少女も必然とそれに倣(なら)う形で納得していた。
 自分が悪いから、こんな風に嫌われてしまうのか。ならば、しょうがないかとそう思ってしまった少女はそれならせめて、笑っていようと考える。
 死神だと言われたら、ごめんなさいと謝ろう。石を投げられたら避けずに甘んじて受けよう。何をされても文句は言わないでおこう。何を言われても泣かないでいよう。
「なのに何故でしょうか。どんなに笑っていても避けられてしまうのですよ。最近では石を投げられる事はなくなったのですけれど、代わりに無視をされてしまいます」
 魔物の治療をしながら、少女は世間話のように自身の半生を語る。その表情は柔らかい笑顔のまま。
 まるでおとぎ話を子供に話す母親のように、穏やかで優しかった。魔物は相槌を打つこともなく、ただただ不快な気持ち悪さに吐き気がしていた。
 狂っているのは果たしてどちらか。どちらにせよ胸糞悪い事実に変わりはない。
「さすがに小さな男の子に魔女なんか死ね、と釘付きの木の棒で殴られて、片目が見えなくなっても無視をされたのは困りましたけど。まぁ、私、痛みを感じないのでどうって事はないですね」
 成る程、と痛々しく巻かれている包帯の理由を知った魔物は治療の礼に魔力が戻れば治癒の魔法をかけようと決める。痛みを感じないなんていうのは、きっと強がっているだけなのだ。
「……早く治ると良いですね。魔物さん」
 その言葉には同意だったので頷けば、少女はとても嬉しそうに笑った。


 魔物が動けなくなってから一週間。半ば回復してきた事を認識していながら、魔物は少女から離れがたい心境で居た。
 昨日、少女の片目の治癒は終え、今日には別れを決意していた魔物だったが、いつもの時間になっても来ない少女を待つ内にその想いに気付いた。
 こんな感情を魔物は初めて抱いたのだが、不思議と不快ではない。このまま、少女が幸せで過ごせるなら。魔物はらしくもない心境に苦笑い、そして来ない少女を待ち続ける。
 一日。二日。三日。まだ、少女は来ない。魔物は言い知れぬ不安に襲われ、十分に動けるようになった身体を起こした。
「……村、か」 魔物は人間の姿へと身体を変えて、少女の居る村へと足を向ける。少女の姿を見れば、それで魔物は安心して魔王の元へ戻るつもりだった。
 けれど、そこで待っていたのは余りにも非道にして吐き気のする、人から外れた仕打ちを受けた、少女の姿だった――
 

05【泣かない魔女】
※身体欠損などの残酷描写あり。


 少女は、本当に痛みを感じない。
 生まれてからこの方、石をぶつけられて血が出ても、それを痛いと感じた事はなく、あぁ、血が出てるなぁと。
 爪を剥がされた事もあったけれど、あぁ、メキメキと軋んでいるなぁ。とだけ思いながら剥がされた指に包帯を巻いた。
 だから、痛いより何よりただ、痛いという感覚を理解出来ないのだ。だから、片目を魔物に治癒された理由も分からないのだけれど、ただ嬉しくて。
 嬉しくて、包帯を外して外出したのが、村人達の怒りを。
 恐れを買ってしまった。無視をしていながら、確実に潰されていた目が治ってしまっているなんて、気味が悪い。やっぱりあの女は魔女なのだと。
 そして。悲劇は起きる。惨劇が行われる。少女は村人達によって、四肢を、切断された上に! まるでゴミのように村の片隅に転がされて、いた。
「…………ッッ、〜〜!」
 それを見た魔物は歯を食い縛り、強く掌に血が滲む程に握り締め、咆哮を抑える。そんな仕打ちにあっても、少女は生きていて。そんな目に合わされても尚、穏やかに笑顔を浮かべた。
「あ……れ、もしかして、魔物さん、ですか、……あはは、ごめんなさい。ちょっと、手足、なくしちゃいました、」
 泣かない。怒らない。誰も、責めない。少女が何をしたのか。村人は何を恐れたというのか。
 魔物は重苦しい胸の痛みに、押し潰されそうになりながらも少女を抱き起こす。
「……待っていろ。すぐに新しい手足を用意してやる」
「……魔物さん、手足なら多分、その辺りに捨てられてる筈ですので、……ぃ……針と、糸で縫ってくれ……ば、十分ですよ」
「ふざけるな……!」
 にこりと笑う少女に怒鳴った魔物は、不意に視界が潤む。
 魔物は涙を流さない筈なのに、彼は、まるで泣かない少女の代弁でもするかの如く、両目から涙を流していた。
「大丈夫です、私、生きてますよ? だから、……えへへ。ちょっとだけワガママ言って良いですか? ……3日も飲まず食わず、……ったから、のど、渇いちゃい、ました」
 魔物は静かに少女の為に水を運び、口移しで飲ませてやる。
 ついでに捨てられていた少女の手足も拾い上げ、時間停止の魔術を掛けてから。魔物は少女が生きている事実を確認するかのように抱き締めた。
「? ……魔物、さん?」「俺の、所為か――」
 安直に片目を治癒したばかりに、こんな目に合わせてしまったのかと、魔物はキツく歯を食いしばる。
「責任は取る。何よりお前は、死にかけた俺を助けた。その恩に報いる為に、俺は――この命、魔王以外にお前の為に尽きるまで使う」
 だから、俺の為にも生きてくれ。魔物は魔女に忠誠を誓い、魔女はありがとうございますと微笑んだ。


「ふぅん。そうかい、それで、その魔女とやらに助けられたから、その娘を助けたいと。……こほ、いやいや、美しい光景だねぇ。良いよ、好きにしちゃえば? 僕は基本的に何でもどうだって良い性格だからねぇ。それにしても」
 姿を見なくなっていた魔物の帰還と報告を受けた魔王は咳き込みながら苦しそうに魔物を見返し、よく耐えたねぇと笑う。
「痛みを感じない魔女が受けた仕打ちを前に、よく村人達を全滅させなかった、よしよし。奴等に対する復讐は僕に――というより魔術師に任せておきなよ」
 白髪の髪を揺らし、魔王は傍らに置かれた鞄からガチャガチャと細い糸と針を取り出して魔物に抱えられた四肢のない魔女を眺める。
「その子の手足は僕が、キッチリかっちり繋げておいてあげるからさぁ、こほ、……ゆっくり休みなよ。これでも、……ゲフッ」
「あ……の、大丈夫ですか、吐血してますよ?」
「あぁ、うん。いつもの事さ。……こほ、まぁ。とりあえず、僕はこれでも部下思いの魔王なんだぜ」
 口から血を流しながら格好良く告げる魔王ではあったが、その姿はいまいち締まらなかった。
 しかし、気持ちは十分に伝わったので、魔物は感謝の意と誠意を込めて。ありがとうございますと頭を下げた。
「さぁて、聞いていたよねぇ。貴方の事だから、場所は分かるかなぁ」
 魔女の腕と足を繋ぎながら、魔王は背後の魔術師に話し掛ける。魔術師は表情を変える事もなく承(うけたまわ)った。と長いコートの裾を翻す。
「……相応しい復讐をしてやるさ。私は別に正義ではないが。魔女と魔王の為に動くのも、側近の役目であるならな」
「ふふ、……いってらっしゃい」


 奇しくも、魔王と魔女は出会い。そして少女は、その手を下さずして魔女としての生を生きる事になる。

06【地獄絵図】
※拷問などの残酷描写あり。
 
 
 魔女の報復の為に魔王に命じられ、その村を訪れた魔術師は手始めに結界を張った。
 この村に出入り出来るのは結界を張った魔術師と、魔術師が許可をした者だけ。つまり、村人に逃げ道はない。
 これから始まるのは、虐殺。一方的な蹂躙であり、情けも容赦もない、ただの殺戮なのだ。
 魔女と呼ばれた少女を魔術師は知らないが、迫害と聞けば詳細は容易く浮かぶ。蓄積された自業自得を村人に思い知らせるだけだ。
 女子供も逃さない。この村の住人全てが対象。一気に根絶やしにするのも容易かったが、魔王からついでに実験も頼まれていたので時間をかける必要があった。
 魔術師は魔物を使役し、その村人達への復讐を三日三晩にかけて為し遂げる。
 火炙り。拷問。水責め。全身の皮を剥ぎ、或いは指を数時間毎に切り落とす。目玉をくりぬき、鼻を削ぎ、耳を奪い、死ぬまで殴り続ける。
 阿鼻叫喚の地獄絵図。それらの目を逸らしたくなる無惨にして凄絶な行為を、魔術師は涼しい顔で眺めていた。
 村人達は突然現れ、こんな地獄に変えた魔術師に幾度となくどうしてなのだと尋ねたが、魔術師は無言で惨い行為を続けていく。
 村の周囲には結界がある。村人に逃げ道はない。目を逸らしても、隠れていても、大量の魔物によって見つかってしまう。
 老若男女、容赦なく。そして惨い姿にされても尚、一思いに殺されはしない。ひたすらに苦痛を味あわされ、拷問は死ぬまで続く。気を失っても休む間もなく強制的に。
 彼らの悲鳴を耳障りそうにしながら、魔術師は一冊の書物に丁寧に文字を書き列(つら)ねていく。

「……ぐっ……貴様、一体、何なんだ! ――ぐぁっ……は、何が、目的、だ……この、外道が……」
 魔術師の足元で、両手足を釘で縫い付けられた男が強く魔術師を睨みつけ、罵声を浴びせた。
 魔術師は男を一瞥するとようやくここで表情を嘲笑に変える。この光景を前に、自らを拷問されながら罵声を浴びせる男に、焦がれた聖女の側に居た勇者の面影が重なったのだ。
「心当たりがないとでも? 魔女と呼ばれた少女を知らないと仰いますか。それとも、あんな惨い行為を少女にしておきながら、自分達は咎められないとでも思っておられたとは、とんだお笑い草だな」
 丁寧に魔術師は男に告げた。見下す視線は変わらないまま、馬鹿でも分かりやすく説明してやると言わんばかりのそれは嘲りだった。
 魔術師が初めて発した魔女という言葉に、男は驚きに目を見開き、その声が聞こえていた者は狂ったように訳の分からない奇声を発する。
「とうとう、本性を現した、か……あの、魔女が……!」
 魔女の所業だと知った男に、蔑みの念がこもった。
 やはり生かしておくべきではなかった。そう思ったのだろう。しかし、それは魔術師が否定する。
「勘違いするな。お前等が今までしてきた仕打ちを、魔王が魔女の代わりに報わせろと命じただけだ。利子はついて三倍返しにはなっているがな」
 最早、先の丁寧な口調すら微塵もない魔術師の静かな声に、男は噛み付く。意味が本当に伝わっていないように何が悪いのだと怒鳴り付ける。
「あれは魔女だ! ああしなければおれ達が殺されていた! 現に見ろ! あの魔女の所為でおれ達はこんな目に合わされているじゃないかっ……あの、疫病神が……こんな、真似をして、――ぐぁっ!」
 男の激昂は、魔術師の鋭い蹴りで遮られた。踏みつけた肋骨が軋むのを認識しながら、魔術師は体重をかける。
「――小うるさい虫だな、分からないのなら黙っていろ。自分の置かれている状況を理解しているのか? お前達は今、正に、嫌悪する魔女と同じなんだよ」
 男の肋骨が折れた。悲鳴が響くが、構わず魔術師は会話を続ける。
「仕方ないよなぁ、お前達は私達が気持ち悪いとしか思えない人間なんだから。気持ち悪いと迫害を受けても仕方ないのだろう? 直接何をされた訳でもないが、居るだけで最悪な存在は、何をされたところで文句を言うな……それだけの話だ。そうなんだろう?」
 誰も魔女を助けなかった。見てみぬ振りをして、虐げてきた。
 それが当たり前だからだ。ああ、だけど仕打ちが余りにも非情で酷ではないか。村人達に絶望が満ちていく。魔女を迫害して何が悪い。分からない、理不尽だ。そんなところだろう。
 別に最初から許しは求めていないし、仮に懇願されても逃す理由にはならなかったが。まあいいか。
 そろそろ作業に飽きてきた魔術師は魔物達に残骸すら残さず、証拠を隠滅しろとコートを翻して魔王への報告書を静かにまとめに入った。


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