閑話番外ー09『黒の王と紅の騎士』

終末アリス【改定版】



  
 258代目ハートの女王。その伴侶として選ばれたスペードの王はあらゆる全てにおいて完璧だった。無駄がない、引き締まった体躯に優秀な頭脳。美貌も剣の腕前も、突出して秀でていた。
 黒の髪は長く美しい。その冷ややかな眼差しは灰色で、見下す姿は畏怖と憧憬を抱かされる。居るだけで威圧感のある男。それが表舞台に姿を現さないスペードの王の知られる情報だった。
 スペードの役は干渉しない事。最低限で、必要以上は叶わない。理不尽に満ちた役だった。それでも王がその理不尽に耐えた理由は、あの使用人フロッグでさえも知らない。

 実は女王が王に恋い焦がれていた事も、紅の騎士と時兎以外には意外と知られていない。優秀な遺伝子を残す為だけの飾りだと誰もが思っているスペードという立場。
 どれだけ完璧だろうが、誰とも関わらない王に、何を思えというのか。
 ましてや苛烈で過激な女王がそんな王を愛して止まないなど、事情を知らなければ信じられない話だ。

 そして黒の王と呼ばれた彼は語らない。諦めていたし、どうせ関係がないのなら知らなくて構わない。
 一度肌を重ねただけの女王も、何故か会いに来る使用人も、一向に姿を見せない騎士にも――王は冷ややかに一瞥するだけだ。
 理由などない。あったとしても関係がない。動いたところで、理不尽に押さえ付けられるだけだ。
 騎士など誰でも良かったから女王と同じでいいと言った。使用人が王子に引き継ぎすべき事はないかと聞いてきたが、好きにしろと返した。
 王は動かない。部屋から出ないし、どう評価され侮蔑されようがどうでもいい。重く鈍い身体は、制限だ。
 仮に命を削って力を示したところで死ぬのが早まるだけで、その代償は苦痛のみ。そこまでする理由がない。そうまでして、自ら動いたところで望みが手に入る訳でもない。
 その証拠に女王は王との子作りを拒まれたからと別の男に靡いたというではないか。
 相手を聞いてもいないのに報告にくる者は告げる。紅の騎士。王と女王の騎士だと。
 それで、それを聞かせてどうしたいのだ。不実を怒ればいいのか? 憎めばいいのか?
 女王が誰を愛そうが、王には関係がないのだ。むしろ好きなだけ愛し合えばいい。ただし、自身が知らないままで。
 そんな話など聞いたところで無駄しかない。
 

 何年経ったのか。王は静けさに包まれた夜にふと殺気を感じて振り向いた。
赤い兵士の服を更に赤く染めて、金髪のような薄い茶髪の男が、横幅の大きな剣の切っ先を床に引きずりながらこちらを見ている。
 その表情は柔和だったが、目は笑っていない。お前は誰だ、とは聞くまでもなく分かった。紅の騎士。
 女王と王の騎士であり、女王が二人目を産むときに相手をした男だ。
何の用か――も、その姿を見れば分かる。
 この男は俺が目障りで疎ましいのだろう。姿を見ずとも、生きているだけで気に食わないのだろう。だが、それはお互い様ではないか?

「やあ、黒の王。遺言があるなら聞こうか」
「――――ないな」
 殺せるならば殺してみろ。何も言い残す事はない。スペードは息子が継ぐ。女王はお前が守り続ける。役は変わらず巡るのだ。
 何を言おうと気に食わないのか。紅は剣を振るう。左頬が斬れた。蹴りが加わり、あばらが何本か折れたか。武器さえあればとは思わない。何せ抵抗したところで役が苛み、どうせ反撃すらもまともに出来ん。
 ああ、だが、それすらも気に食わないらしい。床に無様に倒れた頭を掴み、そのまま引き上げた紅の表情は焦燥していた。
 有利なのも、この場で主導権を握っているのも貴様だろうに、なんだその面は。
「何で、アナタなんだ」
 脇腹に刺された衝撃。おい、殺すなら一撃で殺れないのか。吐血する。熱い。痛いな、そう感じる暇もなく次の剣が右腕を突き刺した。
「何で、こんな何も出来ないアナタを、女王は見続ける」
 何を言っているのか。女王はお前と愛し合っているのだろう。それとも名目とはいえ俺が正式な伴侶だというのが気に食わないのか。仕方ないだろう、その代償は重いが、お前には向かん。
「アナタなんかより、俺の方がはるかに深く、彼女を愛しているのに――っ!」
 ――そうか、嫉妬か。はは、下らんな。
「それで、そんな下らない理由で気は晴れたか? 紅の騎士」
 兼用などと言い出したのは女王だが、お前はそれすら知らんのだろう。お前は最初から女王の騎士であり、スペードの騎士になるつもりすらなかった。
 それで正解だ。お前はそのまま、あの女を守り続けていればいい。愛しているというならばそれを貫き通せばいい。どうした、これで邪魔者は消えるんだ喜べよ。
「下らない……? 下らないなどとほざくなよ黒の王…、俺の気持ちがアナタに解せる訳がない……!!」
「そうだな。解せぬ。たかが女一人の為に、こんな愚行をするお前を、理解できない」
 愛している? 愛せばいい。お前の気持ちなど、知った事か。俺は何もしていない。勝手にしろ、好きにしろと何度となく示しているだろうが。理解されたいのか? されたらされたで不愉快だと激昂するのだろう。
 紅の騎士が、こちらに聞こえるほど強く、奥歯を噛み締めた。綺麗な面が、憎悪に歪んでいる。どうすれば満足なんだ、面倒な男だ。

「あの女が欲しいのならば、好きにしろ――」
「ッふざけるな!!」
 怒声。嫌悪と殺意。その眼光は鋭くこちらを見下していて、思わず笑いが洩れた。滑稽だな、何が怖いんだ。さては俺に会う前に誰かに何かを言われたか。
「ふざける――? ふざけてなど居ない。好きにしろ、と言っているのだから喜べよ紅。愛しい女が手に入るのだ、この上なく幸福で至高だろう?」
 お前はその為にこんな真似までしたんだろう。俺を殺して、独占したかったんだろう。あの女がどんな役回りを課せられてるか俺は知らんが、どうせ俺には叶わん願いだ。
 俺はお前に理解されたくはないし、同情されるのも願い下げだ。せいぜい愉悦に浸ればいい。俺は息子をこの手に抱くことも、惚れた女の側に居てやる事も出来ない。

「何せ俺は、そういう役持ちだ――」
 自嘲する。滑稽なのは俺の方か。干渉出来ないからと全てを諦め、どうせ手に入らないからと見下してきた。だが、俺が無理をして動いたところで何が出来たのか。
 好きだと抱き締めてやれば良かったのか。息子に愛情を注いでやれば満たされたか。ああ確かにそれはそうしてやれば良かったか。例えあの女が、俺を好きでなくとも――
 ああ、だけど無理だな。俺がどんなに足掻こうと、この役は解けない。惚れた女を、幸せにしてやる事すら叶わない
 だから俺は、お前に何も言い残さない。お前が女王を守るなら、俺はそれで未練はないさ。


「何で、アンタは、」


 苦しそうに顔を歪めた紅が、何を重ねて思ったかは知らん。ただ、俺を見ているようで、別の何かを見ているようだとは察した。
 なあ、紅。俺という邪魔者を殺せるのに、どうしてお前はそんな面をしている? やっぱり分からん男だな。
 だが、一番分からんのは、殺されるというのに笑っている俺自身なんだが。最期の刹那に自らを嘲笑し、王はそんな己を見下した。


ただ意に満ちた嘲笑を。終。


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