chapter3ー05『足掻いた末路』

終末アリス【改定版】



 
 時計塔に戻ってきた時兎は城からついでに拝借してきた過去の文献を読みながらいつも通りの日々を過ごしていた。
 あれきり紅の騎士は時兎と目を合わせなかったし、必要最低限しか会話をしなかった。女王は相変わらずだったけれど、一日過ごせば満足したようで気が変わらない内に帰宅した。
 蜥蜴とは入れ違いであった為に、時兎はこの時点で城がどんな状況かなど知る由もない。
 アリスとされた少女が女王と論争になり、何故か後日に行われる事になった裁判で蜥蜴が裏切ったなど、本来なら時兎は知らないままであったのだ。

 だが、紅の騎士がわざわざ知らせにきた。蜥蜴が女王を裏切ったと聞いたその夜に、時兎は動き出す。
 長年使用していなかったブレードガンを億劫そうに床の扉から取り出して、乱雑に閉めた。
 弟子の不始末は師匠である時兎にも一因がある。
最悪はこの手で殺すしかない展開すら覚悟を決めて、ふと背後の時計屋に気付いた。
「時計屋か。すまないが少し出掛けてくるよ」
「ーーそんな武器を持ってか?」
「そうだよ。ちったぁ手入れしないといざって時に使えなくなるぞって鍛冶屋に言われたから、まぁ仕方なくってとこ。心配しなくても直ぐに戻ってくるよ」
「………そうか、ならメアリーにも伝えておく」
 少しは怪訝そうにした時計屋だったが、時兎がボロを出す事はない。
 いつもの調子で微笑み返した時兎はいってきますと時計屋の頭を撫でて、いつの間にか自分より高くなっていた成長ぶりに自慢げに顔を綻ばせる。
「じゃ、留守を頼んだよ時計屋」
 嘘をつくのは心苦しかったけれど、どうせ時兎という姉代わりの人物が居たという記憶は忘れられるのだからと割り切った。

 そして。厳重警戒の中をぬけぬけと掻い潜り、尚も逃げているビルを探す道中。
時兎は無惨に何度も切りつけられた青年の姿を見つける。
 何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、まるで切れていない事が不可思議だとでもいうかのように抉られた四肢と顔面。
 死んでいると思ったその青年はまだ息があり、時兎は近くを警戒していた兵士を集められるだけ集め、手当てをした。
「……誰がこんな真似をした」
 命を助けるだけでも困難だが、仮に助かったとしても青年の視力は見えないまま。
 そして筋肉が削がれてしまっているので日常生活でさえままならないだろう事は明白だ。
 現状、裏切った蜥蜴のビルが犯人ではないかと思われるが、ビルがこんな真似をする理由はないと時兎は断定する。
 足止めをするなら必要最小限に抑え、後遺症も残さないように配慮するくらいの冷静さは時兎の折紙付きだ。
「…………」
 いや、そもそも彼が女王を裏切ったとして、だとすればどうしてわざわざ裁判途中で逃亡する必要がある?
 まるで混乱させるのが目的なように、大掛かりな真似をするのか。少なくとも時兎はこれがビルだけの考えではないとある種の確信を持った。
 あちらこちらに兵士は裂かれており、今の城は警備が手薄になっているだろう。
 だとすれば狙いは女王だろうか。しかし女王にはあの紅の騎士が張り付いているに違いない。
と、なると残りは黒の王――スペードの王になる。
「城か……行ってみるしかないな」
 近道を通って、咲き誇る薔薇庭園まで走り抜けてきた時兎はそこで返り血に染まった紅の騎士と遭遇した。

「うん? あれ、どうしてあなたがここに居るんだ。時兎」
「きみこそ、どうしてここに居るんだ、紅くん」
 互いに予期せぬ形での遭遇だったが、反応は正反対だった。軽々しい紅の騎士と重苦しい時兎の声音。
 先程の青年が浮かぶ。状況を照らし合わせれば、紅の騎士がやったのでは、と疑念が囁く。
「――なあ、紅くん。きみは蜥蜴くんが裏切ったと私に教えてくれたよな」
「ええ」
「でもな、こんな大掛かりな真似をして、蜥蜴くんが裏切る理由は、ないんだよ」
「…………それで?」
「この状況で、きみがここに居るのは、何の為だ」
 何の目的があるのか。時兎は返答次第で本気を出すしかないと紅の騎士の動向を注意深く見据えた。
 紅の騎士は時兎を見返し、どうして来ちゃってくれやがりましたかね、と呟いた。
「王に会いに行くからですよ。俺は女王を連れてこの呪いを解く方法を探すために。ビルくんとは利害が一致してね
――だから、最後の挨拶に出向こうと思った。それだけです」
「呪いを解く? 何の冗談だ。呪いが解けて困るのはきみだろ、紅くん。女王が愛しているのは王だ。
それともきみは、それを分かった上で解こうとしてるのか? だとすれば大した純愛だけれどね」
「あはは、さすがに女王様も愛する男が居なくなれば俺だけを見てくれるだろ。
きみも呪いに苛まれる必要もなくなる。現にビルくんは、役から外れる事が出来たようだ」
「――――っ、な」
「あなたは黙って騙されてくれれば良かったのに、作戦ミスだったな。まあ仕方ないか、死なないあなたでも気絶くらいはさせられるだろうし」
 つまり紅の騎士は王を暗殺する為にこの状況を作り上げた。
 時兎に蜥蜴の裏切りを伝えたのは、蜥蜴に注意の目を向けさせるためだ。しかし、時兎がここに来てしまった以上――武力を行使する。
そう宣言したのだ。間一髪で避けたが、掠めたようで足の爪先の感覚が一瞬なくなった。
 傷はつかない、痛みを感じない時兎の死なない役は確かに健在だが――斬られると分かっていて避けない選択肢はない。
 紅の騎士の命中率の悪さは、致命的だ。だが、悪いからこそ更に相手は苦しむ。
致命傷ギリギリで苦痛を味あわされる――最悪だ。
「――っ痛」
 何度目か。不意に痛みを感じた。掠り傷だが、治らない。血も出た。
まさか、紅の騎士の攻撃が死なない特性を削っているのか、それとも追い付かなくなっただけなのか。
 だが、ここで時兎が退けば、王がこの男の凶刃に晒される。
全く、騎士が主に歯向かうとは。しかも、死なない役が王の盾になるとは、何て皮肉だ。
「……生憎と、きみが王を暗殺したところで――彼女がきみだけを見るとは限らない……いや、より一層きみを見なくなるだろうけれど、それでもきみはこの先に進むつもりかな」
「あなたに何が分かる。俺は女王を愛している。王なんてものはただの飾りだろう、そんな男に何の魅力がある――
ただ偉そうにふんぞり返っているだけの男なんかより、俺の方がより深く女王を愛してあげられる」
 なのにどうして女王は気付かない。王の面影を時兎に重ねてまで、いつだって女王が恋い焦がれて憂うのは王を想っての事だ。
 吐き出された紅の騎士の本音は今まで押し込めてきた感情だった。
 純粋で激しく、歪んでいる。
 それほどまでに女王を愛しているのに、女王の愛は違う男のものだという事実が許せないとは――どれだけ盲目なのかと時兎は呆れた。
 何が分かる? 分かりたくもない。
 どうしてだ? 答えなんて明白だ。
「きみは、本当にどうしようもない男だな。きみが呪いを解こうが解くまいが、女王はきみのものにはならない。
そして王も恐らくはきみに同情するだろうさ――」
 そう囁いて、時兎は悪辣に笑った。
「その程度も分からない癖によくもまあ、愛だ何だのとほざけたもんだ。きみは単に自分の思い通りにならないのが気に食わないだけだろう」
「……黙れ」
「紅くん。この場は見逃してあげよう、知らない仲じゃないからね。呪いを解きたいなら私に任せておけばいい。きみは大好きな女王を側で支えてあげるんだ。
ビルくんの裏切りも、女王へのちょっとしたサプライズだと口添えしてあげるから」
「あんたに任せられねぇから言ってるんですよ」
「……信用がないようで残念だ。けれど紅くん、私以上に適任は居ない。それはきみだって分かるだろう。何が気に食わないんだ」
 なるべく穏便に収めようとしている時兎の説得にも、紅の騎士は頷かなかった。
言葉の代わりに剣を振るって、ただ時兎を黙らせるつもりだったそれに、肉を裂く感覚が伝わる。
「? あれ?」「…………、っ、」
「はは、ようやくきみの死なない特性も薄れてきたのかな。
まあ、それでも死なないだろうから大人しくしててよ時兎さん。動けない程度までは、やらせてもらうけど、悪く思わねぇで下さいよ」
 紅の騎士は何度も時兎の身体を傷付けた。その度に時兎は苦痛に見悶える。
ああ、痛い、血が止まらない。なのに死なないのだから平気でしょうとこの男は笑うのだ。
 痛みと滑稽さで涙が滲んだ。時兎が何を言っても届かないのだ。目の前の時兎ですら見ていないから気付かない。
「…………時兎。あんたが望む結末にはさせませんよ。俺とビルくんは、その為にこの計画を立てたんだ」
 去り際に、紅の騎士が告げた言葉に時兎は答えられなかった。
身体から血が失われていく。冷えていく。ああそうか、歴代時兎の記憶から死ぬ刹那だと悟った時兎は聞こえるはずのない声を聞いた。
 どうしてかそこには白い兎耳の少年が信じられないとばかりにこちらを見ていて、思わず笑いが洩れた。

「ごめんね、結局お姉さんは、きみにこの役を押し付けてしまうようだ」
「――っ喋るんじゃねえですよ! とにかく止血を」
「私は助からないよ白兎くん」
 口の悪い敬語に、あの紅の騎士の影響が現れている。紅くんが自覚してるかはともかくとして、やっぱり直した方がいいよなと思った。
 しかし、時兎にはもう時間がない。
「だから、さようならだ。ああ、記憶は引き継がせないし、私に関する全ては消える。
私が誰かも、もう分からなくなってきたかな? はは」
 泣いている白兎の頭を優しく撫でてやる。何で泣いているかも曖昧なんだろう、白兎は戸惑っていた。

「――私の役は、これで終わりだ」

 これが役を歪めた因果なら、これほどに笑える道化も居ないだろう。心残りも、悔やむ気持ちも、何もかもが消えていく。
時兎に関する全ては消えて、やがて動かなくなった体も最初から存在していなかったとばかりに、削除された。


 
 以上が、忘れ去られた彼女の物語である。誰にも知られず、今も忘れ去られた時兎の生涯。呪いを解こうと足掻いた、末路だった。
 夢魔はそれを見届けると、さて。ともう一つの玩具を取り出した。
こちらもどこから出したのかは定かでないが、先程の物とは違った数多のビー玉である。手のひらに乗り切らない硝子細工の小さな玉をざら、と夢魔は床に落としていく。
 高い場所から落下し、互いにぶつかりあったそれらは割れて、無惨な姿に成り果てる。しかし、不思議と煌めいて綺麗に見える光景だった。
 さながらそれは、教会のステンドガラスに模された聖女のように。幻想的で、儚かった。
「時兎の彼女が、自ら背負った呪いは歴代の時兎の記憶。そしてダイヤの魅了と恋愛感情――と、いうところでしょうか。
重要な鍵を、彼女は残さないまま消えてしまわれました。
ワタクシからすれば例え白兎が苦しもうが悩もうが、記憶も引き継がせるべきだったと思うのですけれど――魔女の考えなど分からなくて当然なのかも知れませんわね。長年の記憶を持とうが、所詮はただの呪われた身の上。
自分が死ぬとは思わなかった傲慢が招いた自業自得とも言えますわ、何て滑稽なのでしょう。愚かで目も当てられませんわ」
 時兎が蜥蜴にも紅にも話さなければ、こんな結末にはならなかった。本当に、一人で呪いを解こうと思っていたならば、誰にも語るべきではなかったのだ。
 故に、元凶は時兎。大罪は彼女にこそ相応しく、発端は彼女に他ならない。
「時兎が記憶を引き継がなかった結果、彼女に関する記憶は曖昧になりましたわ。蜥蜴のビルも、時兎という師匠を覚えていても、本当の意味では忘れている。
紅の騎士も、彼女という邪魔者が居たなという認識はあれど、ただそれだけ。白兎に至ってはそんな人物がいたという記憶すらないのですから。
例外で時計屋は――姉がいたという確かな記憶を持ち合わせていましたけれど、果たしてそれが本当に存在していたかが分からないからあまり意味はありませんわね」
 それこそ夢魔は、現在アリスたちの会話に補足して真実を伝えられる唯一の存在だった。だが、狭間の世界は混ざらないからこそ存在しない場所なのだ。
 仮に夢魔が彼らに事実を伝えようと気紛れを起こしても、何一つとして影響はないだろう。この玩具もアリスが見付けなければ存在しない物だった。
 とはいえアリスに自覚はない。たまたま時兎という鍵を開けただけだ。ナナシが蜥蜴の役を外したように、偶然に偶然が重なっただけである。
「ここでワンダーランド本編に話を戻しても特に支障は御座いませんが、ボーナスステージとして紅の騎士の記憶が開放されていますわね。では、もう暫くは過去に追憶すると致しましょうか。
もう過去はどうでもいいと思われた方はどうぞ、この章をスキップして次の章からお楽しみ下さいませ」
 過去があるから未来がある。ただそれだけの話ではあるけれど。


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