蜥蜴とナナシ

『終わる為の真実』



アリスが狭間の世界で彼女と話をしている間。
かつてもう一人のアリスことナナシと先代ハートの女王の運命を決める裁判が行われた場所。
既に使われなくなって久しい裁判所に颯爽と現れたナナシは、通常と変わらぬ無感情さでトカゲのビルを見据えた。
相変わらずこの変態は表情一つ変わりゃしないと思い、ついと視線を今にもビルを殺しかねないような怒りを燃やしている芋虫に向ける。
突然現れたナナシに視線が集まり、何事かとその場にいる面々は彼女を見据えたが、ナナシは気にせず言葉を吐き捨てた。

「……下らないわね」

全く。友達だとか、どうだかは知らないけれど。この人のセンチメンタル(笑)な感傷はただの言い訳だ。
ナナシは知らない。
トカゲのビルと芋虫との間に何があったかを何も知らない。しかし、それでも言える。
何も知らないナナシだからこそ言える。
それこそ下らないのだ、と。

「別にこの変態の味方をする訳ではないけれど、貴方が友達としてビルを止められなかったと嘆くのはお門違いだというものよ。
まぁ、貴方に限らずこの世界の住人全てに言える事なのだけど。
ねぇ、今更何をどう後悔したとして、一体何が変わると言うのかしら?」

故にナナシは今だって特別に何かを思うことはない。
この茶番の意図も意味にも興味はないのだが、付き合わされる身としてはさっさと終われと思ってしまうのだ。
あぁ、ちゃんちゃら可笑しいったらない。どいつもこいつも昔から。
二年前からずっと。
淡々と告げるナナシに水を差された芋虫は何も言わず、代わりに帽子屋が苦言する。

「ナナシちゃん…きみの言いたい事は分かるけど、関係ないきみが口出しをする問題じゃないよ」

「関係ない? そうね、私には関係ない。でも、口出しをしてはならない理由にはならないわ。
私も招かれざる訪問者。つまりは役に縛られない厄介者だもの」

とはいえ、未だにナナシにも真相とやらは分かりはしない。
役だの何だのというこの世界の仕組みとやらすらも、考えようとさえしなかった。
原初のここに迷い込んだ理由も、二年前から今に至るまでナナシには興味も関係もない下らない物語ではあるけれど。
ナナシでさえ分かる事がある。否、ナナシがナナシだったからこそ分かったのかも知れない。

「……ねぇ。ビル」
「はい。何でしょうか、私のアリス」
「あんたが私をどう思っていたかは知らないけど。
最初から私を使ってればこんなややこしくはならなかった。そう思うのよね」

二年前。トカゲのビルが裏切り者となり、ナナシと共に消えてからの時間。
トカゲのビルが語る事はなかった目的と動機を、ここに至るまでナナシは訊ねた事はない。
ましてやアリスに同情はしていないし、彼女の安否ですらどうでもいいとさえ言えてしまう。

だが、腑に落ちない事がある。
呪いを解きたいというのが、最終的にこの食えない男の。薄っぺらくて読めないトカゲのビルの目的なのだとするのなら。
わざわざ二年も待ってアリスを招く必要なんてなくて、傍に居たナナシを利用すればあっさりと終わった筈なのだ。
それなら逃げた理由も納得出来るし、まさに有効活用と言えよう。
だから、解せない。

「……それは、考えも寄りませんでした」

そう見返せば、意外そうにビルは呟いて、まじまじとナナシを見返した。
無機質な声や表情は変わらないのに、そんな些細な変化を分かってしまう辺り。
ナナシは二年もの間に随分と毒されてしまったものだと辟易する。そんなナナシにビルはさも当然のように語り出す。

「ですが、それも最早不要な心配というものですよ私のアリス。
既に鎖を外す鍵は彼女が果たしてくれる。そして役持ちを蝕む呪いは直に解ける。
後は、彼等がそれを受け入れ、そして紅の君が晴れて先代女王と幸せになれればハッピーエンドという終わりに辿り着けるのですから」

「なら、この状況でもう一度、錠をかけたらどうなるかしら」

ハッピーエンドだとか。それはまぁ結構な言葉だけれど。
つらつらと長ったるい台詞を聞き流し、ナナシは小さく微笑みを浮かべた。一瞬、意味が分からないとばかりにビルが止まったのが妙に可笑しい。
自身にこんな情があった事が意外で、それをこうして認識している現状が不可思議に感じる。

「やってみなければ確証はないものの、呪いを解くための鍵があの子なのだとすれば、私もまた鍵か、或いは似たような何かになるって事でしょう。
さすがにアンタもそこまでは読めてなかっただろうから、いい気味ね」

二年前からずっと変わらない面で、声で、鬱陶しいったらないわ。
不愉快で不可解で、どうしようもなく無機質な変態に付き合わされた時間を巻き戻して消し去りたいくらいには、嫌いだ。
何で当たり前のように傍に居続けたんだか。何が私のアリスだと言うのか。
とうとうナナシの名前すら呼んだ事がない男が、どうしてこんなにも嫌いで仕方がないのだろう。

とても気に食わなくて、とても不服だったから。
ナナシは静かにビルを見つめた。

「大嫌いよ、アンタなんか。だから少しは後悔とやらを感じてみればいい」

そう囁いて、瞼を閉じる。 アリスが消えた理由はきっと、どうしようもない絶望を知らされたから。
だったらナナシも同じく絶望を知れば良い。
見なかった気持ちを見返して、何も感じなかった心とやらに浮かぶのは、
この気に食わないトカゲのビルの感情の在処なのだから。

「あぁ、最悪ね」

ずっと気付かなかったのに。
大嫌いでうざったいこの無機質な蜥蜴を、本音の奥底では、好きだなんて血迷った感情を想っていたなんて。

「吐き気がするくらい、大嫌いなのに結局は好きなんてーー」
 
ぐら、と開けた視界が揺らぐ。笑えない。有り得ない。
あと一歩で消えかけたナナシがせめてもの意趣返しにとざまぁみろと視線をビルに向けた、次の瞬間。

ビルが赤に染まった。

「………………?」

うっすらと消えかけていたナナシの身体は、はっきりとした姿を保っていて、何故か身体が熱くて仕方がない。
かは、と咳き込んで、口から赤い血が出た事を認識した時、ナナシはあぁと自らに起きた事態を把握する。
胸元から血が溢れて止まらない。
感情がないと言われていた自分でも血は赤いのかと思ったら少しだけ可笑しかった。

あの無機質な変態はどんな面をしているのかと視線を動かすけれど、すっかり霞んで見えなかったから残念だとそこで意識を手放す。
ドサ、と彼女の体躯を受け止めるべきトカゲのビルは椅子に縛られたまま倒れたナナシを見つめていて。

その背後に濡れた剣を持ったまま柔和に微笑む紅の騎士を見上げた。

「やれやれ。驚いたなぁ、まさか彼女がそんな重要な役割を担っていただなんて、久し振りに焦ったよ。ん? どうかしたのかい、ビルくん。
きみらしくもない」

問われたビルは、何も出てこないからからに渇いた喉に自分でも戸惑いながら、
ナナシを刺した男の笑みに、泣き出したいような笑い出したいような複雑な気持ちをもて余す。
早く止血をしなければと頭の片隅で思いながら、同時にそんな紅の騎士に対する怒りさえ覚えない非情な自分にビルは微かに頬をひきつらせた。
とりあえず、答えなければと口を開き、「いえ。何でもありません」と無機質な声で告げた。


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