chapter3ー04『時兎と紅の騎士』

終末アリス【改定版】



 
 隣には案内しろと女王に命じられた紅の騎士が居る。
 互いに嫌な表情を隠さないまま、仕方なく歩き出せば紅の騎士が吐き捨てるように呟いた。
「……いっそ犯して俺の虜にしてやろうか、時兎さん」
「きみは私で欲情するのか」
「あんたは自分の魅力を自覚してみた方がいいかと思いますが」
「私の魅力――ねえ。異性よりは同性にモテるようだとは自覚しているよ」
 とても不思議なことに。そこらに居る男よりも凛々しくて格好いいと。特に時兎は男性的な振る舞いをしているつもりはないのだが。
「……まずは口調を女性らしくしてみては?」
「芋虫くんみたいにか。でもねえ、似合わないじゃない? あの口調は芋虫くんだからこそだと私は思っているのよね」
「出来てんじゃねーですか」
「でも私らしくはないだろう。それともきみは、女らしい私を見てみたいのか」
「……見られるならば、見せて欲しいものです」
 見下ろす紅の騎士と視線が合った。こんな美形に口説かれれば確かに女性としては瞼を閉じて身を任せたくなるだろう。一時の恋に溺れてみたいと魅惑されるに違いない。
「やれやれ、私を初めて口説いたのがきみとは私も運がいいのか悪いのか。生憎と残念ながら、私は遊び相手には向かないよ」
 紅の騎士が愛して止まないのは女王のみ。それでもいいなら抱かれたい女性はそれなりに居るだろう。しかし、時兎はそうではない。
「何せファーストキスもまだだからね」
「………………、はい?」
「そういえば初恋もまだの、非常に重い処女だけど。それでも見たいかい?」
「嘘、でしょう」
「本当だよ。きみが変な雰囲気にするから私が恥ずかしいカミングアウトをする羽目になったじゃないか」
 余裕そうに見せかけているが、当の時兎は歴代時兎の記憶を引き継いではいても実際にそういった経験はない。
割り切って諦めているので周囲は既に経験しているのだと勝手に解釈してくれていたけれど、まさか苦手な男にこんなカミングアウトをするとは思わなかった。
「そしてどうしてきみまで照れてるんだよ紅くん、余計に恥ずかしいんだけど」
「え? あ、すいません、……意外でしたものだから、つい」
 何故か紅の騎士までもがほんのりと赤面して口元を覆っていた。ついって何だ。
 冗談交じりの蜥蜴との軽口でもこんなに照れた事はないのに、あんな風に紅の騎士が迫ろうとするから余裕が吹き飛んだ。
「きみも軽々しく口説いてくれるな。きみが好きな最愛は女王様だろう、好きなら最愛を貫くのが愛だぜ紅くん。
浮気でもして情が移ったなんて事態になったら困るのはきみだ。私はきみが苦手だし、きみは私が気に食わない。以上!」
「……ええ、そうですね。ふふっ、はははっ――ああもう、可愛らしい反応をするあなたは俺だけの秘密として内緒にしておきますよ」
 ここで裏表のない笑顔とは。時兎はこれがモテる男だなとよく分からない納得の仕方をして、そうだねと適当に頷いた。
調子が狂う。まさか紅の騎士に惚れた訳ではあるまいが、意外と可愛い笑顔だ。
「きみも、屈託なく笑えるんじゃないか。私に嫉妬してる暇があるなら女王様にあなたが大好きですとアピールしていた方が有意義だと思うよ」
「……、それが出来れば俺も嫉妬なんてしませんよ。それに好きだからこそ、あの人が俺の方を向いていないのが分かるんだ。
近くに居るのは俺で、誰よりもあの人を愛しているのは俺なのに――」
「まあ、それが役持ちの業だ。きみの気持ちはさっぱり分からないが、好きなら好きな人の幸せを願うのが理想じゃないかい?」
 苦手だとしていた相手の思わぬ一面と内面を知ったところで苦手意識はなくならないが、悩んでいるなら助言はしてあげられる。
「役持ちの、業とはどういう意味でやがりますか?」
「ん? あれ? 女王や王から聞いてないのかい。と
――ああ、すまない。今のは私の勘違いだ、紅くん、時兎と役持ちをやっていた名残で混ざってしまったらしい」
「………、では、時兎には業があるという意味だと捉えますよ」
 そんな気の緩みからうっかり口を滑らせた。時兎にとっての当たり前は本来なら役持ち以外に知られることはない極秘である。
 誤魔化したものの、紅の騎士にはすっかり疑われてしまった。気まずい沈黙。
これは引き下がらないだろうなと時兎は観念して先へ進む。
「こんな廊下で話す話題じゃないからね、私が泊まる部屋に案内してくれ。そこで話してあげるよ」
 思えばこの失態が、歯車の外れた瞬間だったのかも知れなかった。


 やってしまったなぁと時兎は項垂れた。
室内に誰も居ない事を確認してから人払いを済ませた紅の騎士が椅子に座り、腹が決まったらどうぞと告げてから数秒。
 愛しい女王の元へ戻らなくていいのかと逃げ道を探したが、あなたをもてなすようにと言いつけられましたのでと返された。
 歴代時兎でもこんな間抜けはいない。というか異例なのは自分だけだ。
「……私が死なない特性だというのは、役持ちのみならず周辺の騎士も知るところだけれど」
「はい。俺も騎士になって初めて時兎さんがそんな体質だと知らされました」
「じゃあ何故そんな特性があるかというのが、うっかり私が口を滑らせた業になるんだけどね」
「ええ、そうでやがりますね。それが女王に関係するなら尚更聞いておきたい話です」
 うん、長年の記憶まで引き継ぐのは問題だと時兎は目を逸らした。しかし話さなければならない。これも何かの伏線だろう。或いはさっさと兎を次代へ引き継げと促されているのか。

「――私が死なないのは、呪いだよ」
 原初の役が何をしたかは知らない。役持ちと騎士が何を意味するかも、正確には分からないが、推測なら可能だ。
 どこかに埋もれた『始まりの物語』に記されていた内容を信じるなら、役持ちとは文字通り役を演じ、役の災厄を担う者。
 そして騎士はそれを見届ける存在だ。今では剣となり盾となる存在だとされているけれど、要は見張りである。
「まあ、いきなり呪いと言われてもピンと来ないのも無理はない。死なないならむしろ利点で祝福だとも考えるだろう。
きみみたいに、前線で戦う者なら尚更に。だが、不老不死ではないんだよ、死なないだけでちゃんと年は取るし、身体は衰える。
次代の兎を引き継ぐ者が居ないなら、生き続けなければならない」
 実際に、何百年も。次の世代に恵まれなかった時兎は居た。見知った誰もが死んで逝けるのに、己だけはどう足掻いても死ねない苦痛と孤独に苛まれていた時兎の最期はようやく死ねるという安堵と誰にも看取られずに死んでしまう寂しさに満ちていた。
「私はたまたま痛みも傷も残らない体質だったが、今までの時兎の中には痛みも傷も残るのに死ねない体質という人も居てね、正直。きみに刺された時は怖かったよ――あれは痛いだろうね」
「…………」
「きみや他の周囲は、私が何十年も生き続けているように見えているだろうし、先代の時兎が居た記憶もないだろう。だからこそきみは私にためらいなく剣を向けたのだろうが、」
「悪かったですから何度も蒸し返さないでくれますか。若気の至りです。女王しか目に入ってなかったんです、今も女王至上主義なのは変わってねぇですけど」
 自然と恨みがましくなる時兎にようやく紅の騎士が表情を歪めた。
謝っているかは微妙だが、罪悪感らしき後ろめたさは覚えたようなので多少の気は晴れた。
「信じるかどうかはきみに任せるが、まあ。業と言ったのはそういう意味だよ紅くん。
時兎の私がそういうものだから、役持ちにも何らかの業とやらがあるのかも知れないなといった、可能性の話だ」
「……あんたは、ダイヤも兼任してやがりましたが、ダイヤの時はどうだったんです」
「ダイヤの時は――――異性に全く興味がなかったかな? ああ、だからといって同性が好きだった訳でもないよ。
好きだという恋愛感情自体がそもそも欠落してしまったようでね、私に浮いた話がないのも、きみに語ったように恋愛経験がないのもそれが影響してるのかもしれないね」
「…………それでどうして、笑ってやがるんですか」
 何故か紅の騎士から出たのはそんな台詞だった。
てっきり女王がどんな状態かを確かめるために行動するだろうと予想していた時兎は、んん? と質問の意図が分からずに首を傾げる。

「どうしてきみが苦しそうな表情をする必要があるんだ。きみには関係がない話だ、同情なら必要ない。
私はこれを当分の間、引き継ぐつもりはないし、どうせ私という時兎は忘れられるんだ。だったら呪いが解ける方法を動ける間は探してみるさ」
「――――っ、ざ、けるな」
「ふざけているように見えるか? だったらそれで流してくれて構わないよ。話はこれで終わりだ、ご苦労様だったね」
「だったら、あんたはどうなるんだよ、時兎」
 睨まれてもこれ以上は話さない。時兎は絞り出すような紅の騎士に眉をしかめて、小さく苦笑いを浮かべた。
「紅くん。きみが私によく分からないもやもやを抱くのは、気のせいだ。ついでにもう一つだけ種明かしをすると、ダイヤの役は魅了も兼ね合わせていたんだよ。
だから、蜥蜴くんも今のきみも、その魅了に惑わされているだけで、本気で私を好きになった訳じゃない。
考えてもごらんよ、私が時計塔から出ない理由はそういった事情も含めての事だ」
 とはいえ一緒に暮らしている時計屋とメアーリンは耐性があるし、ジャックも同じ。
三月は最初から時計屋しか見ていないので影響は薄い。白兎も次の兎役だという理由で親しみは感じても恋愛対象だとは思わない。
 子供や同じ役持ちに対する効果は薄いが、女王や蜥蜴を見る限り多少の影響は及ぼしているのだと考えれば辻褄はあう。
「それとも、きみが女王に抱くのはこんな程度で揺らぐような気持ちなのかい?」
「…………あんたは、魔女みたいな女だな」
 挑発してみれば、紅の騎士は泣き笑いのような表情で呟いた。


 紅の騎士が何を思ったか。それを知る術は時兎にはない。ただ、素直に意外だとは感じた。
 彼は女王にしか興味がないのだと認識していたし、彼自身も女王の敵かどうかで周囲を俯瞰していると自覚はあるだろう。
「はは。魔女みたいな女、か。魔女になれたら確かにそれは楽そうだ」
 血も涙もない道具であれたら、人間らしく振る舞う理由もない。そこまで考えてみて、自嘲する。
「…………或いは、もう既に魔女なのかも知れないな」
 ダイヤの役と兎の役をそれぞれ引き継いだ時に、時兎は自分の役を解除しようと足掻いてみたのだ。
 しかし根付いた呪いは完全に剥がれず、せめて次代への効果を無効にさせるために魅了する特性と愛情が分からなくなる呪いを自分に定着させた。
 代償に時兎は感情を少しずつ消されている。
記憶や今までの経験から善悪の区別や、膨大な歴代たちの知識のお陰で何となくこうだろうと察することで誤魔化しているが、紅の騎士に言ったのは本音だった。
 恐らくこうだろう。どうして怒るのか。悲しいのか。楽しいのか。分かっていた感情すら最近は忘れてしまって、楽しいのか悲しいのかすら曖昧になっている。
知識としては、知っていても実感がない。
「いつか、どうして生きてるのかも忘れそうで、それは困るな」

 笑えているだろうか。無表情になるのは避けないと、時計屋たちに心配をかけてしまう。
 この時兎の呪いも、本来なら次の白兎に引き継がれるべきだった。しかし、時兎はわざとそれを止めている。
「だけど、『兎』は引き継がせないよ。こいつは私で終わらせる」
 だから私の物語はない。どうなるかなんて、末路は分かりきっているだろうに。
「私が消えて、呪いは解けて、ハッピーエンドだ」
 確証はない。だが、やらなければこのままだ。
 一人の忘れ去られる存在が犠牲になるだけで、もしかしたら呪いが解けるかもしれないなら、やってみる価値はある。

 そして、数日後に運命は巡る。蜥蜴がアリスと出会い、裏切るという予期せぬ形で役は回るのだ。


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