chapter3ー02『とある兎の物語』

終末アリス【改定版】



 
「とある兎の物語、です。死なない呪いを受けた兎は長い長い時間を生き続け、さまざまな動物と関わっていく。
大切だった友達が死んでも、恋人が死んでも、子供が死んでも、生き続けて、後を追うことも叶わない。
それでも兎は、大切な皆が眠る墓を守り続ける。いろいろな兎の話がありましたが、私はこの話が好きですね」
 成る程と時兎は頷いた。以前に手渡した物語はいわゆるオムニバス――死なない兎を主人公にした短編集だ。言い替えれば、兎を継いだ歴代の『時兎』の生涯として間違いない。
 故に、時兎は彼女の年齢に関わらず歴代の彼等、彼女等の記憶も引き継いでいる。以前の時兎であった祖父の話は既に記してあったから、物語は一先ず完結だ。
「そんなに気に入ったなら、きみにあげるよ。どうせ忘れ去られた残骸のようなものだからね、このまま埋もれているよりは、
きみのように気に入ってくれた誰かが覚えてくれて、時々思い出してくれるなら私も書いた意味はあったと思う」
「……ですが、あれで完結ではないのでしょう?」
「どうしてそう思うんだい? 物語の終わりにはちゃんとハッピーエンドだっただろう」
 長い長い時を生きてきた兎は、愛しい孫に看取られて幸せだったと死んだのだ。そしてこれからを生きる孫娘に幸せになれと言い残した。
 それで完結。そう締め括られているのだ。
「あれの続きはないし、あったとしても書かれることはない。物語は必ず終わりがあるものだ、なのに更に番外編を求めるつもりかい蜥蜴くん」
「だって、呪いが解かれた訳ではないのでしょう。ハッピーエンドで誤魔化されてはいますけれど死なない役は続いているのではないですか?」
「……、」
 たかが物語に、と笑おうとした。創作なのだと、適当にあしらえば良かったのだ。どうせ、こうしている瞬間も覚えていられるのは時兎だけだ。
 そして時兎はこの役を、死ぬまで引き継ぐつもりはない。
「次はない。頭のいいきみなら、もう半分以上は分かっているだろう? この呪いはもう、1000年以上は繰り返し巡っている業だ。
今更どう解こうともがいたところで、因果は覆せない。この世界の住人に生まれた全員が、蝕まれてるんだ。だから私の物語はない」
「……、この世界の住人でいる限りは、解けない――ですか。それでは、この世界の住人ではない人物が居れば、因果を壊せる可能性がある、という意味ですよね」
 蜥蜴のビルは諦め悪く、可能性を探る。提示し、どうかと時兎に問い掛けた。そんな可能性を笑うのは簡単だ。
 だけど、こんな荒唐無稽な話を身内以外で信じてくれる人物なんて、歴代の時兎の記憶を探しても極めて稀だった。
 ましてや呪いを解こうと考えてくれる相手となれば尚更に。

「…………私は、いい弟子に巡りあったね。例えそれが退屈凌ぎの好奇心からくる興味本意だったとしても、思わずきみに惚れちゃいそうだぜ」
「惚れては下さらないんですね。私はいつでも貴女を受け入れる準備は出来てますよ、時兎」
「はは、きみも趣味が悪い。だが、そうだね。
きみに運命の相手が現れず、私も相手が居なければ残りの生涯を共にしてあげるのはやぶさかじゃあないかな」
 蜥蜴の冗談は軽く流して、時兎は紅茶を飲み干した。雑談の時間は終わりなようで、彼はそろそろ行かなければなりませんね、と呟いた。
行っておいで、と時兎は告げ、またいつでも来ていいからさ、と続ける。
「……先程の言葉、忘れないで下さいよ?」
「ああ。お姉さんは基本的に暇をもて余しているからね、話し相手をしてくれるならいつでも来て構わない。女に二言はないよ?」
「そちらではないんですが、それも貴女らしいですね。ではまた、お言葉に甘えて話し相手に来れる日を楽しみにしていますよ」
 そして、時兎は蜥蜴のビルを見送った。果たしてどこまで本気にしていいものか。
あの蜥蜴が心底から時兎に惚れているならほだされてみるのも有りかもしれなかったけれど。

「でもやっぱり蜥蜴くんはあれだよね、女に興味ないだろうし、もしかしたら10代から30代までの男子にしか興奮しない性癖だと見た」
「え?」「あ。」
 適当に否定してみた直後、ノックも無しに入ってきたジャックが驚いた表情で時兎を見つめていた。
「一人言とか大丈夫かよトキ姉、しかも10代から30代の男子にしか興奮しない性癖とか、守備範囲が狭いのか広いのかもビミョーだし」
「ノックをしろと言いたいところだけど……前に面倒だからいいと言ったのも私だったな。
とにかく誤解を解くならば、私の性癖ではないから。蜥蜴くんの話だから」
「マジで? あの人ってそうなんだ? 意外だったな」
 へらへらと笑ってジャックは特に気にした様子もなく時兎の元へ訪れた理由を話す。
「まぁ、それよりさ。前に帽子屋っていう奴と知り合ったって話をしたの、覚えてる?」
「ん、ああ。帽子屋くんは覚えているよ。三月に巻き込まれた役持ちだったね」
「そうそう! その帽子屋なんだけどさ、」
 役持ち。クローバーの帽子屋といえば時兎は今でも先代を思い出す。
祖父とは旧知の仲で、可愛がってもらったし、何より時計屋とメアーリンを引き取ってはどうかと提案してくれたのも他ならぬ先代だった。
 そんな先代も世代交代を経て12歳になった孫に引き継ぎ、今ではすっかり姿を見ていないけれど元気にしているだろうか。
「白兎っていう無愛想な口の悪いヤツと幼馴染みらしくって、」
「白兎?」
「あれ? トキ姉には話してなかったっけ? オレも詳しくは知らないんだけど、あの紅さんが優秀な弟子だってある日紹介して、
それから城の重要な仕事とかもやってる天才少年――らしいんだけど」
 知ってるも知らないも、と時兎は最近ではすっかり姿の見なくなった少年の話を聞いて正直に驚愕していた。
 時兎が祖父から兎の役を引き継いだ時と同じく、ハートの女王とスペードの王である両名の騎士になったあの男の弟子だったとは初耳である。
 とはいえ紅の騎士とは時兎と同じ年齢なのだが。

「……成る程、紅くんか。よくよく彼とは縁があるようだ」
「ん?」
「ああ。気にしなくていい、紅くんとは知り合いだったものだから弟子が居たとは思わなかったとびっくりしただけだ」
 少なくとも嘘ではない。ジャックは勘が鋭いので下手な誤魔化しは逆効果にしかならないのだ。そっか、とあっさり追及をしないで引き下がったジャックに時兎は続きを促したのだが
「トキ姉もやっぱり苦手なんだ。あの人、オレと似て、自分の大事なもん以外はどうでもいいタイプだもんな」
 見透かしたようにジャックは笑って、自らの歪みをあっさりと告げた。


 紅の騎士。クリムゾンナイトと二つ名を持つ彼と、ダイヤの役を引き継いだ時兎は14歳が初対面だった。
 一兵士でしかない、金髪にも見える薄茶の髪と、太陽に照らされてキラキラと光る海の波を思わせる青い瞳の爽やかな少年。
 彼は憧れて仕方がないとばかりに女王を見つめていて、何となく心酔してるなあと呆れたのが第一印象。
 再会したのは五年後。時兎が祖父から兎の役を引き継いだ時と同じく、ハートとスペード両名の騎士になった彼と会話を交わしたのはそれが最初だ。
「やあ、時兎さんだっけ。きみとこうして肩を並べるのは何だか不思議な感じだね」
「どうかな。きみは五年前から女王に心酔しているようだったから別に不思議には思わないけれど」
「あれ? そんなに女王陛下を見つめてたかな、俺。でも、頑張ったからね、こうして騎士になれて嬉しいよ」
「……それで、私にまだ何か用件でもあるのかな? よもやダイヤの騎士にまでなりたい訳ではないんだろう?」
「あはは、それも面白そうだけど、俺は女王陛下を最優先するからね。ついででよければきみの騎士にもなれるよ」
 時兎は笑って、冗談でも願い下げかなと告げた。
今、この廊下には時兎と紅の騎士しか居ない。事前に人払いを済ませていたのは間違いなく目の前の青年だと時兎は警戒をしたまま距離を取った。
 殺気を隠しているつもりなのか。

「私を殺したいなら、その殺気は殺せるようにしておくべきだよ紅くん。」
「あれ、バレちゃった。可笑しいなあ、殺気は消してたつもりなのに。まあいっか、それより時兎さん。
きみ、死なないって本当なの? だったら俺の練習相手になってよ、どうしてか俺、一撃で仕留めるのが苦手らしくって」
「…………」
 つまり、死なない特性なんだから殺される練習台になれ。とんでもない台詞を面と向かって告げた紅の騎士に抱いた時兎の心境は察するに余るものだっただろう。
 無言で鳩尾に蹴りを放った時兎の攻撃は、しかし紅の騎士の剣に阻まれた。
「怖いなあ、ちゃんとお願いしてるんだから答えてくれないと。オーケーかどうかわからないじゃないか、っと」
 そして、ダン、と時兎は力任せに床に押し倒されて肩を剣で刺し貫かれた。痛みはないが、違和感はある。
もし仮に歴代の『時兎』のように痛みも感じる体質だったなら時兎は悲鳴を上げていただろう。
 刺して貫いた、だけではなく。あろう事か紅の騎士はその剣をそのまま動かして、肩まで裂いたのだ。
「……ッ、きみは、なかなかに最悪な男だな」
「ふうん、血は出ない。傷はない。どころか何事もなかったかのようだね、成る程。死なない特性というのは凄まじい回復能力になるのかな」
「冷静に分析してくれるな。きみには私が実験動物か何かに見えているのかな、悪いが私は、大人しく男の下で泣く女ではないんだが」
 護身用の武器を時兎は即座に取り出し、切っ先を紅の騎士に向ける。
剣であり、銃でもあるそれは殺傷能力に長けており、近距離でも中距離でも機能する安定性を重視したブレードガン。
 対する紅の騎士は重量のある大型剣で、早さは劣る。細身の体躯でよくもまあそんな大剣を振り回せるものだ。
「――さて、返事ならお断りだけれど。きみは嫌がる女性を脅してまで言うことを聞かせるクズに成り下がりたいのかい。紅くん」
「さすがにそこまで強要しないさ。悪かったね時兎さん。あなたの実力を見てみたかったのも含めて、あなたが女王の敵になりそうかどうかも測りたかったんだ」
 睨み付ける時兎からあっさりと離れた紅の騎士。まあ、大丈夫だね。と結論を出した紅の騎士に悪びれた様子は一切ない。悪い事をしたとすら思っていない。

 だから、時兎は紅の騎士を苦手な部類だとして極力――必要な時以外は関わらないようにしてきた。
 そんな紅の騎士という前例を知っている時兎はジャックにも似た危うさを感じていたが、既に取り返しの付かない紅の騎士とは違って、ジャックには自覚がある。
 力をどう扱うか。大事な人を守りたいならばまず考えろと説き伏せて、後は時計屋やメアーリン。そして馴染んでいる三月らと共に学んでいくだろうと。



「……ジャック。これは単なる疑問なんだけど」
「うん?」
「どうして紅くんが苦手だと感じたんだい?」
 あんな真似をされなければ、時兎は紅の騎士をそのまま女王陛下に憧れて心酔している好青年だと認識していただけに。どこに違和感を感じたのかは知りたいところだった。
 ジャックは不思議そうに首を傾げてみたものの、あまり考えてはいなさそうである。ほぼ直感と反射神経だけで生きているようなジャックに思うところはないでもない。
 だが、彼には彼なりの理由があるらしいので時兎は諦めている。 
「特には深い意味はないんだけど、オレと三月みたいじゃん。オレみたいに適当そうで、多分だけど三月みたいに粘着質って感じ」
「……同族嫌悪って知ってるかい」
「トキ姉、それどっちに言ってる?」
「私からしてみればきみも三月も同じようなもんだよ。とはいえ参考にはなったよ、紅くんはつまり、きみと三月に輪をかけてどうしようもない、と」
 ひでえ! とジャックがショックを受けたようだが、どうせすぐに立ち直る。さっさと城で訓練に励んできたまえとジャックを追い出した時兎は思案した。
 適当そうで粘着質とは言い得て妙だ。
「……あ、そういえば結局何を言いに来たんだっけか」
 紅の騎士によって話が逸れてしまった為、白兎がどうしたのかを聞きそびれたと気付いた時には遅く、仕方ないな、と時兎は嘆息したのだった。


 そんな時兎の疑問は、後日。もう一人の問題児とも言える三月から聞くことが出来た。
「白兎? ハートの騎士になった話ならジャックから聞いてないのか、その様子だと」
「うん、聞きそびれてね。きみは的確に要点を察してくれるから面白くはないけどありがたいね」
「そりゃどうも。で、それだけを聞きたい訳じゃないんでしょう。話し相手がてらの情報収集なら付き合いますよ。答えられる範囲なら」
「男前過ぎてお姉さんはうっかりときめきそうだよ三月くん。私としては、きみならメアリーとの結婚も大歓迎なんだけどねー」
「最終手段として考慮しておきます」
 最終手段なのか。そして考慮するのか。とはいえ時兎の冗談交じりの言葉はそこそこ本音である。血の繋がりはないにしても、兄と妹という関係で結婚は出来ない。
 メアーリンはさておき、あの時計屋が頷く可能性はない。そんな時に三月のように包容力のある異性に慰められればメアーリンの傷も癒えるだろう。
 まあ、あくまでまだ先の話だけれど。
「さて、本題に入ろうか。いや、というよりこれはお願いに近いのかな? きみは言うまでもなく時計屋にしか興味がないのかもしれないが」
「否定はしません」
「……うん。承知の上で、きみにとっては邪魔だろうジャックの事なんだけど、正直なところどう思ってる?」
「別に。好きでも嫌いでもないけど、あっちは俺が気に食わないみたいだな」
「おや、てっきりきみもジャックが嫌いで犬猿なのかと思っていたけれど、実はそうでもないのかな」
 少なくとも、三月は時計屋に近付く全部が嫌いなのではないかという時兎の認識は改められる。
「俺は別に、時計屋を独占したい訳じゃないからな。どんな形であれ時計屋が俺の側に居て俺を見るなら、その周囲も含めて許容するさ」
「愛されてるねえ、一度でいいからそんな風に愛されてみたいものだ。とはいえきみのその愛情は当人には伝わらないようだけど」
「まあ……気長に頑張るよ。それも時計屋らしい」
 いやいや本当に羨ましい限りだ。時兎はもう既に恋愛とは無縁だと割り切っているし、そういった愛の末路を歴代の時兎たちが教えてくれている。
 若者は若者らしく、青臭くて純粋であるのがいい。どうあろうと誰かを好きになれたならそれだけで価値はある。

「……ジャック絡みで俺に頼みたいってのは?」
「あぁ、そうそう。きみのその許容範囲で構わないから、ジャックの事も気にかけてあげて欲しいんだよ」
「それは――何でまた」
 先を促した三月は、聞いた時兎の言葉に苦笑いを浮かべた。言いたい事は分かっている。必要ないだろう。そう見えるだろうし、恐らくジャックも必要としていない。
 だけど、意味はある。
「良くも悪くも、意識してる相手に無視されるってのは堪えるものだよ。
きみが時計屋に何をしても反応しない状態だと例えれば分かりやすいかな?」
「…………」
「非常に面倒だとは思うけれど、たまには相手をしてやってくれ。きみが構ってくれないとあの子は自分を蔑ろにし続けるだろうからね」
「よく分からないけど、分かった。バカがバカな真似をしたら歯止めになれって意味なら、元よりそのつもりだ」
「ありがとう。きみのような友人が出来て、私も嬉しい限りだ。どうかこれからも弟達と妹を宜しく頼むよ」
「ああ、あんたも含めてこれからも関わるつもりだよ。お姉さん」
 ニヤリと、少しだけ意地の悪い笑みで告げられた『お姉さん』に時兎が不覚にも感動してしまったのは余談だった。


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