chapter3ー01『時兎の意味』

終末アリス【改定版】



 ワンダーランド。
 当時のハートの女王が支配する独裁国家にて、ダイヤという役持ちに選ばれた彼女。
 時兎(ときうさぎ)は役持ち特有の性質が故に何かにつけて無頓着、そしてもう1つ。兎という生け贄という性質が故に結構な年数を生きてきた。
 時計塔で過ごすのが大半。
 最近では同じ役持ちである帽子屋から引き渡された時計屋の血筋である二人の兄妹にさまざまな座学を教えるのが日課であった。
 8歳になる兄はなかなかに見込みがあり、3歳の妹は運動能力に優れているようだ。
 将来的には兄妹にダイヤか兎を継がせるつもりで育てていた時兎は次第に芽生えてきた愛情に戸惑いつつもしかし、仕方がないと感じていた。
 穏やかな日常。そんな風に優しく月日は流れ、いつからか兄妹と仲良くなっていた少年は剣の才能に秀でており、時兎はその少年にも世の中の仕組みを教えていく。

 彼女の人生を大きく変えたのは彼等と過ごしてから二年目。
 ダイヤの役が次の世代に受け継がれる事になり、次のダイヤに選ばれた芋虫と同時期にジョーカーになったトカゲのビルという青年の出会いによって。
 男女問わず交遊の広い芋虫とは対照的に友人すら居ない無機質なビル。正に正反対な彼等が次代の『役持ち』になるというのも奇妙な縁だと思う。
 そんな彼等の教育係が自分だという点も更に腑に落ちないのが時兎の本音だったけれど、他に適任は居ない。
「私が言うのも何だけど、いつか刺されないようにしなさいよ芋虫。それから蜥蜴、人と話す時は本を読まない」
「大丈夫よ。ちゃんと相手は選んでいるしお互いに同意の上よ。それで、他に引き継ぐべき点はあるのかしら」
「むしろ先代ダイヤである貴女がわざわざ私や彼の教育係などやらなくても宜しいのでは? 弟と妹さんの面倒も見なければならないのでしょう」
「シャラップ。世の中には順序と決まりがあるの。それから時計屋とメアーリンは問題ないわ。ちゃんと私がいなくてもやっていける。
それより問題なのは君ら二人だよ」
 一見、最初から何でも出来るような芋虫とビルではあったが、出来ると理解するとでは意味合いが違う。
その違いを二人に教えるのが時兎の引き継ぎであり教育だった。
 半年の悪戦苦闘を経てからようやく一人前になった二人に安堵し、残る時兎の役目は死ねない兎の次代だった。
 残念ながら兄妹の二人。兄の時計屋にも妹のメアーリンにも、二人の友人であるジャックにも兎の適正はなく、もう暫くはこのままかとさえ思っていた時兎である。
 悪くはないが、退屈だ。
 時計塔で過ごす日々は変わらないまま時兎はとりとめもなくビルと会話を交わす。
「それにしても、きみはよく此処にくるね蜥蜴くん」
 誰かを騎士にするでもなく、誰かの騎士になるでもなく。
 塔から出ない時兎と共に書物倉庫とも言える室内で何故か入り浸るビルと話をするのが日常となっていた。
 本が好きだというのは知っていたが、彼の読むものは全てが統一性のないバラバラなものばかり。
 時兎も何でも読む部類ではあるけれど、それにしたってそんなに面白い本があっただろうかという疑問は残る。
「えぇ。ありとあらゆる書物がありますから。武器の形状図鑑におとぎ話、官能本から幼児向けまで品揃えが実に素晴らしい。まさに活字中毒の私にとって心地のいい場所です」
「そうかい、そりゃ嬉しいよ。何なら私の書いた本も読んでみてよ」
「創作ですか、興味深いですね。自ら物語を作れる人を私は尊敬しておりますので是非とも拝見させて下さい。どんな物語ですか?」
「はは、そんなに期待されると恥ずかしいけれど、そうだな、きみは秘密を守れるかい。蜥蜴くん」
「えぇ、ある程度は」
「即答かぁ。まぁいいや信じるよ。って言っても面白くはないだろうが、
ーーきみは、呪いを信じるか?」
 無機質な声で返答したビルに時兎は小さく苦笑いを浮かべ、ポツポツと語り出す。
「私も祖父から聞いた話なんだけれどね、役持ちは言わば呪い。なんだそうだ。それが綴られたおとぎ話の本がどっかに埋もれてるから興味があるなら探してみるといいよ。
さておき、話を戻そう。その呪いが続く根拠としての物語が兎の話でね」
 兎は死なない呪いを受けているんだと語った時兎の表情は諦めに滲んでおり、ビルはそんな彼女の儚ささえあっさりと受け流した。
 そんな兎の物語だよと続けた時兎が手渡した本はビルに手渡されたまま後に彼女の手元に戻る事はないものだったけれど。
「気が向いたら感想でも聞かせておくれよ、蜥蜴くん。きみとは気が合うようだから、出来ればいつかじっくり語りたいものだ」
 えぇ、私もですと告げたビルもまた、その約束を破るつもりはなかった筈だった。


 時兎と白兎の出会いはそれから更に半年後。
 相変わらず時計塔で過ごしていた彼女はふと窓の外で真っ白な少年を見掛けた。
 毎日のように来ていたビルは何やら忙しくなったようでほとんど姿を見ていない。そんな折りに現れた少年だ。
 好奇心をそそられた時兎はひょこりと顔を出して少年に話しかけてみる事にした。
「やぁ少年。時計塔に何の御用かな」
「!!」
 まさか人が居るとは思わなかったとばかりに目を丸くした幼い少年は見たところ十になるかならないか、といったところか。
「…お姉さんは、誰ですか」
「まぁ、見ての通り。この時計塔の住人だけれどね。それはさておき名乗るとするなら時兎という。
少年は?」
「……白兎、です」
「白兎、」
 兎ときたか。時兎は小さく苦笑いを浮かべ、ようやく役巡りかと半ば確信にも似た気持ちになった。代々、この時計屋の一族が担ってきた兎。
 時兎のように兎と役持ちを同時に引き継ぐ例は実のところ異例であり、また兎が一族以外の者になるのも過去に例がない。
「…つかぬ事を訊ねるが、きみの両親は?」
「ーー知りません」
 それも珍しい事ではない。赤子の内から孤児院で育てられる者が大半であるし、むしろ帽子屋や王家のように家族としての血筋が重要でない限りはそちらが普通だ。
 とはいえ聞かれていい気分ではないだろう。悪かったねと謝れば、いえ。と白兎は首を左右に振った。
「俺には、記憶がないんです。5歳より以前にどんな両親の元でどんな風に育てられていたのか、とか、どうして一人で居るのか。
だから、知らないとしか言えないんです」
 予想よりも重かった。思わず時兎は中途半端な半笑いのまま、ギギギと白兎から顔を逸らし、気まずそうにあー、うんと額を押さえる。
「気軽に尋ねた私が悪かった。お詫びと言っちゃ何だけれどこれをあげるよ」
 そう言った時兎が白兎に差し出したのは銀色の懐中時計。こんな高価そうなものをと面食らう白兎に、時兎はただの玩具だよと続けた。
「祖父から貰った歴代の懐中時計をレプリカして私が造ったものだから、価値なんてないの。
ただ時計としては普通に使えるから、とりあえずお近づきの印とやらで受け取っといてくれると私が嬉しい」
「……お近づきの、印」
「そう。また気が向いたら遊びにおいで。お姉さんは基本的に暇をもて余しているから、いろいろ勉強でも教えてあげるよ」
 そして、週に二日の交流を始めた時兎と白兎の奇妙な関わりは始まった。


 何やら騒がしくなったと時兎が気付いたのは、普段から何事にも頓着しない時計屋の声と揉み合うような物音から。
 珍しいなと様子を見に行けばおろおろと狼狽えるメアーリン。そしてけらけらと笑い転げるジャック、を間に睨み合う時計屋と見知らぬ少年。
 胸ぐらを掴まれている少年は平然と笑んでいて、さて見なかった事にしようかなと時兎が通り過ぎようとした矢先。
「止めないのかい」
 感情のない声でいつの間にか張り付けたような笑みを浮かべている少年その2に言葉をなくした。
 あちらで時計屋と睨み合う焦げ茶の毛並みをしたウサギ耳の少年はさておき、時兎の目前にいる赤髪で灰色の猫耳尻尾の少年は何なのか。
「………まぁ、止めるんだろうね」
 やれやれとばかりに肩をすくめ、時兎は時計屋の首根っこを掴み上げ、ウサギ耳の少年に視線を向ける。
 じっと見合わせた彼の見定めるような目線に厄介そうな子だなと改めて思いながら、一先ずは経緯を尋ねる時兎だった。
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 焦げ茶のウサギ耳の少年は自らを三月と名乗り、ついでのようにジャックと同期の兵士だと告げた。
 赤髪猫耳尻尾の少年はいつの間にか居なくなっており、一体何者だったのかは知れなかったが、まぁ機会があればまた会うだろう。
「で? きみは何をしてうちの可愛いお兄ちゃんを怒らせたのかな三月くん」
 喧嘩両成敗とばかりにメアーリンを除いた三人を床に正座させた時兎は椅子に座って高圧的に事情を尋ねた。
 明らかに止めに入っていたメアーリンはさておき、喧嘩をしていた時計屋と三月ウサギ以上に煽っていたジャックも正座させるのは当然だろう。
 時兎の問いに三月ウサギは悪びれた様子もなく答えを返す。
「時計屋が本ばかり読んでるからメアーリンと話してただけだけど」
「ほう? 因みにどんな話を?」
「時計屋を振り向かせるにはメアーリンから攻略していくしかないかな。なぁどうだよいっそ結婚を前提に付き合ってみないか、って」
「お前みたいな危険人物に妹は渡さん」
「時計屋はちょっとお口にチャックしとこうな。で、ジャックは何した」
「何でオレが問題起こした前提なんだよトキ姉。メアリーと結婚すんのはオレだろ引っ込んでろって言っただけだし」
「お前は尚更不安しかないんだよ……」
「うん。私もジャックと結婚させたくないのは同意だね。でもそれだけで時計屋が怒るかなぁ」
「時計屋が冷静でなくなったのは俺とジャックの冗談に慌てたメアーリンが『私が結婚するのはお兄ちゃんなんだから無理です!』っていう爆弾発言で
それで固まった時計屋がお前が変な事を言い出すからだと掴みかかってきたっていうのが経緯だ」
 淡々と必要な情報だけを告げた三月の言葉に時兎は頭が痛くなるなと半笑い。
一見してみれば一人の女の子を奪い合う青春のようだが実質は違う。
 三月の言う通り、彼が最終的に手に入れたいのは時計屋であり、またそれを理解した上でジャックが突っ掛かり、巻き込まれているのがメアーリンなのだ。
 不毛すぎる。むしろどうしてそうなった。
「うん。とりあえず、時計屋がモテモテなのは理解した。」
 とりあえず。
 室内で暴れるなというお説教と、改めて三月ウサギにも話をする必要があるとまとめた時兎は彼にも関わっていく事を決めたのだった。


 穏やかな日々が過ぎていく。時計屋たちを引き取ってから何年目だろうか。
 このまま成長を見守るのも悪くはないと思い、同時にこの死なない呪いをあの少年に引き継がせるのも酷だよなあと時兎は溜め息を吐いた。
「あなたが溜め息とは珍しい。随分とお久し振りですが、以前とお変わりなく美しいようで何よりです」
「やあ、きみかい蜥蜴くん。お世辞は嬉しくないこともないけれど、きみと私は8つも年齢差がある。誤解を招かれたくないのなら心にもない言葉は止めておくんだね」
 いつ振りか。確かに久しく会っていなかった蜥蜴のビルの言葉に時兎はやや呆れながらもそう返した。
 彼はいつものように窓から進入すると、手慣れた作業で自分と時兎の分まで紅茶を煎れながら会話を続ける。
「これは手厳しい、私はそれほど信用ないですか。これでも嘘ではないのですけれど――そうそう。貴女の書かれた物語、もう少しお借りしていて宜しいでしょうか?
一度読めば頭に入るので読み返すことはあまりないのですが、どうやら私は貴女の物語のファンになったようで。あれから何度も拝見しています」
「それは素直にありがとう。そこまで気に入ってもらえるのは作者冥利に尽きるね。さておき内容はありきたりな話だと思うんだけれど、何がきみの琴線に触れたのやら」
 紅茶を受け取った時兎は懐かしい味だと目を細め、他愛ない雑談を交わす。無機質、と蜥蜴のビルの声音をそう称したのは誰だったか。
 確かに感情の起伏を感じさせない、本音かどうかも怪しい声だと時兎も思うが、どうしてかそれが心地いいのだ。


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