閑話番外ー08『時計屋の現実逃避』

終末アリス【改定版】



 
 育ての親であった姉――時兎が居なくなったその夜。時計屋は胸騒ぎから代々引き継がれている懐中時計を持ったまま愛用の武器を持って外へ出た。
 メアーリンを頼むとジャックには告げたので、姉の無事を確認出来たらすぐに戻るつもりだった。鍛冶屋の場所なら覚えている。
 しかし、時計屋の前に現れたのは数十人の兵士だ。こんな人数が、城から離れた時計塔の周辺を見回る理由はない。何かが起きていない限りは――
「……何の用件だ」
 時計屋は尋ねた。しかし、兵士は答えなかった。代わりに攻撃を仕掛けてきたのだ。時計屋は構えていた刀を振るい、兵士を気絶させようとした――のだが、何かが可笑しかった。
 正気がない。生気がない。生きてすらいない兵士が、人の形をした何かだと知った瞬間、時計屋は反射的にそれの腕を切り捨てていた。
 赤い血液らしきものが飛び散った。胸くそ悪かった。時計塔に戻る選択肢もあったが、そちらにはジャックが居るので心配はいらない。
――どころかむしろアイツなら楽しんで刻んでいるだろうから間違って斬られかねない不安があった。
 とにかく、これで姉がやられるとは思えないが、先を急いだ。十分で辿り着いた鍛冶屋に姉が来ていないかと尋ねたが、さてなあ。と鍛冶屋は告げた。
 行き違いになったのか。まだ着いていないならここで待つのが無難だと時計屋は姉を待った。しかし、彼女が姿を現す事はなかった。
「何だ坊主、まだ居たのか。何の用件だったかは知らんが、もう帰れ」
 鍛冶屋に追い出される形で時計屋は時計塔に戻った。
姉はまだ帰っていないのかとメアーリンに尋ねたが、メアーリンは何いってるのお兄ちゃんと首を傾げる。

「ごめん、よく聞こえなかったんだけど、誰が帰ってないの? ジャックさんなら今朝もいつも通りだったよ?」
「お前こそ何を言ってる。姉さんがまだ戻ってないなら俺はまた探しに行くつもりだ」
「……お兄ちゃん、何か変だよ」
「何がだ、変なのはお前じゃないか?」
「だって、この塔には昔から私とお兄ちゃんとジャックさんしか居ないじゃない。
他に誰が居るの? お兄ちゃん、一体誰を探しに行くつもりなの?」

 姉は、存在していない事になっていた。
メアーリンがそんな嘘をつく理由はないし、何より本気で分かっていない、困惑した表情だった。
 ジャックにも確認したが、メアーリンのいう通りだけどどうした? と不思議そうに首を傾げている。何を語っても、姉という言葉自体が認識されていない。
 時兎という名前も認識されないようだった。誰も姉を知らない。誰も姉を最初から居ないと認識していて、一番姉と親しかった蜥蜴のビルは何度尋ねても留守だった。

「…………三月、姉さんを覚えているか」
「ん? 悪い、聞こえなかった」
「時計塔に住んでいるのは、俺と妹だけだったかと聞いている」
「…………大丈夫か? お前、何を思い詰めてんだ?」
「答えろ」
「……お前とメアリーだけだったと、記憶してる。ジャックはたまに寝泊まりしてるんだったか。少なくとも俺は、お前と知り合ってからあの時計塔でこの三人以外に会った覚えはない」

 三月ウサギですら例外ではなかった。誰にも会いたくなくなった。時計塔に何か姉さんが居た確証がないかと探したが、どれも彼女のものだという持ち物はなかった。
 確かに記憶はあるのに、あの人が存在していたと覚えているのに、持ち物ですら思い出せない自分の方が間違っているのではないかと思おうとした。
 だけど諦めきれなかった。姉さんが居たのだと確信が欲しくて時計塔を荒らした。メアーリンがいつの間にか城へ移住しているのだとジャックから聞いた。
 生きて元気ならそれでいい。それだけ返した。何もかもどうでも良かったが、とにかく何かに没頭して忘れてしまおうと思った。

 姉さんが居たのだというのは勘違いで、単に俺が間違っていただけなのだと。
 そして、俺が姉さんのように振る舞えばいいのだと。
 気付いてしまえば簡単だった。姉さんならどうするのか。姉さんならどう考えるか。姉さんならどうしていたか。
流石に性別までは変えられないが記憶にある限り可能な部分をなぞって、ようやく落ち着いた。

 そうでもしないと狂いそうだった。既に狂っているのかも知れないが、元より俺は時兎を継ぐ為に育てられたようなものだと知っている。
 自分はどうでもいい。最低限で構わない。
「トッキーは相変わらず無頓着だよね。もっと自分を大事にしなよ、みっつんだって心配してるよ」
 遊びに来た帽子屋がケジメだとかで三月を騎士にしたと報告に来た。好きにすればいいんじゃないのかと思った。
「関係ないだろう」
「そんなこといって! みっつんがきみを大好きなのは明白じゃないか」
「アイツが俺を好き? 嫌いの間違いだろう」
 尚も帽子屋は食い下がった。三月が俺を好きだとは何の冗談だ。そんなに三月が好きならお前が付き合えばいいだろうと返したら帽子屋は赤面した。
「お前と三月の方がお似合いだよ。生憎と俺は、恋愛沙汰に興味がないんでな」

 むしろ、俺は誰も好きにはなれないだろう。俺は俺が、何の個性もない面白味のない人間だと知っている。
自分が嫌いな人間を、誰が好きになるというのか。
 だが、俺が死ねばメアーリンは悲しむ。ジャックも三月も、関わる誰かは少なからず感情を揺さぶられる。
それをさせない為に生きてるだけの、何もない男だ。
 それは今も変わらない、誰も知らない俺の歪みという奴なのだろう。
 軽蔑したか? なら万々歳だ。
 俺は俺が、嫌いで仕方がない。つまらない男だからな、だから嫌いで正解だ。
 それでもそんな俺を物好きにも好きらしい誰かは居るようなので、その好意に俺は今日も生かされているのだと自覚はしている。



時計屋の現実避。終。


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