chapter2ー18『原罪と過去』

終末アリス【改定版】



 
 翌日。アリスが迷い込んでから六日目の朝が訪れた。女王が朝食を摂りながら話をしましょうと伝えた事で、主だった面々は食堂に集められる。
 覚悟を決めた女王は昨日よりも真剣な面持ちで周囲を見回し、手錠をかけられた紅の騎士と蜥蜴のビルを見据えた。
 少し遅れて怪我をしているが話は聞かせろと王とナナシにせがまれた芋虫が二人を連れてきたが、それも予定調和である。
 役持ちのハートの女王。スペードの王。クローバーの帽子屋。ダイヤの芋虫。ジョーカーのチェシャ猫。
 騎士である白兎とメアーリン。ジャック。三月ウサギ。眠りネズミ。
 部外者であり重要人物の異端者。乙戯アリスと堂羽ナナシ。巻き込まれた門番と時計屋、寝返ったトゥイードル兄弟。
 そして裏切り者の元ジョーカーの蜥蜴のビル。先代女王と王の騎士であった紅の騎士。
 総勢18名が囲むテーブルには何名かの余裕はあれど、和やかな空気はなかった。
「では、朝食の準備も人数も集まった事だし。さて、改めて続きを窺いましょうか。紅の騎士と蜥蜴のビル」
 召し上がれと女王は言うが、ほとんど手はつけられないまま名指しされた二人を緊張の面持ちで見つめている者が大半だ。
 空気を読まないチェシャ猫とジャックがいただきます。と遠慮なく食い付いていたけれど。
「続きを、と言われてもね――姫。姫には刺激が悪い話になるから俺としては姫にご退室願いたいところなんだけど」
「お優しい心遣いは痛み入りますけれど、あたしはこれでも女王としてこの場に居ますの。
知らなければならない真実があるなら多少の刺激は覚悟の上ですので――お気遣いなく」
 やんわりと女王には聞かせたくないと紅の騎士が言ったが、女王はそれを丁重に断った。
「私のアリス。怪我の具合は大丈夫ですか?」
「さあ、そこの優男が一番分かってるんじゃないかしら」
 蜥蜴のビルが次いでナナシの心配をしたが、ナナシは冷ややかに嘲笑した。ナナシが刺された後でも態度が変わらなかったビルは瞼を閉じて沈黙する。
 何も言い返さないし、紅の騎士を責めもしないビルの真意は分からない。ただ、ナナシよりも紅の騎士との目的を優先している事実だけは覆せなかった。
「悪かったね。なるべく苦しまずに殺してあげたかったんだけど殺し損ねたのは俺のミスだ。ビルくんを責めないであげてくれないか――ええと、アリスちゃん?」
 紅の騎士が悪びれた様子もない謝罪を告げた。ナナシはそれを無視した。嫌われちゃったなあと柔和に笑う姿にどうしようもない寒気が走る。
「…………あなたは、どうして人を殺しておいてそんな風に笑えるんですか」
 アリスは思わず昨日の狭間の世界で垣間見た女性を殺したであろう紅の騎士に強く言い放ってしまっていた。
 昨日の時点で、紅の騎士は誰も殺してはいない。殺そうとしたがどれもが失敗している。殺しておいて、というアリスの発言に、柔和に笑んでいた紅の騎士の目が据わった。
「……何を見たのか。聞こうか、お嬢ちゃん」
 紅の騎士が誰を殺したのか。アリスは何を知っているのか。それ次第で紅の騎士の出方は決まる。アリスはその迫力に気圧されかけたが、何とか睨み返す。
 あれが本当にあった事なのか。まずはそれを確かめなければならない。
「私は、あれからよく分からない場所で誰とも知らない彼女に会いました。
彼女との会話を終えて、この世界に戻ってくる前に――時計塔に居た一人の女性の、記憶、らしきものを見たんです」
 誰も知らない女性。関わりが深いだろう白兎ですら知らないと言った女性は本当に居たのか。
あれがもしも違う世界での出来事だったとしても、多分この男の本質は変わらないのだろう。
「……時計塔って、時計屋とメアリーが住む前にも誰か居たっけ?」
 ジャックが不思議そうに呟いた。メアーリンも心当たりはないらしく、首を傾げている。時計屋だけは、驚いた表情でアリスを見ていた。
「……きみ、それはどんな女性だった!?」
「え? あの、時計屋さんと似たような服装で、切れ長の目をした、綺麗な女性――でした」
 声とか何を話してたかまでは分からなかったので、名前までは知らないんですけどとアリスは補足する。
だが、時計屋が反応を示したという事は実在した可能性が出てきた。
「ずっと時計塔に居て、たまに白い兎耳の男の子が勉強を教えてもらっていて、そんな感じの日常を過ごしていて
「でも、ある日、紅の騎士さんがやってきてその人に何か話してから今までとは違う雰囲気になって、
「夜に塔から出た女の人を追いかけたんです。時計塔の周囲を囲む兵士をジャックに似た少年が笑いながら殺したり、途中で傷だらけになっていた人をその女性が助けていた場面を見て」
 気がつけば城内の薔薇庭園だ。アリスは思い出せる限りの記憶を語っていき、そこで紅の騎士が女性と殺しあいをしたのだと告げた。
「だから、その女の人を殺したのは、その人だと――」
 そういう意味で言った。本来なら知り得る筈のない記憶に、聞いていた面々の反応は様々だった。やはり記憶にないなと首を傾げているのはジャックとメアーリン。
 そもそも知らないと言わんばかりの王とナナシ。何を考えているのか分からないチェシャ猫に僕も分かんないんだけどと思案する帽子屋。
 女王もその辺りは詳しく知らないようで、白兎も昨日と同じくだから記憶にねえって言ってんでしょうがと呆れ顔だ。妄言だと思われているらしい。
 時計屋は先程から落ち着かない様子で紅の騎士の返事を待っているようだ。
 当事者である紅の騎士はまだ答えなかった。いや、答えられなかった。
「なあ、お嬢ちゃん。その話は、ホンマか?」
「え?」
 関係ないと思っていた門番が口を挟んだからだ。確証がないのでアリスは断言は出来ないけど、と答えたが。
 トゥイードル兄弟も何だよオッサンと不思議そうだ。そんなトゥイードル兄弟にもおどれら、ワシの傷の話は誰かにしたかと聞いている。
「……ぼくたちも信用ねぇなあ。オッサンが話してねえプライベートな問題を話すわけねーだろぉが」
「……そうだよ。第一、笑える話ならともかく、そんな笑えない重い話なんてするつもりもないからね」
 不満そうなダムとディーの答えに分かっとるわ、と返した門番はアリスにその傷だらけになった奴の状況を詳しく教えてくれと続けた。
 教えてくれって、そんなに思い出したくもない光景だったし、アリスも半ば目を逸らしていたのだ。
「……ええから、答えてくれへんか。ワシにとっては重要な事や」
「途中からだったから、曖昧だけど、――切られたっていうよりは抉られたような傷で、何とか一命は助かってるけど時間の問題だって一目でわかるくらいには――酷い傷だった」
 それを聞いて、門番はようやく納得したとばかりに頷いて、笑った。
「は――はは。成る程なあ。ずっと疑問やった謎が解けたわ、何であの状態で生き延びたんか、生きられたんか、ずっと不思議やったけど…………そうか」
「門番? あなた、心当たりがあったの?」
 しみじみと呟く門番に聞いたのは芋虫で、門番はいいやと首を左右に振った。
「多分、その助けられた奴はワシや。覚えてへんけど、今の話で辻褄が合った――程度の、些細なもんやけどな。不思議と、納得してしもたんや。おおきにな、お嬢ちゃん」
「あ、いえ、私は何もしてないですけど、」
「ええんや、代理で受け取っといてくれ。もう二度とあえへん故人には改めて深々とお礼を言うとくしな」
 アリスとしても予期せぬ形で門番の包帯の意味を知ってしまった。大丈夫なのだろうか。こうして見る限り、あんな怪我をしたとは思えないくらいだけれど。

「話を戻すけど――なあ。その女の人ってのは昨日のいいかけてた時兎っていう先代ダイヤで合ってんだろ?」
 黙っていた三月ウサギが紅の騎士ではなく、何故かビルに問いかける。ビルはご名答ですとそれを肯定した。
「そういうきみも覚えてないようですが、まあいいでしょう。私と時計屋だけでも、覚えていたというのは彼女にとっては誤算でしょうし、
そもそも――この事態も彼女が望んでいた未来とは程遠い、結果ですけれど」
「……そうだな、ようやく俺も合点がいったところだ」
 ビルの言葉に時計屋は自嘲し、ビルに続きを促した。
「だが、俺も自分の記憶に自信が無くなっている。この二年間、俺は俺の記憶が間違いなのではないかと疑い続けていた癖に、時計塔でその人が存在していたという確たる証拠や痕跡がないかと探し続けていたからな」
「仕方ないのではありませんか。私ときみは、運が良かった。いや、どうなんでしょうね? 
たまたま忘れなかっただけで、本当なら彼らと同じく忘却していた筈の記憶を、忘れられなかったというのは逆に言い換えれば運がなかったのか」
 忘れられた彼女。先代ダイヤの時兎。
まずは彼女について話す事から始めましょう。ビルはそう切り出して、紅の騎士に代わり語り出す。
「私が彼女と出会ったのは、役持ちになってからでした。元ダイヤという事で同じく芋虫と共に彼女から教育を受けたのが、師弟関係の始まりです。
それから時計塔にはありとあらゆる書物がありましたので暇があれば私は入り浸っていましたね」
 そして、次第に慣れ親しんでいったのだとビルは言う。芋虫は眉をしかめ、頭を抑えていた。そうだったかしら? そんな表情だ。
「その過程を含めてある日、私は彼女に始まりの物語があると教えてもらいました。同時に、彼女の担う役についても。
彼女は代々、兎という役を背負っていると。歴代の兎の生涯を物語にした創作を」
「ビルくん、俺はそんな話を知らないが」
 ふと、黙っていた紅の騎士が口を挟んだ。ええ、言っていませんでしたねとあっさりしている。
「私と貴方は、同じく呪いを解きたかった。それだけだった。
私は恐らく、彼女の為に。貴方は、敬愛する女王の為に――それだけだった筈なんですが。」
 本当に不思議そうに呟いたビルの声音は、無機質だったけれど、どうしてか悲しげにも聞こえた。

――――

 狭間の世界にて。半分が黒、半分が白という真っ二つに別れた何処でもない空間の真ん中で彼女は退屈そうに佇んでいた。
 手には一体どうやって手に入れたのか。モノクロで味気ないルービックキューブという玩具。
 通常なら赤や青といった彩りで六面――バラバラになった色を揃えていく立体パズルのようなものだが、
彼女は揃える気すらないようでチェスボードのように白と黒が交互のまま右手から左手に移動させているだけ。
「記憶が曖昧なのは蜥蜴とて変わりませんのに、健気ですわね。泣けてきますわ。今まで泣いたことなんてないですけれど。
「時兎がどう思っていたか、彼らとどんな関係だったのか。それらを知る術は既にない――人が死ぬとはつまり好き勝手に記憶を書き替えられるも同義ですわね。ああおぞましい。
「語り部によって、見方は変わる。どんな人物だったのか。ある人にとっては優しい人でも、ある人にとっては怖い人。あらゆる面を持つのが生き物ですわ。人間も同じく、様々な面を持ち合わせている。
「ですが、ここには乙戯アリス様が偶然にも見つけた記憶の断片が御座います。他ならぬ彼女――時兎から見た関係図なら垣間見る事が出来ますわ」
 誰にともなく語る言葉。彼女は遊んでいた玩具を床に置くと、それをどこから出したのかも分からないハンマーで砕いた。
 硝子で出来ていたらしい玩具はキラキラと光に照らされて床に散らばっていき、元には二度と戻れない破片になった。

「それではどうぞ、暫しの過去編をお楽しみ下さいませ」

 ゆっくりと頭を垂れた彼女が告げたと共に、ぐるりと空間は上下逆さまになった。


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