chapter2ー10『役に介されない者』

終末アリス【改定版】



 
「え、えぇと、?」
 紅の騎士に案内されるがままに出た場所はどうやらお城の中だった事までは分かった。
 次に当たり前のように目の前にあった扉を開けた先に居たのは、ほとんど全員が顔見知りで、中央に注目している。
 真っ先に目があったのは王で、次の瞬間に無機質な声が響く。知らない筈の声なのに何故か背筋が寒くなる。何だこの、どうしようもない不快感は!
「わぉ、ナニコレ。勢揃いじゃん」
 ヘラヘラと変わらないジャックに白兎が空気を読みやがれと睨み付けてコントをしているのが場違いのようだ。
「さて、そろそろ最終幕と行きましょうか。私のアリスが居ないのは残念ではありますが、それもまぁ仕方ないでしょう。さてさて、改めまして自己紹介をしておいた方が宜しいですかねアリス?」
 アリスは名乗られずとも察する。
 二年前のジョーカー。裏切り者。元凶にして空虚。役から外れた元役持ち。
 彼がーートカゲのビルだと。
「思えばこうして顔を合わせるのは初めてでしょうか。そして、ご機嫌麗しそうで何よりですね紅の君」
「あぁ、そうだね。きみだけじゃなく懐かしい顔触れに会えて感動しているよ。……姫、お元気そうで何より」
 話し掛けられた紅の騎士は穏やかに変わらない表情のまま女王に目を止めるとうやうやしく頭を垂れた。
 女王は驚いたように彼を見返し、困惑したような複雑な視線を向ける。
「貴方様も、壮健そうで何よりですけれど、……お母様は…?」
「……それに関しては答えを控えさせてもらいます。姫は大切なお方ですが、俺が仕えているのは女王ただ一人です」
 申し訳ありませんと謝る紅の騎士は本当に悲しそうに揺れていて、本当に女王に忠誠を誓っており、尚且つ女王を愛しく思っているのだと見て取れた。
「あぁ、それから王子も。随分と逞しくなられましたね」
「………」
 女王から少し離れた場所でそんな紅の騎士を睨み付ける王にもやんわりと微笑んだ彼は、くすくすと声を立てる。
 その腕が王に触れかけた瞬間、ガキンと嫌な金属音が鳴り響いた。
「っお兄様!!」
 女王の声と、メアーリンが鋏を構えるのが同時で、事態に気付いた他の面々がそちらに視線を向けたのがその直後。
 それより早く、誰より素早く王と紅の騎士の間でいつものように笑っていたのはジャックだった。
「何のつもりかな、」「さぁ、何のつもりでしょーかっ…ね」
 そして、紅の騎士に剣を向けているのもジャック。難なく腕に仕込んでいたらしい小手で攻撃を防いだ紅の騎士は目を細めてジャックを見返す。
 何が起きたのかどうなっているのかすら分からないが、少なくともジャックが王を護ろうとしている事だけは伝わった。
「……余計な事を…」
「全く、世話の焼ける男だな…」
 口調とは裏腹に笑う王と、そんなジャックを呆れたように見ながら時計屋が日本刀を抜く。
「三月、メアーリン、お前たちは主人を全力で守れ。俺はこの馬鹿に付き合って刃向かう」
「いやいや、オレだけで充分だから時計屋は下がってろって! オレの早とちりかもしんないじゃん」
「かも知れんがな、お前を信頼しているし、これで確証が出来た。一蓮托生だ」
 互いに軽口を言いながら油断なく二人の目線と意識は紅の騎士に集中していて、冗談でなく本気なのだと物語っていた。
「チッ、何をトチ狂ってやがりますこのヘタレが…! 敵はあのいけ好かねぇトカゲ野郎だろうが…」
「え、と、みっつん! よく分からないけどジャックくんとトッキーは止めた方が良いのかな?」
 白兎の近くまで駆け寄っていた帽子屋は余り焦った様子のない三月ウサギに意見を求め、求められた三月ウサギはどうだろうなと薄く笑う。
「誰を信じるかは委ねるぜ、帽子屋。俺は一応、お前の騎士だし。時計屋とメアリーは独断で守るけどな」
「…みっつん、ズルいよ…」
 ニヤニヤとする三月ウサギに対し、帽子を深く被った帽子屋は仕方ないなぁと針を構えた。
「そんなの、しろたんの味方をするに決まってる!! と言うところだけどさ。やっぱり、そういうことなら僕は友達を信じて、何よりしろたんを信じてる訳だから」
 息をゆっくりと吐き出した帽子屋はいつになく真剣な表情でトカゲのビルに視線を向けて、次いで芋虫にアイコンタクトをした。
 芋虫は帽子屋の視線に頷いて、面倒そうに髪をかきあげる。女王の様子を伺えば、茫然とする彼女を騎士であるメアーリンが抱き抱えてこの場から去っていく姿が見えた。
「そうね、とりあえず。アタシも頭がこんがらがりそうだから落ち着いて行きましょう。まずは一つ。こちらから、どういう状況だったのかしら」
「僕達も混乱してたからね、よく分からないんだよ。あっちはトッキーとジャックくんに任せて、話の続きと行こうか。トカゲのビル」
 珍しくちゃらけた口調のない帽子屋はポケットから出したコンペイトウをざらっと掌にのせて一気に頬張りながらガリガリと租借する。
「なんつーか、久々にキレそうって言うか怒ってるんだよね、実は」
 その表情に笑顔はなく、帽子屋は針をトカゲのビルの眼球すれすれにまで向けて低く問いかけた。
「あんまり野蛮な事はしたくないから、さっさと答えてくれないかな。共犯者って誰なのか」
 そんな脅しをかける帽子屋にビルはおやおやと笑い、無機質な声で「それがあなたの本性ですか」と茶化す。
 帽子屋は無言で針をビルの手の甲に刺して、だからさぁ! と睨み付けた。血の滲む痛みに表情を変えないビルは帽子屋をやんわりと止める芋虫に話しかける。
「さて、どういう状況だったのか。簡潔に勿体ぶらずに言うなら私が女王に裏切りとされる行いをした時、共犯者が居たのではないか。今、現在でも私に協力者がいるのではないか。ではそれは誰なのか――という会話をしていたのですよ芋虫」
「……そう、ご丁寧にありがとう。けれどアタシもアンタを殴り飛ばしてやりたいのは忘れないで欲しいわね……少なくとも今は、まだ彼女がいるんだもの。だから落ち着きなさいな帽子屋」
 こんな狂った姿を無闇に見せるものではないわ、と。その言葉に理性を取り戻した帽子屋は苦虫を噛み潰したように息を吐き出す。
「うん、そーだね。ごめん、芋虫。君の方がよっぽど殴り飛ばしてやりたいんだって知ってたのにね…」
 三月ウサギはといえば、時計屋達の方へと意識を向けているので実質この場でビルと立ち会っているのは帽子屋と芋虫だけだ。
 元の世界にアリスを帰す為にここまで来た当初の目的を果たしてから自分達の理由を進めれば良い。
 しかしながら、アリスは蚊帳の外のように、まるでこの場に居ないかのようにそんな光景を眺めて立ち竦む。
(……一体、何がどうなっているんだろう)
 探していたトカゲのビルは縛られていて、今は芋虫と帽子屋が何かを話している。
 地下で偶然にも出会い、ここまでの案内をしてくれた紅の騎士には何故かジャックと時計屋が対峙している。
「可笑しいよ、こんなの、」
 だって、これではまるでー元凶は自分ではないのか、と。悲劇のヒロインを気取りたい訳でもなく。また過度の自虐でもなくそうと思ってしまう。
 意図せずして最悪のシナリオを運ぶ、まるでーーいや、やはりと称するべきか。
 招かれざる訪問者。役から遠く、縛られないが故に破綻させてしまう異端者だと。
「私は、ただ、」
 奇しくも以前、王が口に出した言葉はここで事実その通りを示していた。

 背後の様々な思惑を眺めながら、紅の騎士はこちらを見据えるジャックと時計屋に向き直る。
 さて、いきなりだ。別に挨拶を交わしただけだろうに、彼は一体何をどう思ったのか。
 そして彼を止めるべき時計屋も同じくこちらを警戒しているのがまた笑えないくらいに可笑しい。
「うーん、困ったなぁ。俺はきみみたいに無闇に暴力を振るうのを好かない性質でね、出来ればその武器を納めて理由を話してくれると対応しやすいかな」
「…アンタは油断ならねーんだよ。気を抜いたらその瞬間に殺されたって別に不思議じゃない」
 買いかぶり過ぎというものだろう。ここに至っても紅の騎士にはそうする理由がないし、そうしなければならない状況ですらないのだから。
 とはいえ、彼は感が鋭いからもしかすると分かったのかも知れない。ふむ、と興味深く続きを促してみればまだしらばっくれるのか。とジャックが笑う。
「アンタの女王(せんだい)に対する忠誠やその実力は誰もが知るところだよな。頭の悪いオレが違和感を感じたんだから白兎も気付いてるはずなんだけどな。
――なぁ、どうしてアンタ、ビルさんに挨拶なんて出来るんだ?」
「? …久しく顔を合わせていない彼に挨拶をする事の何がおかしいと」
 首を傾げれば、今度は時計屋がおかしくないと仰いますかと聞き返す。考えても心当たりはないのであぁ、と答えを返した。
「……テメェ等、一体何が言いてぇんです…?」
 白兎が困惑した声で問いかけ、紅の騎士とジャック達に静かに視線を交互にみやる。
 庇われている王が見透かしたように紅の騎士を睨み、不遜に笑った。
「盲目も度が過ぎれば世話がないな白兎。信じたくないのも無理はないが、ここまであからさまだと問答すらかったるい。言いにくいと言うなら俺が言ってやる。
この男が女王を裏切った蜥蜴に問答すら無用と斬りかからなかったのは、必要がなかったからだ。大方、こいつがあの時ビルを逃がした協力者だろう。どうだ? 
否定する気すらないのだろう、そこまで知られて尚も笑っているのが良い面の皮だ」
 ゆっくりと言い聞かせるように王は吐き捨てて、そして苦しそうに顔を歪める。
 白兎が息を飲んで紅の騎士を見つめ、紅の騎士は「何だ、そんな事か」と穏やかに微笑んだ。
「なるほど、ようやく合点がいった。それで君達は俺に剣を向けていて、彼は尋問されていたのか。あはは、――なぁんだ。
まだその程度しか聞けていなかったのかい、ふぅん。まぁだからそれがどうかしたのかい?」
 否定はしない。どころか紅の騎士は笑った。嘲笑うように、愛しむように、くすくすと声を立てる。その姿は好感を抱くよりも不気味に思える様だった。
「勿体ぶって引っ張るのは悪い癖だねビル。別に隠さなくったって良かったのに、どうして教えてあげなかったんだい」
 呆気なくそれは知らされ、容易く紅の騎士は思惑を曝す。
 ビルは縛られて動けないまま、針で手の甲に刺された傷の痛みにすら表情を変えずに無機質な声で答えた。
「聞かれませんでしたので。まぁ惜しくはありました。貴方のその歪んだ愛情の素晴らしさと純粋さに興味深く感慨を受けた私としても、そのまま知られずにいた方が綺麗に終われると思っていたのですが、人生とは難儀なものだ。
道化は私だけで充分過ぎるというのに貴方まで舞台に上がってしまうとは」
 意味が分からなかった。次元が違う、見ているものが、感じている全てが何もかも異質だった。そしてきっと、理解してしまってもいけないものだった。
 ここで物語らしく、紅の騎士とトカゲのビルが手を組むに至った経緯を語るのも面白いかもしれなかったけれど、これはあくまでも彼女の物語だ。
 よって、トカゲのビルは蚊帳の外のようにこちらを見ているアリスに話し掛けた。
「……まぁ、それは追々じっくり語るとして。お待たせしました、アナタの話をお聞きしましょう」
「…ぁ、」
 急に、唐突に話を振られたアリスは小さく声を出して、泣きそうな表情でビルを見返す。
「聞けば、元の世界に戻るための方法を知りたいのだとか。さて、そんな事をアナタは本当に望んでいましたか? だとすれば知りませんよそんな事は」
「…っ! …そんな、だって…あなたは」
「えぇ、確かに私はアナタをこちらの世界に来る為に一役買いました。ですがそれも、アナタが望んだからです」
 そんな覚えは一切なかった。ましてや、つい先程顔を合わせたばかりのビルがアリスの事情を知っている筈もないのに、どうしてか強く否定は出来ない。
 まるでそれを否定してしまったら、どうしようもなく嫌なモノを思い出してしまいそうでー
「……違う、私は、」
「残念ながら私のアリスはその為の鍵にはなり得ませんでしたが、アナタはその為の役を果たしてくれそうです」
 ぐらりと目眩が起こる。耳鳴りが酷く耳障りで、両耳を塞いでも止まらない。

「さて、呪いを解くために消えてください」
 その言葉にアリスの意識は砂嵐のようにザーッと混雑し、その姿はまるで最初から何も居なかったかのように見えなくなってしまう。
 無機質な声で最後に聞いたのは、物語がハッピーエンドで終わるなんて退屈な予定調和は面白くないでしょう。
という言葉だった。

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 消えてしまったアリスを探したのは帽子屋が最初。アリスちゃん!? と呼び掛けたが彼女の姿はどこにもなく、時計屋がビルに「彼女に何をした」と睨み付ける。
 そんな今更のような反応にビルは縛られたままの両腕を広げて笑う。
「聞いていた通り。ここに来たのは彼女の意思で、消えてもらったのは私のエゴです。
殴るなり斬りかかるなり、罵倒するなり何なりとお好きにしてもらって構いませんよ」
 未だ状況が不利にも関わらずビルはそう告げた。本当に殴られたとしても、彼はその態度を止めないのだろう。
 本当の意味で痛まないのだ。身体がどうなろうがその意識と歪みきった思想が揺らがない限り。
 どうしようもない怒りに唇を噛み締めた帽子屋が殴りかかるより早く、ビルを殴ったのは芋虫だった。
「…っ!……」
「…今更、本当に今更何をと、泣きたくなるけど、……どうしてかしら、ビル」
 ぎちり、と芋虫の掌から血が滴り落ちる。後悔してもしきれないこの状況でも、こんな風に決別したと割り切っていたつもりでも、
「アタシは、……友人としてアンタを止められなかった事が、悔しくて堪らないわ…」
 胸ぐらを掴んだまま泣き崩れた芋虫の言葉と呼応するように、ぽつりと雨が降り始めていた。
 そんな芋虫の言葉に、ビルは僅かに目を見開いて、本当に、今更ですねと無機質な声で呟いた。

 その一部始終を離れた場所で眺めていたチェシャ猫は、席を立つナナシに「行くのかい?」と話しかけた。
 ナナシはチェシャ猫を向かないまま足を進めてえぇ、と頷いた。
「このつまらない結末が望みなら、さすがに文句の一つも言いたくなるわ」
 確かにこれで終わりならつまらないだろうね。とチェシャ猫も立ち上がり、尻尾を揺らした。
「神様なんてものはこの世界には居ないけれど、君達はこんな時、神様とやらに助けを求めるのかな」
「どうかしら。都合の良い時だけ頼られても叶える義理はないじゃない。
普段から信心深くても助けてくれるとは限らない神様とやらには、私は頼らないわね」
「…ふむ。なら誰を頼って信じるか」
 ナナシはそんなチェシャ猫の問いにどうでもよさそうに息を吐いて、自分自身じゃない? とだけ続ける。
「少なくとも、何の疑いもなく綺麗事だけで生きていくよりはよっぽど現実的で、……あぁ、それでも結局どうでも良いのにこうして向かう辺り、私も大概バカなのかもしれないわね」
 そこまで独り言めいた口調を語ったナナシはふ、と小さく微笑んで。チェシャ猫はそんなのはお互い様だよといつものように笑いながら肯定した。


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