chapter2ー09『始まりの物語』

終末アリス【改定版】



 
 最初は、ただの小さな欲だった。目的もなく、願望もなく、孤独な空間にそれはぼんやりと意識を持つ。
 誰が思い浮かべたかは知らぬ世界。そこでとある一つの欲が生まれた。
 誰かに認めて貰いたい。その為に『彼女』はあらゆる手段を尽くしてこの世界の頂点に君臨した。

 次に生まれたのは退屈。毎日単調に繰り返される日常に飽きた誰かは、変化を投じる為に『道化師』を演じた。
ある時は歌い、踊り、壊し、直す。違う事を求めていつしか本来の自分を見失った。

 次に起こったのは反発。次第に留まる事を知らぬ女王の欲望は強欲にまで至り、ありとあらゆる全てを欲した。
 民はそれに怒りを示し、とある一人の『男』を中心に彼女に従うものたちと日夜血みどろの争いを繰り広げた。
決着がつけられないまま、世界は厄を撒き散らし、次々に悲劇を産み出していく。
 争う事に疲れ果てた『誰か』は、収拾のつかない両者の間に割って入りもう止めにしないかと訴えた。
 頂点に君臨した『彼女』はどうしてと嘲笑い、怒りの治まらぬ『男』は冷ややかに無理だと告げる。
 間に入った『誰か』は、毎日毎日争うだけの日常に何があるのかと涙を流して止めてくれと言う。

 『止めてあげようか』

 切実な涙を流す誰かと彼女と男の会話を傍観していた『道化師』はニヤニヤと笑いながら軽やかに真ん中に躍り出た。
 方法があるのかと顔を見合わせる面々に向かって『道化師』は不愉快な程にけらけらと笑って、どうだろうねぇとおどける。

 『適当な事を言うなよ道化師が。戦いを終わらせたら商人は食いっぱぐれちまうよ』

 それを見かねた『商人』が我が利を得ようと口を挟み、けど買う誰かが居なくなったら同じ事だろうと言い返された。
 そう。こうして争いを続ければ誰も居なくなってしまうのだ。だったら確かにこれ以上は止めた方が良い。

 『けれどもどうしろと言うの。いくら言われても私は欲しい事を我慢出来ないし、どんなに手を尽くしてでも手に入れるわ』

 『僕とてこの女の欲を見逃せる余裕は通り越した。野放しにしていれば食い潰すぞ』

 『ですから、話し合いましょうよ! きっと何か方法があるはずなのです』

 『正直、儲かって遊べれば文句はないよ。どうでも良いし、どうなったって損さえなければ』

 我儘。憤怒。善意。自己中。四人の食い違う意見を面白そうに聞いた『道化師』はニヤニヤと笑みを絶やさないまま『なら、』と人差し指を立てる。

 『俺達はそれぞれの厄を背負う。厄を持つ者と見張りを一人、それから誰か一人を生け贄に呪いをかけよう』

 『道化師』の提案に四人は眉をしかめてどうなるのだと聞いた。『道化師』は《業》を背負うだけだよと呟いて、それぞれに指を向けた。

 『女王たるきみは一番欲しいものが手に入れられないように。統率者たるきみはもう一人の王となって、関わらないように。
 正しすぎる程に優しいきみは必ずどこかが狂った異常に侵されるように。
 商売人たるきみはそこそこ儲かる代わりに色欲に溺れ、本当に唯一の誰かを愛せないように。
 退屈が嫌いな俺は、嫌でも中立を保ち、公平な判断を下す為の傍観者であるように。
 そして哀れにも犠牲になり、死にたくてもその役目を次の誰かに託さなければ死ねない『生け贄』を…そうだね。
 誰よりも死にたがっている癖に誰よりも先に逃げた『臆病者』のきみに《兎》という厄を』

 背後を振り返らずに『道化師』は、逃げ出そうとしたある一人の『兵士』に向けて言い放ち、
《まじない》という名の《のろい》をかけた。
 こうして厄を請け負う《役持ち》と死にたくても死ねない《兎》がこの世界の贄に選ばれ、
 今尚続く、呪いとなった。


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「これがこの世界の原点となるおとぎ話です。探し出すのに労は要しましたが、なかなかに興味深い話でしょう? そして、心当たりはありませんか。女王が何より望むのは母親の愛情なのにそれは叶わない。 王がどれ程に力を持っていようと関われない。帽子屋を含めたクローバーは代々穏やかでいながら必ず異常がつきまとう。そしてダイヤは色欲と愛情の差が分からない。
道化師たるジョーカーは必要以上に肩入れ出来ない公平者。更に言うなら白兎は死ねないのですから辻褄は合うでしょう」
 つらつらと語られる物語はまるで現実味の湧かないもので、そんなものは偶然だと言い張るには符合し過ぎている。
「確かに歴代の役持ちはそれに該当するかも知れないが、そういうアンタは例外だろ? 必ずしも一致する訳じゃない」
 三月ウサギが淡々と口を挟み、ビルはおや。そうきましたかとほくそ笑んだ。
「確かに、私は唯一の例外と言えるのかも知れませんがそれはアリスのお蔭なのです。言ってしまえばこの世界に招かれざる客であり、理に縛られないアリスの存在は良くも悪くもこの厄に関係がない。
故にアリスは厄介者。厄に介入出来るし、厄に介されない者。だからこそ、この延々に続く呪いから私は無理矢理退いた。とは言え、きっかけはありましたよ。
いくら退屈が嫌いだからと言って、一人で無謀にも裏切りとされる行いをしてしまうのはただの馬鹿です。好奇心で死ねるならある意味で本望かも知れませんが、」
「それで。理屈はどうだって良いからさぁ、結論としてアンタは何がしたいんだよ」
 飽きてきたとばかりに告げた三月ウサギに結論を急いても伝わらなければ意味がないのでは。とビルは答えた。
「……いや、三月の言う通りだ。別に俺達はこの世界の成り立ちや役持ちの意味を知りたい訳ではない。貴方が何をするつもりなのかを聞いている」
 時計屋が話を戻す為に言い、ビルはふむ。と考えるように間を開ける。
「だから言ったでしょう。この世界を壊すのですよ。こんな下らない呪いに縛られるなど、一体何の意味があるのでしょう、誰が望むのでしょう、秩序だと云うのなら、」
「犠牲が過ぎるとでもほざくつもりか? それは本当にお前が考えて行き着いた結論か? 侮るなよ蜥蜴が――」
 ビルの言葉に不快を露にした王は静かにビルを見据えると、誰に入れ知恵をされたと尋ねた。
「お前が誰かの為に動くなどある訳がない。ましてや、呪いを解く為だと抜かすのならば、お前が役を抜けた時点でもう関係がないのだから意味がないだろう」
「つまり、ビルの他に誰かが噛んでるって事か……」
 不遜に笑う王に三月ウサギは補足を入れ、思い当たるような人物を浮かべていく。
 トゥイードル兄弟は単に利用されたに過ぎない。裏切られた女王は元より、当時の役持ちにそこまでの決意や不自由があったとも思えない。
 しかし、どうだろうか。本当に、誰もこの現状に憤りを抱かなかったと言い切れるだろうか。
「……先代の、王か?」
 時計屋の行き着いた答えに王とビル以外の面々がはっと顔を上げた。
 確かに、誰とも交流のなかった先代の王であれば可能性がない訳ではない。むしろそう考えてしまえば分かりやすい理由もなかった。
 一部の者しか知らないとはいえ、現在の女王と王の出生の理由も含め、また役といえど才能を持ちながら干渉出来ない役を持つその苦悩は考えてみればとても耐えられるものではない。
 その答えにビルは否定を示さず、語り続ける。いや、実に面白いと。
「あの方ならば確かにそう思う思考もなるほどとさえ思えましょう。けれど勿体ぶらずに示すなら、いえ――ここは隠したところでどうにもなりはしませんね。
いいえ、違います。私がこうまで動いたのは王に言われたからでも、自らの好奇心は否定出来ませんけれど
――忠誠を疎んでいたからでもなく、単に面白いと思ったからです」
 縛られて動けない男は無機質な声で言い切った。先代の王ではない、と。ならば一体誰が望んだと言うのか。
 この世界の理を誰が疎んじ、憤り、壊そうとまで思ったのか。分かりませんか? とビルは問い、何も返さない面々に視線を向ける。
 幼い女王は困惑と混乱で立っているのがやっと。それを傍らで支える庭師にしてハートの騎士であるメアーリンは唇を噛み締めてビルを睨んでいる。
 帽子屋は最早考える事を止めてしまった様子で帽子を目深に被り直し、三月ウサギは然程もビルに興味がなさそうに時計屋の動向を見ていた。
 時計屋は何やら真剣に照らし合わせて考えているようで、干渉出来ない役を持つ王は冷ややかな視線を向けていた。
 その視線が僅かにしかめられ、真っ先にそれに気付いた王の反応を見たビルはようやくこれで役者が揃ったと内心でほくそ笑む。
「さて、そろそろ最終幕と行きましょうか。私のアリスが居ないのは残念ではありますが、それもまぁ仕方ないでしょう」
 そう。主役はやはり、彼女なのだから。

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 全ての始まりの場所。かつて裁判が行われていた地集まった面子を遠巻きに眺め、常に張り付いたような笑みの彼は尻尾を揺らす。
 全てを見下ろす為の位置で繰り広げられる議論や下らない上に無駄に長ったらしいビルの声は聞いていて欠伸が出る程に退屈だ。
 彼――チェシャ猫が座る観客席(正しくは傍聴人が座る席なのだろうけれど)の隣には無表情でナナシが座っており、
奇しくも舞台がビル達の居る女王の為の高見とするなら観客席にはたったの二人しかこの舞台を見ていない事となる。
「それで。この茶番劇に連れてきたのは何のためかしら」
 チェシャ猫を見ないままナナシは尋ね、チェシャ猫はさぁ。と曖昧に答えた。
「俺は傍観者だからね。面白くなりそうだからじゃないかな。まぁ、あの場に居ない時点できっと外されたのは明確だけど」
「……外された? 何から」
「物語の役割から。きみはもう役目を終えているし、俺はアリスをあの場所まで導いたから、もう用はない」
 チェシャ猫の言葉に、ナナシは馬鹿らしいと鼻を鳴らして冷ややかに笑う。
 物語だの役だの主役だのと、この世界の住人はそれしか知らないのか。
仮にもしも誰かの脚本通りに成り立っている世界だと言うのなら、それこそ下らない。
「他人が自らの思い通りに動かせると思うなんて、とんだ思い上がりだわ。こんな悪趣味で歪な物語があるものですか」
 あったとしてもナナシには関係のない話なのだろう。最初から、最後まで。
「そうだね。これが物語みたいに終われたら、どんなに良かっただろう。誰かが書いたものならそこで終わりに出来るけれど、生憎とそうはならないのが生きるという事なんだけどさ」
 チェシャ猫の表情はやはり変わらず張り付いたような笑みと、無感情な声だった。
 ふぁ、と欠伸をする彼に無表情のままナナシは視線を向けてそれで。と尋ねた。
「……私はあの滑稽な舞台とやらの結末すらどうなったって構わないし、どうだって良いのだけど、――ねぇ。貴方には最初から分かっていたんじゃなくて?」
 分かっていたからこそ彼女を導き、知っていたからこそこうして舞台を整えた。そう考えれば合点がいくと言うものだ。
 チェシャ猫はナナシの問いにどうだろうねといつものように答え、面白ければそれで俺は満足なんだけどね、と呟いた。


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