chapter2ー08『それが理由なら』

終末アリス【改定版】



 
 時を同じくして、アリス達が地下で芋虫とジャックに合流した頃――地上の裁判が行われていた場所で和やかに会話を交わしていた二人。
 時計屋と三月ウサギが帽子屋たちとの合流を待っている最中。たった今しがた女王の座る椅子の背後にある入り口からこの場に現れたのは一人の青年だった。
 三月ウサギと時計屋に目線を向けたまま、手にしていた本を閉じた彼はおや、と無機質な声を出した。
 これはまた珍しい組合わせだと呟いた予期せぬ人物――地下に潜んでいたと思われていた蜥蜴のビルの姿に時計屋と三月ウサギは息を詰める。
「ジャックにチェシャ猫。芋虫と王子に続いてきみたちと会うとは、因果は巡るものですね。さて――私のアリスはどこに居るのか、宜しければ案内して頂けると助かるのですが。どうでしょう」
 そして、ビルは片手で引き摺るようにして掴んでいた王を人質に取るかの如く持ち上げて、微笑んだ。
 答えない二人にふむ、とビルは仕方ないとばかりに語り出す。
「理不尽な事態に見舞われた時――原因を考えるよりまず、どうして自分がこんな目に合うのかというのは誰もが感じる事ではありましょうが、理由なんて考えたところで最終的には分からないのが常なのですから知ってどうしようと言うのでしょうか。
現実も本の世界もあまり大差はないようで、だからこそ知りたがるのは最早、人間ならではの思考なのでしょうね。
とはいえ人の姿と形をしていながら私は蜥蜴と称される訳ですが、少なくとも考えるだけの無駄に余る思考とやらを持つ生き物なんてそんなものなのでしょう。
知ったら知ったで更に疑念を抱き、自分の都合が良くなければどうしてと理不尽な理由を知ろうとする。
改善する為か、こんな展開に不満を訴えれば誰かが何とかしてくれるか、興味ないと言いながら興味ないと口にした時点で興を示しているとさえ気付かない。
かくいう私もアリス以外に興味は然程ないと言いながら、この状況に心を踊らせているのですから案外言葉と気持ちに嘘はつけないものです」
 つらつらと語られる声。まるで舞台に一人で立つ役者のように。さながら物語を語る訳者の如く。
 意味があるようでない言葉を聞きながら、隙を見つける為に三月ウサギと時計屋はそれぞれの武器を手に握る。
「本能だとか理性とやらを捨てればただの獣になる。知性を持たなければ支配される。悪意は容赦なく、善意はつまらない。裏と表。常に正反対と争いながら食い潰す。
生きてる価値なんて生きてる以外に探す必要なんてないでしょうにまるで生きてる理由がなければ死んでしまうみたいに、どうせいつかは死ぬのだから意味がないと斜に構えてそれでも死ぬのは怖いと言うのだから笑える話じゃないですか」
 発砲しようとした三月ウサギの気配を察したようにビルは王を盾にする。
 時計屋が日本刀を振るってビルに斬りかかったが、それは手にしていた本によって阻まれた。
「…っ」
 有り得ない感触に時計屋は眉をしかめ、刀の軌道をずらすとそのまま距離を取って目をすがめる。
 その間に確実にビルを撃つ為にダッシュした三月ウサギが再度狙いを定めにかかった。
 しかし、そう甘くはないとビルは構える三月ウサギに向けて無造作に王を投げ捨てる。
「…!」
 別にどうでもいい相手だが、一応は王であり、時計屋の親友の主には違いないので三月ウサギは攻撃を後回しにして王を受け止めた。
「…、…は」
 ガクリと力が入らない状態の王は息を吐いて衝撃に呻く。とりあえずは生きているなと確認した三月ウサギはそのままビルに視線を移した。
 ちょうど本気になった時計屋が二本の刀を手にビルと交戦の真っ最中ではあるが、無手である筈のビルに怯んだ様子はない。
 どころか、あろうことかたった一冊の書物で防いでいる。
「ふむ、無抵抗の相手にそんなによってたかって殺す為のものを向けないで下さいよ。私とて生きているんですから死んでしまうではないですか」
 涼しげな表情で無機質な変わらないビルの言葉に時計屋は何も答えない。問答をしている暇などないのだ。
 ビルはそんな時計屋に静かに目を止めて、それとも私を殺すつもりなんですか? と続けた。
「姉弟そろって、無理だと分かっているでしょうに」
「ーーっ! ……お前、」
「先代のダイヤにして時兎の彼女を私が忘れていない事に対しての驚きですか? それとも貴方もお忘れですか。寂しいですね、たった一人の姉なのに」
 時計屋は止めろ、とそれを制止する。
 忘れる訳がないのだ。あんな風に微笑んで消えた人を、忘れられる訳がない。
「……それを、あなたが言うのか」
 そう呟いた時計屋は静かに刀を握り締め、脱力したように笑った。諦めたように。そして、手遅れなんだとばかりに。
 明らかに様子が可笑しくなった時計屋に三月ウサギは眉をしかめて照準をビルに向けた。口を挟まずに無言のまま引き金に指をかけて引く。
 軽い音と共に発砲された弾丸は迷わずビルに向かっていき、そしてガキンという音を鳴らして地面に転がる。
その弾丸を弾いたのも、また一冊の書物だった。
「……さて。方向音痴にも困ったものです。ましてや、ここはいろいろと思い入れの深い裁判所ではないですか…、
何故か壊されている女王の椅子と床に突き刺さる剣に面々と違いはありますが戻ってきてここに来るとはまるで」
「……運が悪い、男だな」
 ビルの構わず一人で続けられる会話に入ったのは、掠れた王の声。三月ウサギに支えられていた体躯を無理矢理に動かし、
 突き刺した剣に寄り掛かる体勢となった王は呼吸するのもままならないといった様子で尚、ビルを強く見据えた。
「それとも、…、…これすら予想通りか…? 蜥蜴」
「余り無理をなさらない方が良いのではないですか。こうして私と話をしている合間にも貴方の役は貴方を戒めているでしょうに」
 王を意外そうに見返したビルに、王は不遜に笑い返した。
「何の事だか、皆目検討もつかんな……そんな事より、貴様は自分の心配をしたらどうだ」
「…!」
 王との会話で油断しきっていたビルは背後から動きを止めにかかった時計屋によって腕を封じられ、妙な真似をする前にこめかみに三月ウサギが銃口を押し付ける。

 一瞬にして呆気なく、不利と見るや否や、ビルは瞼を閉じて両手を上げた。
「やれやれ。私も流石に三対一では分が悪い。殺されるのはごめんですから降参します。それに、私はともかく貴方達はいろいろと聞きたいでしょう? ――どうしてと」
 知ったところで分かるとは思えませんが。と続けたビルの言葉に三人は思い思いの沈黙を返した。
 抵抗らしい抵抗もなく、壊された椅子に拘束されたビルから奪った本に目を通す三月ウサギ。
 うんざりしたようにビルを睨む王に目を閉じて休んでいる時計屋。
 そんな有り得ない状況に、戻ってきたメアーリン並びに合流した帽子屋と女王は一体何があったのかと驚きを隠せないままでその光景に絶句する。
「あぁ、おかえり」
「あの、三月さん? ……一体、これは…」
 三人に気付いた三月ウサギに戸惑いながらメアーリンが問い掛けた。
続いて女王がどうしてお兄様まで…と呟いて、いやそれも気になるけど! と帽子屋がビルを指差す。
「どういうことだよみっつん! どうして黒幕があっさりとしかも涼しげな表情で三人に緊縛プレイ」
「いやん! そういう趣向だとは斬新な発想じゃない帽子屋ってば素敵だわ!となるとビルが受け?」
「………黙れ。耳障りで尚且つ意味を分かりたくもない」
 動揺なのかはたまた素でボケているのか分からない帽子屋と女王にたまらず王が突っ込みを入れた。
 メアーリンは恥ずかしそうに瞼を伏せていて、三月ウサギは我関せずとばかりに知らん顔をしている。
「…アリスとチェシャ猫は見つからなかったのか?」
 まるでそんなやり取りなどなかったかのように口を開いた時計屋にメアーリンははい、と頷いた。
「でも、兵士さんに見つけたらここに来て下さいますと伝えるようにお願いしました」
「そうか、ありがとう」
 手間が省けたと微笑む時計屋と嬉しそうなメアーリンに三月ウサギのつまらなさそうな視線が向けられる。
「……何にせよ、話を進めるか。チェシャ達が来るまでに待つ時間も惜しいしな」
「同感だ。目障りな異端の女には早々に戻ってもらわねばうざったい」
 三月ウサギの言葉に王が不遜に笑う。ぐっと乱暴に髪を掴まれたビルは観察するように目を細めておや。と声を発した。
「てっきり貴方は女王についての話を聞くかと思っていたのですが、――成る程。やはり狂った世界に異物を混ぜると捻(ねじ)れるようだ」
 可笑しそうに笑みを浮かべるビルにふざけていた女王と帽子屋も顔つきが真面目に変わる。
「信じたくはなかったけれど……やはりアナタが原因なの、ビル…」
「……どうして、今になって」
 悲しそうに問う女王。納得がいかないといった帽子屋の疑念。彼等だけではなく、ここに居る面々はそれぞれの複雑な心境でビルを見ていた。
 それらの疑心暗鬼な視線を涼しげな表情で受け止めて、面白そうにビルはゆっくりと微笑み返す。
「逆に聞きましょうか。私が裏切りと呼ばれる行いをしたと知って、行方をくらませた二年間。何か支障はありましたか。変わらない日常に馴染み、役を受け継ぎ日々を無為に過ごしていたのでしょう。
彼女が来なければ、きっとこんな風に真実を知る為に必死にもならなかったでしょうに、いやいや実に可笑しい」
 嘲笑でいながら、無機質な言葉をビルは告げる。挑発であったなら短気な王が掴みかかっただろうが、彼はあくまでも冷静だった。
「世界なんて一人消えたところで何ら変化なんて起こり得ない。役は巡る。甘んじて受け入れて、変化を起こさない。
物語のような劇的な展開など有りはしない。誰かが起こさなければ物語にはなり得ない。だから私は思ったのですよ。こんな退屈な一生ならば、退屈凌ぎに神様に喧嘩を売ってやろうと」
 それは、意味が分からない発言であった。退屈な日常に飽きたならそんな事の為にと非難もあっただろう。
 ましてや活字中毒である程のビルの頭が可笑しいのだと思えば済む話だ。なのに、
「……貴様は……、世界を変えるつもりだと言うのか…」
 吐き捨てるように発された王の台詞で笑って終わらせるにも出来なくなった。
「…意味が分かりません。ビルの今の言葉でどうしてそうなるのですか、お兄様」
「そうだよ王様、ボケは僕と女王がちゃんとやったよー」
 女王に続こうとした帽子屋を三月ウサギが止めて、とりあえず黙っとけ。と口を塞ぐ。
「ふん。悪足掻きで濁すなよクローバー。どうせこの男がそのつもりなら遅かれ早かれ知られる事だ」
 ギチ、と歯を噛み締めた王は目だけが笑わない笑みを張り付けて自らの腕を強く握り締めた。

「俺達《役持ち》は云わば、呪いなんだとな」
 誰かが嘘だろと笑ってくれたなら、どんなにか楽になれただろう。
 重い沈黙がただただ、それを嘘じゃないよと物語っているようだった。
 王の《呪い》という発言に固まっていた面々は、それぞれの緊張に息を詰めていた。
「そう。呪い。流石は正式に役を継いだだけあってお詳しい。最も知ったところで何も出来ないし、どうにもならない事に変わりはありませんが、話にくいと仰るなら私がご説明しましょう。帽子屋や貴方はともかく、他の方々はご存じない事でしょうからね」
 何も言わない沈黙を破ったのはビルの無機質な声。好きにしろと告げた王を、帽子屋が悲しそうに見つめたが、それでも止まる訳がなかった。
「呪いとはどういう意味なのです…、お兄さま!」
「急かさずともご丁寧に蜥蜴が説明してくれるそうだ。お前は、知らない方が良いだろうが……知りたいと言うのだろう」
「当たり前です! 私だけ何も知らないとは…女王を…ハートをお母様から継いだ意味がないではありませんか…っ」
 そう言って、女王は王の腕にすがるように座り込んだ。混乱しているのは無理からぬ話だと王は静かに息を吐いてメアーリンを呼ぶ。
 呼ばれたメアーリンは驚きと警戒を交えながら王を見返すと何でしょうかと女王を庇うように聞き返す。
「そうだ。そうやって騎士の務めを果たせ。お前が妹の騎士でありたいと望むなら、何があっても離れるな」
「……貴方に言われるまでもなく、私は女王様をお護りすると誓った身です」
 続けられたメアーリンの実の兄である貴方の役目であろうとも、と非難にも似た言葉に王はいつものように不遜に笑むだけだった。
 少なくともメアーリンにとって兄である王が妹たる女王に対して接する態度や物言いは許しがたいのだろう。
 それを見届けたビルは見計らうように王から女王、メアーリン、時計屋、帽子屋、三月ウサギに視線を順番に向けて、確認を取った。
「さて。心の準備は宜しいですか。それでは少しばかり、とある始まりの物語をご静聴下さいますようお願い申し上げます」
 そして、語られる物語は無機質な裏切り者によって知らされる。
 これは、滑稽なおとぎ話であり、そして役持ちとこのワンダーランドの始まりの物語でもあった。


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