chapter2ー07『紅の騎士』

終末アリス【改定版】



 
 ここで場面は切り替わる。
 時間は巻き戻されて、アリスと白兎が地下をぐるぐると出口を求めている途中、同じく地下に潜っていた芋虫とジャックに会った。
 互いに事情を説明し、何となく状況を把握した白兎はアリスに、だから言ったでやがりましょうという視線を向ける。
「テメェの所為でややこしくなってるじゃねぇですか女。大人しく待ってりゃあ芋虫も俺もこんな分からない地下に迷う羽目にならなかったんですが」
 確かにそうかも知れないけれど、とアリスも思う。しかしながら言わせてもらうとすれば
「…でも、白兎は自業自得だと思うわ…」
 切っ掛けにはなったのかも知れないが思い出して試してみようとしたのは他ならぬ白兎なのだから。
 言われて黙り込む白兎にジャックが吹き出して鞭でしばかれた。
「…ふふ、まぁ経緯はどうであれとりあえずはここにビルが居るのは多分、間違いない筈だからまずは進みましょう」
 そんなやり取りにくすくすと笑う芋虫に無事で良かったとアリスは安堵する。自分が原因で誰かが傷つくなど、考えるだけで心が痛くて苦しいものだ。
 ごめんなさい、と頭を下げるアリスに芋虫は貴女の所為じゃないわ。と頭を振った。
「アタシは、個人的にアイツと因縁があるだけ。誰かの所為と言うならアタシも自業自得よ」
「でも、」
「貴女の目的は元の世界に戻ること、でしょう? アタシの問題はアタシが決着を着けたいの。心配は有り難いけれどね、これは譲れないのよ…ごめんなさいね」
 そこまで言われてはアリスも何も言う訳にはいかなかった。そう。仮に言える相手が居たとしてもそれはアリスではない誰かだ。
「いいえ、私こそごめんなさい…」
 検索をしたつもりはなかったのだ。しかし不快にさせてしまったのなら素直に謝るしかない。
 芋虫はほんの少しだけ眉を寄せて、困ったようにアリスの頭を撫でると静かにありがとう。とだけ囁いた。
「ん……でさぁ。さっきから一向に出口とか見当たらないんだけどマジで出られんのオレ達」
 ガガガと手持ちの剣で矢印を壁につけていきながらジャックが軽く指摘する。
 刃零れしないんだろうかと思ってしまうくらいに雑な扱いの剣を何ともいえない気持ちで眺めながらアリスは、出られるだろと言い切った白兎と何でだよと聞き返すジャックに視線を移した。
「何を根拠に戻れる確信があんの、白兎」
「……テメェはさっきの話を聞いてやがりましたか? あの先代ハートの騎士が自慢気に言ってやがったという事は自らが入って戻ってきやがった、に決まってんだろ」
「……あのさぁ、しろたん。ギャップ萌えは確かに大事だとは思うけど、バカだろ」
 爽やかな笑顔で言い切ったジャックに白兎はあ゛? と睨み返す。構わずにジャックは薄い笑みを浮かべたままで続けた。
「確かにあの人はあんまり嘘はつかなかったけど、それって多分しろたんが試して泣くの見たかったから、わざと確認してなかった可能性の方がでかいと思う」
 さらりとした仮説になっ! と声を上げる白兎。それに芋虫が追い打ちをかけるようにジャックに同意する。
「……そうねぇ、それにハートの騎士って言えば女王様のお気に入りだった訳だし、後に騎士になれと言われた白兎に嫌がらせしても不思議じゃないわ」
「………!」
 そう言われると思い当たる節もあったのか、白兎は衝撃に項垂れた。
 信頼していた人に実は嫌がらせをされていたらしい白兎に少なからず恨みを持つアリスでさえ、ちょっと同情してしまいそうだ。
「なんて冗談はさておき、王からの情報だ。こうして会えたんだから、やっぱり抜け道には違いないだろうな」
「……あの野郎の話を信じてやがるんですか」
「騎士が主君を信じないで、誰を信じんの?」
 白兎の嫌味にジャックは普通に返して、まぁ気持ちは分からなくもないけどさとヘラヘラした笑みを浮かべる。
「別にどうだって良かったんだけど、それなりにオレと王も主従としての関係は長いからって感じ」
 それに対してアリスはほんの少し羨ましいなぁと思い、芋虫はやや意外そうにジャックを見返した。
 しかしながら、白兎にとっては意外を通り越していたようで真剣な表情になる。
「テメェさりげなく死亡フラグ立ててんじゃねぇ、撤回しやがるなら今のうちですよ」
 なにそれとジャックは苦笑いを返し、芋虫に視線を移す。
「……それにしても、妙な話だよなぁ。なんて言うかさ、今更ながらに気になるんだけど」
「あら、ジャックにしては珍しいわね。どうしたの?」
「白兎が先代の騎士がどうのこうのって言ってたじゃん。あの時はどうしてたのかなってさ」
 そこで芋虫が目を見開いて止まった。
 二年間、芋虫は同期にして役持ちのビルが何故そんな事をしたのかという点は考えていた。
 しかし、女王の危機にも関わらず、どうして役持ちと騎士が動けなかったのかという理由は考えてすらいなかったのだ。
「……役持ちが動けなかった理由、」
「は? 何を今更。裁判はトカゲの野郎が仕切ってやがったから役持ちには関係ない話でしょう。それにその頃にはもう役持ちは世代交代済みで尚且つ騎士は俺になってたんだから、引退した奴らが動く理由はねぇでしょうが」
 冗談は止してくれとばかりに白兎がうんざりした表情でそれを遮る。
 同じような話を何度も聞かされていたからなのだろう、同時に芋虫の納得がいく理由ならあるのだと続けた。
「第一、役持ちの顔合わせも済んでない。引退した奴らが仮に動くとしてもその日すぐには動けねぇ。トカゲの野郎が裏切るとは誰も思っちゃいなかったんだ……それにアンタが知ってるかは知りませんがあの時、俺以外の騎士はハートの騎士だけですよ」
「? ……どういう意味かしら、騎士を必要としないジョーカーや、決まっていなかった帽子屋とアタシのネムはともかくも、王には騎士が居たハズでしょう」
 白兎に怪訝な視線を向けた芋虫は意味が分からないとばかりに額に手を当てた。
 端で聞いているアリスには何が何やらさっぱり状況が分からないので退屈そうなジャックにどう可笑しいのか訊ねてみる。
「ねぇ、どういう話になってるの?」
「あぁ、何て言うか今更なんだけどな。当然ながら役持ちやその騎士って、オレ達の前にも居た訳だよ」
 そこまではアリスにも分かる。えぇ、と頷いて続きを待てばジャックは簡潔に教えてくれた。
「今、問題視してんのはその前の奴等が女王の危機に何してたんだって話」
 それは白兎も言っていたように知らなかったから、に他ならないのではないかと思う。
「…よく分からないけれど、裁判の時はトカゲのビルって人が突然、しかも前触れもなく裏切った、のよね? だったら前の役持ちもそんなすぐには動けないのは当然なんじゃないかしら」
 そう。だからそこはそれで合ってるんだよと綺麗な笑顔を浮かべたジャックはけど。と言葉を続けた。
「その時、役持ちは芋虫。帽子屋。二人は騎士を決めていなかったから除外される。それから先代の女王と王。元より騎士を必要としないジョーカーってもビルさんだからさておき、女王には白兎という騎士が居た。じゃあ、王の騎士は何をしてたんだろうな?」
「王、」
 そう言われてみれば、これだけ女王についての話を聞いていながら誰も先代の王について語る人物は居なかった。
 どころか、何故だろう。アリスは言い知れぬ寒気に肩を震わせて思考を巡らせる。
「ちょっと、待って……白兎。あなた、さっき騎士はあなたとハートの騎士だけだって言ってたよね?」
 話を振られた白兎はあぁ。と返事を返す。それがどうしたのだと言いたげに眉をしかめる白兎にアリスは息を飲む。
「俺がハートの騎士になったのは他ならぬ事実でやがりますし、もう一人のハートの騎士が居たのも事実ですが、」
「至極単純な話。ハートの騎士でスペードの騎士でもあっただけだよ」
 白兎の言葉に続いた軽やかな声が狭い石に囲まれた空間に響いた。視線が一斉に声のした方向へ向けられ、一体いつから居たのか。
 そこには穏やかで、柔らかな微笑みを浮かべた青年が立っていた。
 少し癖のある薄茶色の髪を肩より短い位置まで伸ばし、その髪を赤い紐で纏めた青年の印象はどことなくジャックに似ている。
 兄弟なんだと紹介されたらそのまま信じてしまう位に。残念ながら血の繋がりもない赤の他人にして空似に過ぎないが。
 その青年こそ、先代女王の騎士にして通称、紅の騎士《クリムゾンナイト》と呼ばれた男だとアリスが知ったのは驚いたリアクションもなく説明したジャックによってなのだけれど。
「何でアンタがここに居やがるんですか……確か、先代と一緒にどこかへ行きやがった筈じゃあ、」
 白兎は驚きながらも状況を確かめるべく、問いかけた。青年――紅の騎士は「ん?」と首を緩く傾け、話が逸れるけど良いのかい? と穏やかに聞き返す。
「けれど、まぁ答えるのはやぶさかじゃない。俺がここに居るのは身を隠すにうってつけだからで、更に言うなら誰も来ないから」
 とはいえ、君達が来たからそれも今日までの話かも知れないけど。と言葉を続けた青年に芋虫が信じられないといった視線を向けた。
「女王はどうしたの……」
「彼女なら生きてるよ。誰にも会いたくないという彼女の願い通り俺はここに連れてきた。
でも死んでもらっては何より俺が困るから食事や娯楽の品を定期的に毎日運んでもいる。
不自由はない。不充分ではあるかもしれないが、何より俺は彼女の為に生きているし俺の幸せの為に尽くしている」
 何を文句があるのだろう、と青年は芋虫を見返した。芋虫は相変わらずなのね、と困惑を含めた呟きを洩らす。
 そうかな。と青年は穏やかな声で告げて、視線を白兎に移して口を開く。
「さて、納得がいかなさそうな顔だね白兎。言ってごらん。怒らないからさ」
「……、」
「じゃあ白兎の代わりにオレが聞いちゃうけど。アンタ、ビルさんが裏切った時、どこに居た訳」
 口を開こうとした白兎を遮って、ジャックはいつものヘラヘラとした笑みを浮かべて問いかけた。
 青年は白兎からジャックに視線を移すと、意外そうに目を見開いて、もしかして俺は疑われているのかなと笑った。
「裏切った――と言うのは裁判の時の事か。俺はその時、残念ながら女王の側には居なかったんだ。何せ、王と一緒に居たからね」
 女王と王の騎士。ならばそれも別段、可笑しくはない。なのに、やはりアリスには違和感が拭えなかった。
 どうしてだろう。この穏やかで優しそうな人に可笑しなところなど見当たらないのに。
「ところでそこの君ははじめまして、かな。二年前には見なかった顔だけれど、白兎や芋虫と一緒に居るという事は役持ちの騎士か何かかい」
「いえ、私は――」「あ、オレの彼女だから触んないでくれますー?」
 答えようとしたアリスと紅の騎士の間に割って入ったのはジャック。その突拍子もない発言に白兎と芋虫は同時に吹き出した。
 いつの間にそんな事になったのか、そもそもそれは冗談なのか本気で言っているのか。何とも言えないままでアリスは固まる。
 とりあえず、ぜぇぜぇと苦しそうに笑う白兎が不愉快だったので八つ当たりも込めて耳を引っ張ってやる。
 紅の騎士はきょとんとした様子でその光景を見つめ、そう。と目を細めて微笑んだ。そしてアリス達に背中を向けて着いてきなよと言う。

「さっきも言ったけど、俺は彼女の誰にも会いたくないという望みを叶える為に尽くしている。よって君達に彼女を会わせる訳にはいかないし、ましてや彷徨かれても困る。出口なら案内してあげるから、俺に従ってくれると有難い」
「いえ、気持ちは有難いけれどアタシとジャックはここにビルを捜しに来たのよ……だから、ここから出る訳にはいかないわ」
 芋虫の言葉にゆっくりと振り返った彼はだったら尚更だと告げた。
「ビルくんならここには居ない。俺と彼女以外の誰かが居たなら俺が見逃す理由はないから安心してくれ」
 と、言うより。少しの間を置いて、紅の騎士は告げた。
「俺だって出来るなら知り合いを殺したくはないからね」
 それが冗談でも何でもなく、本気でやりかねないという確信は、青年がただ純粋に殺意を向けたからに他ならない。
 言葉で雄弁に語るより、駆け引きや打算めいたやり取りより何より、ただそれだけで充分過ぎる程に彼は本気で忠告を示した。
 先程のジャックの発言に和んだ空気はいつの間には張り詰めていて、譲るつもりはなかった芋虫も仕方ないと判断を下す。
 自分だけならまだしも、白兎やアリスを巻き込んでまで貫き通す意地ではないと思ったのだろう。
 元より出口を探していた白兎に異論はなく、アリスも早々に脱出したいと思っていたので青年の後を追いかける。
 その後を少し遅れて追ったジャックは僅かに口元を歪めて、油断ならねぇ人だよなと呟いた。


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