chapter2ー06『落下地点』

終末アリス【改定版】



 
 それぞれが各々の行動を進めていく中で、アリスはチェシャ猫と共に先代の女王の部屋に居た。
 主の居なくなった間でも掃除はされているらしく、まさに当時のままなのだろう。
 居るべき彼女が不在のまま。紅に彩られた室内をぼんやりと眺めながら、アリスはチェシャ猫に話しかけた。
「ねぇ、チェシャ猫……ずっと聞きそびれていたんだけれど」
 チェシャ猫は何ら変わりのない口調で何だいアリスと聞き返し、何の遠慮も躊躇いもなくガサガサと探索を続けている。
 アリスも躊躇いながらどこかに入口らしきものはないかと探しつつ、言葉を続けた。
「初めて会った時、白兎は死なないって言ってたわよね? それって結局はどういう意味だったの?」
 あぁ。とチェシャ猫は声を上げて、その事かと呟いた。
「どういうも何も、言葉の通りだよ。白兎は死なない。いや、死ねないと言った方が正確かも」
「でも、不死身って訳でもないんでしょう? いくらファンタジーだからって、そんなの有り得ない」
「……自分の常識が全てに通じるなんて思い上がりだよ、アリス。有り得ないからこそ有り得る世界だってある」
 チェシャ猫はのらりくらりとした口調でゆっくりと笑う。張り付けられたような笑顔と無感情な声。
「だって、役持ちは呪いなんだから」
「っ?!」
 その言葉にアリスが驚いて振り返る。しかし、計ったかのようにぐらりとアリスの体躯は揺らぎ、気が付けば暗い闇の中を落下していく浮遊だけが支配していた。
 アリスの消えた室内に残されたチェシャ猫はクルクルと回転する鏡を面白そうに見つめて、こんな所にあったんだね。とどうでもよさそうに告げた。

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 中央に罪人が座る為の椅子。それを囲むように並べられた観客席。罪人の目線から前には証人が語る為の腹の位置くらいまでの高さの台。
 その先に全てを見下ろす為にある女王の為の席が一つ。
 使用されなくなってから二年間、ほとんど出入りのないその場所はまさに袋の鼠という言葉に相応しく罪人に逃げ場は見当たらない設置であった。
 門はたった一つ。罪人が通る道はそこから椅子まで。他に出入りの可能な場所は唯一女王が座る為の席の後ろにある入り口程度か。
 観客に囲まれ、兵士が並び、逃げ場のないこの状況下でトカゲのビルはナナシを連れて脱け出した。
 そして、誰も居ない筈のその場所に不快そうに佇んでいたのは、スペードの王だった。
「お前たちか……」
 入ってきたジャック、メアーリン、芋虫に一瞥すると罪人の座る椅子に瞼を閉じて腰を下ろす。どうしてここに、というメアーリンの問いにさぁな。と短く返した王は芋虫を呼んだ。
「なぁダイヤ。貴様は役持ちを何だと捉える」
「……あら、それはアタシよりもアナタの方が詳しいでしょうに」
「貴様の意見を聞いている。答えろ」
 唐突に振られた問いに芋虫は考えるように前髪をかき上げ「少なくともなくてもあっても変わらないモノだとは思うわね」と告げる。
 ただ漠然とした世界が狂うと伝えられてはいるけれど、実質上の証明はない。
 欠けたら代わりが決められる、役持ちには役持ち以外の役割を求められない。
「そういう世界に対して、アタシの大事な世界に支障がなければ受け入れるわよ。それとも、アナタは今更でもそれを疑念に感じた理由でも考えたのかしら」
「……俺は、今の俺に不満も不服も劣等感もない。だが、概ね当たりだと言っておこう」
 かなり俺様で上から目線だよ! とジャックが言ったけれどそれは無視して会話は続けられる。
「全く…不快にして愉快にも思えてくるな。異なる世界の小娘二人にこうも振り回され、狂わされ、それでも、何も出来ん」
 言葉を途切れさせた王は、誰も居ない空席の女王が座る椅子に目線を向けた。
「貴様達がどうしたいかは知らないが、俺は干渉を制限された役持ちだからな。…だから聞くなよ」
 これは俺の一人言だと前置きをした王は座っていた椅子から立ち上がると真っ直ぐに階段を上がった。
 見下ろす為の場所へ。座る者の居なくなった席へ。
 王さま? と口を開きかけたメアーリンに無言でジャックが静かにと人差し指を口元に当てる。
「蜥蜴が仮に知っていたとするなら、アイツはきっと母の座る場所へと向かい、ここにある入り口を使って脱け出したに違いないだろうな」
 そして、おもむろに空席の椅子を蹴り飛ばした王はギチ、と歯を噛み締めて苛立ったように剣を突き立てた。
 下に居る芋虫達を振り返る事もなく、背後の扉からその場を後にした王の姿が見えなくなったのを確認した芋虫は静かに階段を上り、その後をジャックとメアーリンも追いかける。
 突き立てられた剣の下には床の赤と同じ色の入口らしきものがあった。
「……こんな所に、あるなんてね」
 分からない筈だわと芋虫が呟いてメアーリンに目を向ける。
 ここに入るのではないのかといった不思議そうな視線で見返せば、ジャックがあぁと察したようにメアーリンを呼ぶ。
「メアリーはここで見張っててくんない? 中はオレと芋虫で行くからさ」
「え? でも…」
「万が一、入って出られなかった時の為と戻らなかった時に知らせる誰かが残るのは妥当だと思うのよ。そして、この中ならアナタにお願いしたいわ」
 何かあった時に対処するだけなら芋虫が適任ではあるが、事情を説明する経緯を考えるなら彼女だろうと言うけれど。
「私が残るよりは芋虫さんが残った方が……ネムちゃんだって探してるんですよ? それに、私とジャックさんなら充分に強ー」
「分かってる、…でも…勝手だけれどね。ここにビルが居るならアタシが行きたいのよ」
 オレが残るのは不安なんだってよとジャックが笑う。確かに幼馴染みのメアーリンもジャックに任せるのはやや不安なのが否めない。
「これはアナタを信頼しているから頼むの。お願い」
「………、…分かり、ました」
 真剣な芋虫の表情にメアーリンは困ったように笑んだ。気持ちは分からなくもない。
 何が待ち受けているか分からない以上、確かに誰かが残るのは適切だ。それが、女王の騎士であるメアーリンならば難しくはない。
「ただ、約束して下さい……無茶はしないで下さいね」
 安心させるように微笑んだメアーリンはありがとう、と返して扉を開けた芋虫を見送る。
 続こうとしたジャックをメアーリンが呼び止めて、ジャックは「ん?」と振り返った。
「…いってらっしゃい」
「……ぶはっ!」
 何故か吹き出したジャックにメアーリンは拗ねた表情で何で笑うんですかと不満そうに呟いた。
「あぁ、いや。びっくりしたぁ〜…急にどうした?」
「何となくです。無事に帰って来てくれないと泣きますからね」
 そう言うメアーリンの頭を撫で、いってきますと声に発さないまま口先だけで笑んだジャックはふとヒントを示した王が行った扉を見つめた。
 帰ってきたら、引きこもりの王に付き合ってたまには時計屋とも一緒に過ごしてみよっかな、なんて思いながら。

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 ジャック達がそんなやり取りを交わしている最中。
 単独で行動していた白兎はうざったそうに冷たい石で固められた廊下を歩いていた。
 一先ず女王とメアーリンを食堂へと呼び出した後、ふと思い至ったのは先代――自分の前のハートの騎士の話。
『この城内にはね、代々ハートとスペードとそれに近しい者にしか教えられない地下に続く入り口があるんだよ』
 彼は柔和な笑顔で語り、その場所を白兎に教えた。ナイショだよと言う彼の言葉を子供騙しな嘘だとしか考えていなかったが、仮にもし本当なら。
 確かめてみる価値はあるか、と試しに教えられた場所を探ってみたら大当たり。
 半ば驚きながらもその地下に続く階段を降りていき、進んでみれば何とも言えない閉鎖的な空間。
 罠の類いはないようだったが、どうやら一旦入ってしまえば戻れない仕様ときた。畜生、最悪だ。
 まさか城内で迷子になる羽目になるとは思わなかったですねと一人ごちる。
 まぁ、どうせいずれは出口にたどり着くだろうと白兎はため息をついて改めて辺りを見回した。
 何せあの騎士の事だ。知っているという事は中に入って確かめたに違いないし、無事に生還出来たからこそ話したのだろうし。
 仮に見つからなかったとしても、帽子屋やアリスは論外と考えて時計屋とジャックが居る。そして何より、三月ウサギ辺りが気付くだろうから。
 気に食わない野郎だが、実力と洞察力は認めているのだ。あの馬鹿の騎士なんて勿体ねぇとは思いますがね。
しろたんとやたらうるさい幼馴染みの面を思い浮かべた白兎はうざったそうに眉をしかめて呆れたように笑んだ。



 落ちていく。暗い黒の景色の中を急速に。まるでこの世界に来るまでの初めて落下していく感覚に襲われた白とは真逆の光景に何かを思う余裕すらない。
 ただただ恐怖で泣きそうだ。
 ひっと息を詰めたアリスはこのまま落ちていく先に何があるのかと考える。
 しかし確認しようにも落下していく身体を器用に回転させられる程に運動神経は良くない。
 あぁ、どうしようと硬く目を瞑ったアリスはせめて打撃の衝撃に備えようとぎゅっと身を縮こませる。
 そして、ゴツンという嫌な音と痛み。
 でぇっ!という誰かの声と、思っていたよりも柔らかい地面に恐る恐る目を開けてみた。
 白い服が視界に映り、痛みを堪えて慌ててその上から身を離す。
「……ご、ごめ」
 案の定、その下敷きになっていたのは何故か居る白兎で、謝ろうとしたアリスは無言で睨まれてしまって途中で止まる。
「……テメェはあれですか、俺にぶつかる趣味でもありやがるんですか迷惑だ」
「うん、……でも、わざとじゃない…」
 ぶつかる趣味はないが、こう何度も続くと否定はしにくい。アリスはさりげなく白兎の怪我がないかを確認してほっと息をついた。
「チッ…だが、テメェが落ちてきやがったって事は三月達も隠し扉とやらの存在に目をつけやがったって事で悪くはねぇ情報ですね」
「多分、チェシャ猫が知らせてくれると思うけど……」
 じっと白兎を見返したアリスは帽子屋が心配してたよと言った。その言葉に白兎は知るかと告げて、嫌そうに好きにさせとけと呟く。
 呪い。チェシャ猫が言った言葉の真意を確かめる勇気が持てないままアリスは沈黙した。
「だとしても、このまま助けを待つのはあまり得策とは言えねぇんで俺は先に進みますよ」
「え、ちょっと……白兎?」
 こうなった経緯は知らないが、白兎も一緒に助けを待たないのかと引き止めれば、白兎は怪訝そうな顔をアリスに向ける。
「何でやがりますか女。俺はテメェに構ってる暇なんざねぇんですがね」
「こ、……怖いじゃない……」
 ひんやりと冷たい空気に、無機質な石で固められた空間。薄暗いこんな場所で一人なんて、アリスには無理だ。
 女々しい反応と思わぬ言葉に白兎は眉をしかめ、は? と声を上げた。
 初対面から悪態をつきまくってきた挙げ句、ジャックの剣の前に躍り出る。王に対しても怯まない度胸の女がこの程度で何をほざく。
「……テメェなら平気でやがりましょう」
「……貴方は私をいろいろな意味で誤解してるよね…」
 鼻で笑って吐き捨てれば、アリスは眉を寄せて呆れたように呟いた。
「最初から言ってると思うけど……私は別に特別に精神が強い訳でもないし、力だって弱い普通の女の子なんだよ」
「知ってやがりますか、自らを普通と言い張るヤツに限って後に秘められたチート能力を覚醒させるフラグなんだって」
「……意味が分からない」
 むしろそんな展開は希望したくない、とアリスは服の埃を払う。制服じゃなくてズボンでも借りてくれば良かったなと思いながら
 とりあえず。と白兎を見返し、ついていくからねと告げた。

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 アリスと白兎が連れ立って進んだ頃。
 他の場所を探していた時計屋と三月ウサギは手掛かりを探す為に裁判所まで足を運び、そこにいたメアーリンから事の経緯を聞き終えていた。
「つまりはここの地下にトカゲがいるかも知れない、と。まぁ面倒臭い展開だな」
「……ジャックと芋虫なら多少は平気だろうが、どうする。帽子屋と合流するか」
 扉を見下ろしながら三月ウサギは面倒そうに頭を掻いて、その隣で時計屋は冷静に意見を求める。
「なら私が探して連れて来ますね、女王様も一緒ならお守りしたいですし」
 メアーリンが言うと、なら任せる。と時計屋はおもむろに頭を撫でた。
 メアーリンは嬉しそうに笑んで、いってきますから待ってて下さいね! と足取り軽く駆けていく。
「……甘やかしすぎだろ」「そうでもない」
 三月ウサギの冷めた声に時計屋はあっさりと返して、ストンと床に腰を下ろした。
「正直な話、歩き回って俺も限界だ……もう動きたくない」
「普段から引きこもってるからだよ。これに懲りたら鍛えるか?」
 軽口に面倒だと呟いた時計屋はふと三月ウサギを眺め、そういえばという訳でもないがと前置きをして言葉を続けた。
「二年前から俺はずっと、不思議だと思っていた」
「何が」
「役持ちだ。先代の女王を含めて、何故彼らは揃いも揃ってトカゲのビルの反乱とも言える行為を止められなかったのかと」
 今更だった。そして当たり前の疑念だった。
 そもそも興味すらなかった三月ウサギやジャックですら気にしていなかった事実だが、言われてみれば不思議だ。
 何せ、今は世代交代をしたとはいえ先代の役持ち達とてかなりの手練れにして優秀なる人物ばかりなのだから。
「……ビルがそう仕向けた、とは考えにくいな」
「だろう? 特にハートの騎士が気付かない訳がない。彼ほどの騎士が女王の側を離れる理由がない」
 時計屋の言葉に三月ウサギは考え込むように目を細めて確かに。と時計屋に同意する。
「と、なると俺達は地下の探索じゃなく、その辺りを調べた方が良いかもな」
 やれやれと肩をすくめた三月ウサギは時計屋の隣に腰を下ろして瞼を閉じた。
 時計屋は眉をしかめたが、諦めたように溜め息をついて、別に動くのは構わないが、と言葉を続ける。
「帽子屋にあまり心配をかけてやるなよ? お前はアイツと似て、一人で解決しようとしがちだからな」
「……ふぅん? 時計屋は心配してくれねーの」
「……俺は関係ないだろう」
 淡々とした会話を交わす中での時計屋の台詞に、三月ウサギは眉を寄せ、綺麗な笑みを浮かべた。
 関係ない、ねぇ。確かに無頓着な時計屋にとってメアーリンやジャック以外に関心はないんだろうけれど。
「なぁ、時計屋。いっそキスくらいしないとお前は俺を意識しないのかもな」
 至近距離にまで顔を寄せた三月ウサギは静かに囁いて、言われた時計屋は更に眉間に皺を寄せる。
「……それでお前の気が済むのなら好きにすれば良いだろう」
 投げやりに返された言葉に三月ウサギは笑んだまま、いいのかよ? とだめ押しを囁く。
「俺の気が済むまでなんて、それこそキス程度じゃ済まないぜ」
 額を合わせて三月ウサギは淡々と告げていく。突き詰めてしまえば、きっとどんなに酷い事をしても足りない。
 最終的には殺して自分も死ぬ位には病んでいる。つまりはそういう情だ。
「どういうつもりか知らないが――俺はこれでもお前が嫌いではないからな。だから、お前なら別にある程度のよく分からない行為も平気かと思うだけだ」
 拒むなら今のうちだと含ませたのに、あっさりと返された。驚きで目を見開く三月ウサギの耳をゆっくりと撫でた時計屋は僅かに笑みを向ける。
「そうか、俺はお前が苦手だが、同時に頼りにしている。信じているのかも知れないな」
 しみじみと、まるで今、認識したように呟かれた声に三月ウサギの心拍数が跳ねた。
 二の句が告げない。言葉が出てこない。なんだそれ、なんだよ、信じているって!
「……やっば、アンタ、馬鹿だよなぁ」
 脱力感と照れ隠し。俯いて自然と弛む表情を手で覆いながら、三月ウサギははにかんだ。


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