閑話番外ー05『スペードの王たる者』

終末アリス【改定版】



 
 いいですか。貴方はいずれ、スペードを継ぎ、王になられる存在です。
 王たる者、常に他者より優れていなければ務まりません。
 王たる者、常に他者に弱みを見せてはなりません。
 王たる者、知識。器量。力のいずれも欠けてはなりません。
 故に、スペードは傲慢。王である為に他者より上であられる事をご自覚なさいませ。
 誰かの代わりなどいくらでも居る。全ては駒であり、貴方はそのどれもを踏みにじる権利があるのです。
 優しさなど、捨ててしまいなさい。自信に溢れ、他者を見下し、それでも王であり続けられれば。
『父親が違う妹君よりも貴方が支配するに相応しいと全てがひれ伏すでしょう』
 教育係にして世話役の女は、穏やかで優しい顔を一瞬も崩さずに告げた。

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 先代。正確にするなら第258代目ハートの女王にして、現ハートの女王で幼い少女の母親でもある彼女は誇り高く圧倒的な支配者だった。
 紅色の赤い髪に赤い瞳。赤いドレスに赤い薔薇を愛した女性は、その情熱的にしてエキセントリックな性格故に歴代女王の中でも異色で、同時に独裁者。
 そんな彼女には、それぞれ父親が異なる二人の子供が居た。
 定められたスペードの役を持つ王との子は漆黒と紅が綺麗に調和した男児。後にスペードを継ぐ事が確定されていた子。
 そしてもう一人。王である定められた伴侶ではない、当時の騎士にして金髪の優男――平たく言うなら愛人の位置に居る彼との間に産まれたのが、後に女王を継ぐ女児。
 腹違いではない辺りが、先代にして当時の女王が女王たり得た理由でもあるだろう。
 男の浮気は許さないが自分は構わない。と言うと彼女が倫理的に節操がないかのようだが、名誉と誤解のないように記すとすれば。

 まず第一子に女児ではなく男児が産まれてしまったからこそ、次の子供は必ず女児でなければならなかった。
 更に重ねて言うなら伴侶である王は元々、彼女の本意で結婚した訳ではなく決められた位置に定められた伴侶でしかなかった。
 だから故に、彼女は愛人でありながら自らの意志で好意を抱いた彼の子供が欲しかったとなれば女としては当然の想いだろう。
 女王が代々支配してきた歴史に、受け継ぐべき女児が居なければ成り立たない。

 そうして産まれた妹に対する兄の心境は、嫉妬でも愛情でもなく、ただの蔑みにも似た感情。
 全てはいずれこの妹が支配し、世界はこの年端も行かぬ妹の為に頭を垂れるのかと既に知っていた。
 いずれは己もスペードを継ぐ身ではあったが、しかし理不尽にも王は《役を持ちながらにして、干渉しない》役持ちだ。
 ジョーカーである蜥蜴のビルやチェシャ猫が傍観者であろうとするのは意味合いが違い、彼等は自らの意思で傍観者でありジョーカーとしての役で言うなら公平でなければならない。
 逆にスペードとなる王は、強さを兼ねても知性も判断力も優れていながら女王に意見してはならない。
 王である為の実力を求められる身でありながら、決して支配者にはなれない。
 逆に女王も王に対して、命令する事も必要以上に関わる事も出来ないのだが。

 使用人にして教育係からそれを聞いた時の彼の内心は何だ、そんなものか。だった。
 当時の彼にとって、必要なものは唯一の初めて出来た話し相手であるチェシャ猫であり、チェシャ猫が居ればそれだけで良かった世界だ。
「だから、俺はチェシャが居ればさみしくないし、チェシャさえ俺の側に居ればそれで良い」
 そう言って笑える位にはひねくれていなかった。そう言って独占する程にチェシャ猫に依存していた。
 チェシャ猫はただ笑んだまま、「そうかい」とだけ答えを返す。それだけで、足りていた。
 父親である王からスペードを受け継いだ後も変わらず続くのだと思っていた日常。
 なのに崩れたのはアリスという異なる世界の女が現れ、ジョーカーが裏切った事により母親が発狂してから。
 唯一の存在であったチェシャ猫がジョーカーを継ぐと決めて。発狂した母の代わりに妹がハートを継ぐ。
 王は孤独と焦燥に襲われ、荒れた。何でチェシャがジョーカーにならなきゃならない。
「役持ちになったお前なんか、もう、会わない! どうせお前も裏切るんだ! 俺の側から離れて、いつか見向きもしなくなるくせに!
だったらっ! もう、会いたくない……っ消えろ」
 怒りと焦りに任せた怒声に、しかしチェシャ猫は張り付いた笑みのまま。
「そうは言っても、俺がジョーカーを継ぐしかないし。こんな時まで相変わらずきみは成長しないんだねキング。まぁ、会いたくないというなら会わないようにはするさ。きみが引きこもっている限りは安心しなよ。
俺はそんなきみが嫌いではなかったけどね」
 とん、と軽い音だけ残してチェシャ猫は王の前から消える。
 それからどうしようもなくなった王は、月明かりが照らす深夜にふらふらと外出した。
 宛どなく、最早全てがどうでも良かった。
 口から洩れたのは自嘲。深い森の奥まで行って、このまま行方を眩ませたならスペードである自分の代わりは居るのか。
 スペードの王。それでしか価値のない自身が不愉快で仕方がない。

 故に、偶然だった。
 月明かりの中で、血を浴びて。まるで物を見るかのように地に転がる幾人かの屍を見下ろす少年。
 その手にはしっかりと剣が握られている事から、この細身の少年が殺した事は明白。
 人殺しは重罪だ。例え役を持つ者であっても理由次第では役を剥奪され、殺される。
 例外があるとすればそれが許された一部の者だけだ。
「……?」
 それを知らぬ訳ではあるまいに。少年はゆっくりと振り返り、王の姿を認めると「あぁ、」と苦笑いを溢した。
「誰かと思えば、王子様じゃん。こんな夜中に、しかも森の奥に入ってきちゃ危ないよー、なんて言ってももう遅いか」
 バレちゃったなぁと笑う男に見覚えはない。格好からして恐らくは兵士なのだろう。
 ただの、極めて一般の。
 自然と王は、笑んでいた。恐怖ではなく。嫌悪でもなく、それは歓喜だったに違いない。
 チェシャが俺の元を離れた。コイツが俺の前に現れた。
「お前……俺のモノになれ」
 告げた言葉に兵士は「ハァ?」と王に視線を向けて、正気かよと笑う。
「見ての通り、オレはただのキチガイで気狂いなんだけど」
「構うものか……俺のモノになると誓え。そうすればこの事は内密に処理してやる。
俺を襲ってきた輩だから殺した事にでもしておけ。断るならお前は処刑されるだけだ。
まだ、死にたくはなかろう?」
 その問いに、兵士はうーんと首をひねり「まぁ、死にたくはないかな。殺しといて何だけど一応は」とどうでも良さそうに告げる。
「――良いよ。アンタの騎士とやらになれって意味だろ?」
 あっさりと受け入れた兵士はたった数分前に人を殺したとは思えない爽やかな笑顔で承諾した。
 王はそんな兵士に安堵したように口角を上げて、次に名を尋ねるのだけれど。
(別に何でも良かったんだけどさ)
(あぁ、これで。俺は一人じゃなくなった)
 互いに利用する為の契約と誓い。


王と騎士の走曲。終。


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