chapter1ー20『ナナシと女王』

終末アリス【改定版】



 
 重い沈黙が続く。
 時計屋と白兎はもういつも通りな表情で黙々と進んでいて、帽子屋は何も言わないジャックを気にしたように時折視線を向ける。
 トゥイードル兄弟は何やら言いたげではあったが、大人しい。三月ウサギは相変わらず薄い笑みを浮かべているが背後への警戒を怠らない。
 アリスはあれから無表情で距離を取ったナナシに困惑しながらも彼女の近くを歩く。気まずい。
 王が何やら訳の分からない内に納得をしてくれたというのに喜べないし安心も出来ないのは、きっとジャックが笑わないからなんだろう。
 そして、ナナシも何だかよそよそしい。
「……あのさぁ、」「どうかしたのか帽子屋」
 耐えきれなかった帽子屋が時計屋の服の裾を軽く引き、時計屋は僅かに振り向いて帽子屋を見返した。
 帽子屋はチラとジャックに視線を向け、「僕にこの空気は耐えきれないよトッキー」と告げる。
「俺は別に気にならないが、そんなに嫌ならいつも通り白兎へ話し掛けたらどうだ」
 時計屋はやはり無頓着にもそれだけ告げた。帽子屋は素早くいやいやいやいや! と右手を左右に振りながら
「そんな空気じゃないからトッキーに相談してるんじゃないかっ」と切り返す。
 そんな帽子屋を怪訝そうに見た時計屋は俺にどうしろと言うんだと目で訴えた。
 そのやり取りを見ていたらしい白兎がツボにハマったらしく吹き出したのをダムが「笑うのかよ!」と突っ込んで、ディーが「意外だね」と続く。
「しろたん、僕はこれでも真剣だったんだけど……」
「何が可笑しい白兎」
 肩を震わせる白兎に帽子屋は不服そうに呟き、時計屋は不可解そうに尋ねた。
「…っ…、テメェ等、わざとやってんのかって位の噛み合わなさでやがりますね…ふふ、は!」
 笑い出した白兎にアリスも思わず何事かと白兎を眺め、ナナシは相変わらず無関心そうにそれを見つめた。
「言いたかねーけどさァ。白兎、笑うポイント可笑しくねぇ?」
「そう? ぼくは結構面白いやり取りだと思うけど」
 呆れたようにダムは言い、同じように言葉を続けたディーは普通に共感したようで。
「えっと、何かあったの?」
 アリスが思わず聞けば、「テメェには関係ねーですよ、女」と白兎の声。相変わらず口の悪い白兎に不満はあったが、確かに関係なく聞いた自分も非があるかもしれないと思い直す。
「白兎ってば冷てー、例え色気がなくても女には優しく接しなさいって言われてねーのぉ?」
 そう言うダムは会って間もなくアリスを綺麗に切断しようと斧を振り下ろした訳だが。
「あれが女に見えやがるたぁ、節穴なんじゃねぇですか。テメェ」
「逆に女以外の何に見えるのか聞くよ白兎。貴方の目こそ節穴なんじゃない?」
「俺が言いてぇのはあの女が優しくするに値する女に見えんのかって意味でやがりますよ根暗」
 黙っていれば好き勝手な事を言ってくれるなぁ、とアリスは眉をしかめながら双子と白兎の口喧嘩を聞き流す。
 別に女の子扱いをして欲しい訳でもないし、寧ろそんな真似をされたら気持ち悪くて仕方ないけれど最低限の配慮はすべきだと思う。
「しろたんが女の子扱いしなくても、僕とトッキーはちゃんとアリスちゃんが女の子だって分かってるからねっ☆」
 直後、帽子屋がフォローしてくれたけど。何だかちょっとだけひっかかった。
「…うん、ありがとう」
 まぁ良い。敢えて突っ込みはいれないでおこう。お城まで無駄な気苦労は避けたいし、何より言っても無駄だろうし。
 そんなアリス達のやり取りを少し離れた位置で眺めていた三月ウサギはやれやれと呆れたように、数歩前を歩くジャックに視線を移した。
 何があっても常にへらへらと薄っぺらい男にしては、意外な事に王を守れなかった事を後悔しているのか。
或いは、逆に守られた事に対して思うところがあったのかは知らないが、らしくもないと思う。
 何となくその背中に蹴りを入れてやれば、前のめりになりながらも倒れなかったジャックが漸く三月ウサギと視線を合わせた。
「……三月さぁ、喋れるよな。その気に食わない薄い笑顔についてる口は飾りじゃなく話す為の機能が備わってるよなぁ、
なのにどうして声をかけるより先に傷付いて落ち込んだオレを蹴るなんて選択肢を迷わず選ぶ訳」
「悪いとは言わない、足が滑った」
 ついでに言うなら、ジャックも口元だけは笑みを形作っていたが、その目は笑ってなかった。
 逆に三月ウサギは心底楽しそうではある。互いに笑っていながら険悪な空気になるのはいつもの事ではあるけれど。
「俺も別にお前が沈んでようと傷付いてようと心配しないし、どうでも良いけど、帽子屋と時計屋に心配かける態度すんなようざったい。俺にそんな悪態吐けるなら平気そうだし、いつも通りに適当に流せよ」
 淡々と告げた三月ウサギの言葉に、ジャックは嫌そうに顔を歪めて三月ウサギを見返す。
 お前にオレの何が分かる訳? と声に出さずとも伝わる程に。
「……あぁ、何か萎えた。やっぱ厄日だろ今日。何が悲しくて王に庇われた上にお前と会話しなきゃいけないの死ねばいいのに」
「それはこっちの台詞だ……死ねばいいのに以外は、な。それで?」
「何が」
「王の事だけじゃないんだろ、お前が多少動揺したってあからさまに悟らせる位に余裕がない理由がある筈だ」
 確信したように尋ねる三月ウサギにだから嫌いなんだよ、と瞼を閉じたジャックは面倒そうに首を鳴らした。
「……なぁんか、三月。オレの事が大好き過ぎるんじゃね? 些細な変化を見逃さないとか気持ち悪いんだけど本気で。
けどまぁ、半分は正解だと認めるよ。こうも立て続けていろんな事が起こればオレだって余裕ないし」
 因みに、アリスを含めた前を歩く白兎や帽子屋には二人の会話は聞こえていないだろう。
 それも確認した上でジャックは「あの人に会ったんだよ」と切り出した。
「…あの人?」「ビルさんだよ、ビルさん」
 まぁ、チェシャも一緒だったんだけどと続けて屋敷で交わした会話を三月ウサギに語る。
 思わず冷静が常の三月ウサギでさえ、ジャックの言葉にひきつったような笑みを浮かべて眉をしかめたのは致し方ないだろう。
「…お前、バカじゃねーか、っつーかバカだろ」
「バカ言うな。言い出す空気もタイミングもなかったし、実際には話しただけで別段収穫のない意味のない会話だったし」
 あっさりしたジャックは自ら適当に生きる替えの利く存在を自称するだけあって、本当に適当だった。
「…あぁ、まぁ。ある意味で言い出す空気じゃなかったのは確かだ。だからって言い出すのが遅いだろ」
「ぶっちゃけ王があんなタイミングで出てきて、三月が聞かなきゃ言わなかったけど。ついでに、お前も分かってたんだろ? アリスちゃんがここに迷い込んだ原因があの人だって」
 確かに言われたように、もう一人のアリス――ナナシに会った時点で薄々は予想していたから確信になったと言った方が正しい。
 それでも解せない疑問はあるが今更言ったところで時間が巻き戻る訳でもあるまい。
「…あの人が絡むと面倒だな、理想は帽子屋や時計屋。女王と王に気付かれないで終わるのが一番なんだが……厄介なのは芋虫とナナシか」
「話さねーの? 意外な反応だな」
「……話してどうにかなるなら話す。けどどう考えたって帽子屋は必要以上に首を突っ込むし、時計屋は自分に無頓着だからまた怪我を増やす。相手はあのビルさんなんだ、悪化する上に手のひらで踊らされるだけで終わるだろ」
 もう既に踊ってる気がしないでもないが。とりあえず、現在の落としどころとしては無難だろうと締め括り、三月ウサギは薄く笑った。


――城内。謁見の間。

「ふぅん? それであたしに内緒でそんな楽しそうな探検してたんだぁー、ふぅん。」
 一部始終を報告し終えた白兎の話を聞いた女王の第一声はイヤミだった。
 と、いうか。自分も連れていってもらえなかったのが不満だったらようでネチネチと白兎に絡む女王。
 白兎は涼しい顔で聞き流し、「文句ならヘタレに言いやがって下さい」と矛先をジャックに綺麗に示した。
 えぇっ? とすっかりいつもの調子に戻ったジャックが大袈裟にリアクションした隣では、メアーリンが可愛らしい笑顔で「自業自得ですから、しょうがないですよジャックさん」と言い切った。
 どうやら最愛の兄である時計屋の傷をつけた王を責められない代わりに鬱憤をぶつけているらしい。
 それに気付いているのは多分、言われたジャックとざまぁみろとばかりにそれを見ている三月ウサギだけだろう。
「……まぁ良いわ。それから、はじめましてと言うべきでしょうか? アリスさん」
 アリス、とは言ってもここで王女が呼んだのは《もう一人のアリス》――つまりナナシだ。
 ナナシは無関心そうに女王を見返し、女王は感情を抑えてナナシを見つめる。
「……以前のあのヒステリックな女王とは世代交代したのかしら。まぁ、改めて名乗るのはとても面倒だけど、そうね。はじめまして現ハートの女王。
それから訂正。アリスなんて名前はあの不愉快な粘着質ストーカー男が勝手に呼んでいるだけ、私の名前は堂羽ナナシ。
同じ名前が二人も居たらややこしいから、私の事を呼ぶのならナナシと呼んで欲しいわね」
 無表情にして、無関心。女王を前にしてもナナシは変わらずそう言った。
「……正直、話に聞いていた印象とは違うけれど。分かったわ、ナナシさん。ついでにビルの事も聞きたい位だけど、今はとりあえず話を聞かせてもらって良いかしら」
「話を? ここに至るまでの経緯ならそこの兎耳眼鏡が話した以上で終わり。二年前の裁判で何が起きたのかという話なら、私にもよく分からないわ。聞きたいならビルを捕まえて聞いたら。
ついでに、そこのアリスが元の世界に戻る手掛かりなんていうのも知らない。そもそも私も異世界から来て二年経つけど、戻れていないって事はつまりそういう事なんじゃない? 
他に質問があるなら知ってる範囲で答えるわ。先に言っておくけれど、私自体はただの小娘にしてあの変態に巻き込まれただけに過ぎない存在よ」
「……いえ、ありがとう。それで聞きたい事は全て答えてもらったわ。
部屋を用意してあるから、貴女さえ良ければひとまずは休んでおいて」
 ナナシの言葉を聞き終え、感心したように目を見開いた女王はメアーリンに視線を移して、ナナシを部屋まで案内するようにと告げた。
 その言葉にナナシは意外そうに女王を見返す。
「? どうかした?」
「てっきり牢屋にでも入れられるのかと思っていたものだから。随分と甘いわね。王が王だったから女王も変わらないかと思っていた事は謝るわ。それから、お気遣い、感謝します。暫くはお世話になるかも知れないけれど、貴女に免じて騒ぎは起こさないように心掛けておくわ」
 無表情ながら丁寧にそう言ってメアーリンの後に続いたナナシは静かに謁見の間を退室していった。
 それを見送った白兎は「良いんですか」と女王に向けて問う。
「えぇ。信頼は出来ないけれど信用はする。確かに彼女はお母様が発狂した原因ではあるけれど、あたしは女王。私情で考えるよりはまず客観的に考えることも出来るよ、白兎」
 だから。大丈夫、と微笑んだ女王に白兎はそうでやがりますか。と笑い返した。
「アンタが良いなら、それで構わねぇですよ。それからついでにコイツ等はどうしやがります? 元々一応は門番の端くれで尚且つトカゲの野郎と同じ裏切り者として処刑並びに拷問が可能で妥当だと思いますが」
 鞭で縛られた双子。もといトゥイードル兄弟を無造作に床に転がした白兎は冷ややかに続ける。
「…っ本気で大人げねぇ野郎だな! ただの可愛いガキのイタズラにネチネチとしつけぇんだよ、あと丁重に扱え。ぼく達の可愛い顔に傷ついたらどうしてくれんだよ! 鬼畜」
 威勢の良いダムの罵声が白兎に浴びせられる。しかし、白兎は無反応だった。
「無視か。この世で一番酷い仕打ちだよね。さすが鬼畜ドSな白兎だ、ぼくはその徹底さに感動すら覚えるよ」
 逆にディーからは称賛にも似た言葉が出たが、ここでも双子の言動は噛み合わないようだ。女王は不思議そうに双子を眺め、その子達は? と首を傾げた。
「あれ、そっか。女王様はお城の出入りをしないから知らないね! えぇと、何て説明したら良いかなみっつん」
「何で俺に振るんだよ。……簡単に言えば、門番の弟子みたいな奴等だ」
 帽子屋の唐突な振りに動じず、淡々と説明した三月ウサギは面倒だからコイツ等は門番に引き渡せば良いんじゃないかと続けた。
「門番の? そうなんだ。なら、三月の案に賛成しちゃおうかな♪ うんうん、あたしも物騒な真似よりそういう平和的な処置の方が好きだよ」
 どうやら白兎の意見より三月ウサギの案に同意したらしい女王。白兎は不満そうに鞭を引っ張りながら、だったら門番に引き渡してきますよ。と告げた。
「ついでに言い出したのはテメェでやがりますから、責任もって付いてきやがれ三月ウサギ」
 視線だけを三月ウサギに止めて続けた白兎に、短く了解と返した三月ウサギは白兎の後に続いて退室する。
 その姿を名残惜しそうに見つめていた帽子屋ではあったが、意外にも叫ぶ事はなく。これで謁見の間に残るのは女王と帽子屋。そして、ジャックとアリスだけ。
 因みに時計屋は城に着くなりメアーリンによって怪我を治すのが先ですと医務室に押し込まれたので、この場には居ない。


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