chapter1ー19『今のところは』

終末アリス【改定版】



 
「まるで神様に愛されているかのようだと言われた人達は、一見にして恵まれているのだと思いますよね。神様に愛されて、回りの誰かにも愛されて、更に才能にまで恵まれて。
いやいや。確かに何の努力もなくそれならば正に愛されているかのように見えるのかも知れませんが、実際はただ、適任だったというだけの話ですよ。
凡人は天才に敵わない? ならばその凡人は天才ではないのか。涙ぐましい努力をして習得したものを自分より早く習得出来たからといって、その凡人が天才ではないと誰が言えますか。
その凡人よりも出来ない人間は遥かに多いし、天才がどう足掻いても出来ない事が出来ればその人物は果たして天才と呼ばれるのか。
そもそも優劣をつけて、アナタはあの子より劣っているわねと言われた子供と優れていると言われた子供。
繰り返して教育しやがて大人になった彼等も優劣をつけて見比べていく。それに意味はあるのでしょうか」
 長々とビルは一人で語る。誰に向けるでもない一人言を。
 同室にはチェシャ猫も居るが、聞こえていないとばかりにどうでもよさそうな張り付いた笑みを浮かべていた。
「何度考えても所詮はただの詭弁なのでしょうが。世界はやはり、《そういう風に出来ている》のでしょう。いつの時代も変わらず、無慈悲で唐突で理不尽な世の中であり続けるのですから。
さて、そんな青臭い子供のような酸いも甘いも中途半端にしか知らない上辺(うわべ)だけの言葉を幾ら列ね、考えたところで意味などありはしませんけれど。
個人が認識出来る世界なんて、狭くて当たり前なのですから。仕方ない話ですよね、そうでしょう。そうでしょうとも。
だから、個人の世界は狭く、閉鎖的で、そして他人に理解など出来はしないのですよ」
 無機質な声のまま、ビルはまるで朗読をするかのように言う。
「そこで、神様が存在するのかと問われれば、私は少し考えてから居ると答えるでしょうね。何故なら、いないとは言い切れませんし。
まぁ。いるとも限らないのですが、夢はあった方が良いでしょう。それに、神がいないと言ってしまえば人間はこの世の全てを支配しようと神気取りで踏みにじる。
最早、手遅れかもしれませんが自分達より知恵を持ち、優れた神がいなければ食物連鎖は成り立たないではないですか」
「言いたい事が分からない上に支離滅裂だよ。要は人間より優れた存在があって欲しいのかい?
俺達は人間ではないけれど、人間に劣るとも対等だとも優れているとも思わない。それぞれに個性や考え方があるから面白いんじゃないか」
 欠伸をしてからようやくチェシャ猫もビルの一人語りに飽きてきたのか、耳障りになったのか、張り付いた笑みを浮かべたままで突っ込んだ。
 そして窓を開け、ダルそうに伸びをしてから身を乗り出す。
「おや、行くのですか」
「お前の一人語りは飽きた。そしてこれは、アリスの物語だよ」
 振り返ることなく、窓から降りてしまったチェシャ猫を、やはり静かにビルは見送って本の続きを読み進めた。

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 時計屋と王の攻防と、思い切り慌てながらもまだ自分を連れて逃げようとするアリスを無表情のまま眺めたナナシは、一体何を熱くなっているのかしらと冷ややかに思う。
 逃げたければ逃げたら良いのに。傷つこうとしていたら助けるのが普通?
 ならば。自分は彼女から見れば、今、自分が思うように。普通じゃなくて不可解で仕方ないのだろう。
「……なるほど、ね」
 呟いた言葉は、アリスに聞こえなかったらしく、不思議そうな表情をナナシに向けた。
 ナナシはそれすら無関心に、強くぶつかり、弾く剣と二つの刀の方へと歩を進める。
「…っナナシさん!?」
 アリスが強く腕を握り締めて引き留めようとした。時計屋はそれに気を取られ、王は隙を逃さず振るう。
「っ」
「余所見とは、余裕な真似だな?」
 時計屋は寸でのところで避け、抉(えぐ)られそうになった顔の傷を拭い、王を見据えた。
 その間もナナシはアリスの制止を面倒そうに振り払い、王と時計屋が再び刃物を構えたところで間に立ち塞がる。
「……さて。私を殺すのだったかしら、それからあの不愉快な変態を誘き出す? 出来るものなら、やってみなさいよ」
 挑発するように。彼女は嘲笑うように王に向けて笑んだ。
「……は、正気か?」
 吐き捨てるように返す王ですら驚きを隠せない。先程まで軽やかに剣を振るっていたというのに。
「あら、躊躇うの? 温室育ちの坊やには重すぎるかしら。命を奪う意味を知らず、その重い剣で呆気なく殺せるただの小娘の言葉は、流せない?」
「ふん。俺とて慈悲を持ち合わせてはいる。ついでに言うなら、解せないな」
 ナナシの挑発には意外と乗らず。王は静かにナナシを見つめた。
「貴様、怖くはないのか」
 向けられる殺気。切っ先。思考が途切れ、自分自身が居なくなる、恐怖。
「なら逆に。貴方は怖くないのかしら。 誰かを終わらせてしまう事に対して、それに耐える自信はあるの? さっきから殺すだの死ねだの殺してしまえだのと軽々しく言うけれど。
例えば貴方、自分がそうされて怒らない訳がないわよね。例えば私が殺されたとして。ビルが貴方を殺したって因果応報というものよ。殺すからには殺される覚悟を。
死ねと思う貴方が誰かに同じく死ねと思われていたりするのよ、私にはそんな覚悟もないけれど」
 静かな声が連(つら)ね、続く。
「そうね。死ねば良いのにと。思うだけなら自由ね。だって伝わらないもの、相手に伝えたらそれは明確な殺意だけれど心で思うだけなら簡単よね。
さて、どうして殺さないのかしら。貴方は私を殺したかったのでしょう?
不愉快な存在ならばその手にした剣で首を、切れば良いのだわ。口煩い声も止まるわよ。ほら」
 ぐっと、王が持っている剣を躊躇いなく首元へ添えたナナシは無表情で王を見据えた。
「切られて痛いのは私。切った方は嫌な感触が残るだけ。されてみなければ痛みなんて分からないわ、……あぁ、それともビルが仕返ししないか心配? 安心して大丈夫よ。アイツは、ああ。死んでしまいましたか。残念ですで終わるもの」
 そう言って、ゾッとする綺麗な笑みを浮かべたナナシを、何と表現すべきなんだろう。
 生きているのに、生きていない。死んでいるようで死んでいない。あっ、そうで全て済ませてしまえる程の、無関心。
自分自身ですら、関心がないとはこれ程までに恐い。さすがに誰もが固まり、固唾を飲んだ。
「……っ…気持ちの悪い、」
 王は、得体の知れないものに嫌悪を示し、首筋に添えられていた剣を素早く鞘に収めてから距離を取った。
「…ナナシ、さ―」「…何」
 アリスは、僅かに躊躇いながらも彼女を呼び、それに変わりなく彼女は返す。
「怪我は、ない?」
 得体の知れないものに対する恐れではなく。ましてや理解出来ない何かに対するものでもなく。
「………ない、けれど」
 ナナシの方が、それに困惑したように言葉を詰まらせた。ほっと安堵の息を吐いたアリスが、良かったと呟いた事の意味が分からない。
(…気持ち悪い)
 或いはそれが普通の反応なのだとしても。やはりナナシにはどうしてもアリスが不可解でならなかった。

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「…あーぁ、だから王様は引きこもってオレに守られてりゃいいのに。全く、世話の焼ける主だよ」
 ナナシの言動に固まっていた空気を、ジャックは呆れたように変えた。
 それに我に返った帽子屋は怪我をした時計屋に駆け寄り、王は苦々しい顔でジャックを振り返る。
「ん、あぁ、言っとくけどオレに『アリス』は殺せないぜ。適当に生きたいのに重い役割なんて無理無理。騎士としてのオレはアンタの命令をある程度は聞けるし守るけど、流石に嫌なモンは嫌だし」
 口を開く前に釘を刺したジャックに王は無言で睨み付けた。それを裏切りだとは言わないが、思い通りにならない現状が苦痛なのだろう。
「ちっ…どいつもこいつも…!」
 耐えきれず、罵倒を発しかけた王の言葉は、次の瞬間。軽い銃声によって遮られた。
 弾丸は逸らされはしていたものの、あと一歩でも進んでいれば容赦なく眼球を抉っていただろう事は明白だ。
「動くなよ、俺の大事な時計屋に傷をつけておいて、無傷で居られると思うな」
 一体誰がと考えるより早く三月ウサギの低い声が淡々と告げる。その間に入り、王を庇うのは意外にもジャック。
「三月さぁ、本当にアレだよな。オレの居場所を奪うのが趣味だったりすんの? やっぱりオレの事が嫌いっしょ」
「別にお前が俺を一方的に敵視してるだけで、俺個人としては好きでも嫌いでもねーさ。邪魔すんなよジャック。それとも親友の時計屋より形だけの主を選ぶってか? …はっ、酔狂にも程があんだろ」
 ジャックを見ながら言う三月ウサギは珍しく怒っているようで。そんな三月ウサギにジャックはあははと笑い声を上げる。
「形だけの、じゃねーよ。オレはオレの理由で王の騎士になったんだからさ、……知った風な口聞くなよ」
 ガキンとジャックが剣を振るい、三月ウサギの構えた銃を弾きにかかる。
 しかし、三月ウサギはそれより早く距離を取り、ジャックではなく王へと発砲した。
 必然的にジャックはその剣を王に向けられた弾丸を弾く為に使用するが、その次の瞬間には動けなくする為の算段でジャックの両足へとニ、三発放たれる。
「…っ!」
 それを跳んで避けるも、三月ウサギはそれすら見透かしたように避ける術のなくなったジャックに銃口を向けて撃った。
 放たれた弾丸は真っ直ぐジャックに向かい、それを避けられないと悟ったジャックは一瞬だけ口角を上げて笑った。
「っジャック!!」
 彼を呼んだのは誰だったのか。そして辺りは、静寂に包まれた。

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 乾いた地面に血が滴り落ちる。ジャックは貫かれた筈の痛みがない事に気付くと同時に息を詰めた。
「…は? ……何で、」
 間抜けにも、月並みな反応しか出来ない自分に呆れる。もっと他に言うべき言葉がある筈なのに。
 それより先にすべき行動がある筈なのに身体は動かない。何でどうしてよりにもよって何でアンタが、そこに居る訳?
「……何で、だよ」
 守るべき主であり、傲慢にして不遜な漆黒の王が、あろう事か騎士の代わりに傷を負っていた。
「……ッ…ふ…、貴様は俺の騎士だからな、……例え俺を守る為であろうと命を落とす不様は許さん」
 痛みに眉をしかめながら、王は不遜に笑い、血が滲む腹を押さえる。
「無理に動かない方が良い」
 三月ウサギですら予想外の状況に固まる中で真っ先に動いたのは時計屋だった。
「一先ずは止血を。無礼は承知で失礼するぞ、王」「…ッ余計な真似をするな…」
 刀で衣服を裂き、傷口に巻き付ける時計屋に王は触れるなと睨んだが、構わず応急措置を続ける時計屋に無駄だと分かると不機嫌に黙り込む。
 半裸にされた時は些か抵抗を示したが、傷が開くと気にせず言い放った時計屋には敵わなかったようだ。
「……礼は言わんぞ……貴様が勝手にした事だ」
「あぁ。俺が勝手にした事だから、別に何も求めない。罰を受けろと言うならそれも承知の上だ」
 治療を済ませ、不機嫌なままの王に変わらず無頓着な時計屋はあっさりと返す。
 その態度に苦々しそうに顔を歪めた王は「は!」と声を立てて笑った。
 気まずそうにしているジャックに視線を移した王は、口角を上げたまま、立ち上がる。そしておもむろにジャックに向けて告げた。
「コイツに免じて気狂いと貴様のおねだりを聞いてやる」
「……えっと、それってどういう意味かな、王様」
 聞き返したのは帽子屋だ。聞こえなかったかクローバー。と、王は続ける。
「俺とて受けた恩を仇で返す程には冷徹ではない。異世界の異端は気に食わないが、貴様達がそれ程までに庇うのであれば今のところは様子を見てやろうというのだ。
ただし、その女の目的が長引き、支障をきたすようであれば今度はない。この俺がここまで言ってやっているのだ。後は察して好きにしろ」
 誰とも視線を合わせないままで、乗ってきた黒馬に乗った王はその場を後にした。誰も何も言えず、数秒後にようやく口に出せた言葉は、
「……王がデレやがった…」
白兎のよく分からないながら多分的確な呟きだったのだけれど。
 とりあえず好きにしろ。そういう意味なんだろうとだけ認識してから改めてお城へと向かう面々だった。


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