chapter1ー17『堂羽ナナシ』

終末アリス【改定版】



 
 アリスと三月ウサギが調べる予定であった最後の一室。
 その部屋の中央で、少女はまるで人形のように発砲した三月ウサギを見返した。
 弾丸は少女の真横のドアに小さな穴を開け、続いて発砲される第二撃目はきっと外さないだろう事が目に見えているというのに。
 まるで景色でも眺めるように自身に銃を向ける三月ウサギを見ている。
 少女は何も言わず、また三月ウサギも様子を見つめたまま何も告げない。
 そんな三月ウサギの背中越しに、一体何が起きたのかを把握出来ていないアリスは驚いた表情のまま固まっていた。
「あ……の、三月、ウサギ?」
 恐る恐る、呼び掛ける。目の前に映るのはただの少女と銃を向けている三月ウサギの姿。
 一体彼女の何が不審だったのかすら、分からない。
「その子は、」「黙ってくれ、気が散る」
 短く。振り返りもしないで三月ウサギは告げて、少女の周囲に視線を配る。
 少女は人形のように無表情なままそんな三月ウサギに「アイツなら居ないわ」と言った。
「……アンタの側を、あの人が離れる訳がないだろ」
「知ってるでしょ。私の言うことならアイツは何だって喜んで聞くんだよ。むしろ四六時中つきまとうから1日にこれでも頑張って減らした事を褒めて欲しいくらいだわ。」
 どうやら顔見知りらしい二人の会話から察するに、三月ウサギが警戒していたのはそのもう一人の人物らしい。
「それに、側に居たなら貴方が弾丸を私に放った瞬間にアイツは私の前にナイト気取りで現れるに決まってる。あぁ、考えるだけで鬱陶しい。どうせ側を離れないのなら貴方が良かったわ」
「生憎と俺は帽子屋の騎士なんでね」
「知ってるよ。それから、貴女。」
 不意に、無表情の少女に視線を向けられたアリスはえ? と戸惑いながら少女を見返す。そう、貴女よと少女は続け、初めましてと言うべきかな。と口を開いた。
「私は堂羽(どうわ)。堂々の堂に羽。下の名前はナナシ。この時点で分かりやすく言えば、招かれざる訪問者。アリスという事になっているわ」
 話は聞いているんだろうけれど。と少女――もう一人のアリスは笑いもせずにまるで興味のない話をするかのように言う。
「さて、こうして対面してみればみる程に訳も意味も分からない。一体アイツは何をしようと言うのかしら。何の面白味も特殊能力もないただの小娘二人が会ったところで、世界が滅びる訳でもあるまいし」
 言葉に覇気はなく。面倒そうだといった様子もなく。彼女はまるで無気力で無関心だった。
 チェシャ猫のように感情のない声音。ジャックのようにどうでもよさそうな視線。三月ウサギのように淡々とした態度。
 そのどれもがよく見知った人物に似ているのに当てはまらない。
「……あぁ、そういえば貴女。名前を聞いてない。忘れてたわ」
「………っ乙戯、アリス…です」
「そう。偶然にせよ必然にせよ、おめでとう。これで私がアリスなんて名前で呼ばれなくなれば良いんだけど。そうもいかない所がこの世界。
いや、アイツね。まぁ……どうだっていいわ」
 因みに、銃の照準は未だ彼女に向けられていて。三月ウサギはいつでも引き金を引けるというのに、気にした様子もなく一歩こちらに足を向ける。
「貴女がどういうつもりでここまで来たのか知らないし関係ないけれど、私は何も知らない。更に言えば私はアリスなんてどうでも良い。これでアイツが貴女に興味を示してくれれば願ったり叶ったりなのよ。だから、貴方のその銃が発砲されようが、何にも変わらないよ」
「……相変わらず、人形みてーだなアンタは」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
 無抵抗で無関心な彼女に三月ウサギは戦意を殺(そ)がれたのか、薄く笑んだまま銃を下ろした。
 改めてもう一人のアリスにして彼女――ナナシを見れば、白に近い白銀の髪を二つに分けて結んでおり、肌も日に当たらないのか透き通るように白い。
 白さで言うなら、白兎と良い勝負かもしれない。服装は普段着なのだろうか、動きやすそうな半袖に短パンとニーソックスだ。
 想像していた人物像とは違ったものの、その印象的な容姿は忘れられそうにもない。
「あの、ナナシさんは…元の世界に戻る方法を知ってるんですか?」
 沈黙が続く中で、意を決したアリスは訊ねた。目的を見失ってしまっては一体何の為にここまで来たというのか。
 ナナシは僅かに眉をひそめて「元の世界に戻る方法?」と不可思議そうにアリスを見つめた。
「貴女は……随分と警戒心がないね。もし仮に私がそれに答えたとして、馬鹿正直にありがとうございましたと信じるの? 貴女の言う元の世界と私の答える元の世界とやらは違うものかもしれないのに」
 あぁ、滑稽。
 初めて笑みを口元に浮かべたナナシは知らないけれど。と言い切る。何だかよく分からないけど、少し不愉快だ。
「……性格悪かったんだな、意外と」
 後ろで三月ウサギが意外そうに呟いたのを聞いて、アリスは顔見知りじゃなかったの? と聞いた。
 三月ウサギは顔見知りは顔見知りだけどなと返して、まんまだと笑う。
「顔は互いに知ってるさ。話したのはこれが最初だ」
「話す事もなかったもの。当然と言えば当然よね」
 言われてみれば成る程なのか。
 そう内心で呟いたアリスは、今更ながらに歩き出したナナシを先頭に、一体どこに向かっているんだろうかと考えた。
「ところで、今俺達はどこに向かってんだ」
「出口。アイツから折角離れてる良い機会だもの。逃げるわ」
 三月ウサギも同じ事を思ったらしく、口に出せば、ナナシはさらりと告げる。
「逃げるって……あの、さっきから言ってるアイツって、そんなに怖い人なの?」
 逃げるという言葉にアリスはナナシが誰かに追われているかと疑問に思ったのだが、返ってきたのは三月ウサギとナナシ両名からの沈黙。
「……まぁ、ある意味で怖いかもな」「そうね」
 返された返事は歯切れが悪く、アリスは何を間違ってしまったのだろうかと思う。
 どうしようかと思考を巡らせていると、不意に三月ウサギが立ち止まった。
「? …三月さん?」
 どうしたのだろうかと思った直後。
 勝手に一人で行動していたジャックが息を切らせてこちらを見ていて、アリスの前で無言のまま振り返ったナナシに驚いた表情を向ける。
「アリス……何で、一緒に仲良く連れ立ってんの?」
「成り行きだ。お前こそ、何か収穫はあったのか?」
「……収穫も何も、三月の銃声が聞こえたから途中で切り上げてきた。で、敢えて突っ込むけど成り行きってどんな成り行きだよ。何がどうなったらアリスちゃんとアリスが一緒に居て普通に会話してんだよ」
 ジャックの最もな突っ込みにも三月ウサギはさぁな。と短く返して「少なくともあの人が居ないなら今のコイツに害も用事もない」と告げた。
「だからといって仲間でもない。正しい判断ね。そしてアナタにも久しぶりと会話を交わすべきかしら」
「どれかって言えば初めましてが一番近いような気が……ってそうじゃなく! 俺の質問に答えてるようで実質一つも答えてねーよ? なぁ」
 冷静な二人に的確な突っ込みをいれ続けたジャックは呆れた様子で目を閉じてアリスを見つめる。
「あぁ、面倒臭ぇ……マジで今日は厄日だわー……そんで。元の世界に戻る方法とやらは見つかったのかよ?」
 ここまで来た目的を訊ねたジャックにアリスは左右に首を振った。それを確認したジャックはそうかと呟いて三月に視線を移す。
 どうすんだ、という問いかけに三月は数秒沈黙を返した。
「とりあえず、帽子屋達と合流するか。……アンタは、」
「一緒に行くわ。木を隠すなら森。単独より群れていた方がアイツの目も多少は誤魔化せるでしょうし」
 三月が聞くより早くナナシは告げて、一先ずアリス達は下で待つ帽子屋達と合流する為に来た道を戻る事にしたのだった。


 間幕。トカゲの屋敷。沈黙を破ったのは無感情なチェシャ猫の声。
「…いいのかい」
 問われたビルは本から視線を外さないままで「構いませんよ」と返す。
「所詮は意味のない行為です。いつものように彼女はそうやってわざと私の興味を惹こうと健気にも懸命に、でもきっと私が迎えに来てくれると信じているからこそああやって逃げようとするのだと知っていれば何とも可愛らしく愛おしい些細な我儘だと思いませんか」
「面倒臭いだけだよ」
 ビルの言葉を一刀両断したチェシャ猫は尻尾を揺らして窓の外へと目を向ける。
 どうやらジャックは無事にアリス達と合流し、下で待つ帽子屋達とも会えたようだ。
「……俺達の事は話してないみたいだね。相変わらず語らない男だよ」
「まぁ、ジャックくんですからねぇ。彼ほど意識せず重要な位置に居るタイプは貴重でしょうね」
「ねぇ。残念かい」
 脈絡もなく、チェシャ猫は笑みを深くする。それを見たビルは静かに、何がですかと聞き返した。
 何がって、と含みを持たせたチェシャ猫の「ダイヤが居なくて残念かい?」という問いかけに初めてビルは眉をしかめ、懐かしい名前を口にした。
「……芋虫、ですか」
 同期にしてかつての友――という程には親しくなかったが。顔見知りよりは知り合い。知り合いというよりは話し相手。
 それも他の誰かに比べて会話を交わした回数があっただけに過ぎない関係だけど。少なくとも周囲はビルと芋虫を友人だと認識しているようだった。
 まぁ、あえて否定はしまい。肯定もしないが。
「残念……というよりは、来なくて当然という印象でしょうか。彼は困っている彼女にアドバイスはしても、自ら動く事はない。女王や、彼の名目上の騎士の為以外には動く理由がありませんから」
 そうでなくては私の知るダイヤではありませんよと。ビルはチェシャ猫に返した。
 チェシャ猫はその返答にさして興味も持たずそうかい。とだけ笑った。

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 さて。ここで一旦、場面は変わる。
 アリス達が帽子屋達と合流し、チェシャ猫とビルが他愛のない会話を交わしていた頃。
 勇敢にして気丈な、幼い女王。そして彼女を護り彼女の唯一の騎士でもあるメアーリンは女王の自室に居た。
「…苦労をかけたわね、メアリー。ありがとう、ようやく冷静になれたわ」
「いえ、……それよりもう少しお休みになっていて下さいませ。まだ、本調子ではないのでしょう?」
 ベッドから身を起こそうとした女王にメアーリンは眉をひそめて声をかけるが、女王は心配はいらないと柔らかく、しかし譲らない口調でそれをたしなめた。
 無用な心配なのだと。メアーリンは止める事は叶わず、ただ黙って言いたい言葉をつぐむ。本気になれば役持ちに騎士は逆らえない。そういうルールでそういう世界だ。
 女王はそんな何か言いたげなメアーリンに困ったように笑い、「貴女の言いたい事は分かっているのよ」と彼女の手を握る。
 女王とはいえ。ハートの役持ちを継いだこの世界の支配者として、少女は幼い。余りにも、幼い。少なくとも12歳の少女が担うには重すぎる役だ。しかし、
「私は、女王なのだから。あの程度の事で取り乱してしまうなんて、情けない姿を見せてしまったわね、ごめんなさい。アリスにももう一度改めて謝罪しなくちゃ面子がグダグダだわ
……いくら引きこもりでどうしようもなく厨二病な兄がしでかした事とはいえ、私の身内の失態には変わりない事だもの」
「……アナタは、悪くありません」
「それでもね、メアリー。ケジメはつけなくては、いけないものなの。
私は――あたしは、ハートの役持ちでお母様の代わりに女王になったのだから」
 いつものように笑った女王をメアーリンは泣きそうな瞳で見返して。
 このどうしようもなく気丈な優しい女の子を護る為になら、と。それでこの子がいつもの女王に戻れるのならばと、後ろ髪を引かれるような心境を割りきって。
「ならば私は、アナタを護ります。どんな相手であろうと。護りますから」
 泣きたい時は遠慮なく泣いて下さいと懇願した。女王はそんなメアーリンに驚いたような、はにかんだような表情を向けて、「そうね」と静かに頷いた。


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