chapter1ー16『思わぬ再会』

終末アリス【改定版】



 
 屋敷の外で不毛なやり取りが行われている最中。一人で勝手に別行動をしていたジャックは思わぬ人物と思わぬ会話を交わしていた。
 たまたま適当に入った部屋で、よくよく注意を払わなければ気付かない程に気配を消した彼――
 チェシャ猫は変わらぬ張り付いた笑顔をこちらに向けて「やぁ」と告げた。
「こんな所で会うなんて、奇遇だねジャック。どうかしたのかい」
「……本当に奇遇だ。そんで、どうかしたのかってこっちのセリフだし。何でチェシャ猫はこんな所に居んの? しかも一人で」
「猫は自由で気儘なイキモノだよ。どうしてだとか、なんでとか。理由なんてただ何となくでしかない」
 ゆらゆらと尻尾を揺らしたチェシャ猫はふぁと欠伸を一つ。そして「アリスは元気かい?」と聞く。
「アリスちゃんは、まぁ、元気なんじゃね。今は三月と一緒に屋敷探索してるよ」
 会わなかったのか。そう思いはしたがあえては聞かない。チェシャ猫は傍観者だ。見ているだけで関わらない。
 今回が異例だっただけで、本来ならチェシャ猫はアリスを見掛けても帽子屋の元へ連れていくなんて真似はしない役持ちなのだ。
「気まぐれはもう、止めたのか? アリスちゃん、寂しがるよ」
「俺は、面白ければいいんだよ。ジャック」
 会話噛み合ってねーじゃんと苦笑う。いつもの事だけど。
「後はアリスが決める事だよ。俺はもう、何もする事はない」
「……それは、本音か? お前、アリスちゃんの事を気に入ってたんだと思ってたんだけど」
 チェシャ猫の言葉にジャックは訝げに問いかける。少なくとも、そう思っていただけに不思議だと感じたのだ。
「気に入っているというのなら、俺はみんな気に入っているよ。アリスが特別な訳じゃない。ただ、アリスの近くに居れば面白そうだと思ったからね」
 面白そう。確かに異世界から来て、この世界に何ら縛られない存在はそれだけで面白いだろう。
 実際、たった数日に過ぎないのにここに至るまで有り得ない事の連続だ。
 偶然と言うには余りにも一致していて。ほんの些細なきっかけにしては余りにもタイミングが良すぎた。
 噛み合う事のない白兎と帽子屋の擦れ違いはなくなった。三月ウサギとジャックの確執を互いに認識した。
 行方不明になったトカゲのビルともう一人のアリスが関係している上に、あの引きこもりの王まで出てきたんだ。
 まるで今まで必死にでもないけれど隠してきたものが浮き彫りになったような、
「…はは、」渇いた笑いが漏れる。何だコレは。気付けば、滅茶苦茶じゃないか。
 二年前に止まってしまったハズの時間が今更動き出したような錯覚。正にこの世界に相応しい『ワンダーランド』の幕開け。
「暴かれるっての、チェシャ。今まで見ない振りしてきたモンが、アリスちゃんっていうイレギュラーが参入しただけで、こうも簡単に!?」
 どうだって良いと適当に生きてきたジャックにとって。所詮は代わりの成り立つ駒の一つにとって、それはどれ程の衝撃だったのか。
 苛立ちも隠さずにジャックは余裕のない様を晒す。
「……何だよそれ。何の為にオレは王の騎士になったんだよ、何の、意味が」
 がしがしと頭を掻いて、ぶつぶつと呟く一人言。最初から知っていればアリスを敵と見なせたのに。途中からでも気付いていれば。
「〜〜〜ッ……あぁあ゛! イラッつくなァ、三月でさえこんなに苛立たねぇよ? オレらしくもない…」
「そうだね。ジャックらしくもない。適当に笑えよ」
「笑いたいのは山々だけどさァ、ひきつるんだよね。オレ今、最高に嫌な面してると思う」
 言葉の通り、いつものへらへらした笑顔は歪な表情になっていて、……いや。怒りと笑顔がない交ぜになった複雑な表情とでも言うべきか。形容し難いものだった。
「……いけませんね。君はこんな程度で感情を乱してはいけない」
 音もなく。静かな声だけが不意に室内に響いたのはその直後。一体いつの間に居たのか、いつから居たのか。
 全くもって今の今まで居る事にすら気がつかなかったその声の主は無機質な声と表情のまま、ジャックとチェシャ猫にお久しぶりですと微笑んだ。
 蜥蜴(トカゲ)のビル。元『ジョーカー』にして自ら役割を放棄し裏切った男。
 几帳面にして中立。冷静にして沈着。真面目で非の打ち所のない、絵に書いたような正確な性格。
 後ろに撫で付けた髪は左側の前髪だけ無造作に、そして左側だけにある片眼鏡
――アンクルをつけた青年は、逃亡していたとは思えないキッチリとしたカッターシャツとスラックスという二年前とさほど変わらない姿を見せる。
「二年。二年振りですか。もう少し感慨深いと予想していたのですが余り感動はないようだ。ともあれ、変わりないようで何よりですジャック」
 行方不明でどれだけ捜そうと見つからなかった男の突然の登場にジャックは動けなかった。
「……何でオレん所に来るかなァ、空気読めよ空気。普通ここはアリスちゃんのターンだろ」
 ようやく開いた口で悪態を叩きながら、その目は鋭くビルを睨み、手には既に剣を握っている。
 そんなジャックを馬鹿にするでも怯えるでもなく、ビルは止めませんかとたしなめた。
「無意味な争いは余計な物しか産み出しません。私は争いが嫌いなんですよ。見ての通り、私は武器を持たないただの役無しです。いくら殺人狂いの貴方でも無抵抗の者を殺す趣味はないでしょう」
「……今の心境で言えばアンタは別だな、ビルさん。最初から仕組まれてたっていうカラクリにオレはついさっきアンタを殺そうと思ったトコなんだからさァっ」
 ジャックは怒りに任せて剣をビルに向けて振るう。
 いつものジャックなら冷静に楽しみながら相手を追い詰める剣技をぶつけるが、怒りによって単調になった攻撃をビルが避けるのは容易かっただろう。
「だから、止めませんか。暴力で向かって来られては話し合いという最も平和な方向へ無理矢理ねじ曲げなくてはならないではないですか。出来れば顔見知りで優秀な貴方を傷付けたくはないのですよ」
 ギチリと。頭を掴まれ床に無様にも押さえつけられたジャックは何が起こったのかを理解するのに数秒を要した。
 剣を持つ腕は捻り上げられていて、暴れないように体重をかけられている事から、あの一瞬で自分が軽くあしらわれた事と身動きが取れない体制にさせられた事実は理解できたが。
「……ッちょ、何で服まで脱がされてんの?!」
 器用にも肘で剣を持つ腕を押さえながら後ろからの状態にも関わらず服を脱がし始めたビルに思わず突っ込みを入れる。
「いえ、念の為。貴方は油断出来ないですから他に武器を隠していないかと」
「んなもん服の上からでも分かんだろ……ひっ!」
「それは申し訳ありません。服を着たままがお好みとは、気が付きませんでした」
「言い回しがすっげー気持ち悪いんだけど、っつーか服の上から武器の有無を確かめるだけだろ。何で下半身を重点的に撫で回す訳」
「お気になさらず」「気になるわー…不快だし」
 舌打ちをして数分間は好き勝手に体を調べられたジャックはすっかり萎えた気持ちで脱力していた。
 そして分かっていた事だけどチェシャ猫はニヤニヤとそれを眺めているだけで助けはしなかった。

xxx

「今日は厄日かよ畜生。何で野郎に二度までも脱がされなきゃなんねーんだよ…あ…やべ、凹んできた」
 あっさりと拘束もされないまま解放されたジャックだが、やる気はすっかり削がれてしまった様で、文句を言いながら服を整えている。
「若い肢体はやはり良いですね。しかしあそこが弱いとは……可愛いらしく鳴いて下さりどうもありがとうございます」
「弱いと知った上で何度も引っ掻いたアンタのサドっぷりにオレは超ドン引きだよ……」
 相変わらず妙な言い方をするビルにジャックはもう面倒になり軽く流す。
「それで。オレをからかう為にわざわざ出てきた訳じゃないんだろ」
「おや、貴方に会いたくてと答えたらどうします」
「悪いけどオレ、そういう相手は三月で事足りてるからさぁ、真面目に答えてくんない?」
 残念と短く呟いたビルはそうですね。と近くの椅子に腰を下ろした。
「……単に、彼女が来たいと言ったからですよ」
「……彼女?」
「君と共に消えたアリスかい?」
 まさか、と思った矢先にチェシャ猫が続く。疑問符でありながらそれは妙に確信めいた口調でさえあった。
「ご名答、というよりは彼女しか居ないと考えた方が自然でしょう。それにしても君が私に話しかけてくるとはどういう心境ですか、チェシャ猫くん」
 アンクルの位置を僅かに直したビルは静かにチェシャ猫を見つめ、無機質な声で聞き返す。
「俺の心境はどうだっていいんだよ。必要があれば誰にでも話しかけるし、必要ないなら見てるだけ」
 対するチェシャ猫は変わらず無感情で、どちらにせよ気持ちは込もってない。
「……必要、ですか、それはまた極端な話です。人生に必要でない事などありませんよ。どんな些細な出来事でも必要なものですよ。そうして成長していくのですから、生きて学べる喜びを楽しまなければ損ではないですか」
「俺は楽しんでいるよ。ただ、面白い事を苦労せず傍観したいんだ。そして出来れば余り関わらないポジションが望ましい。そういう意味で言うなら、お前がジョーカーを抜けたのは面倒だったね。代わりに俺が役を担う羽目になった」
 チェシャ猫の言葉にビルは貴方が今はジョーカーを。と納得した様子で頷いた。そして、面倒でしょうと事もなげに告げる。
 ジョーカーを継いだのがチェシャ猫だという現状を元ジョーカーはどう思ったのか。
「公平で平等で真面目を強いられるとは、貴方には耐えられないでしょうに。ところで、女王はお元気でしょうか。挨拶もしないまま行方を眩ませてしまいましたから」
 無機質な声音は変わらず、世間話をするかのように尋ねた。
「前の女王は発狂したよ。今は娘が継いでいる」
「……あぁ、そうですか。そうですね。あの女(ひと)はとにかく自尊心が高かったんでした。私がジョーカーとしての役よりも彼女を優先してしまったら、……それは耐えきれないでしょうね。失念しておりました。失敬」
 それだけで、終わる。短くない時間を女王に仕えていた彼の感想を薄情だとは思わない。
 ビルにとって、それは些細な出来事であり、それほど感慨を持てなかった。ただ、それだけ。
 だからこそ、ジャックはここに女王やメアリー、そしてアリスが居なくて良かったと思う。
 彼女達がもし、ビルの言葉を聞いていれば平然と会話など続けられも、聞けもしなかっただろうから。
「それにしても、あの幼子が女王とは。この世界も酷なものです。役持ち、ですか……」
「話ぶった切って悪いけどさ、どうしてアンタがここにいるのかがアリスとやらの付き添いとして。じゃあそのアリスはどうしたんだよ」
 このまま問答を続けても埒が明かないと判断したジャックは単刀直入に聞いた。
 ビルは1人になりたいとの事でしたので。と告げて、まぁ、屋敷のどこかには居るでしょう。と答える。
「……白兎を利用して、アリスを呼んだのはアンタだろ。ビルさん」
「おや。君はもう少し気付くのが遅れると思っていたのですが……意外と抜け目ない性格になりましたね」
「いや、オレにヒント与えといてそれは無いだろ。こうしてここに来るまでは気付かなかった自分と最初から計算通りだったって事実に殺したい気分なんだって」
「君の欠点は、人の話を最後まで聞かない事ですね」
 ビルは気を悪くした様子もなく、観察するようにジャックを見返し、ふと思い出したかのように再びアンクルを押し上げた。
「今回のアリスはどうやら私のアリスに及ばない。しかし、異世界から来たモノはやはりこの世界の住人を強く惹き付けるようですね、ふむ。興味深い。そして頭も悪くはないようで何よりだ……そうでなくては、私のアリスの友達としても敵としても成り立たない」
 その言葉と呼応するように、三月ウサギが発砲した銃声が聞こえ、反射的に走り出したジャックを阻む事はなく、ビルは静かに読みかけの本のページを捲る。
「君は行かないのですか? 君のアリスはか弱いでしょう」
 動かないチェシャを見る事もないままビルは聞き、チェシャ猫は張り付いた笑みのまま「俺は面白くない事は見ない主義なんだよ」と告げた。


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