chapter1ー12『正しい選択肢』

終末アリス【改定版】



 
「アリスちゃん☆ 元気出して! 僕達はアリスちゃんの味方だからねっ!!」
 そんなアリスを励ます為か、ぎゅう、と抱きつきながら言った帽子屋を三月ウサギが引き剥がす。
「バカやってないで行くぞ――アンタも、いちいち気にすんな。目的は『元の世界に戻る事』なんだろ? さっさと帰って忘れりゃいい。全部、な」
 淡々と告げる三月ウサギはいつもの事。だけど、
「全部、忘れる…? …それってどういう――」
 アリスの問いに、三月ウサギは意外そうな表情で薄く笑みを浮かべた。
「知らないのか? こういうのは大抵『夢』だった。ってオチで終わるんだよ。結末なんてそんなモン―」
「三月。あんまりお喋りが過ぎると俺が手ずから調教してやる羽目になりやがりますよ」
 最後まで聞けず、途中で遮った白兎の言葉にハイハイと適当に返事を返した三月ウサギは帽子屋と共にじゃあな。とその場を後にする。
 白兎は何も言わずにその後に続き、時計屋もチェシャ猫に後は頼むと告げて、行った。
 部屋にはアリスとチェシャ猫の二人だけ。
「聞きたいコトはあるかい? アリス」
 初めて会った時と変わらぬ笑み。アリスは首を振ってチェシャ猫を真っ直ぐ見つめた。
「良いわ……多分、今は頭に入らない。それより、一つだけ答えて」
 チェシャ猫は尻尾を揺らしながらアリスの言葉を待っている。深呼吸をニ、三度してから、アリスは聞いた。
「これは、『夢』なの?」
 だとしたら、随分と悪趣味な夢だと思ったけれど。チェシャ猫は数秒だけ黙ったままアリスを見返して、口を開く。
「……アリスがこれを夢だと思えば夢だし、現実だと思えば現実かもしれない。アリス次第だよ」
「私次第……って、言われても……」
 曖昧な答えにアリスは戸惑った。つまりはチェシャ猫にも分からないという意味なんだろうか。
 じっとチェシャ猫を見れば表情を変えないまま「でも」と言葉を続けた。
「引き返すなら、『今』だよ。アリス」
「……何、言ってるの? 引き返すも何も……元の世界に戻る手掛かりもないのに――」
 そう。まだ何も分かってないのだ。自分とは違うアリスという名の少女の事も、この世界に来た理由も、何も!
けれどチェシャ猫は続ける。
「うん。だから、それだけ考えれば良い。俺やジャックや女王の事なんて気にしないで元の世界に戻る事だけを考えると良い」
 言われた言葉を理解するのに、数秒かかる。それはつまり、これ以上この世界の人物に関わるなという忠告か。それとも検索するなという意味か。
 確かに、たった数日だ。会ってから間もないアリスを快く受け入れる理由もなく、ましてやアリスも帰るのが目的なのだから。
 これ以上、深く関わるな。その心境は分からないでもない。けど、言わずには居られなかった。
「…だったら…どうして…」
 手を差し伸べてくれたのは、他でもない。チェシャ猫だ。今更だと分かっていても、どうしてだという疑念が回る。
「何で、放っておかなかったの…」
 聞いたのは、アリス。差し伸べられた手を取ったのも、アリス自身で、関わっていったのも。そして――多分、崩したのも自分なのだろう。
 ボロボロと頬を伝う涙は止めどなく溢れて、握りしめた拳を濡らした。頭では、ただの八つ当たりだと分かっている、が、所在なく混乱する気持ちだけはどうにもならない。
 関わってしまって、ごめんなさい。
 崩してしまって、ごめんなさい。
 何の力にもなれなくて、誰の気持ちも分かってあげられなくて、ただ後悔と罪悪感に押し潰される。
 それでも。元の世界に戻りたいと思う自分が滑稽にも勝手だと感じた。
「……どうしてチェシャ猫は、私の側に居てくれるの……」
 次いで出たのは、チェシャ猫が何も言わないまま動かない事に対しての問いかけ。
「…面白そうだと思ったからだよ、アリス」
 そんなアリスの問いかけに答えたチェシャ猫はいつも通りの笑みを浮かべ、アリスを見つめていた。
 その後の事は、よく覚えていない。
 ただ、気付けばチェシャ猫の姿がなく一人ぼっちになっていた事実だけが重かった。



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 忌々しい。吐き気がする。頭が痛い―久し振りに部屋から出た所為だろうかと王は自室に戻るなり不快感に顔を歪めた。
 傍らにはいつもと変わりないジャックが寄り添い、「大丈夫ですかー?」と形だけの心配を向ける。
「……そう思うのなら水を持ってくるなり何なりと気を遣え……」
 気の利かない奴だと睨めば、心外だなぁとジャックはヘラヘラした笑みを浮かべた。
「俺は騎士だけど、使用人じゃないんだからそんな気遣い求められても困るっていうかー、無理っスから」
 そう言いながら、ジャックは部屋に備え付けの外線で「水を持ってきてー」と厨房に連絡を取った。
 数分もしない内に扉がノックされ、使用人から受け取った水をコップに注ぐ。そしてそれを爽やかな笑顔で王に差し出した。
「はい、お水」「………」
 冷ややかな王の視線など気にも留めず、ジャックは王へと向けたコップを近くの机に置いた。
 相変わらず適当な奴だと溜め息をついて、王は水を受け取る事もしないでポツリと呟く。
「…反抗しても、良かったのだぞ…?」
 先刻の行動。つまりは女王に剣を向けたジャックに対して、今更ながらに王は探るように眺めながら言った。
 あの場には、ジャックの幼なじみであり親友とも言える時計屋と、同じく幼なじみにして妹のような存在であるメアーリンが居た。
 いくら忠実な騎士とはいえ、何の躊躇いもなく、そして表情すら変えないまま命令に従えるという事は、頼もしくもあり同時に何があっても心から信頼できない。
 そこまで思考を巡らせて。いや、違うなと王は目を菅(すが)めた。
 そもそも、目の前の男が本当に忠実で忠誠を誓う騎士だと言うならば、疑われた事に僅かながら動揺や悔しさを滲ませようものだが。
 「酷いなぁ」と別段、感情の乱れもなくジャックはぼやいて王を見据える。
「オレがどういう奴かってのは、王様が一番よく分かってるじゃん」
 ――確かに、ある意味では誰よりも。もしかしたら本人よりもジャックの本質を理解しているとは言えるが、それでも
(何を考えてんのか分からないんだよ…)
 言葉に出さないまま内心で告げて、王は面倒になったのかベッドに身を沈めた。
 この読めない上に食えない男について考える事すら時間の無駄だ。裏切らなければそれで構わない。
「…寝る。後は好きにしろ」
「はいよ。おやすみ、王様」
 そのまま寝てしまった王にジャックは軽く返事を返して、そのまま振り返る事なく王の部屋を出た。

 ジャックが静かに扉を閉めて廊下に出た直後。
 視界に珍しい来客を見つけたので、わお。とわざとらしくリアクションをしてみた。
「意外だな。てっきり帽子屋くんか、時計屋を予想してたのに」
 いつもと変わらない笑みでジャックは珍しい来客―もとい、白兎を見た。
 白兎はそんなジャックに、「悪かったですね。帽子屋でも時計屋でもなくて」と告げて、逃がさないように距離を詰める。
「王様ならおやすみになられたよ?」
「引きこもりなんざ興味ねェ。俺はテメェに用があって来たんですよ」
 気にした様子もなく、オレに? と他人事のように返したジャックに白兎の眉間の皺が深くなる。
 せっかく綺麗な顔してるのに勿体ないなーなんて思いつつ、ジャックは白兎が話すのを待った。
「…俺はテメェのそういうトコが嫌いで仕方ねェんですがね、」
 そういうトコがどんなトコかなんて知らないけど、白兎が元々ジャックを快く思ってなかった事は知っていたから何とも思わない。
 その自分には関係ないといった様子のジャックに苛立った白兎は鞭でヘラヘラした笑みを浮かべるジャックの横っ面をピシャリと殴りつけた。
 避ける間もない攻撃にジャックは僅かに赤くなった頬を拭い、口の中が今ので切れた事を舌で認識する。
「…〜いっだーッ!!」
 じわ、と血の味が広がる感触に大袈裟にわめくジャックの口を、白兎は黙れとばかりに塞ぎ、そのまま壁に強く叩き付けた。
 因みに、王に聞こえないように部屋とは反対の壁だ。勢いよく叩きつけられたジャックは計算高いなぁと苦笑う。
「テメェは!! …自分が何をしたのか、自分で理解してやがるくせに…何で…ッ」
 胸ぐらを強く掴んで、何もかも他人事な態度を取るジャックを睨み付けた白兎はギリと歯を噛み締めた。
 切れた口内を舌で舐めたジャックはやはり、へらへらとした笑みを浮かべて口を開く。
「…あーぁ、ったく。王様がお仕置きとか言うからオレがめっちゃ悪者みたいじゃん」
「あ゛? テメェは悪くねぇとでも言いやがるつもりですか…」
 やれやれと肩をすくめるジャックを非難するように、白兎は冷ややかな目で睨む。
「……いんや? 多分、どっちもどっちじゃねーかな」
 王が全面的に悪いとは言わないし、責任を擦り付けるつもりはない。
 だからといって、自分が悪いとは言わない代わりにどちらも悪くないとも思わない。
「まー、アリスちゃんの騎士なら間違いを正すのがってのは、『正しい』んだろうし。白兎が怒る理由も分かるんだけどさ」
 それはこの世界じゃ通用しない。適用されない。彼女の世界がそのルールだったとしても、ここはそういう世界で、そんな狂った連中の生きる別のルールで回っているのだ。
 《役持ち》はその役割を果たす為に。選ばれた《騎士》はその役割を守る為に。
「法則に背いて、騎士としての誓いと役割を破ってでも、嫌だ、って王に反抗しろって意味? 女王とアリスちゃんの味方をしてれば、って話?」
 仮に自分が女王についていればあの場が丸く収まったとでも言うのか。
 異世界から来たアリスはともかく、他の誰よりも《役持ち》の業に深く関わる白兎がよりにもよってそれを言うのか。
「それじゃあ、白兎。オレはあの時、どうすれば良かったのか。参考までに教えてよ」
 無理なのは分かってる癖に。帽子屋と三月ウサギや芋虫と眠りネズミのような関係ならば、話は別だが。
 絶対の命令に逆らう事が何を意味するか、知らない訳がないだろうに。
 しかし白兎は冷めた目をジャックに向けて言い放つ。
「…知らねェですよそんなモン。テメェが引きこもりに躾でも調教でも何なりされて、再起不能になるまで部屋にこもるなりしてりゃあ良かったんじゃねぇですか?」
「いやいや、白兎? オレ帽子屋みてーにドMじゃないから。」
 淡々と告げた白兎に突っ込んで、ジャックは苦笑う。
「まぁ、いいじゃない。誰も死ななかったんだし、生きてるだけで儲(もう)けモノってね」
その表情はやはり、いつもと何ら変わりはなくて、
(…何でテメェは…っ)
 行き場のない憤りを感じた白兎はを拳を握り締めて、ジャックに何を言うべきかと言葉を詰まらせた。
「……前々から聞きたかったんですけど、テメェは何で帽子屋じゃなくて王を選びやがったんです?」
 話は終わりだとばかりに離れたジャックに白兎が問い掛けたのはそれだった。
 そういう選択肢がなかった訳ではないのに。寧ろ、王に選ばれるより先にジャックは帽子屋の騎士になれた筈だったのに。
「テメェ程の騎士が、引きこもりなんざの騎士で満足できてんですか」
 白兎の言葉に、ジャックは面倒そうに首を捻って振り返る。
「……今更な質問だなー、アリスちゃんといい、メアリーといい、しろたんといい」
「殺されてェんですか」「うんごめん」
 軽口を言い、数秒の沈黙。ジャックはそうだなぁと言葉を続けた。白兎の質問に対するジャックの返答は呆気なく知らされる。
「例えば、白兎にとって帽子屋が大事なように、オレにとっては時計屋とメアリーがそうなんだけどさ、大事なモノを守るのって面倒になるよね。
大事だから。信じてるから。信頼されてるから頑張らなきゃって気を張って生きるって、ダメなんだよ」
 その言葉に眉をしかめて意味が分からないと思った。大事だから守るのではなく、大事だから面倒になるという心境がまず前提として違うのだから。
 そんな白兎を眺めてジャックは分からないかと一人ごちて続きを話す。
「だって、優しいだろ? アイツ等。守る立場のオレが敵を殺したら悲しむし、傷付いたら泣くし、いちいちフォローすんのも疲れるから、帽子屋の騎士にはならなかった。
っていうか、なって欲しいなんて言われなかったし。その証拠に帽子屋は三月を選んだじゃんか」
 それは、普段から常に思いながら語る事も表に出す事もなかった本音。あっけらかんとした物言いに白兎は言葉を失った。
「……テメェの、それは……ッただ逃げてるだけじゃねェですか……っ」
 ようやく声に出せたのは、それだけ。守るのが面倒なんて、ただの言い訳で。
 そんなのはただ自分が苦しくならない様に逃げ道に逃げただけだと!!
「…主観は人それぞれ。…それも確かにあるんだろーな。
で、アリスちゃんの意見は?」
 白兎の言葉を受け入れて、ふとジャックはここに居ない筈の名を呼んだ。
 正確にはたまたま居合わせてしまい、出る機会を逃してしまった彼女を、と言うべきか。
 立ち聞きしてしまったという罪悪感と、気付かれてしまった困惑とがない交ぜになった表情でアリスはおずおずと柱の陰から姿を現した。
 ごめんなさい、と告げ、気まずそうなアリスに微笑んだのはジャックだ。
「気にしなくていいって。聞かれて困る話でもないし」
 やけにあっさりとしたジャックを、白兎は信じられない心境で睨んだ。
「……ジャック……」「ん? どしたの白兎」
 殺気はないが、この男がアリスを殺さない保証はない。警戒しながら白兎は鞭をいつでも出せる様に備え、アリスとジャックの間に立つ。
「……あぁ、オレがアリスちゃんを傷付けないか心配? 大丈夫だよ。アリスちゃんの事は気に入ってるし、さすがにそこまでどうでもいいとは思わない」
 間に立った白兎の意図を察して、ジャックは「ほら」と腰に携(たずさ)えていた剣を床に置いた。だが、油断は出来ない。気を緩めずに白兎はアリスに邪魔だと告げた。
「……邪魔って…ッ確かに邪魔したのかもしれないけれど、そんな言い方はないと思う…」
 緊迫した雰囲気の中でも流されず突っ込む辺りは胆が座っている。白兎はアリスを予測の出来ないイレギュラーとしてみていた。
 何をしでかすか分からない。ある意味でトラブルメーカーだ。だからといって、アリスが無力な小娘だという現実は変わらないのだけど。
「あはは。言われてんぜ? 白兎」
「…ジャック…さん」
 困惑したようにアリスはジャックに視線を移し、呟いた。ん? とジャックはアリスを見返す。
「……私は、正直、アナタが何を考えてるのか分からないし、欲しい言葉も言えない。でも、やっぱり間違ってると、思う」
 その言葉を聞いて、そっかと頷いたジャックは内心でやっぱりなとも思った。誰から見ても間違いだという自分の立ち位置。考え。
(それがオレの、歪み、か)
 それでも変わろうとは思えないし、間違いを正すつもりもない。最低だってのは充分に理解出来るのに、この少女は言うのだ。
 面と向かって、それを間違いだと。
「…そんなアリスちゃんにオレからヒントをあげようか」
 そう言ってジャックがアリスに告げたのは、妙に確信に満ちた元の世界に戻る為のヒントだった。
「トカゲの事を芋虫に聞いてみなよ。元の世界に戻る一番手っ取り早い方法は、多分ビルさんが握ってるからさ」


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