chapter1ー10『二年前の裁判』

終末アリス【改定版】



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 そんなやり取りがあったとは知らず、食堂に着いてからアリスは三月ウサギとジャックの姿が見えない事に気付いた。
「あれ? ジャックさんと三月ウサギは…」
「奴等なら何やら二人で話し込んでやがりましたね。まぁ、すぐに戻ってくるでしょうが」
 アリスの横を通りすぎながら白兎がそれに答えた。それを聞いた王女が席に着きながら声を上げる。
「えぇ? これで4人も抜けちゃったのぉ? …むぅ〜…後でいぢめてやるぅ…」
 可愛らしくも恐ろしい台詞を聞かなかった事にしながらそれぞれ思い思いに座っていく。
 そんな中でアリスは、丁度近くにあった女王の正面の席に座った。
「本来なら そこは王の席なんだけどね。引きこもりだから滅多に座らない」
 当たり前の様に隣に座ったチェシャ猫がいつもの笑みで告げた。
「…座ってから言わないでよチェシャ猫…」
 王の席だと言われて気にならない方がおかしい。しかも今さりげなく妙な事を言われた気がして、思わずアリスはチェシャ猫を見返す。
 気にした様子もなく真っ先にはぐ、とローストチキンにかぶりついたチェシャ猫と目が合い……
やっぱりいいわとアリスは質問を諦めた。
 全員が席に着いたのを確認した女王はにっこりと微笑んで口を開く。
「さて、と♪ 命令違反なおバカさん達は放っておいて早速、お話始めましょうか☆」
 切り出した女王に自然と視線が集まる。
 一部気にせず料理に舌鼓を打っている者もいるが、何だかんだで興味をそそられる話ではあるらしい。
 アリスはようやく元の世界に戻れる(かもしれない)手掛かりにじっと耳を澄ませて頷いた。
「《もう一人のアリス》がこの世界に来たのは2年前の事」
 アリス。そう聞いて何だか微妙な気分になるのは同じ名前だからか。アリスは奇妙な符合に息を飲んだ。
 女王はそんなアリスを見て困った様に笑う。
「ん〜。緊張し過ぎだよぅ☆ もっとリラックスして聞いてくれなきゃ話しにくい!!」
 そう言いながらフォークに牛肉のアスパラ巻きなるモノを刺してアリスの口に入れた。
 美味しいけど急に口に突っ込まないで欲しい。
 咀嚼しながら女王にやや抗議めいた視線を送れば気にした様子もなく微笑んでいる。
「当時この国を支配して絶対的権力をもっていたのが、あたしの母であり先代のハートの女王っていう事まではなんとなく理解できた?」
 子供に言い聞かせる様に問い掛けた女王にアリスは頷いた。
「ちょっと複雑な関係性が出てくるからね。先に当時のワンダーランドについてお話しておこうか」
 満足そうに微笑んで女王はチラリと視線をチェシャ猫に向けた。
「…むぐ。……俺が説明するの? 芋虫の方が適正だと思うよ」
 料理を食べる手を止めないままチェシャ猫は言う。あの細い体の何処に入っていくのか疑問に思う位の量を既に平らげていた。
「うーん。そうかしら? じゃあ、いーちゃん♪よろしく」
 投げられた芋虫は暫し不服そうに眉をしかめた後、静かに口を開いた。
「…仕方ないわね……二年前の話は余りしたくないんだけれど」
 嫌な思い出でもあるんだろうか。初めて見る芋虫の表情にアリスは首を傾げた。
「…先代が支配してた国はいわば独裁国家。女王には逆らえないし逆らう者も居なかった、まぁ誰もそれを間違いだとは思わないそれが当たり前の世界だったの」
 芋虫は静かに語り出し、アリスにも分かりやすい言葉を選んで続ける。
 アリスは息を飲んで芋虫の続きを待った。
「それで――、その時の《役持ち》もそのままで構わないかとアタシも含めて女王のやり方を静観してた訳だけれど」
 若気の至りだったわ。と小さく呟いて芋虫が苦笑う。今いくつなんだろうと思ったがそういう雰囲気ではない為黙っておく。
「《役持ち》は基本的に死ぬまでその役目を背負う事になるからあまり変わってはいけないんだけど、とある事情で今と二年前とではメンバーが違うのよ」
 何気無く告げられた言葉にアリスは何故か重みを感じた。
 死ぬまで。死ぬまで背負うとは あまり良い響きではない。アリスの納得出来ないといった表情に芋虫は目を伏せて続けた。
「……変わらないのがダイヤのアタシとクローバーの帽子屋。後はスペードの王。ハートは言うまでもなく先代でジョーカーは…」
 ほんの僅かに芋虫は苛立った様に何処かを睨み押し込めた後でその名を口にした。

 “トカゲのビル”と。

 初めて聞く名前にも関わらず、アリスは何故か嫌な感じを覚えた。芋虫が口に出すのを躊躇ったからなのか。
その名前が出た途端に空気が凍ったみたいに冷たく思えたから。
「…あたしは、当事者ではないから詳しい事情までは分からない。だから、これから話すことは全て終わった後から考えた推測」
 そんな空気を振り払う様に女王が続けてすまなそうに芋虫を見た。芋虫は気にしてないと片手を上げて、優しげな微笑みを返す。
「と、遅ればせながら戻りましたよ女王様ーって…あれ? 何か空気重い?」
「……あァ、タイミングが悪かったみたいだな」
 そして。丁度、タイミングが良いのか悪いのか。ジャックと三月ウサギが戻ってきて一斉に視線を独占した。
「ぅわ、なにっ! そんな見つめないでヨ。恥ずかしい」
 ジャックが帽子屋みたいにリアクションするのを三月ウサギが蹴り、さっさと席につけと促した。
 そんな二人のやり取りに女王がぽつりと突っ込みをいれる。
「……夫婦漫才でも覚えてきたの?」
「夫婦漫才、」
「え゛……あぁ、ソーデスね。愛しの三月と愛を育んでキマシタ☆ 女王様」
 まず最初に三月ウサギが言葉を途中で止め、またこの人はよく分からない例えを出すなと無言で見返す。
 次いで、物凄く嫌そうな声を上げたジャックが微妙そうに女王を見て、まぁそういう事にしておくかとばかりに同意した。
「……あぁ、激しく愛を囁かれたんでダーリンにメロメロですよ。ね、ダーリン」
「あはははは。そーだねハニー。オレもメロメロだよ〜」
 棒読みに近い淡々とした口調で三月ウサギが薄く笑みながら席に座る。
 その隣ではなく向き合う形で座ったジャックと三月ウサギの間に何故かブリザードが吹いている気がした。
 一体この二人がどんな会話をしてきたのかは知らないが、お陰で緊迫していた空気は僅かに和んだからある意味結果オーライと言えるかもしれない。
 これで残る欠席者は帽子屋と時計屋だったが一向に戻ってくる気配はなく、女王はまぁ良いか。と呟いた。

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 アリスが先代女王ともう一人のアリスが起こした裁判の話を聞いていた頃。
 途中で別れた時計屋と帽子屋は歩きながら会話を交わしていた。
「…お前はどう思っているんだ、帽子屋」
 不意にそう切り出したのは時計屋で、それに対する帽子屋は心当たりがないとばかりに何がだい?と振り返る。
「俺は知っての通り、基本的に世間などどうでも良いから知らなかったが、お前は知っていたんだろう。もう一人のアリスとやらの存在を」
 そこまで続けられた言葉にあぁ、と納得した帽子屋は「確かに知っては居たけどさぁ」と自らの帽子を目深に下ろす。
「より詳しく知りたいなら芋虫に聞いた方が適任だよトッキー。僕は確かに知ってはいたさ。トカゲの人はしろたんと無関係って訳でもなかったし、一応《役持ち》でもあるからね」
 それにトッキーだってトカゲの人が居なくなった事に今の今まで興味がなかったみたいだし。と言われて、事実には違いなかった時計屋は沈黙した。
「まぁ、そこが君の良いところでもあるんだけどねっ☆ …と、そうそう。それで僕の意見を聞きたいんだったね」
「あぁ……そのアリスを知っていながらどうして彼女をここまで連れてきたのか。いや、連れてきたのは俺と笑い猫だが、それでもそれくらいは想定出来ただろう」
 真面目に問い掛ける時計屋に「やだなぁー」と帽子屋は微笑んで、「僕はそんなに難しく考えてやしなかったんだよ、ぶっちゃけ!」と言い放つ。
 それも事実なのかも知れないというか、本気で何も考えていなかった可能性が高いだけに、時計屋は静かに帽子屋を見返した。
「わぁ☆ トッキーってばそんな蔑みの目で僕を見ないでよっ☆」
「いや……お前に深くを求めた俺が悪かった。だが、そこまでバカだと思わなかった」
「てへ。まぁ、良いじゃないか♪ 最初にちょっと試した限り、彼女には悪意も他意もなく、ただ単純に巻き込まれて、元の世界に戻りたいってだけの無害な女の子だよ、トッキー」
 穏やかに告げる帽子屋に時計屋は呆れたように溜め息をついた。
 相変わらずこの男は甘いなと思う半面、時計屋は腑に落ちない気分だ。明確に何がという訳ではないが。
「だからこそ、尚更気にならないか? ……彼女は確かに無害であるかもしれないが、白兎の反応を見る限り、アイツも予想外な出来事に戸惑っていたようだ」
「え、そうなの?」
 きょとんとした表情の帽子屋に、コイツは本当に白兎が好きなのかと疑念を抱いた時計屋の心境はさておき。
「……俺の杞憂かも知れんが、な。ともあれ、笑い猫が側に居るなら問題はないだろう。それに、三月が居るからな」
 何か問題があれば、あのチェシャ猫が傍らに居る理由もなく、また本当に何かがあれば躊躇いなく三月ウサギが動くだろうと判断した時計屋の言葉に、帽子屋はにんまりとした笑みを浮かべた。
「何だかんだでトッキーってば僕のみっつんを信頼してるんだもんなぁ〜☆ 妬けちゃうなぁーっ」
「……俺がいつ三月を信頼していないと言った? アイツのよく分からない嫌がらせは別として、実力も判断の正しさも認めてる」
「…うん。でもトッキー、いつもみっつんに冷たくない?」
 あっさりと返した時計屋にやや驚きながらも尋ねれば、思い切り怪訝そうに眉をしかめる時計屋の表情。
「? ……そう見えるならアイツが俺を嫌っているからなのだろう。毎回毎回何がしたいのかメアーリンにちょっかいをかけるわ、起こすだけで息を止めるわどこかで怪我をしてくるわ……全く、よく分からない奴だ」
 静かに列ねられた言葉に帽子屋はあぁ、うん。と珍しく低いテンションで頷いて、遠い目を時計屋に向けた。
 どうやら彼の淡々とした時計屋ラブアピールは伝わるどころか逆効果だったらしい。
 そして多分、それに気付いていながら敢えて構わない三月ウサギに改めて敬意を讃え、格好良いなぁと苦笑いを浮かべた。

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 そして、場面は女王の話に変わる。
 二年前。その頃のワンダーランドは先代女王の圧倒的支配下にあり、それが当たり前の日常で、誰も何も言わなかった。
 権力者が支配する。それが正しいと思っていたし女王に逆らう者も居なかったから、狂っていた事に気付かない。
 このまま世界は何事もなく過ぎていき、いずれは次の世代の役持ちに引き継がれても変わらないのだと納得し、受け入れていた。
 ある一人の少女が現れるまでは。迷い込んだ少女《アリス》は右も左も分からぬまま、当時のジョーカーである《トカゲのビル》と出逢った。
 当然、異なる世界から迷い込んだ《アリス》にとってはこの世界の事情など関係も関わりもない話だが。
 しかし、女王と少女は対面し対立する。それが偶然であったのか必然であったのかは定かではない。
 結果として女王は少女に負け、信じていた家臣に裏切られたショックにより発狂し、少女とその裏切った家臣はそのまま行方をくらましたのが過去の話。
 それから二年後。再び世界は巡る。もう一人のアリスの来訪によって。

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「あたしはハッキリ言えばお母様が嫌いだったわ。でも、それ以上にあの子は嫌いだと思った」
 女王はゆっくりと隠しもせずに告げた。細かい事を気にしない女王にハッキリ嫌いだと言われる先代とアリスは一体どんな性格だったのか。
「お母様は完璧主義者で、特に赤い薔薇を愛する余り白い薔薇を間違って植えてしまった庭師を死刑にしてしまう位、過激な性格だったのだけれど」
 疑問を解消するかの様に女王がさらりととんでもない発言を器用に食事をしながら告げた。
「たかが植え間違いごときで死刑なんて、我が母ながら呆れてしまうわ」
「………」
 アリスは何も言えずに女王を見る。…何といえば良いのか。
「気を使わないで良いよ。アリス。ハートの女王は大体みんな子供っぽい所があるから」
 チェシャ猫がフォローにもなっていない言葉を捕捉しながらミルクを一気飲みして告げた。
 子供っぽいとかそういうのを通り越している気がする。むしろ通り越しているだろう、明らかに。
「懐かしいな。あの人、割りとヒステリックな性格で意外と乙女チックな面もあったから、俺は嫌いじゃなかったけどな」
 三月ウサギが意外にも告げた言葉に何でそんな事まで知っているんだと驚く。その視線を受けた三月ウサギはやはり淡々として答えた。
「ん? …あァ俺、その時お城の兵士だったんだよ」
 因みにジャックと同期なと続けられて何だか新発見をした気分になる。
「その頃から三月は時計屋に付きまとってた、オレとは顔見知り程度でしかなかったけどな」
 ジャックが妙に突っ掛かった言い方をする。それに対し三月ウサギは否定せず笑った。
「ついでに帽子屋は十年前から白兎に片想いしてる」
 おまけのようにチェシャ猫が告げた。意外にも帽子屋は一途で気が長いらしい。
 と、いうより、話が段々逸れていっているのだけれど。昔話も確かに気になるが今は本題を聞かなければならない。
「それでその《アリス》は一体何をしたんですか?」
 アリスは思いきって問い掛けた。多分こうでもしなければ話が逸れていくだけだと何となく理解したからだ。
「ん…そうね。簡潔に言ってしまえば彼女はお母様に歯向かってその審議を確かめる裁判中にビルと共に何処かへ消えてしまったの」
 女王は簡潔に述べた。ただ、それだけだと言ってしまえばそれまでの話。だけど、それはきっと重要な事だと思えた。
「裁判自体は些細な事だった。お母様のやり方に異論を唱えた彼女とお母様のどちらが正しいのか。有罪か無罪か。それを決める裁判だったと聞いているわ」
 女王は本当に何も知らないまま後から事の事情を知らされたのだと言う。
 裁判官を務めたのはトカゲのビル。《役持ち》のジョーカーであり冷静な判断を下すべき彼は突然、先代女王に刃を向けて『アリスと共に消えた』のだと。
「……本来であればビルの行動は《役持ち》であっても出来ない行為。いえ、してはならない行動なんだけど彼はそれをしてしまった」
 秩序を狂わせればどうなるか。何よりも知っているのが《役持ち》であるのに。
「信頼していた部下に裏切られ、年端もいかない異世界の少女にプライドをズタズタにされたお母様は最早ハートの女王を続けられそうもなく」
 娘であるあたしがハートを継いで、抜けたジョーカーをチェシャ猫が埋めた。と女王は言った。
「それで今のワンダーランドが存在しているんだよ。アリス」
 まとめてチェシャ猫が笑う。アリスは自分のした事でもないのに罪悪感を覚えた。
 そこまで知りながら、何故同じような異世界から来た自分にここまで優しく接するのか。こんな話を聞かせてくれるのか。何故そんな風に微笑むのか!
「…ッ…ごめんなさい…」
 軽々しく聞く事ではなかったと後悔する。絞り出した声は多分小さくて聞こえていないだろうけれど。
「…ッ!! え? なっなな、なんで泣くのっ!? めめ、メアリィーっどうしたらいい?」
 女王の幼くて慌てた声が聞こえ、泣き崩れるアリスを落ち着かせようと頭を撫でる。
「はぃっ! えと、あの、……アリスさん…大丈夫ですから、落ち着いて下さい」
 メアーリンの静かな可愛らしい声が続く。優しさにまた涙が溢れた。
 結局抑えきれなくなった感情はボロボロと涙になって落ちていき。
 いつの間にか泣き疲れて眠ってしまったアリスを女王の命令により白兎がベッドまで運ぶ羽目になったと知るのは翌日の事だった。


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