「どうしよう…」
先ほどからその一言しか口にしていない。
私が居るこの空間には私が先ほど呟いた言葉と流しっぱなしの水の音だけ。
気持ちを静める為に顔でも洗おうと思ったのだけれど逆効果。
渦を巻きながら流れていく水を見ていると、急な嘔吐感に苛まれ、その後のことは言わずもがな。
ああ、嘘だ嘘だと思いつつもこれが現実なんだと受け止める。
いや、別に嫌じゃない。
寧ろ嬉しいんだけど、状況が状況だ。
落ち着いたところで部屋に戻り、コップ一杯の水をグッと飲み干す。
まだ口が渇いている感じがしていたけど、これ以上飲むと少し前の自分に戻ってしまいそうでやめた。
重い体を動かしながら、なんとかソファに辿り着き、全体重を預けるように腰掛ける。
呼吸が落ち着いてきたところで、投げ出していた右手で腹部を擦る。
まだ一緒に過ごして少ししか経っていないのに、もう大きくなって動いているような錯角さえ覚える。
ああ、今私は凄く嬉しいんだ、それと同時に凄く不安なんだ。
私達二人はお互いにマフィアで、それなりの役職についている。
女である私はまあなんとかやめることが出来たとしても、彼はそんなこと出来やしない。
いや、寧ろやめて欲しくなんてないんだけど。
今のご時世、何が起こるか分からない状況で、お互いに毎日忙しい日々を送っていた。
最近私の方が落ち着いてきて、気を抜いたところでこの状況。
ああ、彼になんて説明しよう…寧ろ言うべきなんだろうか。
結婚…なんてしたいななんて思ってたけど彼の状況的に迷惑がかかるなんて一目同然。
ファミリーの上部である彼の恋人でしかも身動きが取れない、そんな私がもしも人質にとられたりしたら、彼が仕事をし辛くなるに決まっている。
なるべく彼の重荷になりたくない、それが彼と交際を始めた当初から思っていたこと。
堕ろしたりはしない、絶対に。
ただ、私だって一応マフィアとして働いていた、貯蓄だってそこそこある。
子供一人を養っていくには充分だろう。
「どうしよう」
「何が?」
急に声をかけられ、ビクリと体が跳ねる。
恐る恐る振り向いてみれば、しかめっ面の彼がそこに立っていて、思わずごくりと喉が鳴った。
「恭弥…どうして…」
「君の様子がおかしいって聞いてね」
「そ、そんなことないわよ…」
「どうだか」
私の座っているソファの背もたれにジャケットをかけると、私の前にしゃがみ、腹部に触れる。
その行為に驚きが隠せずに、私はあからさまに反応してしまった。
「やっぱり」
「な、何が?」
「隠しても無駄だよ、居るんだろ?」
「・・・」
「沈黙ってことは肯定だね」
元から鋭い目を細めると、触れていた手を動かし私の腹部を撫でる。
いつもは鋭く冷たい目も、愛しいものを見る優しい眼差しを放っていた。
「で、あとどれくらい?」
「え、えっと」
「まさか、堕ろすなんて馬鹿なこと言わないよね?」
「そ、それは絶対にしないけど!」
「当然だろう、君と僕の子なんだから、勝手にそんなことされたら流石の君でも赦さないよ」
「そんなこと私が絶対に考えないなんて知ってるくせに」
「ああ、僕の知らないところで産んで一人で育てようなんて馬鹿なこと考えてることもね」
「・・・」
ああ、この人には全て見透かされてる。
そんなに下手だったのかしら、上手く隠せたつもりだったのに。
そんなことを考えていると、彼は口の端をあげて「分かり易いんだよ君は」と一言。
「ねえ」
「何?」
「結婚しようか」
「…それは、責任…とか?」
「何馬鹿なこと言ってるの、遅かれ早かれするつもりでいたし、君が嫌がってでも貰うつもりだった」
「え?」
「最近うっとうしい連中が多くて言うのが遅れただけだよ…嫌なんて言わせないからね」
「…うん」
そう答えつつ瞳を閉じれば、静かに一筋涙が伝った。
ボンボヤージュ
(これから歩みだしましょう、三人で)
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