妄想≒現実


 今度の劇で、タクトがキスシーンをする事になった。そう聞いてワコが真っ先に思い浮かべたのは、タクトと女の子の、ではなく、スガタとタクトのキスシーンだった。

「キス、シーン……!」

 何故か力を込めて呟いて、ワコはスガタとタクトの二人に交互に視線を向ける。こういうリアクションは、たいていワコが妄想を始める事を示している。
 ワコの妄想はよくある事で、何故か毎回スガタとタクトによるものだった。ほわほわと、今回も瞬く間に妄想が広がっていく。

「いいじゃないか」
「えっ……」

 すっとタクトへと近寄り、スガタはタクトの唇に触れる。タクトが戸惑いの声を上げるが、スガタは気にする様子は全くない。そればかりか、更にタクトへ身体と顔を近づけた。

「芝居なんだから」
「あ……」

 つい、とタクトの唇を指でなぞり、唇を近づける。戸惑いながらもタクトは嫌がる様子はなく、どこか艶のある表情で、少しだけ恥ずかしそうにスガタを見るだけだった。
 そして、いよいよ二人の唇が重なる。その直前。そこでワコの妄想が終わった。

「いやいやいやいやいやいやいやいや!」

 自分の妄想に、ぼんっと音がしそうなほど勢いよく顔を赤らめ、ワコはぶんぶんと左右に激しく首を振る。
 一人で興奮しているワコをよそに、妄想の内容に全く見当がつかないらしく、タクトはきょとんとしている。しかしタクト以外のスガタやサリナは分かっているようで、またかと慣れた様子で百面相をするワコを見ていた。

「ワコは一体どうしたの…?」
「ん? ああ、それは」

 妙に興奮しているワコを見て心底不思議そうに呟くタクトに、スガタが言葉を返しながら、徐に立ち上がった。
 言葉を途中で切って、タクトの方へと移動する。壁にもたれ掛かっているタクトと向き合う位置で、スガタは立ち止まった。

「スガタ?」
「こういう事」
「どういう事?!」

 顎を持ち上げて顔を近づけてくるスガタに、タクトは半ば叫ぶように声を上げる。こういう事、と言われても、一体どういう事なのかが分からない。

「い、意味が分からないよー! スガタ近い…!」
「ワコの妄想。ワコはね、僕とタクトのキスシーンを想像してたんだよ」
「ええっ!?」
「期待に沿って、やってみる? 僕は構わないけど?」
「待って! 構う! 僕は構うから!」

 悪ノリしないで!と真っ赤になって叫ぶが、スガタは楽しそうにくすくすと笑うばかり。本当にするつもりではないのだろうけれど、まだやめるつもりはないらしい。
 ワコの妄想が只でさえ衝撃的だというのに、スガタが悪ノリをするものだから、タクトの驚きや焦りはピークに達しつつある。
 わたわたと慌てるタクトをよそに、周りから―主にジャガーとタイガーから―は、きゃあきゃあと黄色い歓声が上がっている。二人の眼鏡が光っているのが僅かに見えて、少し怖い。
 スガタとタクトは所謂恋人同士であり、周りもそれを知っている。正確には、隠していたのにいつの間にかバレていたのだが。
 そういう関係である為、スガタとキスをするのが嫌なわけではない。寧ろしてくれないと悲しくなる。と今はそういう問題ではなくて。今のこの悪ふざけのような状況が問題なわけで。

「皆楽しんでない……?」

 ひくりと顔をひきつらせながらぼやくタクトに、皆はそんな事はないと口を揃えて言う。揃った時点で、明らかに楽しんでいる気がするが。
 誰か一人くらい止めに入ってくれてもいいものを、誰も止めてくれないとはどういう事だろうか。答えは一つ。皆、やはりこの状況を楽しんでいるに違いなかった。
 スガタが前にいる為、皆の顔はタクトからは殆ど見えない。唯一見える位置にいるワコの方をちらりと見れば、彼女はドキドキした様子で、何かを期待しているかのようにじっとスガタとタクトを見ていた。

「期待したような顔しないでーーーーっ!」

 しないの?と言わんばかりにじっと見てくるワコに、タクトが困り果てたように叫ぶ。放課後の演劇部部室に、少年の絶叫が響き渡るのだった。




fin.





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テーマ「人外ファンタジー」
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