背中を押す「好き」
さくり、さくりと足を進めながら、静かに息を吐き出す。黄昏時の砂浜。薄暗くなり始めた海辺には、誰もいない。
学校から帰宅して暫く、私服へと着替えたスガタは、何をしに来たわけでもなく、一人砂浜を歩いていた。ゆっくりと歩きながら、深い思考の海に沈む。
初めて好きになった人は、初めてできた親友だった。本土から泳いで島まで渡って来るという無茶をやってのけた、少し変わった人物。鮮やかな紅い髪と、髪と同じく綺麗な紅の瞳の、彼。
好きになった人が親友だなんて、まるで漫画やドラマのよう。けれどそれは設定でも何でもなく、紛れもない事実だ。
「タクト……」
小さく呟いた言葉は、ここでは誰の耳にも届かない。しんとした空間に響くように広がって、間もなく消えた。
ツナシ・タクト。それが、スガタの想い人である親友の名前だ。
タクトを好きになったのは、いつからだったか。最初は、本当に単なる友人だとしか思っていなかった。ワコが気に入っているらしい、本土から来た少年。その程度の認識だった。
わざわざ本土から編入してくるなんて、どこか引っかかる。ワコをつけ狙う輩のスパイなのではないか、と疑いの目を向けた時期もあった。けれど、それもほんの僅かな間の事。
三人で過ごすようになってから、だんだんと仲良くなって、力の事をきっかけに本気でぶつかり合って、互いに本音をぶちまけて。その後に、前よりもっと仲良くなって。
夕飯を一緒に食べる事や、タクトが泊まりに来る回数が増え、二人で過ごす時間が増えた。そうして、少しずつタクトの事を知っていったからかもしれない。
気がつけば、タクトに対して特別な感情を抱くようになっていた。ワコを大切だと思う気持ちとは違う、温かい感情。
ゼロ時間に飛ばされ、綺羅星と戦う彼が危機に陥る度に、妙にはらはらした。タクトが傷つくのが嫌で、見ていられなくて。何度も力を使おうと思った。
普段の、笑顔を向けるタクトが、名前を呼ぶその声がとても愛しくて。ふとした瞬間に、抱き締めたくなる。
初めは、タクトに対してそう思う自分が、不思議で仕方なかった。タクトは男だというのに、可愛いと、愛しいと感じるのはどうしてなのか。けれどその疑問も、すぐに答えが見えた。考えるまでもなく、自然に。
日に日に愛しく思う気持ちは増していくばかりで、そのうちにスガタは気づいた。自分は、タクトの事が好きなのだ、と。
一般的に考えれば、この気持ちには少なからず問題があるのだろう。男同士である事、親友だと言う事。俗世間一般の認識の、恋とは違うのかもしれないけれど。
それでも、ただ一心に想う。タクトが好きだ、と。
「初めてだったんだ、」
ふとタクトの顔を思い浮かべて、スガタは呟く。琥珀色の瞳には、穏やかさと愁いが見え隠れしている。
誰かを好きになったのは、初めてだった。婚約者はいるが、それは親が勝手に決めた事であって、彼女に対して恋愛感情はない。
誰かをこんなにも愛しく思った事なんて、今まで一度もなかった。何かを、誰かを愛する事なんて知らなかった。
「伝えるつもりは、なかったんだけどな……」
タクトに対する気持ちは募っていったが、それをタクト本人に言うつもりはなかった。気持ちに応えてもらえるとも思っていないし、何より、下手に気持ちを伝えて、タクトとの関係を壊したくはない。そうなるくらいなら、ずっと親友のままでいる方がいい。臆病で、滑稽な話だけれど。
関係を壊して戻れなくなるくらいなら、このままでも構わない。一方的に愛情を向けるだけで終わるとしても。そう、思っていた。
「タクト……?」
一点を見つめて、スガタは息を呑む。視線の先にあるのは、一つの影。一人海辺に佇む、タクトの姿。それを目にしたスガタは、彼らしくもなく動揺した。スガタ自身もらしくないと思ったが、動揺せずにはいられない。
海辺に佇んでいるタクト。薄暗くてはっきりとは見えないが、その横顔は酷く切なくて、今にも泣き出しそうで。
声をかけようにも、愁いを纏うタクトにどうしてか声をかける事ができなくて。少ししたら声をかけようかと思いながら、スガタは少し離れた所からタクトを見ていた。
タクトの、切ないままの表情は崩れない。それどころか、どんどん切なさが増していっているようにも見える。
視線の先にあるのは、黒い塊になりつつある海の向こう。ぼんやりとそこを見つめて、タクトは時折何かを呟いているようだった。
小さな声だった為に、何を言っているのかまでは聞こえない。けれど、ぽつりぽつりと何かを零すように呟いているのは分かった。
きっと考え事でもしているのだろう。声をかけられる雰囲気でもないし、帰ろうか。そう思い、スガタが踵を返そうとした、その時だ。
「す……よ、ス…タ……」
信じられない言葉が、耳に届いた。タクトの口から紡がれた言葉に、タクトの様子に、周りの時間が止まった気がした。まるでゼロ時間のように、時間がぴたりと動きを止めたようなに感覚に陥る。
今までは何を言っているのか殆ど聞こえなかった、表情も見えなかった。だというのに、どうしてかはっきりと聞こえた。はっきりと、見えた。
溢れ落ちた言葉。きらりと光った、小さな雫。
すきだよ、スガタ……と呟いた、その声が。頬を伝って滑り落ちた、その涙が。
「ーーーーっ!」
声にならない声が、スガタの口から零れる。目を見開いて、呆然とタクトを見つめた。
タクトは今、何と言った? 聞き間違えでなければ、タクトは好きだと言わなかったか。他の誰でもない、スガタを。涙を、流しながら。
愛しくて堪らない、今すぐにタクトを抱き締めたい。そんな思いが、スガタの胸に急速に広がっていく。
儚く見えるタクトを引き寄せたい衝動に駆られながら、スガタは拳を握りしめた。タクトの言葉が嬉しい半面、自分の所為でタクトが泣いているのだと思うと、自分自身に腹が立った。
タクトが、泣いている。そんな顔をさせたくはないのに。泣かせたくなど、ないのに。
「っ、タクト!」
堪らなくなって、名前を呼ぶ。
もしも、同じ想いでいるのなら。その涙を、拭い去ることはできるだろうか。抱き締めることは、許されるだろうか。
自分と同じくらいのはずなのに、小さく見えるその背中を視界で捉えながら、スガタはタクトの元へと駆け出した。
fin.