ガラス無しの、
ここ、南十字学園では「ガラス越しのキス」というものが流行っているらしい。ガラス越しのキスとは文字通りガラス越しに唇を合わせる事だ。
入学早々に、人妻女子高生であるワタナベ・カナコと男子生徒がそれをしていて、とてつもない衝撃を受けたのはまだ記憶に新しい。
「本当、衝撃的だったなぁ…」
「僕は慣れてるから気にならないけど、普通はそうだろうな」
放課後の夕暮れ時。窓の外を眺めながらしみじみと呟くタクトに、スガタは苦笑する。
ガラス越しのキス。スガタを含めクラスメート達は慣れているからか、特に気にする様子もなかったが、タクトにとっては刺激が少々強かった。
驚きやら恥ずかしさやらで、混乱一本手前。しかも、恋人としていた訳でもなく、相手は全く見知らぬ人物だというのだから余計に驚きだ。
「何であんなのが流行ってるんだろ…僕には分からないな」
ガラス越しにあんな事をして、何が楽しいのだろう。どうせするなら、好きな人と、直接したい。誰かとする事を考えた訳ではないが、タクトはそう思った。
「好きな人となら、ちゃんとしたいよ。ねぇ、スガタはどう思う?」
スガタはそういう事に興味がなさそうだが、何となく訊いてみる。タクト自身もこういった話題にはあまり気を向けないが、スガタがどう答えるのか気になった。
何かに、少しだけ期待しているのかもしれない。
「僕? そうだな……タクトとならあり、かな」
「へぇ僕とならありかぁ、って…………へ?!」
少し考えた後のスガタから返ってきた言葉に、タクトは呆けた声を上げた。驚きのあまり、声が裏返りそうになる。
スガタの言葉の意味が理解できず、タクトはきょとんとしながらスガタを見て、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。するとスガタがすっと手を伸ばし、タクトの頬へと触れた。
「タクトは?」
「え、いや、あの、スガタ?」
「僕とは、嫌?」
じっと見つめられて、タクトの紅の瞳が困ったように揺れる。スガタの目を見ていられなくなって、おろおろと視線を泳がせた。
「あの、僕は…その……!」
「僕はタクトとしたいよ。お前が、好きだ」
「〜〜〜〜っ!」
言葉を返しあぐねていると、耳元でスガタの声がして、タクトは声にならない叫びを上げた。同時に、タクトの顔が真っ赤に染まっていく。耳に吐息が触れて、少しだけ背中がぞくりとした。
今そんな事を言うなんて狡いと思う。スガタは砂浜で倒れているところを助けてくれた命の恩人で、クラスメートで、友達で。けれど気になっていたのは確かで。友達としての「好き」とは違う気持ちが、タクトの中に確かにあった。
「……僕も、好き。スガタと、キスしたいよ」
スガタの袖をぎゅっと握って、タクトは小さく言った。恥ずかしさで俯いたタクトにはスガタの表情は見えなかったが、どことなく笑んでいるのが分かった。
「ガラス越しとガラス無し、どっち?」
「無しが、いい」
顔を上げてスガタを見ると、スガタは柔らかくて笑んでいた。つられて緩く笑むと、スガタがゆっくりと顔を近づけてきて、やがて唇に熱が触れる。熱くて、甘い感覚が広がっていく。
夕暮れ時のすっかり人気のなくなった教室で、二人きり。スガタとタクトは、ガラス無しのキスをした。
fin.