一度きりの「すき」


 日が暮れて、辺りがうっすらと暗くなり始めた頃。暗闇の塊へと姿を変えていく海の傍で、タクトは一人ぼんやりと佇んでいた。
 好きな人には、大切な人がいる。将来を共にする存在、約束された仲である、婚約者が。
 まるで悲哀ものの少女漫画のような響きだが、それは紛れもない事実でしかない。どうやっても、変えようのない。ずっと前から決まっていた事だ。

「……どうして」

 誰にともなく言った言葉は、呟いたタクト本人以外の耳には届くことなく消えた。たった一言のその呟きには、沢山の痛みと悲しみが滲んでいる。
 この想いはきっと、永遠に届く事はないのだろう。初めて、好きになった人。鮮やかな蒼い髪の、琥珀色の瞳をした彼には。
 タクトには好きな人がいる。姓をシンドウ、名をスガタといい、砂浜で倒れていたところを助けてくれた命の恩人だ。島で初めてできた親友でもある。
 人工呼吸をして、直接的に助けてくれたのは、もう一人の恩人であるワコだ。けれどタクトは、ワコではなくスガタを好きになった。スガタに、惹かれた。何故かと言われれば、きっと上手くは説明できない。
 スガタに恋愛感情を抱くようになったのは、いつからだったか。最初は、命の恩人で、親友だと思っていただけだった。
 仲良くなって、喧嘩をして、また仲良くなって。スガタの家によく泊まるようになってから、スガタと二人で過ごす時間が増えて。
 気がつけば。いつの間にか、スガタの事を好きになっていた。

「分かってたのに、」

 好きになっても、この想いは伝わらない事を、届かない事を。叶うはずも、ないのに。
 タクトの紅い瞳が、愁いを帯びてゆらゆらと揺れる。揺れる瞳は、今にも涙が零れそうなほどに潤んでいた。
 婚約は親が決めた事であって、恋愛は自由。ワコの事は、友人として大切に思っている。
 スガタは以前そう言った。その言葉に、きっと嘘はないのだろう。けれど、タクトにとっては残酷な言葉だ。
 僅かでも、期待してしまう。好きでいて、いいのかと。もしかしたら、自分を好きになってくれるのではないかと。
 友人として大切なのだとしても、スガタにとってワコは特別な存在だという事は確かで。そんな二人の間には、入れはしない。
 それ以前の問題もある。スガタは男で、タクト自身も男。男同士で、恋愛など成立するはずがないのだ。
 それに比べて、ワコはちゃんとした女の子で、可愛くて。ずっと前から、スガタの事を知っていて。
 タクトが知らないスガタを、ワコは沢山知っている。二人の間には、見えないけれどとても強い繋がりを感じざるを得ない。
 この想いは、願いは。絶対に届かない、叶わない。タクトを満たすのは、絶望にも似た悲しみ。自分を押し殺す、痛み。
 二人の繋がりの強さに対する気持ちを嫉妬だと呼ぶのなら、そうなのかもしれない。或いは、羨望。
 強い絆、繋がり。自分との間にはないそれは、確かに羨ましい。
 だからといって、ワコを嫌いになったりはしないけれど。ワコの事は友人として好きだし、命を救ってくれた事を感謝もしている。幸せになって欲しいと、思う。
 スガタとワコが幸せになれるのなら、それでいい。二人とも、大好きだから。それがきっと、一番なのだ。

「祈ってるよ、二人の幸せを」

 自分にできる事は、きっと一つだけ。二人の幸せを願う事なのだと、タクトはそう思った。
 スガタが笑っていられるのなら、平気だ。きっと耐えられる。この胸の痛みにも、この苦しさにも。
 一生、好きだと伝えられなくても大丈夫。たとえ、好きになってもらう事が叶わなくても。

「……スガタ」

 直接は言わないから、誰もいないこの場所で呟くくらいは。一度だけ、独り言でなら、許してほしい。
 この先は、絶対に。口には出さないから。幸せを、願うから。
 今だけは。

「すきだよ、スガタ……」

 今にも消えてしまいそうな声。本当に小さな声で小さく呟いたその言葉は、夜の冷たい風に溶けていく。
 瞳から溢れる、一筋の雨。生温かい雫が頬を伝って、冷たい砂浜へと零れ落ちた。




fin.





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