□夏風邪なう
苦しいッス。
夏風邪って、本当辛い。
ゼイゼイ、ゴホゴホ。
痰の絡んだ咳のしすぎで、気管は悲鳴を上げる。
鼻水とくしゃみが止まらず、鼻で息が吸えない。口呼吸に頼ることで起こる渇いた喉が痛い。
クーラーの聞いた部屋は渇ききって湿度が37%になっていた。
三日前から本格的に悪化した夏風邪と黄瀬は戦っている。熱は微熱程度には下がったもののちっとも治る気配すら見せない。
食事も外出も風呂も掃除も、自分の時間で動ける一人暮らしは、最初は人恋しかったのだが、慣れれば快適すぎるほどだったのに。
淋しい。
苦しい。咳しすぎて肺が痛い。
クーラーの稼動音以外聞こえない一人きりの部屋が、黄瀬の辛さを倍増させる。
あふれてくる涙を枕が吸い取る。
やりたいこと沢山あるのにできない。部活だって、モデルの仕事だって数日間休んで、うまくいかない。
なんでだろ。
ポカリ、もうないっス。柔らかティッシュストックないし。
コンビニいかないと、家になんもない。
咳が止まらなくて、動きたくない。外に出たくない。
表面はさらさらのビロードの手触り、裏面はふわふわの柔らかい手触りのタオルケットを手にとりぎゅっと握る。
淋しい気持ちがおさまるように。
悲しい気持ちが飛んでいくように。
彼は今頃何をしてるのかな。
最愛の人を瞼の裏に思い浮かべた。
ピピピピー
クーラー以外の音がした。
枕の横に置いていた端末をみる。青峰からの着信だった。
「も゛しもし?」
「お! 起きてたか! つーか、すっげー鼻声!」
「そうッスよ。喋んのも痛いし、つーか、どうしたんスか?」
「あ? 風邪ひいたんだろ? 今から見舞いにくっから。お前ん家の近くのコンビニきたから欲しいもんないかと思ってよ」
「え? だって合宿だったんじゃないっスっけ?」
「合宿はまぁ一日はやく切り上げったっつーか? てか、はやく欲しいもん言えよ。買ってきてやっから」
恋人の青峰は別の高校に通っている。しかも部活の明日まで合宿中だから、黄瀬の体調不良は知らないはずなのに。
「な、なんで」
「は? 聞こえねーよ? なんつった?」
「だから、なんで合宿中のあんたが俺が風邪ひいたの知っているんスか!」
「さつきから聞いた。お前のツイッターで、結構酷い夏風邪で辛いなうって呟いてたって。」
「確かに呟いた気がするス……」
「ポカリとゼリーとプリン、サンドイッチはカゴにいれたけど、ほかに必要なものは?」
「んと、柔らかいティッシュ売ってるはずなんで、欲しいっス」
「了解〜。あ、キャッチはいったから切るぞ。あと5分あればそっち行けるから、鍵勝手に開けても泥棒と勘違いすんなよ。じゃな」
プツリと切れた電話。
じきに恋人が来る。しかも合宿で忙しいはずが自分を優先してくれているという事実に黄瀬は、先刻までの不安な感情を捨て去る。
ふう。
黄瀬は安堵のため息をついて目を閉じた。
………………
合宿帰りの荷物は、黄瀬の家に泊まれる内容。あとは自分の弁当を買うためにレジ近くの弁当コーナーに足を進める。
新商品や更に美味しくなりました。の謳い文句を貼付けた弁当が並ぶ。
唐揚げ弁当の気分だな。なんでマヨネーズが唐揚げ弁当につくんだよ。マヨネーズ上手いけどよ。
「もしもーし、青峰君」
黄瀬との会話を中断させたキャッチの相手は幼なじみだった。
「んだよ?」
「もうきーちゃんの家?」
「いや、コンビニ寄ってる」
「そっか。きーちゃんにお大事にって伝えてね。」
「メールしてやればよくねーか? あいつすっげー寂しがりやだから喜ぶしよ」
「ふふ。青峰君ったら、本当にきーちゃんのこと好きなんだなって。改めて思っただけよ。ツイッターチェックしてる事、きーちゃんにいったの?」
「言うわけねーだろーが。お前が気がついたってことにしてっから……ばらすなよ」
「は〜い」
青峰は、こっこり黄瀬のツイッターをチェックしていた。
モデル事務所がファンとの交流を目的にアカウントを設けて黄瀬に書かせているツイッターの存在を知り、すぐに自分もアカウントを登録した。
黄瀬はワンコ気質な明るい性格の一面もあるが、図太くみえて、気を遣い屋で人を滅多な事じゃ信用しないし、すぐ傷つく。かなり繊細な性格を持っている。
甘えられても、青峰は面倒だとは思わないし、もっと心を預けて欲しいと思っている。
だが、それを黄瀬に伝えたり表に出すのは若さ故か恥ずかしく抵抗があったので、黄瀬がもっと安心するように、青峰なりに優しくしようと心掛けていた。
中学で出会ったときから、青峰は黄瀬にベタ惚れなのだ。今でもそれは変わらず、黄瀬を好きという気持ちは日に日に大きくなるばかり。
黄瀬が魅力的過ぎなのが悪い。そう結論づけて、青峰はレジに向かった。
…………………
ガチャガチャと鍵を開ける音に続き、青峰の革靴が玄関に落ちた音がした。
それから、コンビニのビニール袋の音と重いスポーツバックの荷物を置く音。
今まで空調以外の音のなかった静寂な空間がとたんに賑やかになった。
1002号室。
部屋はデザイナーズマンション。1LDKで築年数も新しく、とくに防音を重視していた黄瀬のお目がねに叶った一室だった。
対面式キッチンに自然光を多く取り入れる縦長で多めの窓。15畳のリビングと10畳の寝室。家賃は張るが、モデルの収入があれば問題なく支払いも滞って両親に迷惑かけたこともない。
「黄瀬。大丈夫か?」
ダイジョウブ。と声になるまえにまた咳込む黄瀬。
青峰はベッドにかけより、華奢な恋人の背中をさすってやる。
背中はじっとりとしてTシャツを変えて体を拭くか、シャワーで一度汗を流すのがいいはずだ。
程なくして、呼吸が落ち着いた黄瀬にポカリを渡す。
「ゴホッ。はぁ〜苦しかったッス。ありがとう、青峰っち」
「おぉ。結構ひでーな」
「んー。夏風邪はつらいッス。もう辛くて、咳のしすぎで喉がちぎれそう」
「だな。それだけ咳してれば、喉は更にやばいよな。軽くくってからさっさと薬飲め。あと、俺今日泊まるわ」
「は? ダメっすよ。あんたに風邪うつったら、ももっちやお母さんに申し訳ないし」
「一晩一緒に寝たぐらいで風邪が移るとか、んな柔な鍛え方してねーから平気だろ。お前、一人にしとくほうがさつきやババアがうるせーよ。飯、お粥とかのほうがいいか?」
青峰の脳内では決定事項になっている件は、黄瀬がいくらなんと言おうと覆せないと長年の付き合いで分かっていたのであえて反論はしないようにしている。
「じゃあ甘えるっスよ。風邪移っても知らないんスからね。あとお粥はほしくないっスわ」
「んじゃ、プリンくっとけ」
テーブルへと並べられた黄瀬のお見舞いを並べ、青峰は弁当を食べだした。
ベッドから青峰の待つテーブルへ移動して、プリンを食べた。
鼻づまりの影響でプリンの味が全くわからない。ただ冷たい何かが喉を通る心地よさを黄瀬は感じた。
「お前熱微熱だよな?」
「そうッスね」
「なら、風呂で汗流せ。手伝うから」
「うーー。わかったっス」
風呂へ一緒に入ろうとすると、黄瀬はいつも嫌がる。何度もお互いの体を繋げている相手なので、今更恥ずかしくもないだろうと毎回説得するが、まだ抵抗があるらしい。
なんでそんなにいつまでも恥じらうんだ、このアホは。まぁ、そんなとこも可愛いけどな。……って、どれだけこのアホの事好きなんだよ俺。
青峰は形のいい眉をしかめ、自分の黄瀬への想いの強さに頭をかいた。
二人で汗を流した後、黄瀬をベッドへ寝かせ、歯磨きやら、黄瀬の洗濯物を洗濯し乾燥機にかけたり……。
あっという間に12時になってしまった。青峰はようやく黄瀬が横になっているベッドへと入った。
「ゴホッゴホッ」
青峰が家事をしている間も今も、黄瀬は体を横にしていたが、咳が苦しかったりしく、咳込んで寝れてないようだった。
とめられない咳に苦しむ黄瀬の背中優しくさすってやると、黄瀬は嬉しそうに笑った。
「嬉しいッス。ありがとう青峰っち」
「あぁ、気にするな」
「んー。苦しい」
「ほら、水飲め」
至れり尽くせりの状態。
青峰って、マメだし、実は恋人にめちゃくちゃ尽くすし、優しいんだよね。
学校のチームメイトも、友達も誰も知らない青峰の恋人への態度。黄瀬だけが知っている俺様の一面。
ずっとずっと、俺だけがそんな一面を知っていたい。
黄瀬は強く思った。
夜中も咳をする黄瀬にミネラルウォーター飲ませたり。体を抱きしめてさする青峰は、明け方ようやく黄瀬の咳が止まったころに眠りに落ちた。
合宿で疲れてようが、眠気が来ようが、黄瀬を優先させる。
青峰にとってそれほど黄瀬は大事な存在になっていた。
完治するまで、黄瀬の家から学校に通うことにした。黄瀬が大事な実母も桃井、賛成だったのでしばらく世話を焼くことにした。
治ったらしっかりと夜の相手をしてもらおう。
下世話な事にも思考が行くが、黄瀬が元気になってくれるのが一番嬉しいから。だから、早くよくなれよなーー。
後日、桃井から聞いた青峰の秘密にそれだけで発狂しそうになった黄瀬は、黄瀬のツイッターをチェックしている青峰を偶然見てしまい、言葉にならず、泣きじゃくって青峰を心配させたのであった。
[夏風邪なう!]
END
(実体験。まだ風邪は治りませぬ)
20120903