「異端児が逃げたぞ!」
「目が紅くて、ギラギラ光ってたんだ!!」
「旦那さん、あんなの隠してたとはね」
「ひょっとして、あそこんとこの姉ちゃん、あいつに喰われちまったんじゃねえか?」
「なら、尚更見つけ出して始末しないとだね」
やだ…
「っ………は…」
やだよ…
「……っも、痛い…のは…」
いやだよ……っ!!
竹やぶの中、一本の大きくて太い竹にもたれる。喉が焼けるようにひりひりと痛み、立ち上がりたくても、足に力が入らない。
「…どう…しよ…」
声がどんどんと近づいて来る。じきに見つかって仕舞うだろう。
ーそうしたら、どうなるの…?
途端に背筋に寒気が走る。次捕まったら、私…
ー死んでしまうの?
ーガサッ
「ーッ!?」
突然の物音に、咄嗟に両の手で口を抑えた。息を殺し、精一杯身体を小さくすると、全身が心臓になったように脈の音が体を駆け巡った。
一歩、また一歩、と、音が大きくなっていく。
もうだめだ、見つかる…!!
「ん?…君、こんなところで一体何をしているんだい?」
のんびりとした、想像していたのとは間反対の声に、はっと顔をあげる。そこにいたのは、村の人でも、お父さんでも、お姉ちゃんでもなかった。
お洒落な外套を靡かせた、背の高い、この辺では見かけないようなお兄さんだ。
一瞬にして、全身の緊張が解かれる。
お兄さんは物珍しげに私を眺めると、少し首を傾げ云った。
「ボロボロじゃないか、迷子かな?」
「あ、ち、違っ」
「違うとなると、一体どうしてこんなところに?」
ストン、と私の目の前にしゃがんだお兄さんは、不思議そうに私の目を見つめた。
「そ、それは−」
「いたぞ!!」
「っ!?」
反射的に振り向くと、桑や鎌を手にした大勢の男達が、すぐそこまで来ていた。
今度こそ、にげなくちゃ。
「あ、や、やだっ…!」
「え、あ、ちょっと!」
走り出そうとする私の腕を、お兄さんがしっかと捕まえた。
「な、なんですか…!?」
「君、追われているのかい?」
早く離して欲しい一心で、激しく頭を縦に振った。お兄さんは「ふむ」と顎に手を宛がうと、
「わ…!?」
急に私を担ぎ上げた。しかも俵を担ぐように、肩に。
「よし、事情は後で聞くとしよう。つまり、あの大群から逃げ切ればいいんだね?」
こくん、と一つ頷くと、お兄さんは颯爽走り出す。
疾い。あんなに遠いと思っていた林の向こうが、直ぐそこに見えている。あんなに怖かったのに、今は明るい、暖かい気持ちが満ちて来る。
「君、どうして追われているのかは知らないけれどさ」
徐に、お兄さんが口を開いた。
「行くあてがないのなら、私のところに来るかい?」
驚いて顔を上げると、お兄さんは悪戯っ子のような、ちょっぴり得意気な顔で続ける。
「困っているのだろう?なに、ちゃんと周りには話をつける。きっと大丈夫さ」
「ほんとうに…いいん、ですか…?」
お兄さんの顔をまじまじと見つめる。お兄さんは柔らかく、そして、何故か何処か悲しげに笑った。綺麗な、笑顔だった。
「ああ、私の部下も許してくれるだろう」
「ぶか?」
「うん、えっと−あ、おーい!中也ー!!」
お兄さんが手を振る先に目をやると、竹やぶを抜けた先、川の向こう側に、もう一人、帽子を被ったお兄さんが、何をするでなく佇んでいた。
「太宰お前…何てモン持って来てんだ!?」
「…だざい?」
もう一人のお兄さんが口にした、名前らしき言葉を繰り返すと、お兄さんが再び私を見て笑った。
「私の名前だよ。太宰、太宰 治、君は?」
お兄さん、太宰さんが私を見る。燦々と照る太陽の光が、太宰さんの顔を眩しく照らした。
これが、私のいのちの恩人の顔。
すっきりと黒く、丸い瞳に吸い込まれように、名前が口から零れ落ちた。
「ほし…ほし、しんいち」
これは、私と太宰の出会いの話。
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