「あ、だざーいっ!」
「おや新一、早かったね」
店に入ると一目で分かった。人の良さそうなもさもさ頭と、神経質そうなぴしっと揃った長髪。もさもさ頭こと、太宰−太宰 治めがけて駆け出すと、勢いよく飛びついた。答えるように、太宰はしっかと受け止めてくれる。
「店の中だし、その帽子、外しても構わないだろう」
「あ、うん、ちょっと待って…よっと」
鞄を肩から下ろし、外套も脱ぐ。灰色の髪が肩に落ちた。…んん?
「むぐ…あの、その子は…?」
「太宰、この人だあれ?」
私が太宰の目の前に座っている人に気付くのと、前の人が私に気付いたのは、ほぼ同時だった。
「その子じゃない、星は星だよ!」
「ほ、星?」
「ああ、この子は星 新一。私たちの仲間だよ」
「星でいいよ、よろしく!」
椅子が見当たらなかったので、太宰の膝にぴょこりと飛び乗る。っと、そうだった。
「君は誰?」
「ぼ、僕は中島 敦。よろしくね…ええと」
「ほーしっ!」
「ほ、星…くん」
手を伸ばすと、優しく弱い力で握り返してくれる。
あ、この人多分いい人かも。
「そうだ新一。君も腹が減っているだろう?国木田君のおごりだ、何か食べるといい」
「わーい!」
「またそんな勝手に!!というか、これが狙いで星を呼び出したんだろう!?」
「五月蝿いよどっぽー、そんなにカリカリしてたら白髪まみれになるよー?」
ジト目で隣に座る独歩−国木田 独歩を見遣ると、独歩も「余計なお世話だ」とジト目で睨み返して来た。
だって昨日テレビで言ってたんだもん。
それに「短気は損気」って言うしさ。
「さてと…何にしようか−あ!」
「んぐ?」
品書きを見渡そうかと思った矢先、目の前の丼が目の端に映った。
「茶漬けだぁ…!」
敦が美味しそうに掻き込んでいる大盛りの茶漬け。
湯気がほわほわと上がり、中には甘辛く炊かれたそぼろの肉や海苔が浮かび、自分は美味しいよ、と云って来るようで。
魅入ってるうちに、ぐうと一つ腹の虫が鳴いた。
「はい」
「え?」
「一杯食べる?」
机に広げられた丼の一つを、ずい、と敦は私の前に突き出した。綺麗な磁器の丼に、丸っこい木の匙、美味しそうな茶漬け。
私は迷わず−
「うんっ!」
受け取った。
「よかったね、新一。」
「うんん、旨いー!…朝から何も食べてなかったからさぁ」
ぽんぽん、と太宰に頭を撫でられながら、匙で茶漬けを掬う。付け合わせの漬物の塩味と梅干しの酸味が、体中に染み渡る。
「…おい、朝から何もって、太宰は何してたんだ?」
「今日は起きたらもういなくてさー、何も食うものがなかったから、事務所に行ったらこっちもなーんもないし。結局太宰から連絡が来るまで、事務所で賢ちゃんと寝てた。」
「なっ、…おい太宰!お前保護者としての自覚はあるのか!?」
「買い物に行くのを忘れていたんだよ。勿論、何時もは朝も二人で食べてるよ。
全く。国木田君は新一のことになると、心配性だなぁ」
頭の上で、くつくつと太宰が笑う。私もつられて笑って見せた。
*
「はー、食った!」
「むお…?」
私が口いっぱいに最後の一口を頬張った時には、敦の回りには丼の山がそびえ立っていた。
「もう茶漬けは十年は見たくない!」
「お前…」
「まーまーどっぽ、抑えて抑えて」
「お前が云うか!?」
太宰の膝から独歩の肩をとんとんと叩く。独歩が、ぐぬぬ…と軽く唸った。
「いや、ほんっとーに助かりました!孤児院を追い出され横浜に出てきてから、食べるものも寝るところもなく…あわや斃死かと」
「ふうん、君、施設の出かい?」
感謝に満ち溢れていた敦の顔が、急にちょっぴり曇る。
「出、というか…追い出されたのです。経営不振だとか、事業縮小だとかで」
「それは薄情な施設もあったものだね」
「おい、太宰」
太宰が気の毒そうに返すと、つい、と横から独歩が口を挟んだ。「余りいい話ではないから、これ以上突っ込むべきではない」と止めるのかと思いきや。
「俺達は恵まれぬ小僧に慈悲を垂れる篤志家じゃない、仕事に戻るぞ」
「…そーだよね!独歩が他人に気を使うわけないよね!私が甘かった!独歩なんか嫌い!!」
「な、なんなんだ突然!?」
「よくわからないけど新一、そこらで止めておかないと国木田君が泣くよ?」
「なっ!?」
「あ、あの…」
むっつりとむくれた私を余所に、敦が声をかける。むう、私を無視するなんて、いい度胸してンじゃん…
「お二人は何の仕事を?」
「なァに、探偵さ」
途端に敦の目が、胡散臭そう、と物語る。
「探偵と云っても、猫探しや不貞調査ではない。斬った張ったの荒事が領分だ。異能力集団『武装探偵社』を知らんか?」
「そうそう、私も一員だよ」
「え、ま、まあ…ええ!?」
「あ、今、こんなちまっこいのが?とか思ったでしょ!?」
「あ」
敦に人差し指を突き付けていると、不意に太宰が嬉々とした声を上げた。
「なあに?」
「ご覧よ新一、あの鴨居、頑丈そうだね…例えるなら、人間一人の体重に耐えられそうな位」
「立ち寄った茶屋で首吊りの算段をするな!」
「違うよ、首吊り健康法だよ、知らない?」
「何、あれ健康にいいのか?」
「独歩も何でもかんでも信じないの!!」
敦の目が、不安げに垂れた。信用のかけらもありゃしない。
「そ、それで、探偵のお二人…いや、お三人の、今日のお仕事は?」
「虎探し、だ」
瞬間、敦の目が大きく見開かれたのを、私は見逃さなかった。
「…虎探し?」
「近頃、街を荒らしている『人食い虎』だよ。倉庫を荒らしたり、畑の作物を食ったり、好き放題さ。最近この近くで目撃されたらしいのだけど−」
ガタッ!!
「…あつし?」
太宰の言葉を遮り、敦が椅子から転げ落ちた。顔色が悪く、怯えているように見える。
「大丈夫…?」
「あ、ああ、ええと…ぼ、ぼぼ僕はこれで失礼します」
「待て」
四つん這いで店を出ようとする敦の首根っこを、独歩が捕まえる。敦の手が、しゃかしゃかと滑稽に空を掻いた。
「む、無理だ!奴−−奴に人が敵うわけない!」
「貴様、『人食い虎』を知っているのか?」
「あいつは僕を狙ってる!殺されかけたんだ!この辺に出たんなら早く逃げないと−」
ガッ
「!!」
その言葉を聞き、独歩が敦の腕を掴む。足の付け根辺りを膝で叩かれると、敦は床に抑えつけられた。
「…ッ」
「云っただろう、武装探偵社は荒事専門だと…茶漬け代は腕一本か、もしくは凡て話すかだな」
「独歩!」
「まあまあ国木田君、君がやると情報収集が尋問になる。社長にいつも云われてるじゃないか」
「…ふん」
独歩が敦から降りると、私は敦に駆け寄った。太宰も、すっと立ち上がる。
「敦、大丈夫?怪我、してない?」
「あ、うん…ありがとう」
手を貸すと、敦はそろそろて立ち上がり、椅子に座り直した。
「それで?」
「…うちの孤児院はあの虎にぶっ壊されたんです」
太宰が優しく話しかけると、敦は口を開いた。
「畑も荒らされ、倉も吹き飛ばされて…死人こそ出なかったけど、貧乏孤児院がそれで立ち行かなくなって、口減らしに追い出された。」
話を聞いていると、穀潰し、だとか、お前の居場所はない、だとか…まったくもって酷い話だ。
「…そりゃ災難だったね」
「酷い…」
茶から立ち上る湯気ごしに見る敦は、辛そうに目を伏せていた。
「それで小僧。「殺されかけた」と云うのは?
「孤児院を出てから鶴見川の辺りをふらふらしてた時…捨てられた鏡に…僕の後ろにあいつが…あいつ、僕を追って街まで降りてきたんだ!」
「敦…」
「空腹で頭は朦朧とするし、何処をどう逃げたのか…」
そこまで云うと、敦はがくりと肩を落とした。
「それ、いつの話?」
「院を出たのが二週間前、川であいつを見たのが−四日前」
「確かに、虎の被害は二週間前からこっちに集中している。それに、四日前に鶴見川で虎の目撃証言もある」
「…」
「太宰?」
ふと見上げると、太宰は顎に手を宛てて考えこんでいた。かと思うと、その口がおもむろに開かれる。
「敦君これから暇?」
そして、にこりと敦に笑いかけた。敦は、ぞっとのけ反り、口角を引き攣らせる。
「…猛烈に嫌な予感がするのですが」
「君が『人食い虎』に狙われているなら好都合だよね」
太宰は私を抱え直し、ぴっ、と人差し指を立てると、満面の笑みで云った。
「虎探しを、手伝ってくれないかな」
「い…」
「い?」
「いいい嫌ですよ!それってつまり『餌』じゃないですか!誰がそんな−」
「報酬出るよ」
反論のために立ち上がった敦が、ぴたり、と動きを止めた。
「国木田君は社に戻ってこの紙を社長に、新一は−」
「行く」
「だろうね」
「こんな楽しそうなこと、ほっとくわけないだろう?何時だって、スリルは私の味方なんだから!」
「おい、三人で行く気か?まずは裏をとって−」
「いいから」
太宰が独歩に紙を押し付ける。太宰にはもう、今回の事件の真相が判っているようだった。
「ち、ちなみに報酬はいかほど?」
「こんくらい」
胡麻をする敦に、ヒラリと報酬の書かれた紙を、太宰が見せた。返事はというと、勿論イエス。
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