天使の誘惑
(カゲ×タマ:DC1)
白いシーツの上。
艶やかな黒髪が目に鮮やかなコントラストを描いて広がっている。
カゲミツはベッドに上半身を起こしながら、その美しい光景を眺めた。
黒髪の主は――誰よりも愛おしいタマキ。
濡れた桃色の唇から…今は、規則正しい寝息が漏れている。
昨夜、その唇から紡がれた。
意味をなさない高声が…今も耳の奥で。
甘く。
切なく。
響いていた――。
その腰から下にはシーツをまとっていたが、上半身は惜しげもなく晒している。
象牙色の光沢を放つ肌はしっとりと滑らかで。
触れると、ぴったりと肌に馴染んで吸い付くようなもち肌だった。
決して、女性のような丸みのあるフォルムではないけれど。
カゲミツほど骨張ってゴツゴツしたものでもない。
カゲミツよりも筋肉はついているのだが。
タマキは骨格そのものが、男にしては標準よりも細いのだろう。
細い首筋から肩口への美しい曲線。
そこには、紅い花びらの痕が転々と散っている。
カゲミツが咲かせて。
散らした所有の証――紅の花。
引き締まった筋肉がうっすらとついた背中から。
腰が細いゆえの、見事な逆三角形の体型。
汗で額に張り付き。
寝乱れた少し長い前髪をそっと、梳いて横に流してやると。
髪で隠れていた瞳を縁取る長い睫が、ほんのり薔薇色に染まる。
頬に黒い陰影を描いている。
美しい黒髪。
本人は嫌らっていたが、緩やかな癖がある。
ふわふわとした柔らかな手触りはいつまでも撫でていたくなる。
――ずっと焦がれつづけた。
愛しいひとが、今、ここにいて。
自分の隣で安らかに眠っている。
その愛しい手触り。
感触のすべて…――。
自分よりも、何よりも大事で。
愛しくて仕方がない。
――どうすれば、この幸せをタマキに伝えることができるだろうか。
精一杯の愛情を込めて。
優しく撫でる。
タマキによって、初めて覚えた。
人を恋しいと思い煩う感情。
自分よりも大事だと思える存在との出逢いによって。
もう一度、世界と係わる勇気と他人との絆を取り戻せた。
タマキによって。
生まれ変われたからこそ、今の自分がいるのだ。
優しく髪に触れる温かい手の感触の中で。
タマキは満たされる思いで目覚めた。
朝の光の中。
目を開けると、そこにはいつも金色の光をまとった。
美しい笑顔がある。
最近、ようやく見慣れた風景。
だが、逆にもう何年も前から。
こうしていたかのような、そんな錯覚さえ覚えるくらい。
その時間は、ごく当たり前のようにタマキに無償で与えられて。
存在すべてを――許されているような心穏やかな気分になる。
「おはよう、タマキ。
目、覚めたか?」
「んっ…、おはよう、カゲミツ。
もう起きていたのか…」
ぼんやりとする眠い目を擦り。
そのままの体勢で上目遣いに見上げる。
「まあな」
優しく笑いながら。
寝そべったままのタマキの髪を撫でつづけてくれていたカゲミツ。
慈愛に満ちた琥珀色の澄んだ眼差しも…タマキより少し大きな掌の感触も。
そのすべてが。
――愛おしくて堪らない。
気づけば、いつだって。
自分だけに向けられていた優しさと愛情。
今まで…どうして、そのことに気づかなかったのか。
気づけなかった自分の鈍さに顔から火が出る思いだ。
けれど、一度気がついてしまえば、こんなにもわかりやすく。
あからさまなほどに真っ直ぐ。
向けられている。
――愛情・好意・笑顔――
自分に向けてくれた想いの半分でも。
万分の一でいいから、カゲミツに返したいと思った。
なのに…、いつも自分は見守られてばかりだ。
「なあ、たまにはお前の寝顔を見せてくれよ。
それでなくてもカゲミツは寝不足ぎみなのに…」
つい、不満の声が漏れる。
カゲミツから与えられるばかりで――
何も返してやれない不甲斐ない自分に向けて。
こうやって、目覚めた時。
最初に、大好きなカゲミツの笑顔で満たされる幸せ。
眠るまで抱き締めて。
目覚めるまで、優しく撫でてくれる温もり。
その行為が、とても大好きで。
泣きたくなるほど嬉しくて。
幸せで胸が一杯になる。
人は悲しくなくても。
幸せすぎても涙が出るものなんだと――。
カゲミツの『愛』によって教えられた気がした。
だから、せめて――同じ行為で返してやりたいと思うのに…。
いつだって、自分の方がカゲミツよりも先に寝落ちてしまう。
頑張って、カゲミツよりも起きていようと、何度か試みたこともあるのだが――
諜報の仕事で宵っ張りの夜型生活のカゲミツに。
体温が高いことや食べたら眠くなってしまうお子様体質と言われるタマキが敵うはずもなかった。
そのくせカゲミツは、夜が遅いにも係わらず。
朝もタマキより早起きなのだ。
仕事が立て込むと。
「万年寝不足気味だ!」と、苛立ち紛れに隊長を相手に。
ヒカルと一緒になって不満を漏らしているのだから、たまには……
ちょっと朝寝坊をするくらいしてもいいのに。
―― 一体、いつ寝ているのだろうかと、首を傾げたくなる。
おかげで、タマキの野望はとてつもなく遠い。
「俺の寝顔なんて見たって。
面白くも何ともないって…」
カゲミツは、困ったような笑顔を浮かべて、指先で頬を掻いていた。
「面白いとか。面白くないとか。
そういうことじゃないんだ。
――俺が、カゲミツの寝顔を見たいというか……
真っ先に、目に入りたいというか……なんていうか……」
タマキの言葉尻は、ごにょごにょと歯切れの悪いものとなって消えた。
「どっちが先に起きようと、最初に目に入るのはお互いだけなんだから。
いっしょじゃん!」
「タマキは変なこと気にするんだな」と、カゲミツは可笑しそうに微笑んだ。
確かに、二人で暮らしているのだから、そうだと言えば。
そうなのだが――
やはり違うのだ。
気持ちの問題。
部屋の家具よりも。
何よりも先に――俺を見て欲しいだなんて。
そんなことを思う俺は、どっか、おかしいのかもしれない。
人間に『嫉妬する』話は聞いたことがあるけれど…――。
「いっしょじゃない…。
だーかーらー、そういう問題じゃないんだってば!」
おかげで、ついムキになって。
起き上がってカゲミツに詰め寄る。
自分は低血圧ではないし、目覚めも悪くない。
なのに、どうしても勝てない。
カゲミツよりも早起きができない。
つまり、いつまで経っても。
嫉妬している家具どもに勝てない。
――そんな恥ずかしいこと、口が裂けても言える訳がない!
それに諜報の任務は、実行部隊とは違った意味で。
キツイ仕事だ。
昼夜逆転の不規則な就寝時間。
下手をすれば、満足に眠れない。
一日中、パソコンやモニター機器を見つめて、目や指を酷使する。
情報収集のための盗聴やハッキング行為などは、想像以上に神経を磨り減らす。
いつも同じ姿勢で長時間過ごすことになり、気をつけていないと運動不足にもなる。
今までは、普段の食生活も――
カゲミツは、コンビニ弁当やファーストフードがメインで。
良くてファミレスという有様だ。
誠に不摂生極まりない生活。
二人暮らしをはじめてからは。
なるべく交代で自炊をしているが――
それでも心配は尽きない。
せめて、自宅が心安らげる場所であって欲しい。
カゲミツの言うように、一緒に暮らしている相手の寝顔を見る。
こんなことに後先もなければ、勝ち負けもない。
そんなことは百も承知の上だ。
そんなことは最初から。
わかった上での自分の我儘でしかない。
覚え立ての愛しさが溢れて。
生み出す――我儘。
誰よりも。
何よりも先に。
見つめて欲しい。
ただ一人に向けて押し寄せる多くの感情の波。
愛情と心配は表裏一体で。
――カゲミツに身体を壊して欲しくない。
仕事のためなのだとしても、集中すると無理ばかりをする。
何度言っても、無茶を繰り返す。
その上、寝顔が見られない。
いつ眠っているのかもわからないとくれば――。
カゲミツの、身体の心配の一つや二つくらいはしたって当り前だ。
今までも仲間として。
リーダーという立場から。
隊長ほど万全とは行かないまでも…――
みんなの体調管理やメンタル面にも気をつけていたつもりだが。
今まで以上に――
カゲミツのことが気になって仕方がない。
たった一人が『特別』になる。
…ということは、こういうことなのかもしれない。
カゲミツに愛されて。
初めて知った――『嫉妬』という感情。
初めて覚えた――『特別』な存在。
せめて、俺が一緒のときくらい。
カゲミツには、時間を気にせずにゆっくりと眠って欲しい。
カゲミツが遅刻しないように。
ちゃんと俺が起こしてやるから…
眠っているカゲミツを守ってやるから…
――自分の隣で安心して眠って欲しい。
一緒に暮らし始めてから一向に。
カゲミツの寝顔が見られない。
引いては、安心して眠れないからではないのか、と。
勘繰ってしまいたくもなる。
自分が無償で与えられる安心感や充足感を――
カゲミツにも感じて欲しい。
一緒に家飲みをする時に。
こっそりカゲミツにだけ強い酒を飲ませてみたり…
殊更…夜に…自分なりに頑張って……励んでみたりもしたが…――
結局のところ、そんな策謀を廻らしても。
いつでも落ちるのは、自分が先だった。
カゲミツに、そんな自分の計画を話してしまうのは。
あまりにも不細工というか…醜態を晒す気分で。
スマートじゃない。
寝顔を見たい理由を話してしまっては――
目覚めた時に感じる幸福感が薄れてしまうんじゃないかとも思っていたけれど。
どう考えたって。
はじめから自分に駆け引きなんて芸当は向いていないのだ。
だったら、正攻法で行くしかない。
「とにかく俺の横で、カゲミツには安心してゆっくり眠って欲しいの!
もう何処にも行かない……ずっとお前の傍に居るからさ」
伏目がちに逸らされた瞳は艶めいて、頬は恥らうように朱を孕み。
叫ぶような声の後半は呟きに変わっていた。
そんな殺し文句言と相俟って。
タマキの表情はカゲミツの動悸と動揺を誘うには十分すぎた。
「えっ?あ、いや…その、何だ…
そんな風に、言われちまうと…」
突然のことに、言葉が上手く紡げない。
タマキの言葉の意味を理解すると共に。
自覚できるくらい、瞬間的に顔が熱くなっていく。
大きな掌で。
カゲミツは口許を慌てて覆い隠す。
嬉しさのあまり、だらしなく緩む口許。
とっさに隠したものの。
真っ赤に染まった顔は、きっと耳まで赤いだろう。
「だから、お前の寝顔、俺だけに見せてくれよ。
――駄目か?」
カゲミツの腰に背後から、ぎゅっと抱きついて。
窺うように黒目がちの大きな瞳が上目遣いに見上げてくる。
逸らせない視線が絡み合う。
(ちょ、…やべっ。――なんつーかわいいこと言うんだよ…)
心臓が激しく高鳴る。
湧き上がる衝動。
――何だ、この可愛い生き物は!
「――駄目じゃない。
でも、そんなこと言われたら……
もう、限界……」
その言葉を最後に。
ベッドから起き上がったばかりのタマキを再びベッドへと沈めた。
***
その後、タマキが再び目覚めたのは昼を大きく回った頃で。
気づいたと同時に。
鈍く。
疼く腰の痛みと違和感を感じた。
それを堪えながら、両手で身体を支えて起き上がる。
その隣では、安らかな寝息を立てるカゲミツがいた。
やはり眠っても、端正な顔立ちを縁取る金色を優しく撫でる。
さらりとした極上の絹を思わせる感触にタマキは満足気に微笑む。
無防備な寝顔に。
愛しさは募るばかりで。
そして閉じた瞳を彩る。
繊細な金色の少し上に…そっと、キスを落とした。
「おやすみ…カゲミツ。
よい夢のある眠りを…」
――俺が、ここにいて。傍にいて守ってやるから。
今日は休みだから、カゲミツが目覚めるまで。
このままで――――
同じ夢を見て欲しい。
カゲミツへ向かって育っていく。
かけがえない愛情。
すべてはこれから……
上体を少しだけ上へずらして。
もう一度、寝転ぶと。
両腕でカゲミツの頭を抱え込む。
至近距離で。
その美しい寝顔を見つめ。
起こさないように気を遣いながら。
その形の良い後頭部を撫でつづけた。
愛しいひとの穏やかな寝顔は――自分だけに。
更なる幸せな時間を与えただけなのかもしれない。
カゲミツが目覚めた時。
果たして――自分が、いつも感じている幸せを味わわせてやれるかどうか。
今更ながらに心配にもなった。
けれど、万分の一でいい。
これから少しずつ。
共に歩む人生で。
今まで気づかずに傷つけてきた。
カゲミツの心を癒すことができれば…――
そんな勝手な我儘を…またしても抱いている。
自分に苦笑しながら。
美しい琥珀色の瞳が、最初に自分を瞳に映す。
その瞬間を――
タマキは高鳴る心で。
逸る気持ちで待ち臨んでいた。
ここから明日へと繋がる。
二人の未来を――――夢見て。
fin.
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「A to Z〜0-zone」の椎名涼様から頂いたもの。
以前「出来上がってるカゲタマ」の拍手話をリクエストしていたのですが、拍手話どころかむちゃ長編を頂いてしまいました(狂喜乱舞)
ありがとうございます。
むちゃ甘くて、カゲミツがタマキに愛されていて幸せで…。
読んでてこっちも幸せになります。
椎名さんのところの「Some Like It Hot」を読んでからこちらを読むと、カゲミツの早起きさん加減がわかって、より楽しめます!
ほんと、素敵な話をありがとうございました。
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