憧憬
「こんなところにいたんですか。トキオさん」
ドアから顔を覗かせたカナエがゆっくりと近づいてきた。
バンプアップ地下のミーティングルーム。
中央のテーブルでノートパソコンを広げたトキオが顔を上げる。
「ん、まーね。……お邪魔虫らしい時間のつぶし方だろ」
「お邪魔虫だなんて…」
横に立ったカナエが、困ったような表情を浮かべながら言葉を途切れさせた。
「思ってるだろ?」
意地悪く見返してくるトキオに、
「思ってますけど」
開き直ってしれっと答えるカナエ。
それから、少し間を置いてからぽつりと呟いた。
「でも、居ないと居ないで落ち着かないんですよね…」
「え………」
トキオは、そんなカナエを少し驚いたように見つめ、それから隣に座るように促した。
「次の仕事の書類をまとめてたんだ。…純粋に仕事だよ。もう少しで片付くから待ってくれる?」
「はい…」
カナエが隣の椅子に腰を掛けた。
カタカタとキーボードを叩く音だけが響く。
「…………」
「…………」
「落ち着かないってどういう意味で?」
画面を見つめながらトキオが話しかけてきた。
「……トキオさんが居てくれるから、タマキ君に手を出さないでいられるのに。…消えられたら歯止めが掛かりません」
「あー。そういう意味。それは……。悪かったな」
それから、クスリとトキオが笑った。
「どうしたんですか?」
「……いや。一瞬、俺に惚れたのかと思って焦った」
「そんなことあるわけないでしょう」
カナエが呆れたように言う。
「…だよな」
「でも……あるかも」
「どっちだよ」
トキオが苦笑する。
「この三人の暮らしに、居心地の良さを感じているのは本当です。…そして、そのムードメーカーになってくれてるのがトキオさんであることも実感しています」
「…………」
「タマキ君が解らない事でも、あなたは解ってくれる。……そしてさりげなくそれを容認してくれるところが…心地いいです」
「タマキだって」
「タマキ君は解らなくても受け入れてくれる。そういう人だ。……そして、俺はそれをわざわざタマキ君には言いたくないし、知られたくない部分でもあるので」
「うん……」
「タマキ君には格好つけて、あなたに甘えてるのかもしれない。ずるいけど」
「それでいいんじゃない?」
「でも、あなたは恋敵なのに」
「え〜。そうなんですか?」
トキオが笑いながら問い返す。
「ふざけないで下さい」
カナエがキーを叩くトキオの手を阻むように、キーボードの上に手を置いた。
トキオが驚いたようにカナエを見る。
「タマキ君を見る目を見れば……わかります」
「…………」
トキオはそんなカナエを暫し見つめ。それから、ふーっと息を吐いた。
「まいったな。そんな目をしていたかな。……確かにタマキには日を追うごとに絆されていく自覚はあったけど、恋愛とかじゃないつもりなんだけどな」
「そんなの…。嘘です…」
「……タマキだけでなく、お前らセットで。見てたところあるし」
「?」
「全てを捨ててまで互いを選んだ二人の裏切り者。……そんなお前らに興味があった。どうしてそこまで出来るんだろう…とかな」
「…………」
「タマキと一緒に過ごしているうちに、こいつならそうするんだろうな…って。思えるようになって…。そんな関係が羨ましくもあり、憧れでもあり。……そんな幸せのおこぼれを預かりたくて、ちょっかい出しただけだし…」
「……トキオさん」
キーボードに置かれたカナエの手を握ると、トキオはニヤリと笑って言った。
「お前が、俺の事をそんなふうに思ってくれるとは嬉しいよ」
「な……」
「はい、仕事終了! さて、タマキのところに戻ろうか。いつまでもお前が帰らないと心配するだろ」
「二人が……です」
トキオはノートパソコンの蓋を閉めて、小脇に抱えると、さっさと出口に向かう。
「ほら、行くぞ」
それから、カナエを呼び寄せた。
《END》
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