「……の。夏野、」

よく知った声で名を呼ばれ、肩を揺さぶられ、ゆるやかに覚醒した。

俺を見下ろす、鳶色の瞳。こうして見てる分には、生きてるときと何も変わらない。

「名前で呼ぶなってば……ふあ。俺、寝てた?」
「おう。そりゃもう、ぐっすりとだな」

押し入れを閉めた後、そのまま眠ってしまっていたらしい。徹ちゃんが起きて来たのにも気付かないなんて、珍しく相当深い眠りだったようだ。

「そっか。…もう8時か、何か食うモン買ってこないと」

知らぬうちにかけてくれたらしい、タオルケットをのけて立ち上がろうとしたら、まあ待て夏野、と何故か笑顔で制される。

「そういうと思ってだな、お前の晩飯は俺が作っておいた。ありあわせだから、大したモンじゃないけどな。待ってろ、持ってくる」
「え…」

小さなキッチンに引っ込んだ徹ちゃんは、両手に大皿を持ってきた。冷凍していたご飯で作ったチャーハンと、かろうじて冷蔵庫にあったらしいいくつかの野菜を炒めて卵でとじたの。

恐々口にしてみると、ちょっと大雑把な味だけど、きちんと美味かった。

「徹ちゃん、料理なんかできたんだ?」
「簡単なモノだけな。うちの母ちゃん、ああ見えて結構手伝いとか厳し…」

徹ちゃんははっとして、途中で口をつぐんでしまう。俺は黙ったまま、料理を口に運んで咀嚼した。いつのまにか、二人の間で、あの村の話題は禁物になっていた。

何となく気まずいような空気の中、しばらくじっと俺の食事を見ていた徹ちゃんが、突然思い出したように言う。

「なあ、夏野。俺……バイトでも始めようかと思うんだが」
「はあ?何言ってんだよ、急に」
「ほら、夜の仕事って手もあるだろ。年齢は誤魔化さにゃならんけど、それは夏野もやってる手だし」

俺はコンビニで18だと偽ってバイトしている。高校生だとがくんと給料が減るし、色々面倒だからだ。

「…夜の仕事ってホストとかか?徹ちゃんには無理なんじゃないの」
「なにおう。これでもなぁ、俺はモテないこともない…こともなくないぞ、多分」
「何だよそれ。どっち?」

知ってるよ、アンタがもてることは。…俺だって、まんまと口説き落とされたうちの一人だ。

「夏野、俺は…」
「ご馳走様、」

先を遮るように、素早く珍しく自分から唇を重ねた。初めは面食らった徹ちゃんだけど、すぐに俺の頭を引き寄せてくる。
徹ちゃんは俺の吐息を食うように、俺は徹ちゃんに呼吸を与えるように、浅い深いキスを繰り返した。尖った犬歯が時々舌にひっかかるのも、もう慣れてしまった。

「…やっぱ、バイトは無理かなあ。ただでさえ一日の半分なのに、夏野といる時間が減る」
「…その前に、客に触られたりなんかしたら、一発でバレるだろ」
「んにゃ。そか」

相変わらず抜けてんな、と軽く吹き出してしまう。笑う俺を見て、徹ちゃんもふにゃりと破顔した。



俺たちは逃げたんじゃない、戦う為にあの村を出た。これからどうすればいいのか、考るべきことは山ほどある。お互い家族だって村に置いてきた。

…そんなこと二人とも十分わかってるのに、こうしてたあいないことを話し、笑い、戯れにキスをするうちに。平和な日常に染まって、あの村の出来事がずうっと遠くなっていく。

あの辰巳たちが、俺たちをそのままにしておくとは思えない。けど、もしかしたら。俺たちが騒ぎ立てなければ、放っておいてもいいと思われてるんじゃないか?…そうであればいいなんて、馬鹿げた期待を抱きはじめたのはいつからだろう。


「夏野。…あんまり無理は、するな」

ああ。急にバイト云々言い出したのは、シフトが過密気味で疲れてる俺を気遣ってくれてたのか。
さわさわと頬を撫でてくる指は、ひんやり冷たいのに、何故か心地好くて目を閉じてしまう。


辰巳は俺のことを、勇敢だといった。村や友人を見捨てられないくらい優しいとも。
けど、それは違う。
逃げ出してまで守りたいほど、自分が大事に思えなかっただけだ。そしたら、俺の一番守りたかったものが、思わぬ形で帰ってきた。それだけのこと。



「徹ちゃん。アンタも食事、すれば」
「…今日はいいよ。夏野、バイトで疲れてんだろ」
「何変な気つかってんだよ。明日はバイト休みにしてんだから。ほら、」

焦れて襟を広げて首筋をさらせば、こくん、と喉が鳴るのを俺は見逃さない。これだけ一緒にいて、あんたが空腹なのもそれを必死で隠そうとしてるのも、気付かないワケないだろ。

「……すまん」

酷く申し訳なさそうな顔で、とすん、と畳の上に押し倒しされた。罪悪感でいっぱいの瞳の奥には、確かに仄暗い喜悦の色が浮かんでいる。それは、人には真似できない類のもの。

「ぁ……」

一度首筋に軽くキスを落とされてから、その場所を襲う痛み。一気に全身が弛緩して、思考が霞みはじめる。じわじわ広がる虚脱感と、身体がとけていくような快感。

それでもなんとか重い瞼をひらくと、口の端からたらりと赤い雫を垂らす彼の顔は、泣きそうに歪んでみえた。

それは飢えとの葛藤なのか、自分が人でないことへの哀しみか、今こうあることへの罪悪感か、それとも。

だるい腕を動かして、体温も鼓動もない首に回す。



それでも、俺は。
あんたがどんな生き物なのかも、あの死に包囲された村のことも、忘れて。

このまま二人で、なんて。








★夏野は勿論勇敢に屍鬼に立ち向かってほしいけど、徹夏的にはコレもありかな、なんて。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -